七高僧②(貯水池から蛇口まで)
親鸞聖人は『正信偈』の冒頭で
阿弥陀仏に救われた体験を告白され、
阿弥陀仏のご恩と同時に
阿弥陀仏のことを自分に教えて下さった方々の
ご恩と喜んでおられる。
昔は井戸から水を引き上げていた。
次ぎにポンプとなり、
今日は水道が設置され、蛇口をひねるだけで
水が出るようになった。
便利が世の中になったものだ。
感謝しなければならない。
それには満々と湛えられている貯水池が
あることを忘れてはならない。
中国のことわざに
「水を飲む時に井戸を掘った人のことを思え」
いうのがある。
貯水池を感謝すると同時に
貯水池から家までの水道管が敷設されていなければ
水は出ないのだから、水道管のありがたさを
思わなければならない。
貯水池とは阿弥陀仏の本願。
その水を私の家の蛇口(私の胸)にまで
誰がどのようにして伝えて下されたのか。
親鸞聖人にとっては、
印度・中国・日本に現れた
七人の高僧方であった。
この方々を七高僧と呼ばれる。
その七高僧も紆余曲折の末、真実の仏法に
巡り遇われているのだ。
その方々をご紹介しょう。
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親鸞聖人は『正信偈』の冒頭で
阿弥陀仏に救われた体験を告白され、
阿弥陀仏のご恩と同時に
阿弥陀仏のことを自分に教えて下さった方々の
ご恩と喜んでおられる。
昔は井戸から水を引き上げていた。
次ぎにポンプとなり、
今日は水道が設置され、蛇口をひねるだけで
水が出るようになった。
便利が世の中になったものだ。
感謝しなければならない。
それには満々と湛えられている貯水池が
あることを忘れてはならない。
中国のことわざに
「水を飲む時に井戸を掘った人のことを思え」
いうのがある。
貯水池を感謝すると同時に
貯水池から家までの水道管が敷設されていなければ
水は出ないのだから、水道管のありがたさを
思わなければならない。
貯水池とは阿弥陀仏の本願。
その水を私の家の蛇口(私の胸)にまで
誰がどのようにして伝えて下されたのか。
親鸞聖人にとっては、
印度・中国・日本に現れた
七人の高僧方であった。
この方々を七高僧と呼ばれる。
その七高僧も紆余曲折の末、真実の仏法に
巡り遇われているのだ。
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