迦葉尊者④(拈華微笑 ねんげみしょう)
「拈華」は花をひねること。
「花をひねりて微笑する」ということ。
釈迦が霊鷲山(りょうじゅうせん)で弟子たちに
仏法を説かれた時、金波羅華(金色の蓮の花)を
ひねって見せると
弟子達はその意味を理解できず沈黙していた。
ただ一人、迦葉だけがその意味を悟って微笑んだので
釈迦は彼だけに仏法の真理を授けたと仰言った。
禅宗ではこれを「以心伝心・不立文字」といい、
釈迦は、迦葉が言葉で表せない仏教の奥義を
理解できる者として、彼に仏法の奥義を授けたことから
迦葉を禅宗の祖とあがめている。
真理というものは言葉を離れたものであるから、
言葉を使わず、心から心へ伝えること。
また、伝えることができることとしている。
言葉を離れた真実である(離言真如)が、
言葉によらなければ、誰にも伝えることは
できない。(依言真如)
ここに釈尊を初め、善知識方の大変なご苦労が
あったことは決して忘れてはならない。
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「拈華」は花をひねること。
「花をひねりて微笑する」ということ。
釈迦が霊鷲山(りょうじゅうせん)で弟子たちに
仏法を説かれた時、金波羅華(金色の蓮の花)を
ひねって見せると
弟子達はその意味を理解できず沈黙していた。
ただ一人、迦葉だけがその意味を悟って微笑んだので
釈迦は彼だけに仏法の真理を授けたと仰言った。
禅宗ではこれを「以心伝心・不立文字」といい、
釈迦は、迦葉が言葉で表せない仏教の奥義を
理解できる者として、彼に仏法の奥義を授けたことから
迦葉を禅宗の祖とあがめている。
真理というものは言葉を離れたものであるから、
言葉を使わず、心から心へ伝えること。
また、伝えることができることとしている。
言葉を離れた真実である(離言真如)が、
言葉によらなければ、誰にも伝えることは
できない。(依言真如)
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