法然上人⑦(法然上人の煩悶)
一切経を幾度も読んでゆかれる法然上人。
しかし、一向に魂の解決の道が分らない。
この時の源空上人の煩悶する姿を、
ある書物は述懐として次のように伝えている。
「また、凡夫の心は物にしたがいてうつりやすし、
たとえば猿の枝につたうがごとし。
まころに散乱して動じやすく、一心しずまりがたし。
いかでか悪業煩悩のきずなをたたんや。
悪業煩悩のきずなをたたずば、
なんぞ生死繋縛(しょうじけばく)の身を
解脱(げだつ)することをえんや。
かなしきかな、かなしきかな。
いかがせんいかがせん。
ここに我達ごときはすでに
戒(煩悩をさえぎり)
定(煩悩を抑え)
慧(煩悩をたちきる聖道門の修行)
の三学の器にあらず。
この三学のほかに我が心に相応する法門ありや」
三度目、四度目と、想像を絶する持久力で
一切経読破の作業が続けられたが、
迫り来る無常を思えば、
「今、このまま死ねば、必ず無間地獄真っ逆様だ。
いかがせん、いかがせん」
あふれる涙は頬を伝わり、経典の上に滴り落ちる。
涙に濡れた経典を惰性のように
読み始めた五回目の中ほど、
中国の善導大師の書かれた『観無量寿経疏』に、
大変な一文を発見されたのであった。
一切経を幾度も読んでゆかれる法然上人。
しかし、一向に魂の解決の道が分らない。
この時の源空上人の煩悶する姿を、
ある書物は述懐として次のように伝えている。
「また、凡夫の心は物にしたがいてうつりやすし、
たとえば猿の枝につたうがごとし。
まころに散乱して動じやすく、一心しずまりがたし。
いかでか悪業煩悩のきずなをたたんや。
悪業煩悩のきずなをたたずば、
なんぞ生死繋縛(しょうじけばく)の身を
解脱(げだつ)することをえんや。
かなしきかな、かなしきかな。
いかがせんいかがせん。
ここに我達ごときはすでに
戒(煩悩をさえぎり)
定(煩悩を抑え)
慧(煩悩をたちきる聖道門の修行)
の三学の器にあらず。
この三学のほかに我が心に相応する法門ありや」
三度目、四度目と、想像を絶する持久力で
一切経読破の作業が続けられたが、
迫り来る無常を思えば、
「今、このまま死ねば、必ず無間地獄真っ逆様だ。
いかがせん、いかがせん」
あふれる涙は頬を伝わり、経典の上に滴り落ちる。
涙に濡れた経典を惰性のように
読み始めた五回目の中ほど、
中国の善導大師の書かれた『観無量寿経疏』に、
大変な一文を発見されたのであった。