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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

人間の実相を語る歴史人(過慢)

2013年05月07日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(過慢)

「過慢」とは、同じ程度の相手なのに、
自分の方が優れていると威張る心をいう。

テストの点数が同じだったのに、
「本当はオレの方が上なのだ」
と自惚れる心だ。

大学に入学すると
一度はサークルに入る。
その歓迎会の自己紹介。

「僕は前期は○○大学を受けたのですが、
 後期でこの大学に来ました」

という学生をよく見る。
知らず知らずの内に、

「同じ大学に入っていても
 俺はお前達とは違う。
 本当はもっと上の大学でも
 入れる実力があって、
 こちらに来たんだ。」

という自分の方が優れていると
思いたいのだろう。

これが過ぎたる慢「過慢」である。

女性でも友達をよく見たらいい。
大体、器量も勉強もスポーツも
同じような子を友達にする。

しかし、仲が良くても心の中では

「確かに、器量も勉強も
 色々な面で同じかもしれないが、
 私は料理のことだけは、
 あの子には負けないわ。
 結婚は私の方が断然有利よ。
 必ず、いい人と結ばれる筈よ」

と淡い期待を持ち続ける。

「過慢」とも知らずに自惚れる。



人間の実相を語る歴史人(慢)

2013年04月30日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(慢)

最初の「慢」は、自分よりも劣った相手を
情けない奴だとバカにする心のこと。

テストの点数でいうと、
自分は八十点で相手は七十点とすると、
「どうだ、オレの方が上だろう」
と相手を見下げる心である。

そう思うのは当然ではないかと
思われるかも知れない。


「年寄りを笑うでないぞ、
 行く道じゃ。
 子供を叱るでないぞ
 来た道じゃ」

若者が年寄りの仕草を見ていると
何をもたもたしているかと
馬鹿にしたくなる。
同じことを何度もいう親に
呆れ変えて笑うしかない。
しかし、笑うなよ。
俺も後、何年かで笑われる身に
なるのだから。

じゃ、子供を見ていると
勉強もせずにゲームばかりに
没頭しているのを見て、
将来が危ぶまれる。
つい、小言がでる。
「ゲーム機、取り上げるぞ」
しかし、俺の若い頃は
勉強もせずに将棋、囲碁、
高校ではマージャンに
はまっていたか。
叱れぬな。

今の自分より劣っている人を
見ると、つい馬鹿にする心が
吹き出てしまう。
そう思うのは当然ではないかと
思われるかも知れないが、
相手を踏みつけている恐ろしい心なのだ。




人間の実相を語る歴史人(七慢)

2013年04月29日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(七慢)

自分で自分を正しく見る。
これは不可能に近い。

なぜなら、人間は自惚れ心の塊であるからだ。

仏教を求める人が最後まで苦しむのは、
自惚れ心の「慢」だといわれる。

仏教では、自惚れ心を「慢」という。
自分を良いものと思い、
毛頭自分を悪く見れない心だ。

その自惚れ心を、仏教では七つに分けて
「七慢」といわれる。

①慢  -自分より劣った人を馬鹿にする。

②過慢 -自分と同等の人にも、
 ホントは俺の方が上と自惚れる。

③慢過慢-自分より優れている相手にも、
     色々理由をひっぱりだして、
     本当は俺の方が上と自惚れる。

④我慢 -自分の間違いに気付きながらも押しとおす。

⑤増上慢-覚ってもないのに覚ったと自惚れる。

⑥卑下慢-自分ほど頭の低いものはないと自惚れる。

⑦邪慢 -うぬぼれる値のないことを自惚れる。

の七つである。
これら七つの自惚れ心から、
私たちはもう離れることができない。

どのように自惚れているのか。
実生活を振り返りながら反省してみよう。




人間の実相を語る歴史人(有頂天から始まる地獄 久米の仙人が落ちたわけ)

2013年04月28日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人6(有頂天から始まる地獄 久米の仙人が落ちたわけ)
 
大和の国に、久米寺という古い寺がある。
次のような因縁が『徒然草』に記されている。
 
昔、久米という仙人が雲に乗って、
大空を自在に飛び回っていた。
飛行機もない時代だから、
さぞかし愉快なことであったろう。

ある日の昼さがり、得意満面の彼は、
雲間から下界を見おろした。
広い大和平野に、
一条の川が静かに流れている。

その川に天女を思わせるきれいな娘が、
だれに見られる心配もない気楽さから、
おもいきり腰巻をまくりあげ、
内股広げて、鼻唄まじりで
陽気に洗濯しているのを、
見てしまったのだ。

相当の修行を積んでいた
仙人ではあったが、こんな、
なまめかしい姿態をみてはたまらない。

ついムラムラと、出してはならぬ
妄念がわきあがった。

と同時に、たちまち神通力を失って、
ドスンと雲間から転落して、
二度と空を飛ぶことができなくなった。

仙人はそこに寺を造り、
仏道修行に打ちこんだという。
これが久米寺の伝説である。

いくら仙人といっても、
人間が雲に乗って自在に
空が飛べるはずがない。

これは慢心をあらわしたものであろう。
 
慢心ほど危険なものはない。
オレはもう仙人のさとりを
開いているのだ、
おまえらはなんだと、
他を見さげる心。

オレは金持ちじゃ、
財産家じゃ、
博士じゃ、
学者じゃ、
社長じゃ、
会長じゃ、
美人じゃと、

他人を見下し、ばかにする。

敗戦前の日本もそうだった。
神国日本は世界の盟主とうぬぼれ、
外国を併呑して、その主になろうとした。
 
その結果は惨敗で、
地獄に墜落したことは、
天下周知の事実である。
人は山のてっぺんに登ることはできるが、
そこに永く住むことはできない。

地獄は有頂天から始まることを、
ユメ忘れてはなるまい。




人間の実相を語る歴史人(トルストイの最期)

2013年04月26日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(トルストイの最期)

モスクワから南へ焼く300キロのところに、
小さな駅がある。
そこの駅長官舎で、1910年11月20日の朝、
長い白ヒゲをはやした老人が死んだ。
急性肺炎だった。
この老人、実は10日前に家出して、
汽車に乗ったが、車中で発熱したので、
しかたなく途中下車したのである。

現在、ここはレフ、トルストイ駅と呼ばれている。
その名の通り、この老人こそ、
ロシアの文豪トルストイである。

文学の最高傑作といわれる『戦争と平和』や
『アンナ・カレーニナ』の作者として有名だが、
その世界的な名声のほかに、大地主の伯爵であり
愛妻と沢山の子や孫に恵まれていた。

およそ人間として望みうるかぎりの
幸福な環境で余生を過ごすことことが
できたのに、82歳の高齢で突然
何もかも捨てて家出し、その挙句の果て、
野たれ死に同様に死んだのである。

家出の原因は、財産をめぐる妻との争いだった。
彼が「余分な富をもつこと罪悪である」と
いう宗教的な思想を抱くようになったのは、
50歳のころからだった。

貴族階級の偽善的な生活を非難し、
作家の仕事さえ、虚名を求める
非生産的な遊びさと疑いだした。

そして、全財産を放棄し、
広い領地は貧しい農奴たちに
分配してやり、
自分は額に汗して働く一農民に
なろうと決心したのである。

大文豪であり、大富豪であるトルストイが
一農民になろつと決意したことは
妻にとっては破滅を意味していた。

大勢の召使いにかしずかれていた伯爵夫人が
無一文の裸になって放りだされるのだ。
当然、彼女は猛烈に反対し、
夫の馬鹿げた考えをやめさせようと、
必死になった。

狂言自殺を図って脅したりしたので、
さすがのトルストイもほとほと困った。
心情的には妻を愛して頂けに、
理想と現実とのジレンマは深かった。

彼はその苦悩を日記に書いている。
「こんな生き方を続けていくことはできない。
 妻のいるところは空気まで毒されている」

そのくせ、妻のヒステリーが怖くて、
なかなか自分の信念を実行する
踏ん張りがつかないまま、
ずるずると貴族生活を送っていたので、
彼の思想に共鳴する崇拝者達は、
そんな彼の言行不一致を激しく非難した。

そこで思案の末、土地を妻と子供に分配し、
形の上だけでも自分は一人、
私有財産を持たないことにして、
さらに小説の著作権まで公開しようとしたので、
夫人はまた鉄道自殺を試みて抵抗する。

こんな家庭内の争いが、なんと30年間も続いたが、
ついに彼の忍耐が爆発する時がきた。

ある真夜中、ふと目が覚めてみると、
寝室の隣の書斎に明かりがついていて、
妻が机の引き出しを物色しているのが見えた。
彼女は夫が全財産を放棄する遺言状を
書いてはいないかと、こっそり調べていたのだった。
その姿を見て、トルストイはむしょうに腹が立ち、
発作的に家出を決意したのである。

家出を決意したトルストイは
妻に気付かれないように支度をし、
住み込みの主治医を連れて、
まだ夜の明けないうちに、
あわただしく馬車で出発した。

「自分の生涯の最後の日々を孤独と静寂の中で
 過ごすために、俗世を去るのだ。
 私の居場所が分っても
 迎えにこないでほしい」
これが妻への書き置きだった。

いく当てはなかったが、
とりあえず妹のいる修道院へいくことにして、
汽車に乗ったが、あいにく満員だったので、
吹きさらしのデッキに座った。
寒いロシアの初冬である。
80歳すきの老人が
こんな無茶な旅をすれば、
風邪を引くのは目に見えている。

妹のところに3泊したが、
妻に追跡されそうだったので、
再び南へ行く汽車に乗った時、
とうとう高熱を発してダウンし、
途中下車したところの駅長の家で
寝込んでしまったのである。

「文豪トルストイ、倒れる」
のニュースは、たちまち世界中に報道されて、
この寒村の駅に新聞記者たちが
押しかけてくると、
憲兵隊は警戒の目を光らせた。
帝政ロシアの腐敗した政治を
批判し続けていたトルストイは、
革命を扇動する危険人物として、
当局から睨まれていたのだ。

トルストイが倒れたことを
聞きつけた夫人と子供達は
特別列車でやってきたが、
彼は夫人との対面は頑なに嫌がった。

彼女一人、待避線の列車の中で、
じりじりしながら待たされた。

やっと面会の許しが出たときは、
すでに彼は人事不省におちいっていた。

「真実、私は真実を愛している。
 もう誰にも邪魔されないように、
 どこかへ出かけよう。
 私をそっとしておいてくれ」
と、長男の耳元で、
うわごとをつぶやいたのが、
トルストイの最後の言葉だった。

むしろ同情されるのは、夫人のほうである。
彼が残した名作のほとんどは、
彼女が何度も言行を清書したものである。
その献身的な愛情を裏切られ、
13人の子供を産んだ家庭の幸福も破壊されて、
しかも最期の看病さえ拒否されたのだ。

48年間も連れ添った妻にとって、
こんなムゴイ仕打ちがあるだろうか。

彼の死後わずか7年にして、
ロシアは共産革命がおきて、
夫人があれほど必死に護ろうとした
伯爵家の財産は、たった1日で
消滅したのである。

人間の実相を語る歴史人(トルストイの煩悶と絶望)

2013年04月25日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(トルストイの煩悶と絶望)

トルストイは「人生の意義は何か」
という煩悶から、
あらゆる分野に解答を求めたが、
努力はやがて悉く失望に
変化してしまった。

まず実験科学は?

「それらの知識、それらの学問は、
 人生問題をはじめから
 無視しているのである。
 彼らは言う。
 君がいかなるものであるか、
 何のために君が生きているのかと
 いう疑問に対して、
 われわれは解答を持っていない。
 われわれはそういうことを
 研究していないのだ。」

そして西洋哲学は?

「哲学は、我とは何か、 
 全世界とは何かという疑問に対して、
 すべてである、そして皆無である
 と答え得るばかりであり、
 また何故にという疑問に対しては、
 その点は知らないと
 答えることができるだけである」

哲学から何を学び得るか、
せんじ詰めれば次のようになると
トルストイは語っている。

「すなわち、私の人生の意義は何か?
 そんな意義なんてものは何もない。
 わが生活からいかなるものが
 生まれて来るか。
 何にも生まれて来ない。
 何故に存在するところの
 すべてのものが存在するのか、
 またこの私は存在するのか。
 存在するから存在するのだ。
 こういう解答しか得られないことを、
 私はさとり得たのだった」
 
トルストイに見えてきた結論は
恐るべきものだった。

「人生は無意味な悪の連続である、
 これは疑う余地のない厳然たる事実だ」
 
「理性の支配する知識は、
 人生が無意味であるという認識に
 私を導いた」
 
人生は無意味である、
と絶望したトルストイは、
しばしば自殺の衝動にかられている。

「私は全力を集中して、
 生から脱却しようと志した。
 自殺という考えが、
 きわめて自然に湧き起って来た」
 
トルストイは西洋哲学のあらゆる文献を、
彼の地位と財力で集められるだけ集め、
それを約十年の歳月を費して
調べ尽くしたのである。

しかしその中から彼の、
人生の意義に関して
研ぎすまされた頭脳を
満足させるだけの解答を
引き出すことはできなかったのである。





人間の実相を語る歴史人(トルストイと人間の実相との出会い)

2013年04月24日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人3(トルストイと人間の実相との出会い)

トルストイは世界的大文豪である。
その彼が驚嘆した喩えが
仏説譬喩経の「人間の実相」である。

人間の姿を喩えた話は
世界に数あれど、これほど人間の
ありのままの姿を喩えた話は
つくることができないと
トルストイは絶賛した。

「古い東洋の寓話の中に、
 草原で怒り狂う猛獣に
 襲われた旅人のことが語られている。
 猛獣から遁れて、
 旅人は水の涸れた古井戸の中へ
 逃げ込んだ。
 が、彼はその井戸の底に、
 彼をひとのみにしようと思って
 大きな口をあけている
 一ぴきの竜を発見した。
 そこでこの不幸な旅人は、
 怒り狂う猛獣に一命を
 奪われたくなかったので、
 外へはい出ることもできず、
 そうかと言って、
 竜に食われたくもなかったので、
 底へ降りて行くこともできず、
 仕方がなくて、
 中途のすき間に生えている
 野生の灌木の枝につかまって、
 そこにかろうじて身を支えた。
 が、彼の手は弱って来た。
 で彼は、井戸の上下に
 自分を待っている滅亡に、
 まもなく身をゆだねなければ
 ならないことを感知した。
 それでも彼はつかまっていた。
 とそこへさらに、
 黒と白との二ひきの鼠が
 ちょろちょろとやって来て、
 彼のぶらさがっている
 灌木の幹の周囲をまわりながら
 これを齧じりはじめたのである。
 もうじき灌木はかみ切られて、
 彼は竜の口へ落ちてしまうに違いない。
 旅人はそれを見た。
 そして自分の滅亡が避け難い
 ものであるのを知った。
 が、しかも彼は、
 そこへぶら下がっている
 そのわずかな間に、
 自分の周囲を見まわして、
 灌木の葉に蜜のついているのを
 見いだすと、いきなり
 それを舌に受けて、
 ぴちゃりぴちゃりと嘗めるのである。 

「私もまたこの旅人のように、
 私を牙にかけようと思って
 待ち構えている死の竜の
 避け難い事を知りながら、
 生の小枝につかまっているのだ。
 そして私は、何でそんな苦悩の中へ
 落ち入ったかを知らないのだ。
 私もまたいままで自分を
 慰めてくれた蜜を嘗めてみる。
 が、その蜜はもうこの私を
 喜ばせてくれない。
 そして白と黒との二ひきの鼠は、
 日夜の別なく、
 私のつかまっている
 生の小枝をがりがりと齧じる。
 私はまざまざと竜の姿を
 まのあたり見ている。
 だから蜜ももう私には
 甘くないのである。
 私の見るのはただ一つ、
 避け難い竜と鼠だけである、
 そして私は彼らから目を
 そらすことができないのだ。
 これは決して単なる作り話ではない。
 まさしくこれは真実の、
 論じ合う余地のない、
 すべての人が知っている真理なのだ」

トルストイは人間の実相を知る機会が
ありながら、人生の目的を知り、
その達成の道を知ることはできなかった。



人間の実相を語る歴史人(トルストイの人生の普遍的意義の探求)

2012年12月11日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(トルストイの人生の普遍的意義の探求)

三十代後半のトルストイに何が起こったか。

「五年前から、何やらひどく、
 奇妙な状態が、時おり私の内部に
 起るようになって来た。
 いかに生くべきか、
 何をなすべきか、
 まるで見当がつかないような懐疑の瞬間、
 生活の運行が停止してしまうような瞬間が、
 私の上にやって来るようになったのである。
 そこで私は度を失い、
 憂苦の底に沈むのであった。
 が、こうした状態はまもなくすぎさり、
 私はふたたび従前のような生活を続けていた。
 と、やがて、こういう懐疑の瞬間が、
 層一層頻繁に、いつも同一の形をとって、
 反復されるようになって来た。
 生活の運行が停止してしまった
 ようなこの状態においては、
 いつも何のために?
 で、それから先きは?と
 いう同一の疑問が湧き起るのであった」

トルストイは
「何のために生きるのか」
人生の普遍的意義の探求を始めたのだ。

彼が半生をかけて打ち込んだ
芸術は人生の目的であったのか。
自身の輝かしい文学的業績に
ついて語っている。

「私の著作が私にもたらす
 名声について考える時には、
 こう自分に向って反問せざるを
 得なくなった。
 よろしい、お前は、ゴーゴリや、
 プーシキンや、シェークスピヤや、
 モリエールや、その他、
 世界中のあらゆる作家よりも
 素晴らしい名声を得るかも知れない。
 が、それがどうしたというんだ?
 これに対して私は何一つ
 答えることができなかった。
 この疑問は悠々と答えを
 待ってなどいない。
 すぐに解答しなければならぬ。
 答えがなければ、生きて行くことが
 できないのだ。
 しかも答えはないのだった」
 
人生とは如何なるものか。

「今日、でなければ明日、
 疾病が、死が、
 私の愛する人々の上へ、
 また私の上へ、襲いかかって
 来るであろう、現にいくどか
 襲いかかって来たのである。
 そして、腐敗の悪臭と蛆虫のほか、
 何物も残らなくなってしまうのだ。
 私の行為は、それがどのような
 行為であろうとも、
 早晩すべて忘れられてしまい、
 この私というものは、
 完全になくなってしまうのだ。
 それなのに、何であくせく
 するのだろう? 
 どうして人はこの事実に
 目をつぶって生きて
 行くことができるのか?
 実に驚くべきことだ! 
 そうだ、生に酔いしれている間だけ、
 われわれは生きることができるのだ。
 が、そうした陶酔から醒めると同時に、
 それがことごとく欺瞞であり、
 愚劣な迷いにすぎないことを、
 認めないわけには行かないのだ!
 つまり、この意味において、
 人生には面白いことや
 おかしいことなど何にもないのだ。
 ただもう残酷で愚劣なだけなのである」


人間の実相を語る歴史人(世界の大文豪トルストイの懴悔)

2012年12月09日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(世界の大文豪トルストイの懴悔)

世界的名作を書いた文豪トルストイ。
1862年に34歳で18歳の女性ソフィアと結婚し、
これ以降地主としてヤースナヤ・ポリャーナに
居を定めることになる。
夫婦の間には9男3女が生まれた。

幸福な結婚生活の中で書かれたのが、
世界文学史上に残る傑作『戦争と平和』と
『アンナ・カレーニナ』である。

前者はナポレオン軍の侵入に抗して戦う
ロシアの人々を描いた歴史小説であり、
500人を越える登場人物が
リアリズムの手法によって
みな鮮やかに描き出されている。

後者は当時の貴族社会を舞台に
人妻アンナの不倫を中心に描く
長編小説である。

世界的名声を得たトルストイだったが、
『アンナ・カレーニナ』を書き終える頃から
人生の無意味さに苦しみ、
自殺を考えるようにさえなる。

精神的な彷徨の末、
宗教や民衆の素朴な生き方にひかれていった。

世界的名作を書いた文豪トルストイに
『懺悔』という哲学論文がある。

内容は「人は何のために生きるか。人生の意義」
についてである。

三十代後半に『戦争と平和』を書き、
世界的名声をほしいままにした彼は、
それから四十代後半に至るまで、
約十年の歳月をかけて
この問題と真剣に取り組んだ。

その間の思索内容を発表したのが
『懺悔』である。

当時、ロシア政府はこの書の
青少年に与える影響を考慮し、
直ちに発売禁止の処分を
とったとのことであるが、
それ程、露骨な、赤裸々な告白であった。

最初に書かれていたものは
思想家に対する懐疑であった。

「これらの人々、つまり、
著作における私の同僚達、
 の人生に対する見解は、
 こうであった。
 一般に人生は伸展しつつ
 進んでいくものである。
 そしてその伸展において
 主要な役割りを演ずるのは
 われわれ思想家であり、
 その思想家の中でも主要な感化力を
 持っているのはわれわれ芸術家、
 詩人である。
 世人を教え導く、
 これがわれわれの使命である。
 こういうのが彼らの人生に
 対する見解であった。
 そして、私は何を知っているか、
 何を教えることができるか?
 という、きわめて自然な疑問が
 自分に対して起って来ないようにするため、
 この理論の中に、
 そんなことなど知る必要はない、
 芸術家や詩人は無意識のうちに
 教えて導いているのだ、
 ということが表明されてあった。
 私は素晴らしい芸術家であり
 詩人であると自認していたから、
 この理論を自分のものにしたのは、
 きわめて自然な成り行きだった。
 私は、芸術家であり詩人である私は、
 何を書くべきかを
 自分で知らずに書きまくり、
 何を教えるべきかを知らずに、
 ただいたずらに教えていた。
 そして私はそれに対して
 金銭の報酬を受けていた」
 
トルストイによれば、思想家、詩人とは
実は何も知らない代物なのである。
彼らが言ったり、
書いたりすることはみな
金銭と名声を得るためである。




人間の実相を語る歴史人(仏説譬喩経)

2012年12月08日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(仏説譬喩経)

『仏説譬喩経』の中に
釈尊は給孤独園に於いて
大衆の中で勝光王に向かって
次のような説法をなされている。

「王よ、それは今から幾億年という
昔のことである。
 ぼうぼうと草の生い茂った、
広々とした果てしのない昿野、
しかも木枯らしの吹く
 淋しい秋の夕暮れに、
 独りトボトボと歩いてゆく
 一人の旅人があった。
 
 ふと旅人は急ぐウス暗い野道に
 点々と散らばっている白い物を
 発見して立ち止まった。

 「これは一体何だろう」
 と一つの白い物を拾い上げて
 旅人は驚いた。
 それはなんと人間の白骨ではないか
 「どうして、こんな処にしかも
  多くの人間の白骨があるのだろうか」
 と不気味な不審をいだいて考えた。
 
 間もなく旅人は前方の闇の中から
 異様な唸り声と足音を聞いた。
 
 驚いた旅人は前方を凝視すると、
 はるか彼方から飢えに狂った
 見るからに獰猛な大虎が
 自分をめがけてまっしぐらに
 突進して来るではないか。
 
 旅人は瞬時に白骨の意味を知った。
 自分と同じくこの昿野を通った人達が
 この虎の為に喰われていったのだ。
 
 そして自分もまたそれと
 同じ立場にいるのだ。
 
 「これは大変」
 旅人は無我夢中で今来た道へ
 と突っ走った。
 所詮、人とトラとのかけっこ
 勝てるはずがない。
 旅人が猛虎の吐く恐ろしい鼻息を
 身近に感じて、
 「もう駄目だ」
 と思った時である。
 
 どう道を迷ったのか
 断崖絶壁の頂上で
 ゆきづまってしまった。
 
 途方に暮れた彼は
 幸いにも断崖に一本の樹が
 生えていて、その樹の根の方から
 一本の藤蔓が垂れ
 下がっているのに気がついた。
 
 旅人は、その藤蔓を伝って
 ズルズルと下りたことは言うまでもない。
 文字通り九死に一生を得た旅人は
 ホッとして頭上を仰ぐと
 猛虎はすでに断崖の上に
 立ちせっかくの餌物を逃したので
 如何にも無念そうな面持ちで吠えながら
 ジーと見下ろしているではないか。

 「ヤレヤレこの藤蔓のおかげで助かった。
  一先ずは安心」
 と眼を足下に転じた時である。
 旅人は思わず口の中でアッと叫んだ。
 足下は底の知れない深海の怒涛が
 絶壁を洗っているではないか。
 それだけではない。
 その波間から三匹の毒龍が
 大きな口を開け紅い焔を吐いて
 自分の落ちるのを
 待ち受けているではないか、
 旅人は余りの恐ろしさに
 再び藤蔓を握りしめて
 身震いした。
 
 しかし旅人は稍て空腹を感じて
 周囲に食を求めて眺め廻した。
 
 その時である。
 
 旅人は今までよりも、
 もっともっと驚くべきことを
 発見したのである。
 
 「見よ!!藤蔓の元の方に
  白と黒の二匹のネズミが
  現れ交々、旅人の命の綱である
  藤蔓を一生懸命に
  噛っているではないか」
 
 旅人の顔は蒼ざめ歯は
 ガタガタと震えて止まらない。
 だがそれは続かなかった。
 
 それは、この樹に巣を
 造っていた蜜蜂が
 甘い五つの蜜の滴りを
 彼の口におとしたからである。
 
 旅人は忽ち今までの
 恐ろしさを忘れて
 陶然と蜂蜜に心を
 うばわれてしまったのである」

釈尊が、ここまで話されると
王は驚いて

「世尊よ、何と恐ろしいことでしょう。
 それ程危ないところに居ながら
 旅人はなぜ五滴の蜜位に、
 そのおそろしさを
 忘れるのでしょうか。
 アキレた人ではありませんか」

「王よ、聞かれるがよい。
 これは一つの譬である。
 私は今からそれが何を
 教えているか詳しく話そう」

と仰有って我々人生の実相
を説示なされている。