善導大師⑬-8(無人空迥の沢②)
仏教では、仏の教を我々に伝えて下される人を
知識という。
この知識に善知識と悪知識がある。
悪知識といゝますのは自分自身が仏の教えの真実が
ハッキリ判っていない人。
だから、他人に話す時でも真実を教え切れないのは当然だ。
蓮如上人は
「わが身が信心決定せずして、
他人を信心決定させることは出来ぬ。
自分が物を持たずして、
他人に与えることが出来ないのと同じだ」
(御一代記聞書)
と教えられている。
そこで、大体こんなことだろうと
自分の迷いの考えを混入して
仏の教えを解釈して他人に教えるから、
とんでもない間違ったことを
仏の教えにしている。
そして多くの人々を苦しめ地獄へ
叩き堕とすことになるのだ。
これを釈尊は
「一盲衆盲を率いて、火坑に堕つる」
(仏蔵経)
と歎いておられる。
一盲というのは真実の仏教が判らない魂の盲目の人、
即ち、真実の信心を獲得していない者のこと。
衆盲とは、信心のない大衆。
火坑とは地獄のことである。
信心決定していない人の話を聞いている者は、
この世も苦悩が続くばかりでなく、
未来は必ず地獄へ堕ちるのだから、
真に仏法の判った善知識を求めて聞けよと
仰言っている。
経典には
「善知識は、これ、さとりを得る道の大因縁なり」
とか
「聖き法を修めて生死の煩いなき、
安らけき涅槃の境地に至るを得るは善知識による」
とも説かれている。
また、阿難がある時釈尊に
「善知識は、さとりの道の半因縁と思えばよいのでしょうか」
と尋ねると、
「そうではない、善知識は全因縁である」
とまで答えていられている。
これらの仏説でも判るように、
まことの信心決定した善知識を求め探して聞法しなければ、
如何に真剣に聴聞しても助かることがない。
どなたに聞いても同じだ、などと思っている人は、
とんでもない間違い。
後生の一大事ということが本当に判っていない人の
言うことである。
ではその善知識はここにもいる、あそこにもいると
近くの寺に聞きにいけば、会えるものなのか。
親鸞聖人が自ら後生の一大事の解決を求め、
比叡の山で20年間、知らされたことの一つが
如何に善知識にお会いすることが難いことかと
いうことであった。
「善知識にあうことも、教うることもまた難し
よく聞くことも難ければ、信ずることはなお難し」
「真の知識に値うことは、難きが中になお難し、
流転輪廻のきわなきは、疑情のさわりにしくぞなき」
「昿劫多生の間にも、出離の強縁知らざりき、
本師源空いまさずば、この度むなしくすぎなまし」
仏教では、仏の教を我々に伝えて下される人を
知識という。
この知識に善知識と悪知識がある。
悪知識といゝますのは自分自身が仏の教えの真実が
ハッキリ判っていない人。
だから、他人に話す時でも真実を教え切れないのは当然だ。
蓮如上人は
「わが身が信心決定せずして、
他人を信心決定させることは出来ぬ。
自分が物を持たずして、
他人に与えることが出来ないのと同じだ」
(御一代記聞書)
と教えられている。
そこで、大体こんなことだろうと
自分の迷いの考えを混入して
仏の教えを解釈して他人に教えるから、
とんでもない間違ったことを
仏の教えにしている。
そして多くの人々を苦しめ地獄へ
叩き堕とすことになるのだ。
これを釈尊は
「一盲衆盲を率いて、火坑に堕つる」
(仏蔵経)
と歎いておられる。
一盲というのは真実の仏教が判らない魂の盲目の人、
即ち、真実の信心を獲得していない者のこと。
衆盲とは、信心のない大衆。
火坑とは地獄のことである。
信心決定していない人の話を聞いている者は、
この世も苦悩が続くばかりでなく、
未来は必ず地獄へ堕ちるのだから、
真に仏法の判った善知識を求めて聞けよと
仰言っている。
経典には
「善知識は、これ、さとりを得る道の大因縁なり」
とか
「聖き法を修めて生死の煩いなき、
安らけき涅槃の境地に至るを得るは善知識による」
とも説かれている。
また、阿難がある時釈尊に
「善知識は、さとりの道の半因縁と思えばよいのでしょうか」
と尋ねると、
「そうではない、善知識は全因縁である」
とまで答えていられている。
これらの仏説でも判るように、
まことの信心決定した善知識を求め探して聞法しなければ、
如何に真剣に聴聞しても助かることがない。
どなたに聞いても同じだ、などと思っている人は、
とんでもない間違い。
後生の一大事ということが本当に判っていない人の
言うことである。
ではその善知識はここにもいる、あそこにもいると
近くの寺に聞きにいけば、会えるものなのか。
親鸞聖人が自ら後生の一大事の解決を求め、
比叡の山で20年間、知らされたことの一つが
如何に善知識にお会いすることが難いことかと
いうことであった。
「善知識にあうことも、教うることもまた難し
よく聞くことも難ければ、信ずることはなお難し」
「真の知識に値うことは、難きが中になお難し、
流転輪廻のきわなきは、疑情のさわりにしくぞなき」
「昿劫多生の間にも、出離の強縁知らざりき、
本師源空いまさずば、この度むなしくすぎなまし」