goo blog サービス終了のお知らせ 

歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

一日一訓(11日 最大の敵は心であり、最強の味方も心である)

2011年10月12日 | 一日一訓
一日一訓(11日 最大の敵は心であり、最強の味方も心である)

「最大の敵は心であり、
 最強の味方も心である」

世界長者番付で、
六年連続トップに君臨したビル・ゲイツ氏が、
浮沈の激しいコンピューター業界で
躍進を続ける。

仏教で「慢」(自惚れ)は、
大変恐ろしい心として強く戒められている。

それまで慎重を期し、うまくいっていたことが、
ちょっとした慢心を原因に崩れる場合も往々にしてある。

若くしてアメリカン・ドリームを実現させた、
マイクロソフト会長のビル・ゲイツ氏は、
いかに努力しているのだろうか。

コンピューターのソフトウェア開発企業、
「マイクロソフト」を設立してから二十数年、
「MS―DOS」から「ウィンドウズ7」まで、
業界のシェアを独占し続けている。

「もっと心配しろ」

彼が、社員によく口にする言葉である。
市場の売れ行き動向、人々の思考の変化、
他社の動き、現在流通しているソフトの抱える課題など、
様々な面で気を配り、隠れた欠点を見つけ出し、
万全を期せ、ということだ。

コンピューター業界は下克上の世界だ。
勝ち上がってきたゲイツ氏本人が、
それを一番自覚している。

1985年に発表された「ウィンドウズ」は、

「マッキントッシュの出来の悪い亜流」

と酷評された。

当時は、多くのメーカーが、
OS(基本ソフト)造りに力を入れていた時代である。
その中で、マイクロソフトとアップルを除く企業は、
困難な開発に音を上げて、次々に戦線離脱していった。

しかし、ゲイツ氏はあきらめなかった。
他のメーカーがウィンドウズ用のワープロや
表計算ソフトの開発に苦戦している中、
マイクロソフトは自社製の「ワード」(ワープロソフト)、
「エクセル」(表計算ソフト)を開発し、
さらにウィンドウズの品質改良に力を入れた。

他社の製品のどこがよいのか、
綿密な研究も怠らなかった。

ライバル会社のソフトの長所を調べ、
取り入れて独特の機能を付加し、
市場へと出していく昼夜不断の努力が、
現在も続いている。

かくて、不評だったウィンドウズは
改版を重ねるごとに弱点を克服し、
「ウィンドウズ3・1」
「ウィンドウズ95」で世界を制覇したのである。
 
これから、大事をなそうとしている人にとって
成功という名の壁は大きい。
また、進んで行く途上で、
いろいろな甘い罠が待ち受けているだろう。

「最大の敵は心であり、最強の味方も心である」

と言われるように、自らの運命を善くするも、
悪くするも、己の心次第なのだ。

仏教の根幹である因果の道理を信じ、
よい行いをすれば、
必ずやった人の徳となって返ってくる。

悪業を重ねれば、
一時はその場をやりすごすことができても、
いずれとてつもない悪果が襲うに違いない。

順境だからといって、
そこに甘んじてとどまっていれば、
必ず、手痛いしっぺ返しを食らう。

逆境で出口が見えぬように思えていても絶えず、
種まきに徹すれば、大逆転のドラマが待っている。

げに恐ろしきは、これでいいのだという慢心だ。
人生の大勝利者になるカギは、
どれだけ汗を流し、努力を継続するか否かにある。



一日一訓(10日 他人に親切した時)

2011年10月11日 | 一日一訓
一日一訓(10日 他人に親切した時)

「他人に親切した時、
 私が誰々に 何々を、
 この三つを忘れるようにしよう」

シラーの名作、
ヴィルヘルム・テルの芝居に、
こういう場面がある。

テルがある山陰で、
仇敵の間柄である悪代官の
危ないところを救助する。

帰宅してそれを、
得意そうにテルは妻に話した。

「あの代官も今日からは、
 おれの恩に感じて
 態度を改めるだろう」
 
ところが妻は、

「それはとんでもないこと。
 これからいっそう、
 彼はあなたを、
 けむたく思い、
 反感をつのらせるでしょう」

と、忠告するのである。

親切の貸方勘定を、
こっちばかり得意になって、
勝手な胸算用している間に、
先方は、返しきれない
借方勘定に業腹を立て、
かえって、こちらに
反感を抱くことは
よくあることだ。

金を貸してもらいながら、
ともすると債権者を
恨みがちになるのは、
債務者気質の常である。

だからといって、
親切無用ということでは
もちろんない。

善因善果、
悪因悪果、
自因自果
は宇宙の真理。

善果は善い因まかねば
現れないが、
その心がけが問題なのである。

舌切雀のじいさんは、
かわいさ一心で
探し求めた雀だから、
会っただけで満足し、
ほかになんの要求もなかった。

おじいさんの慈悲に
感応して雀は、
大小のつづらを、
みやげに差しだすが、
老の身を考え、
じいさんは、軽いつづらを
選んで持ち帰る。

中は金銀財宝で満ちていた。

一方、〝私が養うてやったのだ〟と
思って出かけた、
ばあさんの目的は、
雀をなぐさめることではなく
宝物である。

だから出された大小のつづらでも、
無理しても、大きな重いほうを
選んで帰ってくる。

そこには、不純な心が、
化け物となっているのである。

お互いに求める心がなくして、
人に尽くすことができたら、
どんなに楽しいことだろう。

施した恩は思ってはならぬ。
受けた恩は忘れてはならない。



一日一訓(9日 できるだけ他人の長所を発見してほめるようにしよう)

2011年10月09日 | 一日一訓
一日一訓(9日 できるだけ他人の長所を発見してほめるようにしよう)

「他人の長所を発見して
 ほめるようにしよう」

一睨すれば猛虎も退散した
という豪将の加藤清正は、
威あって猛からずの
柔和な有徳人であったから、
部下は慈父のように慕った。

その清正の長雪隠は有名である。
ある真夜中、熊本城の
便所の中から、しきりに人を呼ぶ。

「なにか、ご用であられまするか」

小姓がかしこまって、伺いをたてた。

「急ぎの用を思い出した、
 庄林隼人を呼びにやれ」
 
庄林隼人は風邪の熱で
伏していたが、何用かと、
使者と同道、登城した。

まだ、便所の中にいた清正は、

「汝を呼んだのは
 余の儀にあらず。
 汝の家来に年中、
 茜染め一重の
 チャンチャンコを着ている
 二十歳前後の若者、
 あれの名はなんと申すぞ」

「ああ、あれは草履取りの
 出来助という者でございますが」

「うん、そちも覚えているじゃろう。
 そら、川尻へ芝居能を
 皆で見物にいったときに、
 あの若者が葦の茂みで
 前をまくり、小便を
 しとるところをみたのじゃ」

「御前をもはばからず、
 そのような不謹慎を
 つかまつりましょうとは」
 
庄林は悪寒にふるえながら、
しきりに出来助の過ちをとりなした。

「あたりに便所がなければ、
 物かげへ寄って用足しするのは
 あたりまえじゃ、
 不謹慎もなにもありゃせん」

「はっ」

「そのときに、ふと見るとどうじゃ。
 その若者は小袖の下に
 鎖帷子を着け、脚絆のかわりに
 脛当をあてているではないか。
 戦乱もおさまり、上下とも
 武備をおこたる当節に、
 治にいて乱を忘れぬ心がけは、
 あっぱれ至極じゃ。
 すんでのところで彼のことを
 忘れてしまうところであった。
 いま長雪隠のつれづれに、
 そのときのことを思い出した。
 かくいううちにも死んだら、
 だれが彼を引き立てようぞ。
 してみれば明日も待てぬ、
 いや便所のすむまでも待てぬ。
 深夜、そちには、
 きのどくであったが呼び出した。
 出来助とやらに語り聞かせて、
 かわいがってやれよ」
 
庄林隼人は頭痛もどこへやら、
主君の温情に感泣して下城した。

出来助が、草履番から
一躍六十石の士分に
取り立てられたのは、
それから三日後であった。

ありがたさ骨髄に徹した彼は、
いよいよ誠実に精励したことは
言うまでもない。

「その慈悲、仏のごとし。
 日本中の好人なり」

と、朝鮮の王から慕われたのも、
うなずけることであろう。



一日一訓(8日 自分の仕事を愛し熱中するようにしよう)

2011年10月08日 | 一日一訓
一日一訓(8日 自分の仕事を愛し熱中するようにしよう)

「自分の仕事を愛し熱中するようにしよう」

江戸中期、浄土真宗に
法霖という大学僧がいた。

若いころは慧琳といい、
十九歳で『選択集』を
講義して希代の奇才とうたわれた。
 
後年、真宗を誹謗した
華厳宗の傑僧・鳳潭を
相手に大論争をやり、
『笑螂臂』五巻を著して
完膚なきまでに誤りを正し、
名を天下にとどろかせた。

その法霖が鷺森別院の
役僧をしていた十七歳のとき、
ある夕方、輪番が
火の用心のために見まわると、
本堂の後ろの真っ暗がりの中で、
一心に読書しているものが
いるので驚いた。
 
「そこにいるのは、だれか」

「はい、慧琳でございます」

「こんな闇の中で字が読めるのか」

と言われて振り向いて、
ふたたび書物に向いたときは、
もう文字は見えなかったという。

熱中していたので、
闇の中でも字が読めたのであろう。
 
またあるとき、友達が海水浴に誘った。

「ちょっと待ってくれ、
 ここまで読むから」

と立ち上がらない。
どれだけ待っても
やめようとはしない。

「いいかげんにしろ」

「すまんが後でゆくから
 先にいってくれ。
 おもしろくてやめられないのだ」

「それじゃ、この帽子を
かぶってこいよ」

と、頭の横にかぶせていった。

夕方になっても
法霖はこなかった。
みんなが帰ってみると、
帽子を横にかぶったままの姿で、
読書にふけっていたという。

「精出せば  
 凍るひまなし水車」




一日一訓(7日 夕べに熟慮して、朝に断行)

2011年10月07日 | 一日一訓
一日一訓(7日 夕べに熟慮して、朝に断行)

「夕べに熟慮して、
 朝に断行」

ある晩、ネズミが桶の中に落ちた。
とびあがって出ようと、
最初は、おおいに努力したが、
桶が深くてとても無理だった。

そこで今度は、桶の側を食い破って
出ようとかじり始めた。

しばらくやっても、どうも側の木が厚くて
硬くて食い破れそうもない。

あわてたネズミは、場所をかえて、またかじる。
ところが、やっぱりだめだった。
そこでその場所をあきらめて、
また次の場所に移った。

しかし、ぶ厚い木は、なかなか、
食い破れそうもなかった。

さんざんに、報われることのない努力をしたネズミは、
とうとう明け方近く、心身ともに疲れはてて、
むなしく死んでいった。
はじめ、かじり始めた箇所を、
最後までかじり続けておれば、
桶の側の板に、通りぬける穴ができたものを。

世間には、このネズミを笑えない人が多い。

一つのことに失敗して、また他のことに失敗し、
転々と自分の仕事をかえてゆく人は、
薄志弱行といわれる。

もっとも、人間というものは強いものではない。
迷うことなく自分の道に進んでゆくということは、
なかなかに難しい。固い意志と、たゆまぬ努力が必要だ。

迷えば迷うほど努力がむだになると知ったら、
最初に熟慮して決断し、断固努力で突きぬけるがよい。

入り口のほうは、とても入る余地のないように
こんでいる満員電車でも、
奥へ入ってゆけば案外すいているものだ。

入り口がふさがっているからといって、
断じて絶望してはならない。

西洋の、ことわざにあるではないか。

『転がる石には、苔が生えぬ』





一日一訓(6日 愛嬌たっぷり、会釈を惜しまぬようにしよう)

2011年10月07日 | 一日一訓
一日一訓(6日 愛嬌たっぷり、会釈を惜しまぬようにしよう)

「愛嬌たっぷり、
 会釈を惜しまぬようにしよう」

「長者の万灯よりも貧者の一灯」
と言われるように、
仏法で教える布施の行為は
その心にこそ重要な意味がある。

たとえ金銭や物質に恵まれていない人でも、
布施をしようという精神さえあれば
立派にできる行為なのです。

その無財の七施の最初が
眼施である。

第一の眼施といいますのは、
やさしい暖かい眼ざしで
周囲の人々の心を明るくする
ように勤めること。

これは、人には、よい眼をして
接するということである。

つまり、優しいまなざしで人を
見るということ。
べらべらしゃべるよりも、
優しいまなざしを注ぐことができたら、
どんなにすばらしいことだろう。

「眼は口よりも物を言う」
とか、
「眼は心の鏡」
とも言われるように、人間の眼ぐらい
複雑な色合いを写し出すものはない。

眼を見たら、その人の心がわかるとか、
まさにその通りである。
眼は心の現れだから。

幼児のあの澄んだ清い眼、
それにひきかえ成人の
どんより濁った眼、
とりわけ悪心に満ちた人の眼は
恐しさを感ずる。

怒りの燃えた人の眼は
見れたものではない。

怒りを仏教では「瞋恚」という。
「瞋」とは眼が真(まじ)になると
書かれてあるが、
眼が真剣に怒っていることを
表している。

たとえば、口もとは笑っていても、
眼で笑っていないのは、
本当にうれしく笑っていない証拠である。

また、反対に表情は、
すましていても、
眼がおかしそうに
笑っていることもある。

感激して万感胸に迫ってくると
口が利けなくなるときもあるが、
そのときの眼は、
何よりも雄弁に心の中を
語ってくれている。

眼がものをいうことは
素晴らしいことである。
私たちは、言葉だけに頼らず、
とりわけ眼や顔に注意し、
思いやりの心を持ちたいものである。

その眼に湛えられた和やかな光は、
どんなにか人々を慰め励ますことか。

特に過失を犯して悲愁にくれている時などは、
更生への愛撫となるだろう。







一日一訓(5日 乏しきとき与えるは富みて与えるに勝る)

2011年10月05日 | 一日一訓
一日一訓(5日 乏しきとき与えるは富みて与えるに勝る)

「乏しきとき与えるは
 富みて与えるに勝る」

布施とは、慳貪の反対で、
ほどこしをすることである。
六度万行の随一にあげられている
最も大切な行である。

道徳的言葉で言えば親切ということになる。

物に対し、人に対して親切にせよ
ということである。

この布施を大別すると財施と法施になる。

財施というのは、物質的なものを施して
他人を助け喜ばせることで
大きな功徳になると説かれている。

しかし財施の功徳は決して、
その量の大小によって決まるものと
思ってはならない。

その精神こそ大切なのである。
だから布施とも喜捨ともいわれる。
また「長者の万灯よりも貧者の一灯」
とも言われている。

釈尊が給孤独園に在した時、
街に難陀という一人の女乞食があった。
街中の人がみんな仏に灯火を供養するのを
みて自分のみじめさを深く悲しんでいた。

或る日、乞食しているうちに
一人の慈悲深い人から僅な金を
恵まれたので早速油屋へ走った。

彼女の尊心に感激した油屋の主人は、
沢山な油をくれた。

彼女は漸く釈尊に一灯を
布施することが出来た。

彼女の布施した一灯は
万灯の中に赤々と燃えた。

しかし一夜燃えつづけた万灯も
明方になると皆消えてしまったが、
難陀の一灯だけは輝き亘っていた。

その日当番に当っていた目蓮は
不思議に思って消そうとするが、
どうしてもその火は消えないので
釈尊にその理由を尋ねた。

その時釈尊は
「その火は、とてもお前の力で
 消すことは出来ないであろう。
 もしお前が四大海水を灌ごうとも、
 その火は燃え続けるであろう。
 なんとなれば、その火こそは
 一切の盲冥の智慧と
 なれかしという四大海水よりも
 尚大きな広済の心から
 布施された灯であるからだ」

と教えられていることによっても
判るように布施の心こそ
最も大切なのである。

これだけ与えれば、
これ位の結果が来るだろう
なんかと思ってするのは
商売であって布施ではない。
 
このように、布施はその心にこそ
重要な意味があるのだから、
物質的には皆無の人でも
立派に出来る功徳なのである。



一日一訓(4日 苦しみの新しい間を楽しみといい)

2011年10月04日 | 一日一訓
一日一訓(4日 苦しみの新しい間を楽しみといい)

「苦しみの新しい間を
 楽しみといい
 楽しみの古くなったのを
 苦しみという」

〝世界一おいしい、
 料理が食べたい〟
 
昔、ある王様がこう言って、
国中の料理人を召集した。

王宮で常に、
食の贅を極めているので、
どの料理も、
おいしいとは思えない。

「へたなやつばかりだ。
 もっと上手な料理人を
 探しだせ」
 
側近が困惑していると、

「私が世界一の料理人で
 ございます」

と、申しでた者がいた。

「余の満足する料理が
 作れるか」

「おそれながら、それには、
 私の言うことをお守り
 いただかねばなりませぬ」

「おもしろいことを言うやつじゃ。
 守ってやるから作ってみよ」
 
王様も、意地になって承諾する。

それから三日間、昼夜、
王様のそばを離れず、
ジッとしているだけだった。

「いつ、料理を作るのじゃ」

「はい。そのうちに、
 必ずお作りいたします」
 
三日目にもなると、
空腹でヘトヘトの王様に、
粗末な野菜料理が運ばれた。

「さあ。お約束どおり、
 世界一おいしいご馳走が
 できあがりました。
 十分にお召し上がり
 くださいませ」
 
むさぼるように、
それをたいらげてから、
王様は言った。

「こんなおいしいものを
 食べたことがない。
 なにを、どんなに料理したのか」
 
料理人はそのとき、
こう答えたという。

「料理の上手は飢えにあります。
 空腹で召し上がるものが、
 一番の、ご馳走でございます」

〝おいしい〟

と感ずるのは、
飢えという苦しみの
軽減されてゆく過程である。

飢えの苦のないところに、
おいしいという楽しみは、
ありえないのだ。

人生もまた同じ。

苦しみから逃げまわって
生きようとする者は、
絶対に楽しみを
味わうことができない。

意気地なしや卑怯者と、
真の幸福は、無縁のものなのだ。

「楽の元は苦」

といわれるではないか。




一日一訓(3日 怒りは無謀に始まり、後悔に終わるものだ)

2011年10月03日 | 一日一訓
一日一訓(3日 怒りは無謀に始まり、後悔に終わるものだ)

「怒りは無謀に始まり
 後悔に終わるものだ」

「怒り」の心を、
消すことができれば、
どんなに楽だろうか。

ちょっとした言葉や
態度が気に障り、
カリカリする。

我慢できるうちはいいが、
爆発すると大変だ。
人間関係だけでなく、
一生を台なしにするほどの、
恐るべき破壊力を持っている。

だが、我々は、
その恐ろしさに
気づいていない。

仏教で怒りを瞋恚という。

瞋恚は世間では「しんい」といい、
仏教では「しんに」と読む。

意味は激しく怒ることである。

怒りはどこから起こるのか、
自分の欲が妨げられた時、
怒りの心が燃え上がる。

怒った時、身も心も
正に赤鬼だ。

瞋とは目が真剣になって
いるということだ。
今の言葉で言えば

「目がマジになっている」

といったところだろう。

「私はどんなことにも
 真剣になれません」

という人がいるが、
本当だろうか。

人間、怒った時の
真剣さは異常だ。

顔を赤らめ、
目は血走り吊り上っている。
歯を食いしばり、
うなり声が今にも聞こえそう。
どんな美人でも
見られたものではない。

恚とは心の上に
土2つのではなく、
心の上に炎が燃え
上がっている状態をいう。

腹が立つとか、
瞋恚の心で燃え上がると
いうのはこの心をいうのである。

瞋恚の炎に燃え上がった時は
知識も教養も学問も役に立たない。
全て焼き尽くしてしまう。

怒りは無謀に始まり、
後悔におわるものだ。

スイスの哲学者・アボレー博士は、
怒らないことで有名である。

十年間も仕えている掃除婦が、
怒った顔を見たことがなかった。

「お前がもし彼を怒らせたら、褒美の金をやろう」

悪戯好きな博士の友人が、女に試させた。
いろいろ考えた女は、
キチンと整えてあるベッドを喜ぶ博士であったから、
わざとある日ベッドの整理をしないでおいた。

「昨夜は、ベッドが整えてなかったようだね」

叱られるかなあ、と思っていると翌朝ニコニコしている。
一度ぐらいではダメかと、次の夜もしなかった。

「昨夜も整理がしてなかったが
忙しかったのだろう。今夜はタノムよ」
 
女はしかし、その晩も無視した。
三度目の朝、女は博士の部屋に呼ばれた。

「お前は昨夜もベッドを整えてくれなかったが、
なにかワケがあってのことだろう。
よいよい、もう慣れたからこれから私がやることにしよう」
 
大目玉を覚悟していた女はたまりかねて、
博士の膝に泣き伏しワケを話して深く詫びた。

博士は相変わらず微笑していたという。
なんと奥床しい忍辱だろう。
怒りは一切の善根を焼却する猛焔である。

ある怒りっぽい主人、
使用人の不注意から夕食を小羊に食われてしまった。

眼に角をたて叱りとばされた使用人は、
腹いせにストーブに入れる火を小羊の背に投げつけた。
毛に火のついた小羊は、あわて驚き小屋に走りこむ。
何千とも知れぬ羊の群に火がつき遂に家まで焼いてしまった、
という寓話がある。

一人の怒りが、どこまでも波及する。
怒りは敵と思え。堪忍は無事長久の基である。
怒る人は度量が狭く、真の勇気に欠けているのだ。


一日一訓(2日 主婦の笑顔は家庭の光)

2011年10月02日 | 一日一訓
一日一訓(2日 主婦の笑顔は家庭の光)

「主婦の笑顔は
 家庭の光」

向かいの家へ、
新婚夫婦が引っ越してきた。

「どうせ、このごろの女ですもの、
 ロクな近所づきあいも
 しないに決まっていますよ」
 
奥さんが主人に話している。
それから一週間ほど
たったある日。

その奥さんが、赤ん坊を
抱いて表へ出ていると、
ちょうど、うわさの
嫁さんが帰ってきた。

「お寒うございます」

と、あいさつしてから、

「まあ、おかわいらしい
 赤ちゃんですこと!
 ばあ!まあ、あんなに笑って!」

と、やさしい笑顔で、
赤ちゃんをあやした。
するとどうだろう。
その晩、例の奥さん。

「ねえあなた、他人って
 わからないものねえ。
 今度、お向かいへ
 引っ越してきた
 新婚さんねえ、
 案外、感じのいい方だわ。
 私、すっかり好きに
 なってしまった」

と、ニコニコしながら、
主人に話したという。

最近、あるデパートの
食堂に働いていた、
ウエートレスのA子さんが、
一躍、某富豪へ、
お嫁にもらわれて
いった実話がある。

A子さんを見初めた、
某富豪の老母の話を聞いてみよう。

「私が、あそこの食堂で、
 ちょっとした食事を
 注文したとき、
 運んできたウエートレスが、
 〝どうも、おまちどおさま〟
 と言って、お膳を
 私の前にすえ、さらに
 〝どうぞ!〟
 と軽く、ほほ笑んで
 みせました。
 その笑顔も、決して
 いやしい媚びではなく、
 本当に女らしい愛嬌でした。
 たいていなら、
 〝おまちどおさま〟
 と言って、ただそこに
 置いていくだけなのに、
 その人は、
 〝どうぞ!〟
 と言って、チャンと
 前へすえ直してくれました。
 私は
 〝どうぞ!〟
 の一言と、そのほほ笑みに、
 すっかりほれこんで
 しまったのです」
 
女の未来は、やさしい言葉と
愛嬌にかかっているようである。