ラゴーラ尊者②(釈尊の子供へのご教導)
ラゴーラは喜んで、父である釈尊の仏足を
タライの水で清めた。
ラゴーラが洗い終えた時、釈尊はラゴーラに対して、
「ラゴーラよ、お前はその水が飲めるか」
と尋ねられた。
「え、飲めません。汚れています。」
とラゴーラが答えると、
「お前もこの水のようなものだ、水は元来美しい。
私の子でありながら道を励まず、心も清めぬ。
汚れた水のようだ。」
と釈尊は戒められた。
次に、その水を捨てさせた後、
「お前はこのタライに食べ物を入れて食べる気になるか。」
「なりません。手足を洗う水を入れましたから。」
「お前もそのタライのようなもの。出家の身でありながら
口にマコトなく、徳を修める気もない。
不浄の水を入れたようなものだ。
人の心の糧を入れるわけにはゆかぬ。」
ラゴーラには釈尊に返す言葉がなかった。
釈尊はさらにタライを蹴飛ばされた。そして、
「お前はタライがどうなったか、気になるか。
壊れたかなと思ったか」
「あ、いいえ。粗末なものですから、あまり気になりません。」
「お前もこのタライのようなもの。
僧でありながら言行を慎まず、人を悩ませる。
結果は誰にも愛されず、惜しまれもしない。
勿論、悟りは開けず、迷いに迷うこと、あのタライの如し」
ラゴーラはこれほど父を厳しく恐ろしく思ったことはなかった。
ラゴーラはその時、心を入れ替えようと決心した。
同じことを言っても聞いてもらいる人ともらえない人がいる。
言行を慎んで、心の器を磨かねば、自分の話は聞いてもらえない。
仏法は全ての人の心の糧。
仏法を話す者。求める者は特に自分の徳を
磨いてゆかねばならない。
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タライの水で清めた。
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「ラゴーラよ、お前はその水が飲めるか」
と尋ねられた。
「え、飲めません。汚れています。」
とラゴーラが答えると、
「お前もこの水のようなものだ、水は元来美しい。
私の子でありながら道を励まず、心も清めぬ。
汚れた水のようだ。」
と釈尊は戒められた。
次に、その水を捨てさせた後、
「お前はこのタライに食べ物を入れて食べる気になるか。」
「なりません。手足を洗う水を入れましたから。」
「お前もそのタライのようなもの。出家の身でありながら
口にマコトなく、徳を修める気もない。
不浄の水を入れたようなものだ。
人の心の糧を入れるわけにはゆかぬ。」
ラゴーラには釈尊に返す言葉がなかった。
釈尊はさらにタライを蹴飛ばされた。そして、
「お前はタライがどうなったか、気になるか。
壊れたかなと思ったか」
「あ、いいえ。粗末なものですから、あまり気になりません。」
「お前もこのタライのようなもの。
僧でありながら言行を慎まず、人を悩ませる。
結果は誰にも愛されず、惜しまれもしない。
勿論、悟りは開けず、迷いに迷うこと、あのタライの如し」
ラゴーラはこれほど父を厳しく恐ろしく思ったことはなかった。
ラゴーラはその時、心を入れ替えようと決心した。
同じことを言っても聞いてもらいる人ともらえない人がいる。
言行を慎んで、心の器を磨かねば、自分の話は聞いてもらえない。
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