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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

道綽禅師⑧(聖道・浄土の関係)

2009年07月08日 | 七高僧
道綽禅師⑧(聖道・浄土の関係)

道綽禅師は何故、
龍樹菩薩が難行道・易行道
曇鸞大師が自力仏教・他力仏教と
いわれたのを、
聖道仏教・浄土仏教と
言われたのであろう。

聖とは聖人(ひじりびと)
=立派な人格や教養を備えた徳の高い理想的な人物
のことであるから、
立派な人しか歩むことができない道と
いうことになる。
修家し、険しい山々を厳しい修行に
耐えられるのは並大抵の人では無理だ。
立派な人しか行くことのできない道が
聖道仏教であるという意味もある。

だが、道綽禅師が聖道・浄土と分けられたのには
もう一つ大事な意味が込められている。

聖道の聖も清らか、浄土の浄も清らかと
いうことである。

道はある目的地に向って造られる。
道がなければ目的地に進むことはできない。
だから道は重要であり、必要なものだ。

しかし、それは目的地がハッキリしてのこと。
その到達すべき土地こそ弥陀の浄土なのである。
浄土とは清らかな世界。

清らかな世界に行くには清らかな道を
歩まなければならない。

浄土(真実)へ行く為の清らかな道(方便)が
聖道仏教なのである。

聖道=清らかな道=方便
浄土=清らかな世界=真実

聖道仏教と浄土仏教の関係が
見事に表されているではないか。
道綽禅師の功績絶大なものがある。

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道綽禅師⑦(浄土の一門のみ通入)

2009年07月07日 | 七高僧
道綽禅師⑦(浄土の一門のみ通入)

道綽禅師は、これらの経典にもとづいて
『安楽集』には
「末法の時節に及んでは、
 億々の衆生が修行を励み、
 道に進んでも未だ一人も
 証りを得るものはなかろうと
 釈尊はお説きになっている。
 されば当今はすでに、
 五濁に穢されている末法の初期だから、
 自力の修行では成仏得道の望みは
 断たれている。
 そこで釈迦如来は、
 この末法万年の苦痛の焔に焼かるる衆生を
 悲愍し給いて『大無量寿経』を説いて、
 経道滅尽の世になっても
 特にこの経のみは留めて
 百歳乃至無量歳に至らしめると、
 浄土他力の仏教を説き給うたのである。
 されば末法・法滅の一切衆生の救われる道は唯一つ、
 浄土の一門のみであることが明らかではないか」
と喝破なされた。

 これを親鸞聖人は『正信偈』に
「道綽決聖道難証、唯明浄土可通入」
「像末法滅同悲引」
と教え『和讃』には

「自力聖道の菩提心、心も言葉も及ばれず、
 常没流転の凡愚は、いかでか発起せしむべき」

「釈迦の教法ましませど、修すべき有情のなき故に、
 さとりうるもの末法に、一人もあらじと説きたまう」

「像末五濁の世となりて、釈迦の遺教かくれしむ、
 弥陀の悲願ひろまりて、念仏往生さかりなり」

と讃嘆なされたのである。

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道綽禅師⑥(聖道門・浄土門)

2009年07月06日 | 七高僧
道綽禅師⑥(聖道門・浄土門)

釈迦一代の仏教を
聖道仏教、浄土仏教という呼称で
大別されたのは道綽禅師である。

龍樹菩薩は、これを難行道、易行道と教え、
曇鸞大師は自力仏教、他力仏教と分判なされている。

では聖道自力難行道といわれる仏教とは
如何なるものか。

釈迦の一切経から見ると、浄土三部経
(大無量寿経、阿弥陀経、観無量寿経)以外は
一切、聖道自力難行の仏教を説示なされた
方便教なのである。

即ち
『華厳経』『阿含経』『般若経』『法華経』『涅槃経』等
あげれば切りがないが、これら一切の経典を聖道仏教、
または釈迦仏教という。

よってこれらの経典を所依として
成立している宗派を凡て聖道諸宗と呼ぶ。
『華厳経』を所依とする華厳宗、
『法華経』を所依とする法華宗・天台宗
『大日経』を所依とする真言宗
これら凡てを聖道門自力諸宗というのである。

聖道自力仏教に共通する思想は、
我々の本性は法爾の仏性の鏡面は
曇っているけれども錆の底に
は本来玲瓏たる仏性が存在するのだ。

この固有の仏性を磨き出すことに
全力をあげねばならぬと勧める。
その磨がき出す方法こそ異なれ、
華厳・真言・禅宗等の諸大乗仏教と雖も
その根底を叩けばこれより外にないのである。

かくて、真の仏性が開顕できた時に
無上の証果を得て成仏できる。
その為には長期の間、
三学の修行を積まねばならぬ。

三学の修行とは戒定慧の三学である。

戒とは煩悩を伏え(おさえ)、
定は煩悩を遮り(さえぎり)、
慧は煩悩を断つ(たつ)修行である。

仏教では凡夫が成仏する迄に
菩薩は三大阿僧祇劫の修行を要する
と説かれている。
阿僧祇劫とは億兆よりも
数十桁高い桁の名であるから、
これによっても如何に自力では
成仏不可能であるかが、判るであろう。

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道綽禅師⑤(浄土門に帰依)

2009年07月05日 | 七高僧
道綽禅師⑤(浄土門に帰依)

曇鸞大師の旧跡、石壁の玄忠寺の境内の碑文を一読し、
道綽禅師は大変な衝撃を覚えた。

「曇鸞大師は、梁の天子までが朝夕、
 その方角に礼拝したといわれるほどの
 高僧ではないか。
 その大師でさえ、四論宗の自力の修行を捨て、
 阿弥陀仏の本願をたのみ、仙経を焼き捨てて
 浄土教に帰依しておられる。
 自分のような至らぬ者が、自力の修行などとは
 まったく不可能なことだ。
 曇鸞大師のように聖道自力の仏教を捨て、
 浄土他力の仏教に進むしかない」

ついに涅槃宗を捨て、浄土門に帰依した。
48才の時である。

以後、玄忠寺に滞在し、
曇鸞大師の大著『浄土論註』に取り組んだ、
やがて阿弥陀仏の本願に救い取られたのである。

その後は、御恩報謝の念仏を日々七万遍ずつ称えられ、
有縁の衆生に弥陀の大悲を宣布してゆかれた。

また、中国仏教史に輝く名著『安楽集』を著し、
聖道門自力仏教では救われ難いことと、
浄土門他力仏教が、誰でも救われる教えであることを
明かにされたのである。

これを道綽禅師の「聖浄廃立」という。

晩年には、七高僧として続く善導大師にも
絶大な影響を与え、
84才、浄土往生の本懐を遂げられた。

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道綽禅師④(悪を造ること暴風駛雨に異ならん)

2009年07月04日 | 七高僧
道綽禅師④(悪を造ること暴風駛雨に異ならん)

衆人の尊敬を集めるようになっていった道綽禅師だが、
深刻な壁に直面していた。
後生の一大事の解決を求めて、
座禅などの自力修行に励めば励むほど、
一向に定まらない自己の本心が
知らされてきたのである。

身体は座禅としていても、
心は猿のごとく、馬のごとく娑婆中を飛び回って
動きづめに動く。
造悪の心は一瞬たりともやまない。

「若し悪を造ることを論ずれば
 何ぞ暴風駛雨に異ならん」

私が悪を造る状態をたとえるならば、
その激しさは暴風雨のごとくである
と懴悔せずにはおれないほどだった。

求めれば求めるほど、知らされるのは
救われる縁手がかりのない自己の姿。
「本当に座禅などの自力修行で
 後生の一大事は解決できるのだろうか」

そんな時、たまたま曇鸞大師の旧跡、石壁の玄忠寺に
詣でた道綽禅師は、曇鸞大師の行跡を記した
境内の碑文を一読し、心に百雷のごとき衝撃を覚えた。


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道綽禅師③(涅槃宗で修行・禅師の意味)

2009年07月03日 | 七高僧
道綽禅師③(涅槃宗で修行・禅師の意味)

当時の中国仏教界を『涅槃経』は風靡し、
宗派も成立して研究は盛んを極めていった。

やがて道綽も涅槃宗に帰依、
『涅槃経』の講説二十四回に及ぶという
真剣さで取り組んでいる。
また、厳しい禅定や懴悔の行の実践を重ね、
「道綽禅師」の名は次第に四方に高まった。

道綽は皆から道綽禅師と呼ばれている。
親鸞聖人が、七高僧として崇められた方々のうち
中国から出られたのは、
曇鸞大師と道綽禅師と善導大師である。
そのうち、道綽禅師だけが「禅師」と呼ばれ、
他のお二人は「大師」と呼ばれている。

当時の僧は、誰でも仏教の教理を探求し、
戒律を厳しく守り、実践的な修行に励んでいた。
その中でも、教理の研究に特徴を発揮した人を「法師」といい、
戒律に特に厳格で、精通した人を「律師」といい、
座禅など、実践修行を特徴とした人を「禅師」と呼んでいた。
この場合の「禅師」は、後に禅宗の僧を「禅師」と
呼ぶようになったのとは、意味が違っている。
そして、これらの特徴のいずれにも当てはまらない人を、
敬愛の気持ちをもって呼ぶ場合に「大師」といっていたようだ。

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道綽禅師②(道生の唱えた闡提成仏)

2009年07月02日 | 七高僧
道綽禅師②(道生の唱えた闡提成仏)

『涅槃経』がいまだ中国に伝わらない当時、
翻訳家鳩摩羅什(クマラジュ)の
弟子の道生(どうしょう)が、
「闡提成仏」を唱えた。

闡提とは梵語で、断善根の衆生のことで
無信と訳されている。
微塵ほどの善根もないものをいう。

「信順を因と為し疑謗を縁と為し、
 信楽を願力に彰し、妙果を安養に顕さん」
 (教行信 証)
と親鸞聖人も仰せのように、
謗法罪を犯している者は
法を謗ることを縁として仏法を聞く
ご縁にあうことができる。
まだ多少とも助かる縁てがかりがある

しかし、闡提だけは全く助かる見込みがないから
『涅槃経』には
「死骸の如し」
と説かれている。
親鸞聖人は
「逆謗の屍」
と仰言っておられる心である。

死に直面すれば、一切のものが総崩れになり
真暗な後生に泣かねばならないのではないかと、
上の心はあせっても
天王寺の鐘を蚊が刺した程にも思わぬ心が、
腹底に横たわっていることに気がつく。

地獄と聞いても驚かず、極楽と聞いても喜ばず、
仏法に明日という日はないのだと切り込まれても
急ぎもしなければ慌てもしない、
仏法に向かったら金輪際動かぬ心が
闡提の機というのである。

上の心は罪悪の恐ろしさにちぢみ上がって、
今死んだら大変だと後生の一大事にジリジリしていても、
下の心は悪を悪とも思わず、業を業とも感ぜず
キョロン、トロン、ボーと知らん顔している心。

あの人が死んだのかと驚いて同情の涙は流していても、
その心の底には自分はまだ死なない、まだ死なないと
後生とも菩提とも思わず、
平気でせせら笑っている心が闡提だ。

因果の道理を整然と聞かせて頂けば、
教えには何一つ欠点はないから、
頭は判りすぎる程、合点承知しているのだが、
どうしても承知しない納得しない奴が、
腹底にドタ牛が寝ているようにビリッとも動かない。

打っても叩いても浴びるほど聞かせて頂いても、
うんともすんとも言わない心。
三世の諸仏が呆れて逃げた心はこの心であったのかと
泣かずにおれない心。
これが闡提なのだ。

闡提成仏とは
このようなまったく善根のない底下の悪人でも
仏になれるという意味であるが、
当時の人々はこれを聞いて驚いた。
「道生は仏法を破壊する悪魔だ」
と言って、彼を寺から追放したという。

努力して修行している者も、
怠けて悪いことばかりしている者も
成仏できるのだから、
まじめに修行している人々が
怒るのも無理はない。

しかし、道生は、追放されても
自説を曲げなかった。
「仏の大慈悲は広大無辺であるはずだ。
 ならばどんな悪人でも仏の慈悲から
漏れるはずはない。
 一切衆生が救われねばならない」
と主張し続けたため、
迫害と物笑いの種となって、方々を流浪した。

ついには乞食のようになって
虎丘山の虎丘寺という荒寺に住み、
聞く人のない闡提成仏の説法を、
山寺の石を集めて説き聞かせたのである。

後年、『涅槃経』四十余巻がインドから中国へ伝来し、
「一切衆生に悉く仏性有り、乃至、
 一闡提なども亦仏性有り」の一文により、
道生の主張の正しかったことが判明した。

後に善導大師も『観無量寿経疏』に
「謗法・闡提、回心すればみな往く」
と弥陀の本願の真意を
明らかにされている。

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道綽禅師①(仏教弾圧の中、出家)

2009年07月01日 | 七高僧
道綽禅師①(仏教弾圧の中、出家)

中国が斉・周・陳の三国に分立し、
戦乱の絶えなかった中、562年、
斉の名もなき庶民の子として道綽は生まれた。
父母の名、幼名の記録などまったく残されていない。

13歳の時、隣国の北周に武帝が即位すると、
仏教に大弾圧を開始。
寺を壊し、経を破り、仏像を焼却して、
僧侶は容赦なく還俗させられた。
中には命を捨てて抵抗し、
仏法を護ろうとした僧もわずかにあったが、
ほとんどは保身のため僧服を捨て、俗人に戻ってしました。

そうした時流に逆らうがごとく、
道綽は14才で出家する。

2年後、母国の斉は周の大軍に侵略され、
首都・普陽も占領させてしまった。
周の武帝はここでも廃寺棄仏の弾圧を命じ、
僧は軍民に、寺院は王侯貴族の荘宅にすると
いう徹底ぶりであった。

青年僧であった道綽も、還俗を強いられ、
在家生活の不本意な日々が続いた。

17才の時、仏敵武帝が死去、弾圧の嵐は去った。
次の文帝は一転、仏教による国家統治を目指しM
廃寺修復の命を下したのである。

道綽は寺に戻り、後生の一大事の解決を求めて
修行に歳月を重ねていった。


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曇鸞大師⑧(自他力廃立)

2009年06月30日 | 七高僧
曇鸞大師⑧(自他力廃立)

浄土真宗の教義は、
親鸞聖人によって大成され、
三代目、覚如上人によって要約され、
八代目蓮如上人が普及なされた
極善最勝の妙法である。
これら三善知識に一貫する法脈は、
徹底した廃立法門だ。

廃というは捨てもの
立てるもの、拾いものということである。
その廃立すべきものに
内外廃立・聖浄廃立・真仮廃立と三種あるから
三重廃立といい、
これをしなければ絶対に助かることがないから
親鸞聖人の『教行信証』には
きびしくそれが説かれている。

覚如上人は、聖人の意を『改邪鈔』に
「真宗の門に於ては幾度も廃立を先とせり」
と申され、

蓮如上人は
「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて
 後生助け給えと弥陀たのめ」
と御教示になった。

釈尊を初め、七高僧は廃立の教えで
貫かれている。

阿弥陀仏=選択本願を立てられ、四十七願を捨てられた
釈迦如来=内外廃立
    =一切の仏教以外の宗教を捨てて仏教を信じよ。
龍樹菩薩=難易廃立
    =難行道を捨てて、易行道を信じよ。
曇鸞大師=自他力廃立
    =自力を捨てて、他力に入れ。
道綽禅師=聖浄廃立
    =聖道門を捨てて浄土門に入れ。
親鸞聖人=真仮廃立
    =浄土他流を捨てて、真宗に入れ。

内外廃立・聖浄廃立・真仮廃立の
三重廃立の教えこそ、
釈迦・諸仏・菩薩の出世本懐である。
「一向専念無量寿仏」を鮮明に徹底させ、
濁流とうとう流れる現代人を救う最高の指針。

これこそ親鸞聖人の精神であり、
源流遠く、大聖釈尊の真意を伝えるものである。

曇鸞大師の自他力廃立は
親鸞聖人に与えた影響は甚大であった。

覚如上人は改邪鈔に
「知識伝持の仏語に帰属するをこそ、
 『自力をすてて他力に帰する』ともなづく」
と知識の重大な使命は
自他力廃立の徹底であることを
明示されている。

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曇鸞大師⑦-2(他力≠自然・他人の力)

2009年06月29日 | 七高僧
曇鸞大師⑦-2(他力≠自然・他人の力)

世間一般では他力を常識的に解釈して、
自分の力以外を総て他力と思って、
太陽の働きや、雨や風や空気、その他自然の働きや、
自分以外の人間の力など総てを他力だと心得ている。
とんでもない他力間違いである。

なぜなら、もし太陽やその他の自然現象を
総て他力とすると、
阿弥陀仏が時によっては干ばつで人間を
苦しませることになる。
地震によって我々の生命を奪ったり、
台風で人命をおびやかしたり、
財産を失わせたりする呪うべき、
ニクムべき、悪魔になることがあると
いうことになってしまう。

これらのことを総て他力、阿弥陀仏のお力とすることは、
とんでもない大慈大悲の阿弥陀仏に対する濡衣であり、
大変な冒涜といわねばならない。

これらは自然の力であり、人間の力と言うべきもので、
絶対に他力といってはならないのである。

勿論、これら自然の力や人々の協力の恵みに対して
感謝の気持をもつことは結構なことではあるが、
これを阿弥陀仏のお力と思ってはならない。
他力とは、あくまで我々を大安心、大満足の心、
絶対の幸福にさせて下されるお力のみをいうのだ
ということを、よくよく心得なければならない。
 
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