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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

一日一訓(21日 苦しみから目をそらさず 凝視するようにしよう)

2011年09月21日 | 一日一訓
一日一訓(21日 苦しみから目をそらさず 凝視するようにしよう)

「苦しみから目をそらさず 凝視するようにしよう」


金剛石が一個、
川ばたの小石の群れに、
まじっていた。

一人の商人が、
めざとく発見し、
王様に売却した。

王冠を飾った金剛石の輝きは、
大衆を魅了してやまなかった。

小石どもの耳にも、
それが入ったので大騒ぎ。
金剛石の幸運が、
小石どもにはうらやましくて、
たまらなかったのである。

小石どもはある日、
そばを通った農夫を
呼びとめて哀願した。

「うわさによると、
 我々と一緒に、
 ここにころがっていた
 金剛石のヤツメが、
 都で、今では大出世
 しているそうです。
 アイツも我々も同じ石ですよ。
 我々だって、
 都へいけさえすれば、
 出世するにきまっている。
 どうか、都へ連れて
 いってください」
 
ふびんに思って農夫は、
小石を荷に入れ、
都へ持参した。

望みどおりに小石らは、
あこがれの都へはきたが、
むろん、王冠を
飾るどころではない。

道路に敷かれて、
毎日、多くの車の
わだちに苦しめられ、
後悔の涙にくれたのである。

顔をしかめて飛んで
ゆくフクロウを、
連れのハトが呼びとめた。

「おいおい、そんな、
 うかぬ顔して、どこへいく」
 
さびしそうに、フクロウが答えた。

「知ってのとおり、
 この里の者たちは、
 悪い声のオレを嫌うので、
 所を変えようと
 決心したんだよ」
 
くくと笑って、ハトは、

「それはムダだよ、
 フクロウさん。
 いくら所を変えたって、
 おまえの声を変えないかぎり、
 いく先の者はやはり、
 おまえを嫌うだろう。
 古巣を捨てる覚悟があれば、
 声を変える努力を」

と、忠告したという。

自己を磨くことこそ、
出世の要諦。

輝く存在になりさえすれば、
人も物も自然に集まる。

己の、たゆまぬ錬磨を忘れて、
出世のみを追い求むることは、
かえって失敗の原因となる、
と知るべきであろう。


一日一訓(20日 苦悩は幸福の一里塚と思い一層奮起しよう)

2011年09月20日 | 一日一訓
一日一訓(20日 苦悩は幸福の一里塚と思い一層奮起しよう)

「苦悩は幸福の一里塚と思い一層奮起しよう」

釈尊、修行中の
できごとである。
手負いのハトが
飛んできて懇願した。

「私はいま、ワシの襲撃を
 受けています。
 どうぞ、お助けください」
 
釈尊は、ふるえるハトを、
ねんごろにいたわって、
懐へかくまわれた。

まもなく現れた飢えたワシは、
あたりを見まわして、
釈尊にたずねる。

「ここへ、ハトが
 きませんでしたか」

「ハトなら私の懐にいる」

ホッとした表情のワシは、

「ヤレヤレこれで
 生きのびられる。
 どうぞハトを
 渡していただきたい。
 餓死寸前の私が見つけた
 ハトなのです。
 あれを逃しては
 死ぬほかないのです」
 
ワシを生かすには、
ハトを死なさねばならず、
ハトを助ければ、
ワシが助からぬ。

進退きわまった釈尊は、
一大決心をなさるのである。

「ワシよ、汝の飢えは
 ハトでなければ救えないのか」

「そんなことはありません。
 同等の肉片ならば、
 私は死なずにすみます」

「ならばどうじゃ。
 ハトと同分量の肉を
 与えるからハトを
 助けてはくれないか」
 
納得したワシに釈尊は、
みずからの片方の腿の
肉をそいで、
ハトの目方と
合わせてみられたが、
まだまだ軽い。

もう一方の肉を
そいで計ってみられても、
まだ足りぬ。

そこで身体の
あちこちの肉をそいで、
ワシに与えられた。

ようやくワシは飢えを
満たして喜び、
ハトも死をまぬがれて喜んだ。

釈尊も、ともに生命を
まっとうしたのを
見て喜ばれたという。

ワシに慈悲心を
教えるのも尊い。

ハトに諦観を説かねば
ならぬこともあろう。

しかし釈尊は、
最も困難で、
苦しい道を進まれた。
最高無上の道だからである。

一日一訓(19日 今晩死ぬ覚悟で何事も行うようにしよう)

2011年09月19日 | 一日一訓
一日一訓(19日 今晩死ぬ覚悟で何事も行うようにしよう)

「今晩死ぬ覚悟で
 何事も行うようにしよう」

二宮尊徳が、家族と
食事中のことである。

鉢に盛られた、たくあんづけを
とろうとすると、
下の皮までよく切れて
いなかったので、
四五切れつながったままだった。

それを示して尊徳は、

「そら何事も大切なのはここだよ。
 たくあんを出すのはたいへんだ。
 まず重石をおろし、ふたをあけ、
 糠だらけの大根を引き出す。
 桶を元のように始末してから、
 よく糠を洗い落とし、
 包丁で切り、鉢へ盛らねばならぬ。
 ところが切るときに、
 力の入れ方が足りないと、
 いざ食べるとき、
 こうした不都合なことになる。
 お客に出せば失礼だ。
 だれでも、十中八九までは
 できるものだが、
 あと一つをキチッとしない。
 これが、その人の成功不成功
 の分かれめじゃ。
 人間すべて最後が大切と
 心得るがよい」
 
こんこんと教えたという。

かつて、一高校長として
令名のあった杉敏介氏が、
大学を卒業したとき、
維新の際、幾度となく
白刃の下をくぐってきた
同郷の大先輩、品川弥二郎氏の
屋敷にあいさつにいった。

大学の卒業者は寥々たるもので、
学士さまといったら、
世の尊敬を一身に
あつめた当時である。

得々として訪ねた杉氏に、
縁側に腰をかけたままの品川氏、
そのときこう言った。

「人間の卒業式は葬式と心得よ。
 何事も、それでなければ
 成就できないぞ」
 
杉氏はこの

「人間の卒業式」

の一句を座右の銘として、
生涯、事にあたったという。

大相撲には、

「番付一枚の差は殿様と家来、
 一段違えば虫ケラ同然」

という、ことわざがある。
これが土俵を支えてきたともいわれる。

入門一年で三分の一がやめ、
四、五年たっても幕下になれないと
廃業するのが常という。

幕内になれるのは二十人に一人。
大関ともなれば百五十人に一人
といわれる。

いかに最後まで気をぬかず、
初志貫徹することの難しいことか。
成功者の少ないわけも知らされる。



一日一訓(18日 底知れぬ程淋しい処が)

2011年09月18日 | 一日一訓
一日一訓(18日 底知れぬ程淋しい処が)

「底知れぬ程淋しい処が人生である
   それが信心決定すれば無限に楽しい人生となる」

誠に独生独死独去独来、
底の知れない淋しさが
人生には漂っている。

「むつまじき
 親子にだにもすてられて、
 独りゆくべき道と知らずや」
 
「独り来て、
 独り死ぬべき道なれば、
 つれてもゆかれず、
 つれられもせず」

である。

加賀千代(1703~1775)は
江戸中期の女流俳人である。

「朝顔につるべとられて 
     もらい水」

の名句が知られている。

加賀千代は石川県の生まれ、
昔は加賀百万石のお膝元である。

その名声を聞いた
前田の殿様が彼女の歌を
大変、感銘したので城に呼んだ。

「おもてをあげよ」

と言われてあげた
千代の顔は美しいとは
とても言い難い女性だった。

思わず殿様

「加賀の千代 
 なんにたとえよ鬼瓦」

と一句。

女性に対して、鬼瓦とは失礼な。
しかし天下の加賀の千代。

「鬼瓦 天守閣をも 下に見る」

と歌で切り返す。

1720年(享保5年)18歳のとき、
神奈川大衆免大組足軽福岡弥八に嫁ぐ。

20歳の時夫に死別し
松任の実家に帰った。

その千代女が夫を亡くし、
淋しさをひしひしと
詠ったのが次の歌だ。

「起きて見つ、
 寝て見つ 
 蚊帳の広さかな」
 
人生は底知れない程、
淋しい処なのだろう。

しかし、信心決定すれば
無限に楽しい人生と
一念で大変わりだ。

それは無上仏の阿弥陀仏が
私の永遠の連れになって
下されるからである。









一日一訓(17日 夢をもつようにしよう)

2011年09月17日 | 一日一訓
一日一訓(17日 夢をもつようにしよう)

「夢をもつようにしよう」

昔、江戸と大阪を
往復する飛、脚に、
大変、足の速い男がいた。

後輩の飛脚が、その秘訣を尋ねた。

「東海道を走ると
 赤い石があるんだ。
 オレはその赤い石を見つけて、
 それを踏んで走るのさ。
 そうすると速く目的地に
 到着できるのだ」

〝よし、オレもその赤い石を
 見つけるぞ〟

と、飛脚は勢いよく江戸を出発した。

赤い石がないか、
赤い石は何処か、
と真剣に大地を
凝視しながら走ったが、
大阪に着くまで赤い石を、
遂に発見することができない。

よし、帰りこそ必ず
見つけてみせるぞ、
と決心して大阪をたったが、
やはり赤い石を
見つけることはできなかった。

「あなたの言葉を信じ、
 オレは赤い石を
 探して走ったが、
 赤い石なんて一つも
 見あたらなかった。
 そんな石は何処にあるのか。
 オレをだましたのだろう」
 
後輩の飛脚は、散々、
文句を言った。

「そうだったか。
 そりゃ気の毒だった。
 だが今度お前は、
 江戸と大阪を何日で往復したか」
 
先輩に指摘せられて
日数を数えてみた彼は、
何時もよりズーと速く
往復していたことに驚いた。

速く目的地に着きたいのは
当然だが、心だけが先走って、
あせったり、無理したりすると、
かえって疲労がひどくなったり、
道を間違えたりして、
結果は逆になるものである。

一切のことは、

「急いで急がず、
 急がずに急ぐ」

ことが大切なのだ。

目的が一大事であればある程、
素晴らしければ素晴らしい程、
脚下を凝視し、
大地を踏みしめてゆく心がけが、
大事業を速く達成する
秘訣なのである。

一日一訓(16日 同じ石で二度つまずくものは馬鹿者である)

2011年09月16日 | 一日一訓
一日一訓(16日 同じ石で二度つまずくものは馬鹿者である)

「同じ石で二度つまずくものは馬鹿者である」

月日の過ぎ去るのは
あまりにも早すぎる。

しかし、我々人間は
あまりにものんびりと
人生を過ごしては
いないだろうか。

その結末はどうなるか。

経典に寒苦鳥という
ヒマラヤ山中の奥深くに
住む鳥が紹介されている。

この鳥は、大切なことを後回しにして、
遊んでばかりいる怠け者。

昼は太陽の光が当たるので、
陽気に浮かれて、
のんきに遊んでいる。

ところが、夜になると、
昼とは打って変わって、
厳しい寒さが襲ってくるのだ。

「寒い、寒い」

と凍え死にしそうになる。

その苦しみの中で、鳥は、
昼間に楽しく遊びほうけていたことを
激しく後悔し、

「夜が明けたら、巣を作ろう」

と固く決意するのだった。

ところが夜が明けて暖かくなると、
あろうことか、
一晩苦しみ抜いたことを
スッカリ忘れてしまうのだ。

そして、昼間中、
また遊びほうけてしまうのだった。

やがて夜になると、
たちまち極寒のジゴク。
鳥は、また同じように、
後悔を重る。

そんな風に、いつまでも、
昼は遊び、夜は寒さに苦しみ、
また昼は遊びほうける、
そんなことを繰り返す。

この鳥を、雪の山に住み、
寒さに苦しむということで

「雪山の寒苦鳥」

と呼ばれている。

この寒苦鳥を、
馬鹿な鳥だと笑う人も
あると思う。

一度ならまだしも、
二度も三度も同じように
後悔するとは、
なんて愚かな鳥だ、
と思われるかも知れない。

この鳥は、単に物語の中に
住んでいる鳥ではない。

私達ひとりひとりの、
心の中に住んでいるのだ。

自分が蒔いた恐ろしい悪業の
結果を受けて、
ジゴクの苦しみを受けている時、

「こんなことになるのなら
 あの大切なことを
 後回しにしなければよかった、
 もっと真面目に仏法を
 聞いて、取り組んで
 おくべきだった、
 馬鹿だった馬鹿だった」

と、後悔したにもかかわらず、
ちょっと苦しみが楽になると
その楽におぼれて、
欲に任せて、遊びほうける。

またしても、同じことを繰り返す。

そんな愚かさは自分にないと
言えるだろうか。

仏説まことを
思い知らされる。

「夢の憂世を日長に思い
   暮れて泣きやる寒苦鳥」

臨終に後悔しても
手遅れだ。

我々は過去世、どれだけ
この後悔を繰り返して
きたか分からぬ寒苦鳥。

その馬鹿者は今生で卒業し、
一日も早く弥陀の本願に救い摂られ、
絶対の幸福の身に
生命の大歓喜を獲る身に
なろうではないか。



一日一訓(15日 嫁を貰うと息子は貴女に尻を向ける)

2011年09月15日 | 一日一訓
一日一訓(15日 嫁を貰うと息子は貴女に尻を向ける)

「嫁を貰うと息子は貴女に尻を向ける」

〝こんな所から貰いに
 来ておられるが、
 雅子どうする〟
 
母から見合い写真を渡される。
奥の間で顔あからめて
見ている娘に母親が
アドバイスする。

〝実は、向こうのお父さんは
 仏さまのような良い人じゃが、
 お母さんがのお。
 独りで家を切り廻して来た
 勝ち気な人じゃそうな。
 反対なら言うことないのじゃが〟
 
すっかり写真の彼氏に
惚れ込んだ娘は、
ケロッと答える。

〝心配ないわ、お母さん。
 たとえ向こうのお母さんが
 鬼でも蛇でも、
 私さえ真心尽くせば、
 必ずうまくやって見せるわ〟
 
土台自分に真心があると
自惚れているのが間違いの元だが、
嫁かない先から相手を、
鬼や蛇に見立ててゆくのだから

〝こんな筈ではなかった〟

となるのは当然だ。

そんな嫁を貰った息子は
あなたに尻を向けるのは
火を見るよりも鮮やか。






一日一訓(14日 自分の都合のよい時)

2011年09月13日 | 一日一訓
一日一訓(14日 自分の都合のよい時)

「自分の都合のよい時喜ぶは煩悩
   自分の都合の悪い時喜べるのが真実の信仰」

「しかるに愚禿釈の鸞、
 建仁辛酉の暦、
 雑行を棄てて本願に帰す。
 元久乙丑の歳、恩恕を蒙りて
 『選択』を書しき」
  (教行信証)


親鸞聖人が33歳の御時の
ことである。

「親鸞よ。これは、
 私の教えていることの
 すべてを記したものじゃ。
 よければ、写すがよい」

と、法然上人が
一巻の巻物を差し出される。

親鸞聖人、うやうやしく
受け取られ、表題を見て驚かれた。

「こ、これは、お師匠様の
 『選択本願念仏集』
 ではありませんか」

「そうだ。阿弥陀如来の本願、
 あやまりなく伝えてくれよ」

親鸞聖人は大いに感激されたことが
教行信証に書かれておられる。

ところがそれを妬んだ
弟子達により、
折角、書写されたものを
破られてしまった。

第一発見者の聖覚法印が
親鸞聖人に伝える。

「あなたが、『選択集』の
 書写を許されたのを、
 ねたんでのことでしょう。
 それにしても、余りに
 ひどすぎるではありませんか、
 親鸞殿」

親鸞聖人は激しい怒りを、
あらわにされる。
ところが、聖人は、
ハッと自分の気持ちに
対して驚いて、
大きく息をつかれる)

「いやいや、親鸞、
 とがめることはできません」
 聖覚殿。優るを妬む心 
 いっぱいの親鸞、
 立場を変えれば、
 同じことをやったに違いない。
 いや、もっと恐ろしいことを、
 やったでしょう。
 それなのに、親鸞、
 腹が立つのです。
 何と馬鹿な親鸞でしょう」

聖覚法印は親鸞聖人の反応に驚き、

「しかし、こんなことまでされれば、
 当然です」

すると親鸞聖人は

「聖覚殿。縁が来たら、
 いかなる振る舞いもする
 恐ろしい親鸞、
 そんな親鸞と見抜いて助けたもうた、
 阿弥陀如来の本願を、
 喜ばずにおれません」

と、合掌される。

「私を縁として、あの方々も、
 一日も早く阿弥陀如来の本願に、
 救われて頂きたいばかりです」

自分にとって都合がよい時に
喜んでいるのは煩悩である。
しかし、真実の信仰に
活かされた親鸞聖人のお姿は
そうではなかった。



一日一訓(13日 如何なる小事でも 全力を傾注してかかろう)

2011年09月13日 | 一日一訓
一日一訓(13日 如何なる小事でも 全力を傾注してかかろう)

「如何なる小事でも
 全力を傾注してかかろう」

 『一期一会』
一期とは人間の一生のこと、
一会とは、ただ一度の
出会いということ。

山上宗二が茶道の精神を
端的に表現した
格調高い名言である。

その心は

「客を向かえて行う茶会は
 生涯の内に今日この一日しかない
 と考えて、最善をつくすこと」

明日があると思ってはいけない。
もう一度同じ相手と
茶釜でめぐり会うと思ってはいけない。
一度の出会いに
全てを賭ける精神だ。

豊臣秀吉がある日、
狩りに出た。

余りにのどが渇いたので
近くの寺の立ち寄り、
茶を所望すると、
一杯目はぬるめのお茶が
並々と注がれてきた。

飲むと、のどの渇きも
一度に癒え、二杯目を頼んだ。

すると今度は少し熱めで
茶碗に半分ぐらいのお茶だった。
これを飲むとやっと
お茶の味も感じるようになった。

そこで三杯目を頼む。
今度は熱く茶碗に
少しのお茶で、
ゆっくりと味わいながら、
飲むことができた。

秀吉は満足し、
これだけの心遣いが
できる者は誰か、
会いたくなり、
その者を呼んだ。

その男こそ秀吉亡き後、
関が原の戦いで
東軍の総大将として
戦った石田三成であった。

人間の一生で、
もう一度ということはない。
一度一度が勝負なのだ。
やり直しがきかないとすれば、
人生八十年もわずかな期間とは思えない。
人生の中で貴重な一瞬なのである。

この一番大切な時に
充実な日々を送れるだけの
目的を持っているだろうか?

人生の目的をしっかり持ち、
我々の最善を尽くして頑張ろう。
そうすれば日々が好日と
なる筈だ。健闘を祈る。



一日一訓(12日 男は男らしく 女は女らしく)

2011年09月12日 | 一日一訓
一日一訓(12日 男は男らしく 女は女らしく)

「男は男らしく
 女は女らしく」

「男らしく・女らしく」

と言われても何が男か、
何が女かの規定が
ハッキリしない。

ことわざに

「男は度胸、女は愛嬌」

というのがあるが、
男にとって大切なものは、
どんなことに対しても、
心が落ち着いていて、
恐さを感じない精神力であり、
女にとって大切なものは、
どんな人に対しても、
愛想がよく、
かわいらしい振る舞いが
できるという事である。

男は、何でも恐れず
挑戦する精神力が大事で、
女は、どんな人へも、
あたたかな心を持って接し、
相手の人をなごやかに
させる気持ちが
大切であるという事のようだ。

それは逆にいえば、
男はいざという時に
意気地なしだなと
感ずることがある。

事業に失敗し、
ぼうぜんと帰宅した男が、
妻にこういった。

「もうダメだよ、オレは。
 あきらめてくれ。
 家中の財産は灰まで
 執行吏に差し押さえられる
 ことになったんだ」
 
どんなに嘆き悲しむかと
思いきや、意外に妻は、
微笑してこうたずねた。

「それは大変ね。
 しかし執行吏は、
 あなたの身体も
 差し押さえるのですか」

「いや、そんなことはない」

「じゃ、私の身体が
 差し押さえにあうの」

「いやいや、おまえは関係ないよ」

「坊やは?」

「子供なんか、問題でない」

「それじゃあなた、なんですか。
 家中のものをなくすと
 いうわけじゃないじゃないの。
 健康な私たちと、
 夢を秘めた子供たち。
 一番大切な財産が
 残るじゃありませんか。
 私たちは少しだけ
 遠回りしただけでしょう。
 お金や財産なんか、
 これからの心がけ次第で、
 いくらでもできるじゃありませんか」
 
妻のたのもしい励ましに、
しょげていた主人の顔は、
パッと一度に明るくなって、
みごと、苦境を克服したという。

実験で、ウサギの足にギブスを巻く。
オスはたちまち怒り、
首をふり、ギブスをかみ、
束縛から逃れようと
必死の努力を試みる。

この間もちろん、
エサなど食べようとはしない。
ひたすらかじり続けるのである。

ところがメスは、
初めの一時間ぐらいは、
やはりかじるが、
そのうちダメだと知ると
あっさりあきらめ、
食事をとり、休養し、
ムダな体力のロスはしないという。

この結果、先に弱って
死ぬのは言わずと知れたオスで、
その愚かな弱さと、
メスの一種独特の
したたかな強さは、
人間のそれに似ているようだ。

そういえば女性の平均寿命が、
いつも勝っているのもうなずける。

本来の女性は人生の、
やはり大地のようである。