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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

善導大師⑬-8(無人空迥の沢②)

2009年08月23日 | 七高僧
善導大師⑬-8(無人空迥の沢②)

仏教では、仏の教を我々に伝えて下される人を
知識という。
この知識に善知識と悪知識がある。

悪知識といゝますのは自分自身が仏の教えの真実が
ハッキリ判っていない人。
だから、他人に話す時でも真実を教え切れないのは当然だ。

蓮如上人は
「わが身が信心決定せずして、
 他人を信心決定させることは出来ぬ。
 自分が物を持たずして、
 他人に与えることが出来ないのと同じだ」
 (御一代記聞書)
と教えられている。

そこで、大体こんなことだろうと
自分の迷いの考えを混入して
仏の教えを解釈して他人に教えるから、
とんでもない間違ったことを
仏の教えにしている。
そして多くの人々を苦しめ地獄へ
叩き堕とすことになるのだ。

これを釈尊は
「一盲衆盲を率いて、火坑に堕つる」
(仏蔵経)
と歎いておられる。

一盲というのは真実の仏教が判らない魂の盲目の人、
即ち、真実の信心を獲得していない者のこと。
衆盲とは、信心のない大衆。
火坑とは地獄のことである。

信心決定していない人の話を聞いている者は、
この世も苦悩が続くばかりでなく、
未来は必ず地獄へ堕ちるのだから、
真に仏法の判った善知識を求めて聞けよと
仰言っている。

経典には
「善知識は、これ、さとりを得る道の大因縁なり」
とか
「聖き法を修めて生死の煩いなき、
 安らけき涅槃の境地に至るを得るは善知識による」
とも説かれている。

また、阿難がある時釈尊に
「善知識は、さとりの道の半因縁と思えばよいのでしょうか」
と尋ねると、
「そうではない、善知識は全因縁である」
とまで答えていられている。

これらの仏説でも判るように、
まことの信心決定した善知識を求め探して聞法しなければ、
如何に真剣に聴聞しても助かることがない。

どなたに聞いても同じだ、などと思っている人は、
とんでもない間違い。
後生の一大事ということが本当に判っていない人の
言うことである。

ではその善知識はここにもいる、あそこにもいると
近くの寺に聞きにいけば、会えるものなのか。

親鸞聖人が自ら後生の一大事の解決を求め、
比叡の山で20年間、知らされたことの一つが
如何に善知識にお会いすることが難いことかと
いうことであった。

「善知識にあうことも、教うることもまた難し
 よく聞くことも難ければ、信ずることはなお難し」

「真の知識に値うことは、難きが中になお難し、
 流転輪廻のきわなきは、疑情のさわりにしくぞなき」

「昿劫多生の間にも、出離の強縁知らざりき、
 本師源空いまさずば、この度むなしくすぎなまし」

善導大師⑬-7(無人空迥の沢①)

2009年08月22日 | 七高僧
善導大師⑬-7(無人空迥の沢①)

二河白道の喩えで、旅人が歩いていたのは
無人空迥の沢であった。

「無人空迥の沢」というは、
 すなわち常に悪友に随いて、
 真の善知識に値わざるに喩うるなり。」

◎無人空迥の沢=人がいないとは、私に人生の目的を
    教えてくれた善知識がいなかったということ。

無人、人無しといっても私達の周りには
沢山の連れがいる。
両親、兄弟、先生、友達、夫婦、子供と
人生の中で多くの連れが現れる。

しかし、人生の目的を教えてくれた人は
誰もいない。

この人生の目的を教えてくだされる方を善知識という。
善知識の大切さを釈尊は教えておられる。

「西へ行く人に順えば西へ行くなり、
 東へ行く人に順えば東へ行くなり、
 信なき悪知識に順えば地獄へ堕つるなり、
 善知識に順えば仏にあえるなり」
と言われるように、仏法を聴聞しようとする時に
最も注意しなければならないことは、
知識をきびしく選んで聞くということである。

七里恒順師は「知識は針の如く、同行は糸の如し」
と仰有ったが、まことに判り易い喩えで、
知識の針が曲がれば同行の糸も曲がらざるを得ない。
知識の針がいゝ加減なところで止まれば
同行の糸も徹底することは出来ない。

まことの信心徹到した善知識を求め探して聞かねば、
如何に真剣に聴聞しても無駄であり絶対に助かると
いうことはあり得ないのだ。

仏法のことは万劫に取りかえしの
つかない生死の一大事であれば、
知識えらびは真剣になされねばならない。

釈尊や親鸞聖人、蓮如上人方が善悪の知識を
選んで仏法を聞かねば、絶対に助からんぞ
と教示せられている。

たとえ聴聞不足でもこれらの善知識方の教えを知らなくとも、
真剣に仏法を聞いて、我が身は三世の諸仏や菩薩でさえ
見捨てられた難化の三機、難治の三病のおそろしい魂を
持っていることが知らされゝば、この逆謗の屍を生かす教えを
説く知識はどこかに居られぬか、
この私の苦悩を救うて下さる大徳はいないかと、
探し求めずにはおれない筈だ。

妙好人、山口善太郎は信仰に行き詰った時、
「自力他力の水際を、委しく教うる人はなし、
 真の知識にあいたやと、聞かば千里のその外の、
 海山越えても厭わじと、狂い廻れる甲斐もなく、
 何のしるしもあらばこそ」
と叫んでいる。



善導大師⑬-6(禅僧白隠と三河の七三郎)

2009年08月21日 | 七高僧
善導大師⑬-6(禅僧白隠と三河の七三郎)

仏説阿弥陀経には、
阿弥陀仏のまします極楽は、
「西方十万億の仏土を過ぎて、世界あり。」
と、はるか遠い世界におられる
と説かれている。

ところが浄土三部経の一つであり、
「王舎城の悲劇」が説かれている観無量寿経には、
阿弥陀仏は「此処を去ること遠からず」と
近いところにおられると教えられている。

阿弥陀仏は阿弥陀経では遠い処、
観無量寿経では近い処にましますと
説かれている。
これは矛盾ではと思われて当然だろう。

あの禅僧白隠でさえ、分らなかったのだ。
しかし、見事に答えたのが、当時妙好人として
聞こえていた三河の七三郎であった。

白隠禅師は、駿河国(現在の静岡県)に住まいしていた。
五百年間に一人と言われるほどの高僧となり、
のち臨済禅中興の祖と仰がれるようになった。
達磨を描いたならば彼の右にでる人はいないと
いわれるほど有名である。

白隠は隣の国三河に説法にいくことになった。
この三河には七三郎という妙好人がいた、
そこで一度会ってみようと出かけたのだ。

七三郎同行は、大きな声で念仏称えながら
畑仕事をしていたのである。
そこへやってきた白隠、念仏を聞いて
すかさず尋ねる。。
「そこにいるのは七三郎さんじゃないか。
 ちょっと尋ねるが、お前さんの称えているのは、
 一体、何のマジナイじゃ」

マジナイなど迷信を最も嫌われたのが
親鸞聖人であることをよく知っておりながら、
イジワルな質問をしかけてきたのである。

当然、「これはオマジナイでありません」と
答えてくると思っていたが、
七三郎、そうは答えなかった。

「これは大変なオマジナイでございます。
 鬼が転じて仏になる、大マジナイでございます」

鬼が仏になる、これはもうマジナイの範疇をこえている。
七三郎の当意即妙の答えに一本とられた白隠、
このまま負けて帰るわけにはいかない。

そこで用意していた自分でも分らぬ質問を
投げかけた。

「七三郎。そなたは阿弥陀仏に救われたそうだが、
 お前の信ずる阿弥陀さんは、何処におられるのじゃ。」

七三郎は阿弥陀経の御文で
「ここを去ること西方十万億土の極楽浄土におられます」
と答えた。

「それはまた、遠い処におられるのじゃな。
 いざという時には、間に合わんのじゃないか」
と白隠、かねて疑問に思っていた
観無量寿経の「ここ去ること遠からず」の
質問をしようとすると、

「でも阿弥陀仏は今は極楽にはおられません。
 お留守でございます。」
と七三郎は答える。

「どこへお出かけかな」

「諸国を巡教中でございます」

「それで今は、何処においでじゃな」

「この日本に来ておられます。
 それもこの三河にきておられます」

「ほお、この三河に来ておられるのか。
 それならばお会いしたものじゃ。」
といぶかる白隠に、
こぶしで胸を叩きながら
七三郎の真実の言葉が飛ぶ。

「まだ、分らんかのう。
 ここじゃ、ここじゃ。」

西方十万億仏土を過ぎた極楽にまします
阿弥陀仏が、いま南無阿弥陀仏の六字となって
我が胸に飛び込んで下されている。
お経を身体で読み破った七三郎の見事な返答に、
名僧白隠も返す言葉がなかった。


善導大師⑬-5(西岸=彼岸=阿弥陀仏の極楽浄土)

2009年08月20日 | 七高僧
善導大師⑬-5(西岸=彼岸=阿弥陀仏の極楽浄土)

東岸、今私達がいるこちらの世界に対して、
阿弥陀仏の極楽浄土を仏教では西岸といわれる。
また、阿弥陀仏(彼)のまします世界ということで
彼岸ともいわれる。

それは仏説阿弥陀経に
「そのとき、釈尊は長老の舎利弗に仰せになった。
 ここから西の方へ十万億の仏の国土を過ぎたところに、
 極楽と名づけられる世界がある。
 その国土には阿弥陀と申しあげる仏がおられ、
 いま現に教えを説いておいでになる。
 舎利弗よ、その国土をなぜ極楽と名づけるのかというと、
 その国の人々は何の苦しみもなく、
 ただいろいろな楽しみだけを受けている。
 それ故に極楽と名づけるのだ。」
と、阿弥陀仏のまします、極楽浄土は
西方、十万億の仏の国土を過ぎたところに、
あると説かれているからだ。

なぜ、阿弥陀仏の極楽浄土は西にあるのか。

これは方角を意味するのではない。
たとえ、光速より早いロケットが発明されて、
西の方に向って、ひたすら飛んだところで
極楽に到着はしない。

だって、地球は自転しているのだから、
今、西の方角と思っていても、
刻一刻と指す方角は変っている。
そんなことは小学生でも知っている。

西方とは無方の方と言われ、
方角を意味するのではない。

西はすべてのものが最後、納まる処である。
太陽も月も星も東から昇り、西に沈む。
全てのものの終帰。それが弥陀の浄土なのだ。

仏教とはどんな教えか。
今日も多くの人に尊敬されている、
かの聖徳太子は、有名な十七条憲法に仏教を
「四生の終帰、万国の極宗」と言われている。
「四生」とは、生きとし生けるものすべてのこと。
「終帰」とは最後、帰依するところという意味で、
生きとし生けるものの救われる
唯一絶対の教えであるということだ。
聖徳太子が断言されているように、
古今東西の全人類が救われるたった一本の道が
阿弥陀仏の本願であり、
落ち着くところは阿弥陀仏の浄土なのだ。

全ての人、今生で弥陀の本願に救い摂られ、
死んで、弥陀の浄土、極楽へ往って、
弥陀同体の仏の身に生れなければ、
本当の幸せにはなれないのである。

阿弥陀仏の極楽へ往って、
本当の心の安らぎを得ることができる。

今、キリスト教を信じているもの、
創価学会、天理教に迷っているもの、
すべて、西方極楽浄土に生れなければ
心の安らぎを得ることはできない。

だから、阿弥陀仏の極楽は西にあると
教えられているのだ。


善導大師⑬-4(かんしゃくの、くの字を捨てて、ただ感謝)

2009年08月19日 | 七高僧
善導大師⑬-4(かんしゃくの、くの字を捨てて、ただ感謝)

ある高僧のところへ、短気で困っている男が
相談にきた。
「私は生まれつき短気者で困っております。
短気は損気と申しますが、まったく腹を立てた後は、
自分も気分悪うございますし、
他人の感情も害して悔やむのですが、
後の祭り、どうにもなりません。
なんとか私のこの短気を、治していただきたいと
思って参上いたしました」
 
ニコニコ笑いながら聞いていた高僧は、
「なるほど、聞けばそなたは、
なかなかおもしろいものを持って生まれてきたものじゃ。
治してしんぜるほどに、その短気とやらをひとつ、
私に見せてもらいたい。今もお持ちかな」

「へえ、短気を今ここへ出して見せろと言われましても、
ただ今は、べつに短気をおこすあてもありませんので。
ただ今は、ございません」

「しかし先ほど、そなたの話では、
生まれつき持っていると言ったでないか。
持っていれば、身体のどこかにかくれているはずだ。
遠慮することはない、おもいきって出してみなされ」

「いや、ただ今は身体中を探しても、
どうも、その短気が見あたりません」

「しかしどこかにあるだろう、どこにあるのかな」

「そう言われると困りますが、今のところ、どこにもありません」

「そうじゃろう。ある道理がないのだ。
そなたは、生まれながら短気じゃと言うが、
元来、短気というものはないのだ。
今後、ムラムラとカンシャク玉が破裂しそうになったら、
この短気やろう、どこから出てくるのか
出所を探してみるがよい。
どうかしたおりに、そなた自身が出すのだ。
自分が出さなければ、どうして短気が出るものか。
己が出しておいて、生まれつきというのは勝手なことだ」
と諭したという。

ならぬ堪忍、するが堪忍。
大切なのは心であり、心の持ちようである。

かんしゃくの
くの字を捨てて
     ただ、かんしゃ

(高森顕徹著・光に向かって 100の花束より)



善導大師⑬-3(堪忍されて生きている、妙好人と西田天香)

2009年08月18日 | 七高僧
善導大師⑬-3(堪忍されて生きている、妙好人と西田天香)

堪忍土といえば思い出すのが、
妙好人と西田天香の話しであろう。

西田天香といえば、明治時代、一世を風靡した
一燈園の創始者である。
一燈園は特定の本尊があるわけではなく、
修行者(同人)はそれぞれの信仰に従って礼拝する。

明治5年(1872年)、滋賀県長浜の商家に生まれた西田は
若年時代には、北海道へ開拓者のリーダーとして
地元の農民達と移り住んだが、
人間関係のトラブルに巻き込まれ挫折し、
北海道をあとにした。
その後、精神世界を探求する生活に入り、
実践方法として「托鉢」と「六万行願」を始めた。

彼を有名にしたのは、京都・滋賀を中心として
家庭や事業所等を訪問して無償で便所の掃除を
したことだった。
全く見知らぬ家を尋ね、
「済みません。一燈園の者ですが、
 便所掃除をさせて下さい。」
と言って、汚い便所に裸足で入り、
綺麗になるまで掃除をするのである。

自分の息子でさえ、嫌がってしない便所を
若い一燈園の者たちは修行の為といって
綺麗にしてゆく。
多くの者が感心し、自らも一燈園に参加してゆく者も
現れた。

その西田天香がある有名な妙行人を訪れた時のこと。

妙好人とは、阿弥陀仏に救われ、
素晴らしい言動を取っていった人のことである。

西田はこの世は自分勝手な人ばかりで
相手の身になって考えない人ばかりだと
訴えた。そして、
「こんな住みにくい世の中、私達が堪忍してゆかなければ
なりませんね」
と結論付けた。

すると妙好人は、すかさず、
「いえいえ、私は堪忍などしたことはありません。
 私は周りの人から堪忍されて生きております。
 私のような極悪人、どれほど周りの人が、
 我慢して下さっておるか。
 堪忍しれ下されなかったら、一分一秒たりとも
 生きてはおれません。
 殺されて当然の私です。」
と答えた。

その真実を射抜いた言葉に流石の西田天香も
真っ赤に赤面して立ち去ったという。
余程、恥じ入ったに違いない。

私達の生きている世界は正に堪忍土。
皆が自分勝手な行動で相手を苦しめる。


善導大師⑬-2(東岸=娑婆世界=堪忍土)

2009年08月17日 | 七高僧
善導大師⑬-2(東岸=娑婆世界=堪忍土)

二河白道の喩えが意味しているのは。
原文と照らし合わせてみよう。

「東岸」というは、すなわちこの娑婆の火宅に喩うるなり。
「西岸」というは、すなわち極楽宝国に喩うるなり。

東岸=此岸=娑婆世界
西岸=弥陀の浄土

仏教では私達の住む世界を娑婆といわれる。
世間では刑務所から出てきた受刑者が
「やっぱり娑婆の空気は美味い」
というが、地獄のような刑務所から
比べてみれば、この世界はましなのだろう。

しかし、娑婆とは堪忍土ということである。
堪忍してゆかなければ生きていけない処と
いう意味だ。

嫁に行く時から、先方の姑さんとケンカしてやろうと
思っている者は一人もいない。
姑を本当のお母さんだと思って仕えよう、
先方のお母さんが、喩え魂でも蛇でも、
私さえ真心を尽くせば、
家庭は円満にゆくだろうと覚悟してゆくのだ。

ところが、自分が真心を尽くしさえすればと、
自分に真心があるように自惚れ、
嫁にゆかぬ先から、鬼でも蛇でもと、
先方の親を見下げて行くのだから、うまくいく筈がない

姑にしても同じこと、今度くる嫁を思う存分、
いじめてやろうと手ぐすね引いて、
待ち構えている者は一人もいない。
自分の娘が一人ふえたと思って
可愛がってやろうと思っている。

腹を痛めて産んだ我子でさえ憎く
思う時は殺しているのに、
他人の娘を我子と思える筈がないのに、
可愛がってやろうなどと自惚れている
のだから大失敗である。

これらは、道徳的、倫理的には
立派なことかも知れぬが、
想像の世界と現実は天地の違いがあることを知らない。

十年前にあんなこと言われた、悔しい、
一生忘れるものかと怒りの炎を燃やす。
姑にしてみれば、永い間手塩にかけて
育てた息子を取られたとの下心が渦巻いている。

姑にガミガミ言われると、遂に頭にきて
「もう、いゝ加減にくたばればよいのに」
と斬りつける。

その結論は
「私が堪忍しているから、この家は上手く
 いっているのだ」
と嫁も姑も自分が我慢していると自惚れる。

正に堪忍土。

我々は、こういう深刻な人殺しの心の格闘を
日夜くり返して無限に苦しんでいる。

この堪忍してゆかねば生きてゆけない世界を
娑婆といい、西にある極楽に対して、
東岸といわれるのである。

善導大師⑬(二河白道の喩え)

2009年08月16日 | 七高僧
善導大師⑬(二河白道の喩え)

善導大師の二河白道の喩えは
『観無量寿経疏』の中で説かれたもので、
親鸞聖人は『教行信証』(信巻)の中で
引用されている。

善導大師が
信心獲得するまでの求道の道程を示すために
作られたものである。

彼岸=弥陀の浄土
此岸=娑婆世界
白道=求道心・信心
群賊悪獣=求道聞法をさまたげるすべて
火の河=怒りの心
水の河=欲の心
西に向って=幸福を求めて
 (一向専念無量寿仏)

(原文)
また一切往生人等に白さく、
今更に行者のために、
一つの譬喩を説きて信心を守護して、
もって外邪異見の難を防がん。何者かこれや。

譬えば、人ありて西に向かいて行かんと
欲するに百千の里ならん、
忽然として中路に二つの河あり。

一つにはこれ火の河、南にあり。
二つにはこれ水の河、北にあり。
二河おのおの闊さ百歩、おのおの深くして
底なし、南北辺なし。
正しく水火の中間に、一つの白道あり、
闊さ四五寸許なるべし。
この道、東の岸より西の岸に至るに、
また長さ百歩、
その水の波浪交わり過ぎて道を湿す。
その火焔また来りて道を焼く。
水火あい交わりて常にして休息なけん。

この人すでに空曠の迥なる処に至るに、
さらに人物なし。
多く群賊悪獣ありて、この人の単独なるを見て、
競い来りてこの人を殺さんと欲す。
死を怖れて直ちに走りて西に向かうに、
忽然としてこの大河を見て、
すなわち自ら念言すらく、

「この河、南北辺畔を見ず、
 中間に一つの白道を見る、
きわめてこれ狭少なり。
 二つの岸、あい去ること近しといえども、
 何に由ってか行くべき。
 今日定んで死せんこと疑わず。
 正しく到り回らんと欲すれば、
 群賊悪獣漸漸に来り逼む。
 正しく南北に避り走らんと欲すれば、
 悪獣毒虫競い来りて我に向かう。
 正しく西に向かいて道を尋ねて
 去かんと欲すれば、また恐らくは
 この水火の二河に堕せんことを。」

時に当たりて惶怖すること、また言うべからず。
すなわち自ら思念すらく、
「我今回らばまた死せん、
 住まらばまた死せん、
 去かばまた死せん。
 一種として死を勉れざれば、
 我寧くこの道を尋ねて前に向こうて去かん。
 すでにこの道あり。必ず度すべし」と。

この念を作す時、東の岸にたちまちに人の勧むる声を聞く。
「仁者ただ決定してこの道を尋ねて行け、必ず死の難なけん。
 もし住まらばすなわち死せん」と。
 また西の岸の上に人ありて喚うて言わく、
「汝一心に正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん。
 すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。

この人すでに此に遣わし彼に喚うを聞きて、
すなわち自ら正しく身心に当たりて、
決定して道を尋ねて直ちに進みて、
疑怯退心を生ぜずして、あるいは行くこと一分二分するに、
東の岸の群賊等喚うて言わく、
「仁者回り来れ。この道嶮悪なり。過ぐることを得じ。
 必ず死せんこと疑わず。我等すべて悪心あって
 あい向うことなし」と。
この人、喚う声を聞くといえどもまた回顧ず。
一心に直ちに進みて道を念じて行けば、
須臾にすなわち西の岸に到りて永く諸難を離る。
善友あい見て慶楽すること已むことなからんがごとし。


善導大師⑫(古今楷定の六字釈)

2009年08月15日 | 七高僧
善導大師⑫(古今楷定の六字釈)

善導大師は『観無量寿経疏』で、
韋提希は権化の聖者ではなく、
「心相羸劣」(しんそうるいれつ)と
『観無量寿経』にあるから凡夫であること、
南無阿弥陀仏は唯願無行でなく、
十方衆生をこの世から絶対の幸福に救う、
願行具足の大功徳であることを立証し、
諸師の説を完膚なきまでに
粉砕してしまわれた。

南無阿弥陀仏の名号は諸師が言う
唯願無行では絶対にない。

何故なら
「南無というは帰命、亦是発願廻向の義なり、
 阿弥陀佛というは即ち、その行なり、
 如来既に発願して信順無疑、
 仰せに順うたと同時に其の人の行となる。
 願と行とが六字の中に、ととのえて有るから
 必ず往生が出来るのだ。
 願行具足といっても凡夫が願を起し、
 凡夫が行を修して行くのなら、
 凡夫の願行だから凡夫の世界にしか行けないぞ。
 仏の願行を機無、円成するが故に
 佛の世界に行かれるのだ。
 だから遠生の結縁では絶対にない。
 帰命の一念に必得往生出来るのだ。」
 
大心海化現の善導でなければ出来ない
古今楷定の妙釈により、諸師は黙し、
『観無量寿経』を説かれた釈迦牟尼如来の正意は
明かにされ、万人の救われる大道が開かれたのである。

以後、天台、浄影、嘉祥らの説を一撃のもとに論破された
善導大師の雷鳴は中国全土に響きわたり、
大衆は弥陀の法水を求めて善導大師を
慕い集まるようになった。

善導大師⑪(観無量寿経疏に着手)

2009年08月14日 | 七高僧
善導大師⑪(観無量寿経疏に着手)

天台・浄影・嘉祥によって捻じ曲げられた
『観無量寿経』の仏意。

かかる浄土門の一大危機に一人、
敢然と破邪顕正に立ち上がられたのが善導大師である。

まず三人の邪説を論破する為に、
自らの『観無量寿経疏』執筆に着手された。
その際、
「今、我が述ぶるところ、仏の願意に叶いませば、
 夢中に霊相を示したまえ」と
日々、『阿弥陀経』を三遍、念仏三万遍を相続され、
十方の諸仏に証明を請われたという。
すると、夜ごとに化仏が夢に現れ、その指図のままに、
『観無量寿経疏』の筆を進められた。

「一字一句加減すべからず。写さんと欲する者、
 一に経法の如くせよ」
とただし書きしれおられる所以である。