法然上人⑫-3(69才、親鸞聖人の獲信)
法然上人に出会われた親鸞聖人はそれから
雨の日も、風の日も、火のつくような
聞法求道が、始まった。
親鸞聖人 「上人様。今日は、何が何でも、ここひとつ、解決のい
くまで、お聞かせ下さい。お願いでございます」
法然上人 「そうか。それでは、そなたの今の胸の内を、話してみ
なされ」
親鸞聖人 「はい。私は、比叡山も、二十年の仏道修行も、捨てま
した。京の町を、夢遊病者のように、後生の一大事一つ、
解決できる教えはないかと、さまよい歩きました。そして
上人様にめぐりあい、心の底より、救われた思いがいたし
ました。けれども、阿弥陀仏の一声で、晴れて満足できる
と仰せられますが、聞いても聞いても、その一声が聞けま
せん。親鸞の心は、晴れません」
仏法聞いている時も、思ってはならないことが思われ
考えてはならないことが、浮かびます。一向専念無量寿仏
どころか、雲の如く、疑いが沸き上がってまいります。
こんな心のままで、臨終を迎えるのか、と思うと、ただ
恐ろしいばかりでございます」
法然上人 「親鸞よ。形の上で、捨てたつもりでは、ダメじゃ。
無始より迷わせ続けた自力我慢の親玉は、そんな生ぬるい
聞き方では、聞かないぞ」
親鸞聖人 「上人様。よくよく胸の内を見ますと、十年前も、上人
様にお会いした時も、今も、心は煩悩と疑いでいっぱい。
少しの変化もありません。こんな心が、いつまで続くのか
と思うと、胸が張り裂けるようでございます」
法然上人 「親鸞よ。そのまま、恐ろしい罪を抱えて、地獄へまっ
逆さまだ。このように、話しているうちにも、無常の殺鬼
が迫っているではないか。まだ、わからんのか」
親鸞聖人 「上人様。長年の学問、修行も、後生の一大事には、何
の役にも立ちません。それどころか、親鸞、今はもう、聞
く心もございません。ただ、煩悩と疑いいっぱいで、阿弥
陀仏の御声(みこえ)が、聞けません」
法然上人 「自惚れるな。そなたの心は、阿弥陀仏の御声が聞ける
殊勝な心か」
親鸞聖人 「親鸞の心は、ただ暗い、それだけでございます。暗さ
もわからぬ、真っ暗がりでございます。お助け下さい、上人様」
法然上人 「親鸞よ。そなたには、まことを聞く耳はないのだ。
それが、そなたの、まことの姿なのじゃ。
一切の自力の心を捨てよ。
すべてのはからいを捨てよ。
捨てようとする心も捨てよ」
『いずれの行も、及び難き親鸞、地獄は一定、すみかぞかし』
『弥陀五劫思惟の願は、ひとえに親鸞、一人がためなり』
親鸞聖人 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
あー、不思議なるかなや、不思議なるかなや。
弥陀五劫思惟の願は、親鸞一人がためなり。
あー、多生にも値(あ)い難い本願力に、今値(あ)
えたり。億劫にも獲難き、真実の信心を、今獲たり。
本願まことだった。まことだった。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
親鸞聖人 「聖人様、有り難うございました」
法然上人 「よく聞き抜かれた、親鸞殿。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
建仁元年、法然上人69歳、親鸞聖人29才の御時であった。
かくて信心決定なされた親鸞聖人は、法然上人のお弟子となり、
弘長二年、九十才でお亡くなりになるまで、
全人類の救われるただ一本の道、弥陀の本願を、
『如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし、
師主知識の恩徳も、骨を砕きても謝すべし』
と、叫び続けられるのであった。
法然上人に出会われた親鸞聖人はそれから
雨の日も、風の日も、火のつくような
聞法求道が、始まった。
親鸞聖人 「上人様。今日は、何が何でも、ここひとつ、解決のい
くまで、お聞かせ下さい。お願いでございます」
法然上人 「そうか。それでは、そなたの今の胸の内を、話してみ
なされ」
親鸞聖人 「はい。私は、比叡山も、二十年の仏道修行も、捨てま
した。京の町を、夢遊病者のように、後生の一大事一つ、
解決できる教えはないかと、さまよい歩きました。そして
上人様にめぐりあい、心の底より、救われた思いがいたし
ました。けれども、阿弥陀仏の一声で、晴れて満足できる
と仰せられますが、聞いても聞いても、その一声が聞けま
せん。親鸞の心は、晴れません」
仏法聞いている時も、思ってはならないことが思われ
考えてはならないことが、浮かびます。一向専念無量寿仏
どころか、雲の如く、疑いが沸き上がってまいります。
こんな心のままで、臨終を迎えるのか、と思うと、ただ
恐ろしいばかりでございます」
法然上人 「親鸞よ。形の上で、捨てたつもりでは、ダメじゃ。
無始より迷わせ続けた自力我慢の親玉は、そんな生ぬるい
聞き方では、聞かないぞ」
親鸞聖人 「上人様。よくよく胸の内を見ますと、十年前も、上人
様にお会いした時も、今も、心は煩悩と疑いでいっぱい。
少しの変化もありません。こんな心が、いつまで続くのか
と思うと、胸が張り裂けるようでございます」
法然上人 「親鸞よ。そのまま、恐ろしい罪を抱えて、地獄へまっ
逆さまだ。このように、話しているうちにも、無常の殺鬼
が迫っているではないか。まだ、わからんのか」
親鸞聖人 「上人様。長年の学問、修行も、後生の一大事には、何
の役にも立ちません。それどころか、親鸞、今はもう、聞
く心もございません。ただ、煩悩と疑いいっぱいで、阿弥
陀仏の御声(みこえ)が、聞けません」
法然上人 「自惚れるな。そなたの心は、阿弥陀仏の御声が聞ける
殊勝な心か」
親鸞聖人 「親鸞の心は、ただ暗い、それだけでございます。暗さ
もわからぬ、真っ暗がりでございます。お助け下さい、上人様」
法然上人 「親鸞よ。そなたには、まことを聞く耳はないのだ。
それが、そなたの、まことの姿なのじゃ。
一切の自力の心を捨てよ。
すべてのはからいを捨てよ。
捨てようとする心も捨てよ」
『いずれの行も、及び難き親鸞、地獄は一定、すみかぞかし』
『弥陀五劫思惟の願は、ひとえに親鸞、一人がためなり』
親鸞聖人 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
あー、不思議なるかなや、不思議なるかなや。
弥陀五劫思惟の願は、親鸞一人がためなり。
あー、多生にも値(あ)い難い本願力に、今値(あ)
えたり。億劫にも獲難き、真実の信心を、今獲たり。
本願まことだった。まことだった。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
親鸞聖人 「聖人様、有り難うございました」
法然上人 「よく聞き抜かれた、親鸞殿。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
建仁元年、法然上人69歳、親鸞聖人29才の御時であった。
かくて信心決定なされた親鸞聖人は、法然上人のお弟子となり、
弘長二年、九十才でお亡くなりになるまで、
全人類の救われるただ一本の道、弥陀の本願を、
『如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし、
師主知識の恩徳も、骨を砕きても謝すべし』
と、叫び続けられるのであった。