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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

七高僧②(貯水池から蛇口まで)

2009年06月09日 | 七高僧
七高僧②(貯水池から蛇口まで)

親鸞聖人は『正信偈』の冒頭で
阿弥陀仏に救われた体験を告白され、
阿弥陀仏のご恩と同時に
阿弥陀仏のことを自分に教えて下さった方々の
ご恩と喜んでおられる。

昔は井戸から水を引き上げていた。
次ぎにポンプとなり、
今日は水道が設置され、蛇口をひねるだけで
水が出るようになった。
便利が世の中になったものだ。
感謝しなければならない。

それには満々と湛えられている貯水池が
あることを忘れてはならない。

中国のことわざに
「水を飲む時に井戸を掘った人のことを思え」
いうのがある。
貯水池を感謝すると同時に
貯水池から家までの水道管が敷設されていなければ
水は出ないのだから、水道管のありがたさを
思わなければならない。

貯水池とは阿弥陀仏の本願。
その水を私の家の蛇口(私の胸)にまで
誰がどのようにして伝えて下されたのか。
親鸞聖人にとっては、
印度・中国・日本に現れた
七人の高僧方であった。
この方々を七高僧と呼ばれる。

その七高僧も紆余曲折の末、真実の仏法に
巡り遇われているのだ。
その方々をご紹介しょう。

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七高僧①(伝え下さる人がなければ)

2009年06月08日 | 七高僧
七高僧①(伝え下さる人がなければ)

この世にどんな素晴らしい教えがあっても
伝えて下される人がなければ
知ることも、求めることも、
勿論、素晴らしい世界に出ることもできない。


親鸞聖人がお書きになられた『正信偈』の冒頭で
「帰命無量寿如来・南无阿弥陀仏」と
仰言っている。

「親鸞は阿弥陀仏に救われました。
 親鸞は阿弥陀仏に助けられました。」
との喜びの言葉であり、
生命の大歓喜を獲られた告白だ。

正信偈には、この身に救われたのは、
まったく阿弥陀仏の本願のおかげであったと
阿弥陀仏を称讃されている。
と共に、弥陀の本願を教えて下された
釈迦のご恩をも讃えておられるのだ。

「如来所以興出世・唯説弥陀本願海」

釈迦如来が約2600年前、印度にお生まれに
なられ、仏教を説かれた目的は
唯一つ阿弥陀仏の本願を説くためであった。

善知識とは仏教を正しく伝えて下される先生のことであり、
釈迦如来こそ、善知識の元祖なのである。

しかし、どんなに素晴らしい教えでも
私まで伝えて下される方がおられなければ
知ることはできない。

親鸞まで正しく伝えて下された方が
おられなかったら、弥陀の本願に救われることは
なかったと、親鸞聖人まで
釈迦如来の教えを間違いなく教えて
伝えて下された方を7人選ばれ、
七高僧をいわれたのである。

印度-龍樹菩薩(釈迦入滅後700年、180~248)
   天親菩薩(釈迦入滅後900年、300~400頃)

中国-曇鸞大師(476~542)
   道綽禅師(562-645)
   善導大師(613-681)

日本-源信僧都(942-1017)
   法然上人(1133-1212)

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