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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑫大石内蔵助の十三年間)

2011年06月16日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑫大石内蔵助の十三年間)

かの大石内蔵助が、
播州(兵庫県)赤穂藩の
家老をつとめていたころである。

城下の町人の中に、
赤穂で塩を造ったら、
おおいに藩の財政を
潤すだろうと
考えた者がいた。

そこで同志を帯同して、
家老大石に面会し、

「赤穂藩のためにぜひ、
 ご許可を」

と懇願した。

こまかい彼らの申請を、
つぶさに聞いていた大石は、
やがてこう答えている。

「なるほど、その方らの
 考えは大変おもしろい。
 よく検討したうえ、
 沙汰しよう」
 
おそくとも三ヵ月か
半年中には、
認可されるだろうと、
町人らは鶴首して
待っていた。

が、一年たっても
二年たっても、
なんの音さたもない。
光陰矢のごとし、
はや五年の歳月が流れた。

「大石さまも、
 わかったような顔を
 していても、
 なにもわからないものだ」
 
一同あきらめて、
忘れかけていた十三年目、
ようやく呼び出しがかかった。

「十三年前、その方らが、
 製塩の許可を願い出た
 ことを覚えているか。
 あの話を聞いたときから、
 よい発想とは思ったが、
 よくよく考慮したところ、
 問題があったのだ。
 まず、塩を煮るには薪がいる。
 薪をたくには木を
 切らねばならぬ。
 多くの樹木を切ると
 山がはだかになる。
 はだかの山に
 大雨が降ってみよ。
 たちまち洪水だ。
 大洪水になれば田畑は
 メチャメチャ。
 農業の荒廃は一藩の荒廃じゃ。
 そう気がついたので、
 あれから十三年、
 植林に尽力してきた。
 もうそろそろ木を
 切り出しても、
 山がはだかになる
 心配はなくなった。
 よって、その方らの
 製塩事業を許可する。
 おおいに城下が潤うよう、
 つとめてもらいたい」
 
後日、四十六士を結集し、
いくたの困難を乗り越えて、
みごと、主君の恨みを晴らす、
大石内蔵助の智慮の
周到さを、ここでも、
かいま見ることが
できるようだ。





人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑪「名君」吉良上野介)

2011年06月15日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑪「名君」吉良上野介)

吉良上野介は、
「名君」でもあった

吉良上野介は、
映画やドラマでは
悪人の典型のように
描かれているが、
領地の三河(愛知県)では、
必ずしもそうではない。

江戸城で、上野介が
斬られたという知らせは、
いち早く三河へ伝えられた。

『新編忠臣蔵』(吉川英治著)には、
領民が、驚きと悲しみで、
上野介の容態を案じる場面がある。

「人は知らず、
 わしらが御領主は、
 わしらにとっては
 親のように思うて
 いるのじゃ。(中略)
 矢作平の水害を
 治せられたり、
 莫大な私財を投じて、
 鎧ヶ淵を埋め立てて
 良田と化し、
 黄金堤を築いて、
 渥美八千石の百姓を、
 凶作の憂いから救い、
 塩田の業を
 お奨めあそばすなど、
 どれほど、民の生活に、
 心を労せられたお方か
 知れぬのじゃ。
 その他、上野介様の
 御代になってからは、
 寺の荒れたるは繕い、
 他領のような
 苛税は課せず、
 貧しきには施し、
 梵鐘を鋳て久しく
 絶えていた時刻の鐘も
 村になるようになった程じゃ……」

このように、領民が
上野介を慕う気持ちから
生まれたのが、
愛知県に江戸時代から
続く民芸品「吉良の赤馬」
であるという。

上野介は、治水事業や
新田開発に力を注ぎ、
領内を巡回していた。
その時に乗っていた
赤毛の馬をかたどったものである。

世間じゅうが悪人と
非難しようが、地元では、
「赤馬」のいわれを
語り継ぎ、今も、
上野介を「名君」と
たたえている。

「あんな悪いことをした
 吉良上野介には、
 悪い結果ばかり
 起きるはず」

と決めつけるのは
間違いである。

善い行為があれば、
それ相応の善い結果が
現れて当然であろう。

反対に、世間じゅうから
善人だ、りっぱな人だ
といわれている人でも、
もし人知れず
悪い行為があれば、
やがて、それ相応の
悪い結果が現れるはずだ。

因果応報である。

一つ一つの行為に応じて、
善、悪、それぞれの結果が、
寸分の狂いもなく、
私たちの身の上に起きるのである。

果たして、
自分の未来は、
明るいのか、暗いのか。

それは、今日1日、
どういう心掛けで
過ごすかで、
大きく変わってくる。

幸せをつかむには、
少しでも悪を慎み、
善いことをしようと
努力していくことが
大切である。





人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑩赤穂浪士の討ち入り)

2011年06月14日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑩赤穂浪士の討ち入り)

松の廊下の刃傷事件は、
広く世間に知れ渡った。

上野介は、自分を
悪者のように言う声が
多いことに腹が立ち、
「高家」を辞職。
家督も孫の義周に譲り、
自宅に引きこもるようになった。

そのうえ、

「赤穂の浪人は、
 必ず、主君の敵を
 討つだろう」

といううわさが、
まことしやかに
流れていた。

世間じゅうが

「吉良を、早く殺せ!」

と叫び、芝居でも
見るように、

「まだか、まだか」

と成り行きを楽しんで
いるようにさえ感じる。

これは、実に恐ろしい。

上野介にしてみれば、
いつ自宅に殺人鬼が
刃物を振りかざして
襲ってくるか分からない、
という心境だ。

一時として、
心の安まることのない
日々が一年九カ月も
続いた揚げ句、

元禄15年(1702)
12月14日の深夜、
ついに47人の赤穂浪士が、
屋敷へ向かったのである。

戦闘は2時間近くも続き、
吉良方は17人が斬り殺され、
20数人が負傷した。

上野介は、がたがた震えて、
台所の近くの炭部屋に
隠れていた。

しかし、明け方に
なって発見され、
首を斬られたのである。

赤穂浪士は、数人が
軽傷を負っただけで
全員無事だった。

上野介の白髪首を、
槍の柄に結びつけ、
意気揚々と隊列を
組んで引き上げていく。

それを見て江戸の人々は、

「やった!」

「ついに、やってくれた!」

と拍手喝采し、
赤穂浪士の快挙に
沸き立ったという。

上野介にとっては、
これほど残酷な最期は
ないだろう。

まさに、自業自得というべきか。

それだけではない。

吉良家は、幕府の命に
よって取りつぶされた。
赤穂浪士の襲撃を
防げなかった責任を
問われたのである。

吉良家の当主・義周は
流罪に処せられ、
間もなく病死。

浅野家に続いて吉良家も、
断絶したのである。






人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑨「怒り」は連鎖する)

2011年06月13日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑨「怒り」は連鎖する)

武家社会のルール

「喧嘩両成敗」

を、完全に無視したため、
批判が続出。

中でも、浅野の旧家臣が、
黙って従うはずがない。

赤穂城は、騒然とした。

城代家老・大石内蔵助の元に
事件の第一報が届いたのは、
3月19日の明け方であった。
内蔵助は、藩士に
総登城を命じた。

非常事態の中で、
約200人の藩士を
激昂させたのが、

「上野介が生きている」

という事実であった。

「なんと不公平な!」

「亡君の無念を晴らさずして、
 武士と言えるか」

「仇討ちだ!」

激しい怒りがぶつかり合う。

そもそも、この事件は、
ささいなプライドを
傷つけられた吉良上野介の
「怒り」が発端だった。

それが浅野内匠頭の
「怒り」を誘い、
江戸城で刃を抜かせたのだ。

今また、将軍・綱吉の「怒り」が、
赤穂浪士の義憤という名の
「怒り」に火をつけた。

「怒り」は連鎖する。

誰かが、どこかで
止めなければ、
不幸は拡散し続ける一方である。

「一緒に腹を
 立てないようにしよう」

とは、どちらかが
怒りの心を抑えたならば、
大喧嘩という悲劇は
起こらないからだ。

では、罪を免れた吉良上野介は、
何か得をしたのか。

「おとがめなし」

と聞いた時は、
ほっとしただろう。

しかし、それは
人間の裁きである。

人間が、どう言おうが、
因果の道理は曲げられない。

まいたタネは必ず生える。

それが善いタネ(行為)ならば
善い結果、
悪いタネ(行為)ならば
悪い結果が、自分の
身の上に現れるのだ。

遅いか、早いかの
違いだけである。







人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑧怒りが生み出した不公平な裁決)

2011年06月12日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑧怒りが生み出した不公平な裁決)

浅野内匠頭は、
落ち着いていた。

事件直後の
取り調べに対して、
一切、言い訳をしていない。

「上野介に、
 いかなる恨みがあったのか」

と問いただされても、

「何の弁明もございません。
 重大な不始末を犯し、
 恐れ入っております。
 このうえは、
 定められた処罰を
 お受けする以外に、
 お詫びの言葉も
 ございません」

と言うだけであった。
上野介の悪口は、
一言も語らなかった。

りっぱである。

やはり大石内蔵助ら、
四十七士に慕われるほどの
人物であったのだ。

そんな人格者でさえ、
怒りの炎に焼かれると、
身を滅ぼしてしまうところに、
人間の危うさがある。

吉良上野介の
傷は浅かった。

しかも、尋問に対して、
立て板に水を
流すように答えた。

「内匠頭が、私に
 どんな恨みを抱いたのか、
 全く身に覚えはありません。
 今度の役目では、
 私が指南役として
 示した好意に、
 礼を言われる覚えこそあれ、
 刃物で斬りつけられるとは
 夢にも思いませんでした。
 内匠頭は、
 驚くべき乱暴者です。
 私は、場所柄をわきまえて、
 一切、抵抗せずに
 避けようとした結果、
 背中にまで傷を負いました。
 面目もございませんが、
 不慮の災難と申すものは、
 まことに避け難い
 ものでございます……」

まさに、世渡り上手な
弁舌である。

将軍・徳川綱吉は激怒した。

この年は、5代将軍綱吉の
母桂昌院(お玉の方)へ
従一位が贈呈される年で、
将軍綱吉も

「粗相のなきように」

と言明した。

勅使を招いた
大切な儀式を、
ぶち壊されたのである。

しかも、犯人は、
自らが饗応役に
任命した人物であった。

怒りに燃える綱吉は、
ろくに調べもせずに、
浅野内匠頭に、
即日、切腹を命じた。

もちろん、御家断絶、
赤穂5万3000石は没収である。
多くの家臣が路頭に
迷う結果となった。

対する吉良上野介には、
何のおとがめもなし。

「大切に傷の養生を
 するように」

といたわって
自宅へ帰すという
寛大な処置であった。

この不公平な裁決は、
綱吉の「怒り」が
生み出した過ちであった。



人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑦瞋恚の恐ろしさ)

2011年06月11日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑦瞋恚の恐ろしさ)

「怒り」の心を、
消すことができれば、
どんなに楽だろうか。

ちょっとした言葉や
態度が気に障り、
カリカリする。

我慢できるうちはいいが、
爆発すると大変だ。
人間関係だけでなく、
一生を台なしにするほどの、
恐るべき破壊力を持っている。

だが、我々は、
その恐ろしさに
気づいていない。

仏教で怒りを瞋恚という。

瞋恚は世間では「しんい」といい、
仏教では「しんに」と読む。

意味は激しく怒ることである。

怒りはどこから起こるのか、
自分の欲が妨げられた時、
怒りの心が燃え上がる。

怒った時、身も心も
正に赤鬼だ。

瞋とは目が真剣になって
いるということだ。
今の言葉で言えば

「目がマジになっている」

といったところだろう。

「私はどんなことにも
 真剣になれません」

という人がいるが、
本当だろうか。

人間、怒った時の
真剣さは異常だ。

顔を赤らめ、
目は血走り吊り上っている。
歯を食いしばり、
うなり声が今にも聞こえそう。
どんな美人でも
見られたものではない。

恚とは心の上に
土2つのではなく、
心の上に炎が燃え
上がっている状態をいう。

腹が立つとか、
瞋恚の心で燃え上がると
いうのはこの心をいうのである。

瞋恚の炎に燃え上がった時は
知識も教養も学問も役に立たない。
全て焼き尽くしてしまう。

怒りは無謀に始まり、
後悔におわるものだ。

これ以上、自分が
悲劇の主人公に
ならないためにも、
『忠臣蔵』を教訓としたい。





人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑥松の廊下の刃傷事件)

2011年06月10日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑥松の廊下の刃傷事件)

3月14日、勅答の儀の当日。
浅野内匠頭は色々な
迷いが生じた。

「勅答の儀の日の礼服は
 烏帽子大紋なのか
 長裃でいいのか」

吉良に尋ねると

「長裃でいいのでは」

との返事、長裃で登城すると
みな、烏帽子大紋ではないか。

やはり吉良がまた嘘を教えた。
しかし、それを予感していた
浅野の家臣はもしかの場合と
烏帽子大紋を用意してあったので
事なきを得た。

内匠頭の

「吉良め」

の怒りの心はますます
燃えてきた。

間もなく勅使が
玄関に到着する
時刻になって、
浅野内匠頭は、
礼儀作法に迷いが生じた。
慌てて吉良上野介を探し、

「お迎えする時、
 玄関の中でお待ちして
 礼をすれば
 よろしいでしょうか。
 それとも外で
 礼をすればよろしい
 のでしょうか……」

と尋ねた。

上野介は、冷ややかな
目つきで、

「この期に及んで
 何を言い出すのか。
 そんなことさえ
 知らずに大任が
 務まると思っているのか。
 あきれたうろたえ侍だ」

と言い捨てて、
向こうへ行ってしまった。
質問には答えないのだ。

内匠頭は、全身の血が
煮えくりかえる
思いがしたが、
場所柄をわきまえて、
ぐっと抑えていた。

そこへ、大奥からの
使者・梶川与惣兵衛が、

「浅野殿は、
 いずこにおわしますか」

と言って駆けてきた。
儀式後の、打ち合わせの
ためである。

すると、横から
上野介が声をかけた。

「梶川殿、
 大事な用件ならば、
 私に言ってもらいたい。
 手違いばかり
 起きて困っているのじゃ。
 作法一つわきまえぬ
 田舎侍に、何が分かろうか」

正装した諸大名が
集まっている所で、
あざ笑ったのである。

内匠頭は、これ以上の
恥辱に耐えられなくなった。
突然、脇差しを抜いて、

「おのれ! 上野っ」

と斬りつけた。

「わっ!」

額を両手で押さえ、
松の廊下に、
上野介はうつ伏せに倒れた。

だが、すぐに必死に
立ち上がり、
逃げようとする。

そこを内匠頭の二の太刀が、
肩から背にかけて
浅く斬り下げ、
赤い血が霧のように
噴き出した。

しかし、そこまでだった。

内匠頭は、背後から、
梶川に抱き止められたのである。

「誰だ、放してくれ!」

「なりませぬ! 
 ご乱心めされたか」

「ああっ、仕損じたわ、
 残念じゃ。
 内匠頭、乱心はいたさぬ、
 それがしも、
 5万3千石の城主、
 乱心はせぬ!」

午前11時ごろの、
突発的な出来事であった。

これが、江戸城を揺るがした、
刃傷事件のあらましである。





人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑤うぬぼれが引き起こす大事件)

2011年06月09日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑤うぬぼれが引き起こす大事件)

3月14日、江戸城で、
将軍と勅使が対面する
大事な日を迎えた。

浅野家の家臣たちは、
目に涙をためて、
登城前の内匠頭に進言する。

「あと3日のご辛抱で
 ございます。
 何とぞ、ご堪忍
 あそばされますように……」

「よう言ってくれた。
 案じてくれるな。
 吉良は、取るに
 足らぬ俗人じゃ。
 人だと思うから腹が立つ。
 虫けらと思っているのじゃ。
 赤穂の城には、
 まだまだ多くの
 愛すべき家臣がいるのに、
 何で、吉良の老いぼれと、
 それとを、取り替えようぞ。
 分かっておる、もう言うな」

内匠頭は、上野介のことを
「虫けら」と言った。

相手を見下さないと
心が楽にならないのだろう。
だが、これを

「堪忍」とか「忍耐」と

呼べるだろうか。

吉良を「虫けら」と
見下げる心は、

「自分だけは
 誠を尽くしている」

と、うぬぼれている心である。
そんな状態で、
うまくいくはずがない。

心の中で、相手を
切り刻む行為は、
恐ろしいタネまきだ。

因果応報。

その悪いタネ(因)は、
どんなに小さなもので
あっても、
必ず悪い報い(果)を
引き起こす。

上野介には、
上野介のタネまきに
応じた結果が、
厳然と現れる。

しかし、それは他人のこと。

重要なのは、
自分のことである。
確かに相手が悪い。
しかし、そんな相手の
言葉や態度に反応して、
怒りや恨みの心を
起こしたら、どうなるか。
自分のまいたタネは、
自分が刈り取らねば
ならないのだ。

内匠頭自身が、

「これ以上、
 怒りの心を燃やしたら、
 どんな悪果が
 現れるか分からない」

と恐れ、少しでも
慎む心を持つことが
できていれば、
浅野家、吉良家を
不幸のどん底に
突き落とす大悲劇は、
起きなかったであろう。




人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士④増上寺の畳事件)

2011年06月08日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士④増上寺の畳事件)

3月12日。浅野家は、
増上寺の掃除を行った。
勅使の参詣に備えるためである。

壁、障子、襖、天井洗いなど、
夕刻までに、すべてやり終えた。

ふと、誰かが、

「畳は?」

と言った。

すると家老が答える。

「畳替えをすべきか、どうか、
 吉良殿にお伺いしたところ、
 『正月に替えたばかりだから、
  そこまでしなくてもよい』
 というお指図であった」

昨日の、精進料理の一件もある。
不安を感じた家臣が、
別の大名の持ち場へ行ってみると、
青畳のにおいが、
ぷーんとするではないか。
すべて新しく替えられている。

寝耳に水を浴びせられた内匠頭は、

「またしても、上野介め、
 だましおったか。
 今宵のうちに、手配せい」

と命じた。

家臣たちは、

「こんな時は、金の力だ」

と、現金を懐に入れて、
畳職人を集めるために
江戸じゅうを走り回った。
畳は2百数十枚もある。
武士も職人も区別はなく、
夜を徹しての涙ぐましい努力が
続けられた。

明けて3月13日。
増上寺の検分に来た上野介は、

「かねて、内匠頭殿は
 裕福だと聞いていたが、
 一夜のうちに、
 これだけの畳を
 替えられたとは、
 さすがだ。
 何事も、金銀さえ
 惜しまなければ、
 物事は、うまく運ぶ
 ものでござるよ」

と、皮肉交じりに褒めたてた。

果たして、上野介の
嫌がらせだったのか、
言い間違いだったのか。

それとも浅野家側の
聞き誤りだったのか……。

いずれにせよ、
徹夜で作業した人たちが、
目の前にいるのだ。
なぜ、一言でも、
労をねぎらう言葉が
出ないのだろうか。
こういう思いやりのなさが、
ますます人間関係を
悪化させていくのである。

内匠頭は、怒りと
憎しみがわいてきて、
夜も眠れない。

眠ろうとすれば、
吉良の顔が浮かんでくる。
笑いながら人を責め、
偉そうに批評する声が、
耳鳴りのように
聞こえてくるのであった。





人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士③ 一度、悪感情を抱くと)

2011年06月07日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士③ 一度、悪感情を抱くと)

悪い感情を抱くと、
ささいなことでも、
悪いほうへ、悪いほうへと
考えてしまう

間もなく、内匠頭自身が
吉良家を訪れ、
師匠に入門する弟子のように、
慇懃な礼をとって
指導を仰いだ。

上野介は、

「こいつは、
 それほど愚鈍な男とも
 見えない。
 もしや指南料のことは
 知っていながら、
 口先でごまかして、
 出さずに済ませようと
 いうずるい手口かもしれない」

と、かえって
邪推するようになった。

一度、悪い感情を抱くと、
ささいなことでも、
悪いほうへ、悪いほうへと
考えてしまうから恐ろしい。

3月11日。いよいよ
勅使一行が、
江戸に到着する日を迎えた。

浅野家の家臣にも
緊張が走っている。

接待初日の朝、
昼食の準備を
しているところへ、
吉良家から使いが来て告げた。

「しかとは分からぬが、
 本日は、勅使には
 ご精進日のように
 承っておるゆえ、
 料理には魚鳥類、
 お用いなきように……」

内匠頭は、愕然とした
顔色になった。

料理は、3日も前から厳選し、
丹誠込めて作って
きたものばかりだ。
今さら変更できるわけがない。
時間がない。

それでも大急ぎで、
精進料理の支度を始めた。
台所には、戦場のように
包丁が光る……。

「精進日というのは
 真っ赤なうそだ!」

と判明したのは、
勅使の行列が
到着してからであった。

「吉良の狸め、
 何か含むところが
 あるに違いない」

と、浅野の家臣は
怒りをぶつける。

内匠頭は、予定どおりの
料理を出すことができ、
ほっとして、
常と変わらない表情で
勅使に挨拶を述べていた。