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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

ラゴーラ尊者②(釈尊の子供へのご教導)

2009年04月05日 | 釈迦十大弟子
ラゴーラ尊者②(釈尊の子供へのご教導)

ラゴーラは喜んで、父である釈尊の仏足を
タライの水で清めた。

ラゴーラが洗い終えた時、釈尊はラゴーラに対して、
「ラゴーラよ、お前はその水が飲めるか」
と尋ねられた。
「え、飲めません。汚れています。」
とラゴーラが答えると、
「お前もこの水のようなものだ、水は元来美しい。
私の子でありながら道を励まず、心も清めぬ。
汚れた水のようだ。」
と釈尊は戒められた。

次に、その水を捨てさせた後、
「お前はこのタライに食べ物を入れて食べる気になるか。」
「なりません。手足を洗う水を入れましたから。」
「お前もそのタライのようなもの。出家の身でありながら
口にマコトなく、徳を修める気もない。
不浄の水を入れたようなものだ。
人の心の糧を入れるわけにはゆかぬ。」
ラゴーラには釈尊に返す言葉がなかった。

釈尊はさらにタライを蹴飛ばされた。そして、
「お前はタライがどうなったか、気になるか。
壊れたかなと思ったか」
「あ、いいえ。粗末なものですから、あまり気になりません。」
「お前もこのタライのようなもの。
僧でありながら言行を慎まず、人を悩ませる。
結果は誰にも愛されず、惜しまれもしない。
勿論、悟りは開けず、迷いに迷うこと、あのタライの如し」

ラゴーラはこれほど父を厳しく恐ろしく思ったことはなかった。
ラゴーラはその時、心を入れ替えようと決心した。
同じことを言っても聞いてもらいる人ともらえない人がいる。
言行を慎んで、心の器を磨かねば、自分の話は聞いてもらえない。
仏法は全ての人の心の糧。
仏法を話す者。求める者は特に自分の徳を
磨いてゆかねばならない。


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ラゴーラ尊者①(釈迦の実子)

2009年04月04日 | 釈迦十大弟子
ラゴーラ尊者①(釈迦の実子)

出家前の釈尊とヤショダラ姫との間に生れた子。
それがラゴーラであった。
成道跡、帰郷した釈尊によって出家させられ、
20歳で具足戒を受けた。
釈迦の子というので特殊な眼でみられがちであったが、
よくその分をわきまえて、制戒を守り、
十大弟子の一人に数えられるようになった。

とにかく二代目は駄目になりがちである。
釈尊の
実子ラゴーラも沙門となっていたが、
誰からも強く叱られない為に、いたずらばかりしていた。
舎利弗に落書きをして困らせたり、
お釈迦様が竹林精舎にお出かけなのに、
阿難には霊鷲山(リョウジュセン)だと言って
平気でウソをついて、みんな手をやいていた。
それを聞かれた釈尊、「そのまま放置しておくわけにはいかぬ。」
と仰って、ラゴーラのもとへ行かれた。



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迦葉尊者⑫(アショカ王 仏典結集を決意)

2009年04月04日 | 釈迦十大弟子
迦葉尊者⑫(アショカ王 仏典結集を決意)
 
堪忍の袋によって、夫婦の絆を護れた家来は
貴重な体験と共に堪忍の袋を王に献上したのである。
するとアショカ王。

「よくぞ、素晴らしい宝を見つけてきた。
 この堪忍の袋、お前には千金か、万金かもしれぬが、
 私には大変な宝だ。
 王が怒れば、隣の国と戦争になり、何千、何万の若者が
 戦死し、その家族も泣くであろう。
 それもたった一時の怒りからだ。
 この堪忍袋、億金、兆金に値する」

と大変喜ばれ、これが釈迦の金言と知るや。
厚い仏法の外護者となったのである。

その後、貴重な仏典がまだ、
結集(けつじゅう)されていないことを知り、
仏典を後世に残すことが
今までの罪の償いとともに、
真実を知らされたご恩返しになると
仏典結集を決意した。
これが有名なアショカ王の
第2回仏典結集である。


堪忍の袋の教訓がなければ
成し得なかった素晴らしい業績では
なかろうか。

「堪忍のなる堪忍は誰もする
       ならぬ堪忍、するが堪忍」

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迦葉尊者⑪(アショカ王 家来の堪忍袋の実践)

2009年04月03日 | 釈迦十大弟子
迦葉尊者⑪(アショカ王 家来の堪忍袋の実践)

家来が愛する妻のいる家に戻ると
昼なのにカギがかかり、家の中からは
妻と誰かの話し声が聞こえる。

「俺がこんなに苦労している時に、あいつは浮気を
していたのか」
妻の裏切りに激怒した家来は刀を抜き、家の中に
暴れこもうとした。

その時だった。
刀を抜こうとしていた手にポンと当たるものがあった。
あの首にかけていた堪忍袋だ。

急いで袋の中をのぞいた。
「怒りの心が起きた時、」 
今がその時だ。

「怒りのままに行動するのではなく」
このまま行動すれば、家の中に入って、妻も浮気相手も
惨殺することは間違いない。

「数を数えよ」
家来は怒りながらも数を数えはじめた。
「イチ、畜生、俺がこんなに苦労して帰ってきたのに」
「ニイ、あいつ、誰と浮気をしているのか」
「サン、シイ」
と数えている内に大分、心が落ち着いてきた。

「怒りの出所を考えよ」とある。
そこで思惟した。

「あいつが浮気したからだ。」
「でもまだ浮気したかどうか確証はないぞ」

「しかし昼にカギをかけ、ひそひそ話はおかしいでは
 ないか」
「でも誰と話をしているか、分からないじゃか」

そうだ、刀を抜くのは相手を確かめてからでも遅くないと、
家来は抜きかけた刀を鞘にもどした。

そして、平常心を取り戻し、家の中に入ってみて、驚いた。
夫を待ちわびて妻が大病にかかり、実家の母がその看病に来て、
娘をなぐさめていたではないか。

家来はつくづく思った。
怒りのままで行動していたら、大変なことになっていた。
最愛の妻を殺していただろう。殺さなくても二人の間に
取り返しのつかない亀裂が生じたに違いない。
この堪忍の袋、私にとって千金どころか万金、億金に値した。

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迦葉尊者⑩(アショカ王 堪忍の袋値千金)

2009年04月02日 | 釈迦十大弟子
迦葉尊者⑩(アショカ王 堪忍の袋値千金)

しばらくして店の主人が持ってきたのは、首からかける袋で
中には紙切れが入れてある。
読んでみると、
「長く慮(おもんばか)りて、諦(あきらか)に思惟せよ。
 まさににわかに怒りを行うべからず。
 今日用いずといえども
 たまたま、まさに用ゆる時もあるべし」
と記されていた。

簡単にいうと、こうなるだろう。

怒りの心が起きた時、
そのまま行動するのではなく、
数を数えて、時間をとって、
怒りがおさまるまで動くな。
そして、少し心が落ち着いたら、
怒りの出所を考えよう。
それから行動しても遅くはないぞ。
堪忍の袋、値千金

といったところだろう。

家来は宝物を早く王様に献上しようと
帰りを急いだ。
城に赴く前に愛妻にあっておきたいし、
身支度を整えてからと思い、家に帰ってみた。


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迦葉尊者⑨(アショカ王 必要な宝)

2009年04月01日 | 釈迦十大弟子
迦葉尊者⑨(アショカ王 必要な宝)

昔、インドにアショカ王(阿育王)という名君がいた。
王様は金に恵まれ、財産、地位や名誉、家族にも
不自由はしていなかった。
ところが心が恵まれていなかったのだ。
ある日、王は家来に命じた。
「この世の中で最も必要な宝を天下に求めよ」
すると、一人の家来が「私に」と喜んで命を受けた。
彼は新婚まもなく、この宝を見つけ、出世して
新妻を喜ばせようと考えたのである。

宝探しの旅にでかけたが、王様を満足させるような
至宝を見つけることは困難を極めた.
何しろ、金や宝石は充分に所持している王だ。
国中探しても見つからず、年月が過ぎ去ってゆく。
家に残した最愛の妻のことが気にかかる。

そんなある日。
ある町の骨董屋の前を通り過ぎようとすると、
気になる看板が目に入った。

「堪忍の袋、値千金」

どんな値のある物かと、店に入り、店主にたずねた。
「堪忍の袋、値千金とあるが、そんなに価値のあるものか」
すると主人、
「ハイハイございますとも、使い方によれば千金にも万金にも
値します」
「それならば買い求めよう」
と大枚千金を投じて、堪忍袋を買うことに決めた.

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迦葉尊者⑧(第2回経典結集・アショカ王)

2009年03月31日 | 釈迦十大弟子
迦葉尊者⑧(第2回経典結集・アショカ王)

経典の結集は迦葉らの手で行われたが
1回では終わらなかった。

その経典結集に大いに貢献したのが
インドのマウリヤ朝の第3代の王、アショカ王だ。
漢訳では阿育王と書かれている。生没年は不明だが、
王権に在位していた時期は紀元前268年-232年とされていて、
インド亜大陸をほぼ統一した。

古代インドにあって仏教を守護した大王として知られている。
伝説では、アショーカ王の通った所は、すべて焼き払われ
草木が一本も生えていない、といわれるほどの暴君だった。
あまりにも無残な戦争(カリンガ王国征服)を反省し、
仏教に深く帰依した。

なぜアショカ王が仏教を聞くことになったのか。
「堪忍の袋、値千金」という諺を聞いたことが
あるだろう。
この王も堪忍の袋が縁で仏道を求めるようになったのある。

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迦葉尊者⑦(経典結集)

2009年03月31日 | 釈迦十大弟子
迦葉尊者⑦(経典結集)

釈尊は80才2月15日、涅槃の雲に隠れられた。
ちょうどその頃、迦葉尊者は、遠くの土地で托鉢をして、
五百人の修行僧と歩んでいた。
そこで釈尊の入滅を知りことになる。

どの弟子達も悲歎にくれた。
ところが悲報を聞いた中に一人、スバッダという修行僧が
「釈尊入滅によって我々は解放されたのだ。
 これからは欲望のおもむくままにしよう」
と、暴言を吐いた。

これには迦葉も驚き、心を痛め、
正しい教法と戒律を定める必要を感じたのである。

そして、経典結集を決意したのである。
迦葉が中心となり,500人の優れた仏弟子を王舎城に集め,
戒律については優波離尊者が,
経法については阿難尊者が伝えたものを
全員が検討して,これを成文化して承認した。

これが有名な第1回結集だ。
もし、迦葉が経典結集を決意しなかったなら、
今日、残る七千余巻の経門はなかったのである。
迦葉尊者、最大の功績ではなかろうか。


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迦葉尊者⑥(貧しい村への托鉢)

2009年03月30日 | 釈迦十大弟子
迦葉尊者⑥(貧しい村への托鉢)

迦葉がいつも貧しい村に托鉢に行くのを
不信に感じた他の釈迦の弟子達が
迦葉の後をつけてみた。

いつものように迦葉は貧しい村へと出かけていった。
どの家からも門前払い。誰も布施する者はいなかった。

村はずれにくると、一人の年取った女乞食が
物乞いをしていた。
ライ病のかかり、近寄る人もいなかった。
その老婆の前に立った迦葉は
「お婆さん、私はお釈迦様の弟子迦葉というもの。
 どうか、何か布施をしてはもらえぬか。」
と言った。

するとお婆さん、迦葉の真面目な姿に
「見ての通り、差し上げたくとも、
 私には何もあなたに布施できるものはありません。」
と断ると、
目の前の汚いお椀の中にある腐ったお粥、
自分でも食べるのを躊躇しているお粥を指差され、
迦葉は言った。
「ここにお粥があるではないか。」

「こんな物は私でさえ、食うことのできないもの。」
とお婆さんが答えるが、迦葉は有難く頂戴する。

その時、差し出したお婆さんの指からライ病の
膿が一緒にお粥の中に入ったが、
気にせず、迦葉は飲み干した。

「お婆さんの尊い布施のお陰で今日一日の
 生きる糧を得ることができた。
 この功徳でお婆さんよ、幸せになれる
 ご縁を結ばれた。」

お婆さんは自分が我利我利亡者の心の報いで
今日の貧しい辛い生活があることを知らされ、
改心したのである。

この一部始終を見ていた仏弟子達は
迦葉の元で修行する道を選んだ。

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迦葉尊者⑤(頭陀第一)

2009年03月30日 | 釈迦十大弟子
迦葉尊者⑤(頭陀第一)

迦葉尊者は釈迦十大弟子の中で頭陀第一といわれる。
「頭陀」とは、衣食住に関する貪りを払い除く修行のこと.
打ち捨てられた汚いぼろ布で作った僧衣だけを身に着け、
常に托鉢乞食によって食を得る。
乞食(こつじき)するのに家の貧富を選ばず、
一日の食事は午前中の一食だけとし、食べ過ぎない。

「頭陀第一」とは、
こういった頭陀行の実践をだれよりも
厳格に行っていたのが迦葉尊者であった。

こういった頭陀の生活実践は、
本来の出家修行者としては当然の習慣だったが、
教団が発展するにつれて、比丘たちは僧院に定住するようになり、
寄進された綺麗な僧衣をまとったり、
招かれて信者の家で食事の供養を受けることも、
ごく普通となって来た。

だが、迦葉は頭陀行をかたくなに守り続けていた。

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