人間の実相を語る歴史人(法然上人の見られた夢告)
法然上人は、43歳の時に
善導大師が『仏説観無量寿経』
を解釈された『観無量寿経疏』の
一文により、
数あるお釈迦様の教えの
中から本願念仏一つを選びとられ、
専修念仏の教えを
確立された。
善導大師は、『観経疏』の最後に
「この観経の要義を出して、
古今を楷定せんと欲す。
(中略)
一句一字加減すべからず。
写さんと欲するものは、
もつぱら経法のごとく
すべし、知るべし」
(観無量寿経疏)
と、一字一句たりとも
おろそかにせず、
この書物を書き写すときは
仏のみ教え、すなはち、
「経法」と同じように
しなければならない
と述べられている。
その善導大師を法然上人は
如何に敬っておられたか、
『選択本願念仏集』の末尾に、
「唐では、善導は
阿弥陀仏の化身である
と言い伝えられている。
そうであるならば、
『観経疏』は
阿弥陀仏の直説である」
と書いておられる。
法然上人は善導大師を
阿弥陀仏の化身と
崇めておられるのだ。
それまでは、厳しい修行
戒律をまもる聖道の教え、、
悟りの道をきわめるのが
お釈迦様以来の仏道で
あると思われていた。
しかし、この道は一部の男の
エリート僧にしか
実践できない道でもあった。
では、他の人々の救いは
どうするのか。
十方衆生の救済は
弥陀の本願念仏しかないことを
法然上人は善導大師の
『観無量寿経疏』を通して
明らかにされた。
法然上人が自身の
専修念仏の根本奥義を
明らかにした
『選択集』を完成した直後、
建久9年5月1日の夜、
はるかに時間と空間を
隔てた二人の始祖、
善導大師と法然上人が
法然上人の夢をかりて
宗教的交感を遂げた時、
二人の間で交わされた。
その夢のシーンは
『法然上人絵伝』七巻に
この上なく美しく
幻想的に描かれているだけでなく、
『西方指南書』の中で
「法然聖人夢想記」
として感動的に語られている。
ある夜、法然上人は夢を見られた。
「やがて、この雲の中より、
墨染め衣をまとった僧が現れ、
法然のところに降りてきた。
よく見れば上半身は
墨染めの衣をまとい、
下半身は金身であった。
法然は、合掌し、
あなたは誰ですかとたずねた。
僧は答えた。
『我はこれ善導なり。
汝、専修念仏の法を
ひろむる故に、
証とならんが為に
来たれるなりと』」
(法然上人御夢想記)
と記されている。
この夢告により、
善導大師と法然上人は
共に選択本願念仏のみが
全ての人が救われる
たった一本の道であることを
明らかになされたのである。
法然上人は、43歳の時に
善導大師が『仏説観無量寿経』
を解釈された『観無量寿経疏』の
一文により、
数あるお釈迦様の教えの
中から本願念仏一つを選びとられ、
専修念仏の教えを
確立された。
善導大師は、『観経疏』の最後に
「この観経の要義を出して、
古今を楷定せんと欲す。
(中略)
一句一字加減すべからず。
写さんと欲するものは、
もつぱら経法のごとく
すべし、知るべし」
(観無量寿経疏)
と、一字一句たりとも
おろそかにせず、
この書物を書き写すときは
仏のみ教え、すなはち、
「経法」と同じように
しなければならない
と述べられている。
その善導大師を法然上人は
如何に敬っておられたか、
『選択本願念仏集』の末尾に、
「唐では、善導は
阿弥陀仏の化身である
と言い伝えられている。
そうであるならば、
『観経疏』は
阿弥陀仏の直説である」
と書いておられる。
法然上人は善導大師を
阿弥陀仏の化身と
崇めておられるのだ。
それまでは、厳しい修行
戒律をまもる聖道の教え、、
悟りの道をきわめるのが
お釈迦様以来の仏道で
あると思われていた。
しかし、この道は一部の男の
エリート僧にしか
実践できない道でもあった。
では、他の人々の救いは
どうするのか。
十方衆生の救済は
弥陀の本願念仏しかないことを
法然上人は善導大師の
『観無量寿経疏』を通して
明らかにされた。
法然上人が自身の
専修念仏の根本奥義を
明らかにした
『選択集』を完成した直後、
建久9年5月1日の夜、
はるかに時間と空間を
隔てた二人の始祖、
善導大師と法然上人が
法然上人の夢をかりて
宗教的交感を遂げた時、
二人の間で交わされた。
その夢のシーンは
『法然上人絵伝』七巻に
この上なく美しく
幻想的に描かれているだけでなく、
『西方指南書』の中で
「法然聖人夢想記」
として感動的に語られている。
ある夜、法然上人は夢を見られた。
「やがて、この雲の中より、
墨染め衣をまとった僧が現れ、
法然のところに降りてきた。
よく見れば上半身は
墨染めの衣をまとい、
下半身は金身であった。
法然は、合掌し、
あなたは誰ですかとたずねた。
僧は答えた。
『我はこれ善導なり。
汝、専修念仏の法を
ひろむる故に、
証とならんが為に
来たれるなりと』」
(法然上人御夢想記)
と記されている。
この夢告により、
善導大師と法然上人は
共に選択本願念仏のみが
全ての人が救われる
たった一本の道であることを
明らかになされたのである。