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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

人間の実相を語る歴史人(善導大師 嘉祥-三論宗)

2011年07月06日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(善導大師 嘉祥-三論宗)

嘉祥吉蔵(549年~623年)
三論宗再興の祖

三論宗というのは
『百論』『中論』『十二門論』
の経論に依って
嘉祥が打ち立てた宗派である。

嘉祥は南京で生まれた。
家は代々、仏教を
信奉していたが、
出家していた父の道諒は、
いつも吉蔵を連れて
興皇寺法朗の法席に参加した。
それが縁で吉蔵も出家し、
法朗(507-581)の弟子となる。

吉蔵は聞くに随って

「領解し、悟ること
 天真(=うまれつき)の如くであった」

といわれている。
陳の桂陽王は、
そんな吉蔵を深く尊敬し、
その教えを味わい奉じたという。
陳が滅んで隋が江南を統一すると、
吉蔵は開皇9(589)年から
会稽の嘉祥寺に止宿。

以後七、八年間、
三論(中論・百論・十二門論)
の講述と著述に専念。
三論宗の教義を組織大成した。




人間の実相を語る歴史人(善導大師 浄影-地論宗)

2011年07月05日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(善導大師 浄影-地論宗)

浄影寺の慧遠(523年~592年)
地論宗(後の華厳宗)の開祖
『大乗義章』という仏教辞典を
書いたことでも有名である。

浄影は敦煌の出身である。
13歳で出家し、
四分律や経論を修学し、
法上(495年 - 580年)に師事した。
法上は、『十地経論』を
研究する地論宗の南道派の中心人物で、
北斉の僧統であった慧光の弟子で、
師と同じく僧統となった。

浄影は、北周武帝の廃仏時に、
ただ一人、武帝に対して
正面きって直諫した。

当時、北周の武帝が
仏教嫌いで寺を焼き払い、
坊主をなくそうとした。

その理由はこうだ。

1:坊主になると
  親を捨てて山へ入る。
  大恩ある親を捨てるとは
  親不孝である。
  すぐさま坊主を辞めて、
  親元へ帰れ。

2:仏を拝みたかったら、
  あんな広大な土地も
  大きな寺院もいらん。
  心の中の仏を拝めば
  よいではないか。

武帝は宮中に坊主全員を集め、
もしこれに反論ある者は
異議を申し立てよと言った。

討論上手な武帝でもあり、
もし反論でもしようなら、
殺されることは間違いない。
誰も反論する者はいなかった。

その時たった一人手を挙げ、
仏教廃止の宣言に堂々と
意見を述べたのが、浄影であった。

「あなたは親元を離れることは
 親不幸というのなら、
 どうしてあなた一人を
 守る為に、多くの若者が
 故郷を離れ、この城に
 集まっているではありませんか。
 すぐに家来たちをまず
 故郷に返してはどうですか。
 坊主だけにいうのは
 片手落ちではありませんか。
 また、寺や広大な土地が
 いらないというのなら、
 あなたは自分や先祖の
 墓の為に広大な土地を持ち、
 あなたが住む為に
 こんな大きな城や
 土地を所有している。
 まずそれを人民に与えなさい」

「だまれ」と武帝はいうが、

浄影は言い切った。

「それは謗法罪で
 無間地獄に堕ちますよ」

「餓鬼道へ堕ちようが、
 地獄界へ堕ちようが
 どうでもよい」

と武帝は自棄になっていうが、

「あなたは良くても、
 この国はあなたが
 天下を取っているので
 全ての人々を地獄へ
 堕とすことになる」

と浄影は断言したのである。

天子はカンカンになったが、
そのまま下がってしまった。
その後、

「あの口答えをした
 坊主の名前を
 調べてこい」

と言っただけで
浄影には何のお咎めもなかった。
彼の活躍で当時の
仏教界は護られた。

その彼がまとめたものが
『大乗義章』である。
一種の仏教用語の辞典で、
仏教の術語を知る上に
便利な書として有名だ。


人間の実相を語る歴史人(善導大師 智―天台宗)

2011年07月04日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(善導大師 智―天台宗)

天台智(538年~597年)
天台宗の開祖
智は大変頭の良い人で
智者大師とも呼ばれる。

親鸞聖人も教行信証の中で

「嗚呼、教観に明らかなること、
 だれか智者にしかんや」

と書いておられる。

天台智は、538年
湖南省華蓉に生れた。
父の陳起祖は、
梁の名門であり、
天台智は恵まれた
幼年時代を過ごしていた。

智17歳の時、
北朝の西魏が梁に進攻し、
梁は滅亡、実家の陳家は
これにより衰亡する。
その後まもなく両親が
亡くなるなどして、
18歳で彼は出家し、
大賢山で法華三部経を研究し、
二十三歳で大蘇山に赴き
南岳慧思禅師に参じた。

南岳門下に七年。
30歳過ぎて、金陵(南京)の
瓦官寺で8年間法華経や
大智度論や次第禅門を
講義したという。

575年から天台山で
天台教学(五時の教判)
を確立した。

589年隋が中国を統一、
隋の煬帝に菩薩戒を授け、
そこで智者大師の号を与えられた。
『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』
の天台三大部を講義した。

晩年は天台山に隠棲、
60歳の臨終にあたっては、
門弟に法華経と観無量寿経をよませ、
それを聞きながら、
弥陀、観音の来迎を念じたという。

しかし、天台大師も
臨終に弟子の智朗が

「師はいずれの位に居るや」

と尋ねると

「我れ衆を領せずば必ず
 六根清浄の位(10段目)に至らん。
 されど、利他の為に己を損して
 只、五品弟子位(9段目)あるのみ」

といって、
自分一人で修行に
取り組んでおれば10段目まで悟れたが、
弟子の育成に時間を取られ、
9段目までしかさとれなかったと
自ら告白して死んでいる。





人間の実相を語る歴史人(善導大師 仏教が花咲いた唐)

2011年07月03日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(善導大師 仏教が花咲いた唐)

唐の都、長安は三蔵法師玄奘を
迎える大群衆の歓呼の声に
沸いていた。

玄奘は膨大な数の経典を
17年の長旅を経て、
インドから持ち帰ったのである。

早速、皇帝の支援を受けて
翻訳作業が始まった。
玄奘が訳した千三百余巻の経典は
中国仏教発展の起爆剤となり、

唐の時代は未曾有の
仏教文化の花を咲かせる。

加えて皇帝の手厚い仏教保護政策。
中国仏教界には一宗一派を開く
力量のある僧も現れ、
まさに全盛期を迎えていた。

天台宗を興した智、
地論宗の浄影、
三論宗の嘉祥らである。

その中、長安に着いた善導は、
都の南方の終南山悟真寺を
住居とされ、布教を開始された。

長安市外の光明寺を道場とし、
都の人々に阿弥陀如来の本願を
説き続けられたのである。

善導大師が説法に用いられた
『観無量寿経』は
聖道門諸学者にも存在が注目され、
その解釈が流行となっていた。

なぜなら『観無量寿経』には、
聖道諸宗からは不可解
極まることが説かれていたからである。

1:韋提希夫人という平凡な一女性が、
  阿弥陀如来のお姿を拝した一瞬に
  絶対の幸福に救われ、
  等正覚という五十一段目の高い位に
  入ったと説かれている。

2:巻末に、どんな悪人でも
  阿弥陀如来の本願を信じ、
  称名念仏すれば極楽に往生できる
  と教えられていること。

2点とも、当時の常識では
到底理解できない。

わずかなさとりにも
血のにじむ、難行が必要なのに、
韋提希夫人は一日として
修行などしていないではないか。

また浄土往生には、必ず願と行が
具足しなければならぬのに、
極重悪人が称名念仏しても、

「阿弥陀さま。助けてください」

と繰り返すだけのことで
願はあっても行がない。
唯願無行だから、
救われるはずがないと考えた。

これらの疑問に、
天台、浄影、嘉祥たちは
解釈を競い、それぞれの
『観無量寿経疏』を著した。

が、内容は三者とも酷似していた。
いずれも聖道仏教の立場から、
韋提希を過去世から
修行を重ねてきた
権化の聖者と見たのである。

つまり、相当高いさとりを
過去世に開いてしまった菩薩が、
この世で仮に韋提希という姿で
現れたのだから、
容易に等正覚を得られたのだ、
と解釈である。

また、念仏往生は、
別時意趣と説明した。

別時意趣とは勇猛精進に努められぬ
怠惰な者への説法の仕方である。

たとえば、一日一円の貯蓄で
億万長者になれるぞ、
と言えば誰でも精進すうだろう。

しかし、一日一円で
すぐ長者になれるのでなく、
「塵も積もれば山となる」と同じで、
大変な時間がかかるのである。

あからさまに言えば
怠惰な者は近づかぬから、
あたかも即時に長者に
なれるように説法される。
これを別時意趣という。

称名念仏で直ちに助かるのではなく、
遠生の結縁(おんしょうのけちえん)となって、
いずれの時にか浮かぶ縁となる、
ということである。

これら三師の説は
たちまち仏教界を風靡し
韋提希は権化の菩薩、
念仏往生は別時意趣の方便説、
と『観無量寿経疏』の真意は歪曲され、
凡夫往生の白道はまさに
風前の灯となってしまった。






人間の実相を語る歴史人(利剣即是 弥陀名号)

2011年07月02日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(利剣即是 弥陀名号)

死んで次にどの世界に生まれるかは、
業(行為)によって決まる。

「ろくなタネまきをしていない
 私たちですから、一息切れれば
 必ず三悪道に堕ちていかねば
 ならない一大事が惹起する」

死後、苦しみの世界を迷い
へめぐるのは結果で、
これには必ず原因がある。
現在の私たちの心が五悪趣を
流転しているということだ。

阿弥陀仏に救われた即時に、
現在の心中の五悪趣を
超截することができる。

因が解決されるのだから、
当然結果を引き起こさない。
金輪際、三悪道に迷うことのない
身の上になるのである。

「超」とは一念のこと。
アッという間もない一おもいで
解決できるということである。

「截」とは断ち切るということで
五悪趣(六道)に縛り付けていた
迷いの元凶、苦悩の根元である
無明の闇を打ち破って、
断ち切るということである。

その切れ味は鋭い剣のようなものだから

「利剣即是 弥陀名号」

と、善導大師は仰言る。

阿弥陀仏のお力は
迷いの根元を一念で断ち切る
この世で一番の切れ味のいい
利剣なのである。

「即ち横に五悪趣を超截す」

「阿弥陀仏に救われたなら、
 その時が永の迷いの打ち止めだぞ。
 これは全く阿弥陀如来のお力に
 よってであった。
 無上仏と仰ぎ敬わずにおれぬ」

もちろん、自分一人だけで
黙って喜んでおれる、
ちっぽけな幸福ではない。

親鸞聖人の大自信は、
叫ばずにおれぬ、
伝えずにおれぬ信念と
なってほとばしる。




人間の実相を語る歴史人(人間死んだらどうなるか②)

2011年07月01日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(人間死んだらどうなるか②)

仏教は、後生の一大事に始まり、
後生の一大事に終わると
いわれるが、
この「後生の一大事」が、
弥陀の救いの前と後とで
大きく分かれるのだ。

弥陀に救われた人の
「後生の一大事」を、
蓮如上人はこう教えられている。

「信心決定して、
 その信心の趣を
 弟子にも教えて、
 諸共に今度の一大事の往生を、
 よくよく遂ぐべきものなり」
  (御文章)

平生に弥陀の救いに値って、
皆にもその不可思議の救いの
素晴らしさを伝えて、
ともに弥陀の極楽浄土へ往き、
仏に生まれる一大事を
遂げねばならない。

極悪人の私が、
死ねば弥陀の浄土・無量光明土に往って、
無上のさとりである仏に
生まれるというのだから、
まさに大事である。

一方、弥陀に救われる前の一大事は、
次のように説かれる。

「後生という事は、
 ながき世まで地獄に
 おつることなれば、
 いかにもいそぎ
 後生の一大事を思いとりて、
 弥陀の本願をたのみ、
 他力の信心を決定すべし」
   (御文章)

後生の一大事とは、
未来永く地獄に堕ちて
苦しむことだから、
急いでこの一大事の
解決を心にかけて、
阿弥陀仏の救いを
求めねばならない。

この

「地獄に堕ちて
 永い苦患に沈む」

一大事が、信心決定の一念で、

「弥陀の浄土に
 往って仏に生まれる」

一大事に切り替わる。
回れ右で、百八十度、
大転換するのだ。

蓮如上人はそれを、

「今度の一大事の往生」

と言われている。

「浄土往生間違いなし」

の身になることが、
我々の人生の目的であり、
多生の目的なのである。

それは全く阿弥陀仏のお力に
よってであるから

「聖人一流章」には、

「不可思議の願力として、
 仏の方より往生は
 治定せしめたまう」

とか、

「如来、わが往生を定めたまいし」

と説かれている。

しかも、

「その位を『一念発起・入正定之聚』
 とも釈し」

とあるように、
来世の往生が定まるのは、
平生の一念である。

親鸞聖人は、この一念を

「時尅の極促」

と仰り、時間の極まりと
鮮明に解説されている。

何兆分の一秒よりも短い
極速の一念に、
弥陀の不可思議の本願力によって、
正定聚に入るのだ。

正定聚とは、
さとりの五十二位のうちの
五十一段目、あと一段で
最高無上の仏になれると
いう位である。

この弥陀の救いのすごさを、
親鸞聖人は『教行信証』に、
弥勒菩薩を引き合いに出して
教示なされている。

正定聚の身になるとは、
かの弥勒菩薩と同格に
なるということだ。

しかも弥勒よりも幸せなのは、
弥勒はあと一段上って
仏覚に到達するまでに、
五十六億七千万年も
厳しい修行をしなければならないが、

「念仏の衆生は、
 横超の金剛心を窮むるが故に、
 臨終一念の夕、
 大般涅槃を超証す」
  (教行信証)

弥陀の救いに値った人は、
この世の命が終わると同時に、

「弥勒、お先に御免」

と仏のさとりを開くのである。

弥陀の本願力が、
いかに偉大であるか、
分かるであろう。

阿弥陀仏は、どんな人のために、
このような本願を
建てられたのだろうか。

蓮如上人は、
こう教えられている。

「夫れ、十悪五逆の罪人も
 (乃至)
 空しく皆
 十方・三世の諸仏の
 悲願に洩れて、
 捨て果てられたる
 我ら如きの凡夫なり。
 然れば、ここに
 弥陀如来と申すは、
 三世十方の諸仏の
 本師・本仏なれば、
 (乃至)
 弥陀にかぎりて、
 『われひとり助けん』
 という超世の大願を発して」
  (御文章2帖8通)

十悪・五逆罪を造りづくめの
極悪最下の悪人。
金輪際、助ける縁てがかりのない
大宇宙の一切の仏方から
「救い難き者」
と見捨てられたのが我々である。

そんな者を阿弥陀如来という
諸仏の本師本仏が、
ただお一人

「私が助けよう」

と立ち上がられ、
崇高な願いをかかげられた。

すべての仏から
見放された我々が
お目当ての弥陀の本願で
あることを、親鸞聖人は
『歎異抄』に、

「罪悪深重・煩悩熾盛の
 衆生を助けんがための
 願にてまします」

煩悩の激しい
最も罪の重い極悪人を
助けるために建てられたのが、
阿弥陀仏の本願である。
と感泣なされている。

「自分は十悪・五逆など
 造ってはいない。
 地獄一定の罪人とは
 思えない」

と、阿弥陀仏の本願は
一体どんな、誰の為に
建てられた本願なのか、
分からぬ同行の如何に
多いことか。

人間の実相を語る歴史人(人間死んだらどうなるか)

2011年06月30日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(人間死んだらどうなるか)

我々は悠久の過去より、
六道輪廻を繰り返してきた。
その迷いの打ち止めを
できるのは人間界のみである。

その人間が死んだらどうなるのか。
流転輪廻を繰り返してゆくには
違いないが、
人間死んだらどうなるか。
よく知っておかねばならない。

私たちは、己の行為によって
未来の運命のタネを日々刻々と
造っている。

世の中にいくら背の高い人が沢山いても、
一番高い人はただ一人のように、
沢山の業があっても、
その中で一番重い業は一つしかない。

生涯に造った業の中で最も重い業が、
私たちの死後生まれる世界を決定し、
これを「引業」という。

引業以外の一切の業を「満業」といい、
死後の男女・貧富など、
さまざまな運命を引き起こす。

私たちは、体と口と心で行為をするが、
この身口意の三業の中でも
最も重いのは意業である。

口も体も、つまるところは
心に動かされているにすぎない。

「一人一日のうちに
 八億四千の憶いあり、
 念々になすところ
 これみな三塗の業なり」

「四六時中、心は変わり通しで、
 いろいろなことを思っている。
 そのすべてが他人にはとても言えぬ、
 三悪道に堕ちねばならぬ恐ろしい
 タネまきばかりだ」

と善導大師は懴悔され、親鸞聖人も、

「いずれの行も及び難き身なれば
 とても地獄は一定すみかぞかし」
     (歎異鈔)

「微塵の善もできない親鸞なれば、
 地獄へ堕ちて当然だ」

と、悲嘆なされている。

これは、善導大師や親鸞聖人だけの
ことだろうか。

総ての人間はやがて死んでゆくが、
一息切れると同時に無間地獄へ堕ちて、
八万劫年苦しみ続けねばならぬ
という大事件をいうのだ。

死後の世界を認める人も
認めない人も関係なく、
この一大事から逃れることはできない。

地獄の実在を肯定する人にも、
否定する人にも同じく
この一大事が惹起致する。

経典に釈尊は、

「一切衆生、必堕無間」

と説かれている。

これは、総ての人間は
必ず無間地獄へ
堕ちて苦しむということだ。

後生の一大事の
説かれていない経典はない。

大無量寿経には

「心は常に悪を念い
 口は常に悪を言い
 身は常に悪を行い
 曽って一善の無し」

の十方衆生は
一息切れた後生は

「遠く他所に到りぬれば、
 能く見る者なし。
 善悪自然にして
 行を追うて生ずるところなり。
 窈窈冥冥として別離久しく長し。
 道路同じからずして
 会い見ること期なし。
 甚だ難し、甚だ難し。
 また相値うことを得んや。」

死んで堕ちる地獄とは、

「お前も来たのか、
 俺も来たよ。
 一緒に助け合って
 地獄の苦に耐えてゆこう」

というような世界ではない。
自分の撒いた種が皆違うのだから
堕ちる世界も皆違うのだ。
地獄の寿命が尽きるまで
まさに孤独地獄に
堕つるのだと教えられている。

その地獄の激しさは

「寿終わりて、
 後世にもっとも深く
 もっとも劇(はげ)し。
 その幽冥に入り、
 生を転じて身を受く。
 たとえば王法の痛苦、
 極刑なるがごとし」

死んで堕ちる世界は
この世のどんな苦しみも譬えることが
できない、苦しみの激しい世界である。

と、明らかにされた。

観無量寿経には

「あるいは衆生ありて、
 五戒・八戒および具足戒を毀犯す。
 かくのごときの愚人、
 僧祇物を偸み、現前僧物を盗み、
 不浄に説法す。慚愧あることなし。
 もろもろの悪業を
 もってして自ら荘厳す。
 かくのごときの罪人、悪業をもっての
 ゆえに地獄に堕すべし。
 命終わらんと欲る時に、
 地獄の衆火、一時に倶に至る」

「あるいは衆生ありて、
 不善業たる五逆・十悪を作る。
 もろもろの不善を具せる
 かくのごときの愚人、
 悪業をもってのゆえに
 悪道に堕すべし。
 多劫を経歴して、
 苦を受くること窮まりなからん」

と、全ての人間は十悪・五逆の罪人。
そんな極悪人でありならが
悪を犯しながらも
自分に恥じる心もない、
他人に恥じる心もない
無慚無愧の十方衆生で
みな地獄行き、
と説かれている。

親鸞聖人は教行信証に
最勝王経疏を引用され、

「五逆といふは 
 最勝王経疏によるに
 五逆に二つあり。
 一つには三乗の五逆なり。
 いはく、
 一つにはことさらに思うて
 父を殺す、
 二つにはことさらに思うて
 母を殺す、
 三つにはことさらに思うて
 羅漢を殺す、
 四つには倒見して
 和合僧を破す、
 五つには悪心をもって
 仏身より血を出す。
 恩田に背き、福田に
 違するをもってのゆえに、
 これを名づけて逆とす。
 この逆を執ずるものは、
 身破れ命終へて、
 必定して無間地獄に堕して、
 一大劫のうちに無間の苦を受けん、
 無間業と名づく」
 
と、「一切衆生、必堕無間」の
後生の一大事が説かれている。

「五逆罪を犯していない者も
 いるだろう」

という者に対して、親鸞聖人は

「また下品下生のなかに
 五逆を取りて謗法を除くとは、
 それ五逆はすでに作れり」
  (教行信証信巻)

と、すべての人間、
五逆罪を造っていない人は
一人もいない。
皆、造りづくめであると
断言しておられる。



人間の実相を語る歴史人(光炎王光②)

2011年06月29日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(光炎王光②)

「仏光照曜最大一
 光炎王仏となづけたり
 三塗の黒闇ひらくなり
 大応供を帰命せよ」
  (浄土和讃)

では光炎王光の働きは
どんな働きであろう。

「三塗の黒闇 開くなり」

とあるように、
「三塗」とは迷いの世界、六道の中の
地獄・餓鬼・畜生のことである。
つまり三悪道をいう。

なぜ、諸仏方は阿弥陀仏を
諸仏の王とあがめずにおれないのか。

それは諸仏方の光明が
如何に素晴らしくとも
三悪道までは届かない。
三塗に苦しんでいる人には
届かないのである。

阿弥陀仏の光炎王光だけは
人間界だけではなく、
三塗の世界まで届いているのだ。

全ての生きとし生きるもの
人間に生まれて、仏法を聞かなければ
迷いの世界から出て離れることは
できない。

だから光炎王光の働きは
三悪道に沈んでいる者を
人間界に生まれさせようと
いう働きである。

このような働きのある光明を
持たれた仏は大宇宙でも
阿弥陀仏お一人ですから、
諸仏方は阿弥陀仏のことを

「三世十方の諸仏の
 本師本仏なり」

阿弥陀仏は全ての仏の先生だと
と言われている。

蓮如上人は御文章の二帖目7通に

「それ人間界の生を受くることは
 まことに五戒を持てる功力なり」

と五戒をたもたなければ
人間に生まれることはできないと
教えられている。

五戒とは
・不殺生=生きものを殺さない
・不偸盗=盗みをしない
・不邪淫=邪淫をしない
・不妄語=ウソつかない
・不飲酒=酒を飲まない

しかし、親鸞聖人は

「一切の群生界、
 無始よりこのかた
 今時、今日にいたるまで
 穢悪汚染にして、清浄の心なく
 虚仮諂偽にして、真実の心なし」
  (教行信証)

と、五戒をたもてるような人は
誰一人としていないと
喝破しておられる。

もし、阿弥陀仏の光炎王光の
お育てがなかったならば
とても人間界に生まれることは
できなかったと
述懐しておられるのだ。

そして、人間界に生まれてからも
何とか仏法を聞かせようと
働きかけて下され、、
仏法を聞くようになった人には
三塗の黒闇を破って頂き、
人間に生まれた本懐を果たす
ところまで導いてみせると
いう働きとなって現れるのである。

三塗の黒闇とは
我々を苦悩の根元である
無明の闇のことである。

無明の闇とは、

「死んだらどうなるか分からない、
 死後に暗い心」

をいい、また

「後生暗い心」

ともいわれる。

「後生」とは死後のこと。
「暗い」とはわからないこと。
死後ハッキリしない心を
「後生暗い心」とか
「無明の闇」と
いわれるのである。

「死んでからのことは、
 死んでみにゃわからん。
 つまらんこと問題にするな」

と言いながら、
有るやら無いやらわからない、
火災や老後のことは心配する。

火事にあわない人がほとんどだし、
若死にすれば老後はないのに、
火災保険に入ったり、
老後の蓄えには余念が無い。

「老後のことは老後に
 なってみにゃわからん。
 つまらんこと」

とは、誰も言わないようだ。

火災や老後のことは真剣なのに、
確実な未来を問題に
もしない自己矛盾には、
まだ気がつかないでいる。

「考えたって、
 どうなるもんじゃないよ」

「その時はその時さ」

「そんなこと考えていたら、
 生きていけないよ」

頑固に目を背けさせる死には、
無条件降伏か玉砕か、
大なるアキラメしかないのであろうか。

元気なときは、

「死は休息だ」
「永眠だ」
「恐ろしくない」

と気楽に考えているが、
"いざ鎌倉"となると、
先はどうなっているかだけが
大問題となる。
死後は有るのか、無いのか、
どうなっているのやら、
さっぱりわかっていない、
お先真っ暗な状態なのだ。

この「死んだらどうなるか分からない心」を、
「無明の闇」といい、
また、「後生暗い心」とも
「三塗の黒闇」ともいわれる。

その無明の闇、三塗の黒闇を
破って頂くことが
人生の本懐である。

「仏光照曜最第一、
 光炎王佛と名ずけたり
 三塗の黒闇(疑)ひらくなり
 大応供を帰命せよ」

「無明の闇(疑)を破するゆえ、
 智慧光佛と名ずけたり、
 一切諸佛三乗衆
 ともに嘆誉したまえり」

と教えていられる。

十方三世の諸仏でさえ
手こずって逃げた三塗の黒闇を、
ひらいて下さるからこそ、
その身になるまで導いて
下された阿弥陀仏の光明を
仏光照曜最第一と称讃されるのだ。

だからこそ、一切諸仏や三乗衆も、
本師本仏、諸仏の中の王なりと
嘆誉せずにはおれないのだ。




人間の実相を語る歴史人(光炎王光①)

2011年06月28日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(光炎王光①)

「人身受け難し 今已に受く
 仏法聞き難し 今已に聞く」

その釈尊のみ教えに
親鸞聖人は自己の本当の姿を
知らされた時、

「人間に生まれてこれたのは
 ひとえに阿弥陀仏の光炎王光に
 よるものであった」

と知らされ、御和讃の中で
このように教えておられる。

「仏光照曜最大一
 光炎王仏となづけたり
 三塗の黒闇ひらくなり
 大応供を帰命せよ」
  (浄土和讃)

「仏光」とは阿弥陀仏の光明のこと。
「光明」とは仏様の御念力のことだから、
仏光は阿弥陀仏の私達を幸せにしようと
なされているお働きという。

親鸞聖人は人間に生まれることが
できたのも全て光炎王光の
お働きによるものだと
いうことである。

「仏光照曜最大一」とは
真実の経典である大無量寿経に

「無量寿仏の威神光明は、
 最尊第一にして
 諸仏の光明の
 及ぶこと能わざる所なり」
   (大無量寿経)

とあるように、
大宇宙の仏方の王様であると
仰言っておられる。

続いて、釈尊は本師本仏の
阿弥陀仏の広大なる威徳を
讃嘆し、十二光仏を
教えておられる。

「無量寿仏の威神光明は、
 最尊第一にして
 諸仏の光明の
 及ぶこと能わざる所なり。
 この故に無量寿仏、無辺光仏、
 無礙光仏、無対光仏、
 炎王光仏、清淨光仏、
 歓喜光仏、智慧光仏、
 不断光仏、難思光仏、
 無称光仏、超日月光仏
 と号けたてまつる。
 それ衆生ありて、
 この光に遇う者は
 三垢消滅して身意柔軟に、
 歓喜踊躍して善心生ず。
 若し、三塗勤苦の処に在りて、
 この光明を見たてまつれば
 皆休息するを得て、
 また苦悩なく、
 寿おわりて後、
 皆解脱を蒙らん。
 われ無量寿仏の
 光明威神の巍々とし
 殊妙なるを説かんに
 昼夜一劫すとも
 尚未だ尽くすこと能わじ」
  (大無量寿経)

と十二光仏を列挙せられて
讃仰し釈尊にして
なお説きつくすことが
出来ぬ神秘の光耀であると
説かれている。

また、大阿弥陀経には

「諸仏の中の王なり、
 光明の中の極尊なり、
 光明の中の最明無極なり」
  (大阿弥陀経)

と光明で阿弥陀仏に及ぶ仏は
おられないことを
明らかにしておられる。

イタリアの国の童話に
こんな話がある。

或る山の一軒屋に
ローソクが自分程
明るいものはなかろうと
自慢していた。

そこへランプが
フラリと降りて来て
同じように威張った。

そこへ電気が遊びにきて
俺こそ一番だろうと
自惚れると、ローソクもランプも
光を失って、電気の前に
平身低頭した。

やがて東の空から
太陽が顔を出した。
あたりは薄明るくなって来た。

「あれは何万觸光の
 電気だろう」

と驚いていると
太陽が一切の闇を破って
光明界としたので
ローソクもランプも電気も
一切が光を失って
暗くなった。
自慢話は絶えた。

闇に対すれば
ローソクは明るいし
ローソクに対すれば
ランプは明るい。
ランプに対すれば
電気はもっと明るいのは
事実である。
これを相対という。

しかし、一度太陽という
絶対の光が東天に輝くと
諸光は絶対の光に
映奪(えいだつ)されて
皆んなが暗いというより
外はないことになる。

大宇宙のガンジス河の
砂の数ほどの諸仏方も
どんなに素晴らしい光明を
持っておられたとしても
それはローソクやランプ
電気のようなものである。

何万本のローソクを燃やし、
世界中の電灯を燈しても
太陽の光には
遠く及ばないのである。

阿弥陀仏の無量光の前には
どんな仏方の光明も遠く
及ばないのである。

だから全ての仏方は
阿弥陀仏を本師本仏と
崇めずにおれないのだ。

光明の中の王様であるから
阿弥陀仏を「光炎王光仏」と
呼ばれるのである。



人間の実相を語る歴史人(人身受け難し 今已に受く)

2011年06月27日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(人身受け難し 今已に受く)

人間、誰でも

「私達はどうして人間に
 生まれてきたのか。
 犬や猫、魚や昆虫に
 生まれることなく、
 なぜ、人間に生まれたのか」

と考えたことがあるだろう。

仏教では

「人身受け難し 今已に受く」

と人間に生まれることは
甚だ難しいと
教えられている。

どれほど難しいことなのか。

ある時、釈尊が
阿難というお弟子に、

「そなたは人間に
 生まれたことを
 どのように思っているか」

と尋ねられた。

「大変喜んでおります」

と阿難尊者が答えると、
釈尊は次のような話を
されている。
今日、「盲亀浮木の譬え」と
いわれているお話だ。

「果てしなく広がる海の底に、
 目の見えない亀がいる。
 その盲亀が、百年に一度、
 海面に顔を出すのだ。
 広い海には一本の丸太棒が
 浮いている。
 丸太棒の真ん中には
 小さな穴がある。
 その丸太棒は風のまにまに、
 西へ東へ、南へ北へと
 漂っているのだ。
 阿難よ。百年に一度、
 浮かび上がるこの亀が、
 浮かび上がった拍子に、
 丸太棒の穴にひょいと
 頭を入れることが
 あると思うか」
 
聞かれた阿難は驚いて、

「お釈迦様、そんなことは
 とても考えられません」

と答えると、

「絶対にないと言い切れるか」

釈尊が念を押されると、

「何億年かける何億年、
 何兆年かける何兆年の間には、
 ひょっと頭を入れることが
 あるかも知れませんが、
 無いと言ってもよいくらい
 難しいことです」

と阿難が答えると、

「ところが阿難よ、私たちが
 人間に生まれることは、
 この亀が、丸太棒の穴に
 首を入れることが有るよりも、
 難しいことなんだ。
 有難いことなんだよ」

と釈尊は教えられている。

「有難い」とは

「有ることが難しい」

ということで、
めったにないことを言う。
 
人間に生まれることは、
それほど喜ばねば
ならないことだと、
釈尊は教えられている。

七高僧の御一人、源信僧都は
横川法語の中で
人間に生まれたことを喜びなさい
と断言されている。

「まづ三悪道を離れて人間に生るること、
 大きなる喜びなり。
 身は卑しとも畜生に劣らんや。
 家は貧しくとも餓鬼に勝るべし。
 心に思うことかなはずとも
 地獄の苦に比ぶべからず。
 この故に人間に生れたることを喜ぶべし」

この喜びはどこから湧き出てくるのだろう。

「まず三悪道を離れて人間に生まれたる
 こと大きなるよろこびなり」

三悪道とは地獄界、餓鬼界、畜生界
のことである。

人間に生まれ、どれだけ卑しい身分と
さげすまれても、その人は飼い犬を
「この畜生が」と
叱っている。

どんなに貧しい家に生まれても、
餓鬼界のガキのように
食べることも飲むこともできないと
いうことはない。
何かを食べて、飲んで生きている。

どんなに人間関係に苦しんで
地獄のようだといっても
本当の地獄と比べたら、
苦にもならない。

しかし、これは下の者を見て、
これよりはマシだろうというような
退廃的な考えを言われているのではない。

人間でしかできないことがある。
畜生、餓鬼、地獄の世界では
できないこと。
それは仏法を聞くことである。

生まれがたい人身を受けた私たち。
では、その唯一の聖使命とは、
何なのか。それこそ、
真実の仏法、
阿弥陀仏の本願を聞信し、
魂の解決をするということ。

これを仏教では信心決定という。

しかもこのようなことは
何億年に一度しかめぐって来ない
絶好のチャンスなのだ。

これを千載一遇のチャンスという。

覚如上人は、「報恩講式}に

「弟子、四禅の線(いとすじ)の端に
 たまたま南浮(なんぶ)人身の針を貫き、
 広海の浪の上に、まれに西土仏教の
 査(うきぎ)にあえり。」

と書いておられる。

弟子(私は)受けがたき人身を受け、
さらに聞きがたき仏教に
出遇うことができた。

つまり今生において
聞くべきことを聞けた
という喜びが表明されている。

人身を受けること、
そして仏教を聞くことは、
計り知れないくらい高いところ
(地上から十番目の天界・四禅天)
から糸を垂らし、
この地上に置いた針の穴を
通すようなものだと表現されている。

地球上でいえば、
エベレスト山の頂上から
糸を垂らし、ふもとにある針の穴に
通すようなものである。
これは不可能に近い。

それ以上に
仏法を聞く身になったことは
難しい中の難しいことであり、
喜びの中の喜びなのだ。