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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

桃太郎⑨-3(青鬼-食卓の修羅場)

2009年05月21日 | 桃太郎
桃太郎⑨-3(青鬼-食卓の修羅場)

食い物の恨みは恐ろしいといわれるが、
女性にとって食卓はいろんな意味で戦場だ。

お嫁さん。一匹の魚の料理するにも大変な悪を造る。

今日は給料日、奥さまはお頭付きの鯛を
買ってきて、料理をしにかかる。
さて、どこを誰に出すかで頭を悩ます。

真中の美味しい部分は
カイショはないが稼いでくれる主人と
今は遊んでばかりだが、将来養ってもらわなければならない息子と
決まっている。

しかし、問題は頭としっぽのところ、
姑に小さいところを出せば、
「嫁は小さいところしか出さん」と
ご近所に言いふらす。
だからと言って、身の多いところは出したくない。

そこで姑の皿には頭のところを切りとって
「お母さん、頭の部分は、栄養があるそうですよ」
と言いながら出す。

受け取ったお婆さん、あまり嬉しくない。
見かけは大きいが全然身のないところ。

それに比べ、嫁は皿の野菜の下に隠れているが、
シッポの部分。
あそこは内臓もなく、身がたっぷりあって
美味しいところである。

姑は千里眼でお見通し。
「嫁め。ワシには身のない頭を出して、
 自分だけは身も沢山あるシッポのところを
 取りよって」と
心の中で嫁の頭の切り裂いている。

なぜ嫁の魂胆が分かるのか。
自分が嫁の時代に同じことをやってきたからに
外ならない。

食欲の為に嫁と姑の修羅場が現出する。


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桃太郎⑨-2(青鬼-食欲の深さ)

2009年05月20日 | 桃太郎
桃太郎⑨-2(青鬼-食欲の深さ)

人間の欲の中で一番深いといえば食欲だろう。
朝から晩までどうしたら美味いものが食えるか、
それしか考えていない。
テレビでは料理番組が目白押し。

その食欲で我々はどれだけ恐ろしい罪を
造り続けているだろうか。

獰猛なトラや鮫が獲物を
丸呑みにしているのを見て
「ナント残酷な」と
思うだろう。
そして、その動物たちを
「人食い虎、人食い鮫」と恐れる。

しかし、人間以上の恐ろしい動物はいない。
正月の特集番組を見ていると
美しい女優や可愛い女性アナウンサーが
色々なところを旅し、名物を試食している。

「子タコの踊り食い」と言って
生きたままの蛸を丸呑みする。
タコも必死だ。足をくねらせて応戦するが
虚しく美女の口の中へ。

次は少し大きめのタコを生きたまま、鉄板に乗せ、
出られないようにボールで蓋をする。
もがく蛸の足がボールと鉄板の間から見える。
女性アナウンサーは「キャー」と
可愛い悲鳴をあげながらも
真っ赤に焼きあがった蛸の姿焼きを見て、
ご馳走さま。
名付けて「タコの地獄焼き」。

殺されてゆく蛸からみれば、
人間様は地獄の鬼としか見えないだろう。
食欲の鬼となって悪を造り続けているではないか。


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桃太郎⑨(青鬼=欲の心)

2009年05月19日 | 桃太郎
桃太郎⑨(青鬼=欲の心)

青鬼とは何を表しているのか。
青は海の色、底知れないほど深い。
私達には大変深い心がある。慈悲深いならいいのだが、
欲深だから困ったものである。
この青鬼とは欲の心をあらわしている。

そして、底知れない欲を満足させる為なら、
どんなことでもやってしまう、

昔三人の泥棒が長者の家から、たんまりお金を
盗んでやっとのことで山頂まで逃げて来た。
これから三人で山分けしようとしている時、
一人の泥棒が欲を起こした。

何んとか、盗金全部を我が物にしたいものだと考え、
「オイお前ら、これを分ける前に腹ごしらえしてかかろうじゃないか。
 俺は今から町へ行き饅頭買って来てやるから待っていろよ」
と出かけていった。

空腹にあえいでいた二人の泥棒は
相手の心を知る由もないから異論のあろう筈はない。

ところが饅頭を山程買った泥棒はタラ腹喰べた残りに
毒薬を注入し毒饅頭を作った。
毒饅頭で二人の友を殺してでも自分の財欲を
満たそうとしたわけだ。
貪欲がこんな鬼畜のようなことを思わせる。

ところが一方、山の泥棒達も余り饅頭が遅いので欲を起こした。
「何んとかアイツを片づけて、お前とおれでこの金を二分しようじゃないか」
怖ろしい相談が決定していた。

そんなこととは露さら知らない町から帰った泥棒は
「サア喰べてくれ俺はあまり腹がへったので途中で食べて来たよ」
と言い乍ら崖の上で気持ちよさそうに放尿を始めた。

二人の泥棒、好機がやってきたと相談の通り
足音を忍ばせて近づき谷底へ突き落として殺した。

「これでまずまず安心、この饅頭を食べてからにしよう」
と毒饅頭を食べた二人は枕を並べてあの世ゆきだ。
山頂にはお金だけが残されたという話がある。

財欲の奴隷になっている人間の末路を
よくあらわしている話ではないか。

長く生きたところで五十年乃至百年の無常の人生にあり乍ら
限りない財欲に引きずられ底の知れない罪を作ってゆく、
黄金の雨が降っても満足出来ない底無しの財欲は
青鬼そのまま無慈悲に悪を重ねてゆくのだ。


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桃太郎⑧(三匹の鬼と人間の実相)

2009年05月18日 | 桃太郎
桃太郎⑧(三匹の鬼と人間の実相)

「三匹の鬼」

鬼ヶ島の鬼、絵本には色々な鬼が描かれている。
が、本当は三匹の鬼である。

青鬼・赤鬼・黒鬼

青・赤・黄ならば信号機だが、最後は黒色。
この色には意味がある。
仏教の有名な譬え話といえば「人間の実相」である。
釈尊が人間のありのままの相を一つの譬え話にされたものである。
その中に青・赤・黒の意味が説かれてある。

人間とはどんなものか、釈迦は『仏説譬喩経』に、
たとえで教えられた。
聴衆の中にいた勝光王に向かって、
次のように説法されている。

王よ、それは今から幾億年という昔のことである。
ぼうぼうと草の生い茂った果てしのない昿野を
、独りトボトボと歩いてゆく旅人があった。

季節は、木枯らしの吹くさびしい秋の夕暮れ。
家路を急ぐ旅人は、野道に白い物が散らばって
いるのに気づいた。
初めは気にもとめなかったが、あまりにもたくさん落ちている。
「一体なんだろう」
一つ拾い上げて、ギョッとした。
なんと、人間の白骨ではないか。
火葬場でもない、墓場が近くにあるのでもない。
どうしてこんな所に、しかも多くの白骨があるのか。
旅人は、それ以上足を進めることができなくなってしまった。

そのとき、異様なうなり声と足音が聞こえてくる。
見れば飢えに狂ったどう猛な虎が、
自分めがけてまっしぐらに突進してくるではないか。

旅人は瞬時に、白骨の意味をさとった。
ここを通った人間が、虎に食われた残骸だったのだ。
自分にも同じ危機が迫っている。
旅人は無我夢中で、今来た道を引き返した。
だが、虎が相手では勝ち目はない。
荒い息づかいが、背中に感じられる。

ところが、どこでどう道を間違えたのか、
旅人は、切り立った断崖絶壁に追いつめられてしまったのである。
もはやこれまで。
途方に暮れた旅人は、幸いにも頂上の木の根から、
一本の藤蔓が垂れ下がっているのに気づいた。
「しめた!」とスルスル下りていったことは、言うまでもない。

九死に一生を得て、ホッと頭上を仰ぐと、
せっかくの獲物を逃した虎は、
いかにも無念そうに吠えながら、こちらを見下ろしている。
ヤレヤレ、この藤蔓のおかげで助かった。
ひとまず安心と目を下方に転じたときである。
旅人は思わずアッと口の中で叫んだ。

足下は底の知れない深海が広がり、怒濤が岸壁を洗っていた。
それだけではない。波間から青・赤・黒の三匹の毒竜が、
真っ赤な口を開け、旅人が落ちるのを待ち受けていたのである。
まさに前門の虎、後門の狼。絶体絶命の旅人は、
あまりの恐ろしさに、再び藤蔓を握りしめて身震いした。

しかし旅人はやがて空腹を感じ、周囲に食を求めて眺めまわす。
そのとき彼は、今までより、もっともっと驚くべきことを
発見したのである。

ネズミが藤蔓をかじっている!
白と黒の二匹のネズミが、命の綱を代わる代わる、
ガリガリ、ガリガリとかじり続けていたのだ。
蔓を激しく揺さぶっても、動こうとしない。
旅人の顔は青ざめ、歯はガタガタと震えた。

だがそれは続かなかった。
この木に巣を作っていた蜜蜂が、甘い蜜の滴りを、
彼の口に落としたからである。

「ああ、おいしい。もっとなめたい……」
旅人は蜜に酔いしれた。虎も深海も毒竜も、
頭にはなかった。
藤蔓がネズミに噛み切られようとしていることも、
すべて忘却のかなた。陶然と、蜂蜜に心を奪われてしまったのである。

釈迦がここまで話をされると、勝光王は驚いて言った。
「世尊、その旅人は、何と愚かなのでしょう。
 それほど危ない所にいながら、どうして、
 蜜くらいでその恐ろしさを忘れてしまうのでしょうか。
 あきれた人ではありませんか」
「王よ、聞かれるがよい。これは一つの例えである。
 今からそれが何を教えているか、詳しく話そう」
 そう仰言って、釈迦は私たち人間の実相を説示なされているのである。


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桃太郎⑦(鬼が島の鬼)

2009年05月17日 | 桃太郎
桃太郎⑦(鬼が島の鬼)

(原文)
「桃太郎はスクスク育って、やがて強い男の子になりました。
 そしてある日、桃太郎が言いました。
「ぼく、鬼ヶ島(おにがしま)へ行って、わるい鬼を退治します」
 そして、おばあさんにきび団子を作ってもらうと、鬼ヶ島へ
出かけました。」


「鬼ヶ島の鬼」

物心ついた年になった桃太郎が気づいた。
自分を始め、多くの村人を苦しめている鬼の存在を。
そこで鬼ヶ島へ鬼退治、さあ出陣。

私たちも大きくなり、ものの道理が分かるようになってくると、
「人生は苦なり」で、私達の人生を苦しめているものに
気がついてくる筈だ。
それが鬼ヶ島の鬼。

鬼と聞くと虎の皮のフンドシをまき、口は耳元まで裂け、
頭には角が生え、金棒を持った
あの恐ろしい形相をした鬼の姿を想像するだろう。

しかし、元来、鬼とはそんなものをいうのではないのだ。
経典などには鬼は、仁に遠し(遠仁)と書かれてオニを読んでいる。

仁に遠い心をオニというのである。
仁とは人間の慈悲の心をいう。
親ならば、子供の苦しみは親の苦しみ、
子が病気にでもなれば、夜中でもタクシーを走らせ、
病院を探す。
病気が治ると、子供以上に安心するのである。
その親のやさしさ慈悲の中で、子供はスクスクと成長するのである。
もし、この慈悲の心がない、無慈悲な親に育てられた子は不幸である。
子供に保険金をかけ、金ほしさに殺害。
まともな人間のなせる業ではない。
無慈悲な人間のやさしさも持たない、仁に遠いオニ(遠仁)である。

時代劇の水戸光門の定番がこれだ。
病気で伏せているお爺さんのところに、怖い顔したヤクザの
おにいさん達が乗り込んでくる。
借金の片(かた)に、可愛い孫娘を引っ張っていく。
するとお爺さんのいう決まりゼリフ。
「お前たちは人間のやさしさもないのか。この人で無し。鬼」

では、このオニは何処にいるのか。鬼ヶ島にいるのだ。
この鬼ヶ島は岡山県や、香川県の瀬戸内の島ではない。
私達の心に鬼が住んでいる。
鬼ヶ島とは、鬼が心、心が鬼なのである。
鬼のような恐ろしい心、無慈悲な心で、
自分だけではなく、他人までも傷つけ苦しんでいるのが、
本当の実態なのである。

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桃太郎⑥(桃から生れた桃太郎)

2009年05月16日 | 桃太郎
桃太郎⑥(桃から生れた桃太郎)

(原文)
「おばあさんが川で洗濯をしていると、
ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました。
「おや、これは良いおみやげになるわ」
おばあさんは大きな桃をひろいあげて、家に持ち帰りました。
そして、おじいさんとおばあさんが桃を食べようと
桃を切ってみると、なんと、中から元気の良い男の赤ちゃんが
飛び出してきました。
子どものいなかったおじいさんとおばあさんは、大喜びです。
桃から生まれた男の子を、おじいさんとおばあさんは
桃太郎と名付けました。」


「桃から生まれた桃太郎」

お婆さんが川から拾ってきた桃を、お爺さんと一緒に
切ってみると、そこからでてきたのが、玉のような男の子。
桃から生まれてきたので桃太郎と名づけられた。

これは不思議な話である。
今の子供は、赤ちゃんがコウノトリが運んできたのでも
なければ、桃から生まれた訳でもないことは、よく知っている。
だから、「桃から子供が生まれたんだ」と話しをしようものなら
馬鹿にされてしまう。

これは昔の性教育。
今では赤ちゃんはお母さんから生まれてきたことは
子供でも知っている。
テレビでも堂々と出産の映像が映される。

おばあさんは息子の嫁探しに
昔は近くの川に出かけたものだ。
川では近所の娘さんたちがお母さんの手伝いで
着物を腰まで上げ、お尻丸出しで
洗濯をしている。
おばあさん、リンゴのような、ミカンのような
色々な形の中で、桃の形の安産型のお尻を発見、
この娘はいい子じゃと息子と見合いをさせる。
息子も「いい娘じゃないか」と承諾する。
そして、オメデタク結婚、出産。

では、桃とは何か、もう想像できるだろう。
お母さんのお尻は、みな桃のような形をしているではないか。
全人類、すべて、あの桃の形をしたお母さんから生まれきたのだ。

桃から生まれてきら桃太郎とは全人類のことを指す。
女の子なら、名づけて桃子さんといったところだろう。
みな「○○桃太郎君」「○○桃子さん」
分かったかな。

また、「ジジ、ババ」の点を取って
「チチ、ハハ」と言っているものもいる。
どちらにしてもお母さんからしか
私たちは生まれてこないのだ。


これから始まる桃太郎の話は全人類の相を教えられた
ものなのである。

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桃太郎⑤(三世十方を貫くもの、貫かないもの)

2009年05月16日 | 桃太郎
桃太郎⑤(三世十方を貫くもの、貫かないもの)

何時でも、何処でも貫くものでなければ真理といわれぬ。
これを三世十方を貫く真理という。
三世とは過去・現在・未来ということ。
十方とは東西南北上下四惟のことである。

仏法の法とは過去・現在・未来を貫き、
どの国へ持っていっても変わらない真理を法と
いわれる。

だから身近なことでも法と使われているのは
滅多に変わらないものに使用される。

憲法―――男女同権が毎年ごとに変えられては大変だ。
法律―――決まった年金支給が急にストップされたらたまらん。
交通法規-信号機の赤青黄色の意味が毎日変わっていたら、
     大事故が頻繁に起きるに違いない。

それに対して、水戸黄門の印籠はどうだろう。
いつも同じパターンで悪代官と悪徳商人に
お仕置きをして、「よっ、待ってました」と
最後に決めゼリフ。
三つ葉葵の紋所が描かれた印籠を見せて
「控え居ろう! この紋所が目に入らぬか」
と黄門の正体を明かす。
これを見る度にボコボコにしてから出さずに
もっと早く見せたらいいのにと
思えてくるのは私だけだろうか。

それはさて置いて、
水戸黄門の印籠は果たして三世十方を貫くだろうか?

現代に持ってきたらどうだろう。
歌舞伎町で怖いお兄さん方が女性を恐喝していた。
それを見た助さん、格さんが助けに入った。
いつもの通り「この印籠が目に入らぬか」
それを見たヤクザさん達。
こんな印籠、誰が見ても知らない。
「何じゃ、これ」と逆にボコボコにされてしまう。

この設定を江戸時代、アメリカにもっていったらどうなる。
ブロードウェーでギャングが少女を脅している。
それを助けようと助さん、格さんが印籠を前に出す。
すると男たち、印籠を見ても分からない。、
「What is this?」
と逆にピストルを撃って水戸黄門一行は殺された
とでもなってしまうだろう。

黄門様の印籠も何時でも何処でも通じる品物ではなかたようだ。
しかし、桃太郎の話は違う
三世を貫き、十方を普く真理が説かれている。


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桃太郎④(ある処に)

2009年05月15日 | 桃太郎
桃太郎④(ある処に)

「昔々、ある処に」

じゃ、ある処とは、どこを指しているのだろう。

この桃太郎伝説でここが鬼が島のあった所と
名乗り出ている県は一県や二県ではない、
全国各地で桃太郎伝説はある。

それはこの話は岡山県でも香川県でもない。
日本でなくても、アメリカでもブラジルでも
アフリカでも、こういうことがあるんだ。
だから何処でもということ。

私がアメリカへ行った時、ロサンゼルスに住んでいた友人に
桃太郎の話をしたことがあった。
するとアメリカ育ちの彼が
「その話、幼稚園の絵本で読んだころがある」と、
一冊の絵本を持ってきれくれた。

その本は英語で「Old Stories of Japan」(日本の昔ばなし)と
いう題名だったと記憶している。
その最初の話が「TAE PEACH  BOY」という題名だった。

「Long, long ago, there lived an old man
and his old wife in a village.
He went to the mountain to gather woods.
She went to the river to wash clothes,
when a big peach came floating down the river.」

読んで見ると桃太郎の話が英語に訳され、アメリカの子供達にも
読まれていたのには、ビックリ。

桃太郎の話は全人類に重要な何かを教えていることが
分かる出来事だった。


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桃太郎③(昔々)

2009年05月15日 | 桃太郎
桃太郎③(昔々)

(原文)
「昔々、ある処に、おじいさんとおばあさんが
住んでいました。
おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ
洗濯に行きました。」

「昔々、ある処に」

桃太郎はこの言葉から始まる。

現代っ子に、おとうさんが話を始めると
「パパ、昔々って、いつの時代、平安時代、室町時代。いつ?」
いつと聞かれても答えられない。

「おとうちゃん、あるところって、東京、大阪、京都、どこ?」
そんなこと言われても知らないぞ。
内心穏やかでない。

しかし、そんな質問にはこう答えたらいい。
昔々とは何時の時代でも、こんな話はあるんだよということだよ。
千年前の時代でも、現代でも、これから何千年たった未来ても、
桃太郎のような話があるのだよ。

つまり、この桃太郎の話はいつの時代にも通じる話なのである。


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桃太郎②(落語、桃太郎)

2009年05月14日 | 桃太郎
桃太郎②(落語、桃太郎)

落語の中でも桃太郎の話が興味深く話しされている。
その始まりはこうだ。

這えば立て、立てば歩めの親心、と申しますが、
昔の子供はなるほど、可愛らしゅうございました。
夜、なかなか寝付かれん、こんなときには親が話しを
聞かせたりしたものです。
お父さん「いつまで起きてんねん、早う寝なさい。
     子供があんまり遅うまで起きてるもんやない。
     こんな遅い時間まで起きてたら、恐ぁいお化けや幽霊が出て、
     お前なんか頭からガリガリッと齧られてしまうぞォ。
     そのうしろの暗いとこから、アッ、お化けが...
     さあさあ、大人しくに寝なさい。
     寝床へ入ったらもう恐いお化けも出ないからな!
     さあ、布団へ手入れて。
     おとうちゃんが面白い話しをしてやるから、
     それを聞きながらねんねするんや、ええか。」
     
昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいたのや。
おじいさんが山へ芝刈りに、おばあさんが川へ洗濯に行った。
おばあさんが川で洗濯をしていると、
川の上の方から大きな桃が流れてきて、
おばあさんはこれをうちへ持って帰って、
ポンと割ったら中から元気のいい男の子が生まれてきた。
これに桃太郎という名前を付けた。
この子が大きくなって、鬼ケ島へ鬼退治に行くと云うので
キビ団子をこしらえて持たしてやると、
犬と猿と雉が出てきて、一つ下さい、その代わりお供します。
三匹を引き連れて鬼ケ島へ攻め込んだ。
この桃太郎が強い。三匹もよく頑張った。
とうとう、鬼が降参や、山のように宝物を出して謝った。
車に積んだ宝物、エンヤラ、エンヤラと持って帰って来て、
おじいさんやおばあさんに孝行したのや。

なあ、面白いやろ。桃太郎さんのお話し。もう、寝てしもうた。
えぇ、子供というのは罪が無いなあ。

こんなことを云っていたのは、もう昔の話しです。
今日の子供はなかなか、こんなことくらいでは寝ませんわ。


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