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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

一日一訓(21日 苦しみから目をそらさず 凝視するようにしよう)

2011年10月21日 | 一日一訓
一日一訓(21日 苦しみから目をそらさず 凝視するようにしよう)

「苦しみから目をそらさず 凝視するようにしよう」

昔、呉服物を担って、
いつも碓氷峠を越えていた
二人の商人がいた。

一人があるとき、
さぞ疲れたように、
路傍の石に腰をおろす。

「疲れたではないか、
 ひと休みしよう。
 この峠が、もう少し
 低かったら楽に越されて、
 うんともうけられるのになァ。
 おまえ、そうは思わんか」
 
うらめしそうに、
高い峠を見上げた。

「オレはそうは思わない。
 それどころか、
 この峠が、もっともっと高くて、
 険しかったらいいと思っている」
 
そう答えたのは、
連れの江州商人である。
先の商人はいぶかって、

「どうしてだ。
 おまえは苦労がしたいのか。
 おかしなやつだ」

とニガ笑いした。

「そうじゃないか。
 この峠が楽に越されたら、
 だれでも越して商売するから、
 あまりもうからないのだ。
 この峠が、もっと高くて
 険しければ、だれも、
 この峠を越えて商いを
 する者がいなくなる。
 それを越していけば、
 商売は大繁盛するのだ」
 
江州商人で成功した人が多い。
さすが生き馬の目を
抜くといわれる、
江州商人の気迫ではないか。

成功は努力の結晶である。
楽にえられるものは、
貧と恥のみである。

「難の難 乗り越えてこそ 光あり」




一日一訓(20日 苦悩は幸福の一里塚と思い一層奮起しよう)

2011年10月20日 | 一日一訓
一日一訓(20日 苦悩は幸福の一里塚と思い一層奮起しよう)

「苦悩は幸福の一里塚と思い一層奮起しよう」

超大型台風が、
関西を直撃したときの
ことである。

大阪のある学校で、
先生はじめ大勢の生徒たちが、
狂風にもまれ、
ぶきみにきしむ校舎の中で、
どうしたらよいものかと、
生きた心地もなく、
とほうにくれていた。

一人の教師がそのとき、
敢然と立って叫んだ。

「みんな、風に向かって出ろ」

生徒たちは外へ飛び出した。
しかし、出るには出たが、
たちまち風に吹きとばされてしまう。
 
自然に風下へ、
風下へとゆこうとする。

「それではダメだ。
 はって、田んぼへ出て、
 稲にすがって進むんだ」
 
教師のえらい剣幕に驚いて、
子供たちは、田んぼへ出て
稲につかまって進んだ。

まもなく大音響がとどろき、
風下へ校舎が倒壊したが、
一人の死傷者も出なかった。

人生また然り。泰然自若、
大勇士の覚悟で苦難に
向かってゆけばよいと、
いくらわかっていても、
敢行が難しい。

朝起きてから夜寝るまで、
気にくわぬことが山ほどある。

ささいなことなら、
洗面の水が冷たすぎたり、
湯ならば熱すぎたり。

食卓に向かえば、
飯がこわかったり、
やわらかすぎたり。

第一、天候が、
スッキリ注文どおりに
なることは、
年に三日もなかろう。

家庭や職場での
人間関係のわずらわしさ。
そのうえ、不幸や災難に
襲われる。

いずれも苦しませるか、
悲しませるか、傷つける。
喜ばせるものは少ない。

そんなとき、

「ここだなあ」

と思ってみたら、どうだろう。

忍耐というのは「ここだなあ」と
思い出せば、苦労も軽くなる。

親切というのは「ここだなあ」と
思えば、イヤ味なく接せられる。

勇気とは「ここだなあ」と思えば、
許せぬことでも許せるように
なってくる。

「ここだなあ」の稲にすがって、
苦難の嵐に向かって、
一歩でも前進したいものである。


一日一訓(19日 今晩死ぬ覚悟で何事も行うようにしよう)

2011年10月19日 | 一日一訓
一日一訓(19日 今晩死ぬ覚悟で何事も行うようにしよう)

「今晩死ぬ覚悟で
 何事も行うようにしよう」

『一期一会』
一期とは人間の一生のこと、
一会とは、ただ一度の出会いということ。

山上宗二が茶道の精神を
端的に表現した格調高い名言である。

その心は

「客を向かえて行う茶会は
 生涯の内に今日この一日しかないと考えて
 最善をつくすこと
 明日があると思ってはいけない。
 もう一度同じ相手と茶釜でめぐり会うと
 思ってはいけない。
 一度の出会いに全てを賭ける」

精神だ。

豊臣秀吉がある日、狩りに出た。
余りにのどが渇いたので近くの寺の立ち寄り、
茶を所望すると、
一杯目はぬるめのお茶が並々と注がれてきた。
飲むと、のどの渇きも一度に癒え、二杯目を頼んだ。

すると今度は少し熱めで茶碗に半分ぐらいのお茶だった。
これを飲むとやっとお茶の味も感じるようになった。
そこで三杯目を頼む。

今度は熱く茶碗に少しのお茶で、
ゆっくりと味わいながら、飲むことができた。

秀吉は満足し、これだけの心遣いができる者は誰か、
会いたくなり、その者を呼んだ。

その男こそ秀吉亡き後、関が原の戦いで
東軍の総大将として戦った石田三成であった。

人間の一生で、もう一度ということはない。
一度一度が勝負なのだ。
やり直しがきかないとすれば、
人生八十年のわずかな期間とは思えない。
人生の中で貴重な一瞬なのである。

じゃ、この一番大切な時に充実な日々を
送れるだけの目的を持っているだろうか。
人生の目的をしっかり持ち、
我々の最善を尽くして頑張ろう。
そうすれば日々が好日となる筈だ。

「今晩死ぬ覚悟で
 何事も行うようにしよう」





一日一訓(18日 底知れぬ程淋しい処が)

2011年10月18日 | 一日一訓
一日一訓(18日 底知れぬ程淋しい処が)

「底知れぬ程淋しい処が人生である
   それが信心決定すれば無限に楽しい人生となる」

近くは、日本を不敗の神国と狂信し、
世界を相手に宣戦した立て役者、東条英機も、
緒戦のカクカクたる戦果をあげていた時分は、
騎虎の勢いであったが、
一敗地にまみれ、A級戦犯の筆頭として、
板敷きの上にワラ布団をおき、五枚の毛布のほかは、
何も持ち込めない巣鴨の刑務所にぶちこまれ、
軍事法廷に立たされるや、
かつての、総理、陸相、参謀総長、内務、文部、軍需、
外務の各大臣を歴任した威厳は微塵もなく、
孤影悄然たる姿に、
人間本来の相を見せつけられた思いを、
皆したはずである。
 
しかも、その彼が、一度、仏縁に恵まれ
大慈大悲の阿弥陀仏の本願に値うや、死刑直前に、

「さらばなり 有為の奥山 今日こえて 
       弥陀のみもとに ゆくぞ嬉しき」

「明日よりは 誰にはばかる ところなく 
       弥陀のみもとで のびのびと寝ん」

「日も月も 蛍の光 さながらに 
       行く手に弥陀の 光輝く」

と遺している。

人間のつけた、一切の虚飾を振るい落とされた、
そこにあるものは、かよわき葦のような、
罪悪にまみれた自己でしかない。
 
悪夢から覚めた彼は、大罪を犯したが、
多生にも億劫にもあい難い、
弥陀の救いに値えたこと一つが有り難かったと、
絞首台に勇み足で立ったといわれている。
 
財産は、地変に遭えば潰れる。
建物は、災禍に遭えば灰になる。
名誉や地位の箔は、死の前には執着を増すばかり。
妻子は、輪廻の仲だちにしかならない。
 
すべてが、一朝の夢にしかすぎないことが分かれば、
永劫、生き抜く他力の信心を獲られた
親鸞聖人のたくましさも、
蓮如上人の無碍の活動も理解されることと思う。
 
大いに勝縁をとらえて光に向かおうではないか。





一日一訓(17日 夢をもつようにしよう)

2011年10月17日 | 一日一訓
一日一訓(17日 夢をもつようにしよう)

「夢をもつようにしよう」

"未来に生きるのが青年、
 過去に生きるのが老人"

といわれる。

未来とは夢であり、理想だ。
 
魂の中に抱く、夢や理想の
質や量によって、
青年であるか、
老人であるかが分かれる。
 
たとえ肉体は七十歳、八十歳であっても、
素晴らしい未来に燃える人は、
青年だといえる。
 
未来に、理想を持つ人は、
肉体は幾つになっても
青年といえる。
 
ところが、現代は、
夢のない時代といわれる。
なぜだろう。

イギリスの作家、
バーナード・ショーは、

「人生には二つの悲劇がある。
 一つは夢がかなえられないこと。
 もう一つはその夢が
 かなえられること」

だと言っている。

夢みられた夢と、
実現された夢には、
無限の距離があるようだ。

人生は苦しみの花咲く木。
枝葉を、刈り取っても
苦しみはなくならない

浄土真宗の祖師・親鸞聖人が
生きられた限りなき未来とは
何だったのだろう。

"弥陀の光明は、
 無明の闇を破り、
 後生明るくする、
 智慧の太陽である"

と教えられた。

色あせることも、
薄れることもない、
未来永遠の幸福こそ、
人類不変の夢である

九十年の生涯、親鸞聖人が
説かれたことは、
弥陀の本願ただ一つだった。

たとえ、肉体は
幾つになろうとも、
素晴らしい未来に
燃える人は青年だ。
 
仏恩報謝に燃えられる、
聖人の見据えられた未来は、
五十年や百年のことではなかった。

「和歌の浦曲の片男浪の、
 寄せかけ寄せかけ
 帰らんに同じ」
 
苦しみ悩む、すべての人が
救われ切るまで、
活動せずにはおれないのだ。
 
寄せては返す、
無窮の波動のように、
限りなき衆生救済の
未来に生きられた聖人は、
永遠の青年であった。


一日一訓(16日 同じ石で二度つまずくものは馬鹿者である)

2011年10月16日 | 一日一訓
一日一訓(16日 同じ石で二度つまずくものは馬鹿者である)

「同じ石で二度つまずくものは馬鹿者である」

朝鮮、中国など大陸各地にも事業を起こし
帝国ホテル、帝国劇場などを創立した
明治、大正の実業家、大倉財閥の創設者大倉喜八郎は、

「人は多く酒で失敗する。俺は生涯飲まないぞ」

と固く禁酒を貫いていた。

それを聞いた時の宰相・黒田清隆は、

「なに、交際でも宴会でも酒を飲まぬとな。
 生意気なことをいう男だ。
 よし、俺が必ず飲ませてみせる」

と大倉氏を招いて一席を設けた。

席上、黒田清隆、裸も裸、
ふんどし一つ身にまとわぬ素っ裸で
ステテコ踊りを始めた。

黒田首相は薩摩(鹿児島)の出身である。
裸で踊られたら一座の者は、
何がなんでも酒を飲まねばならぬ。
それが鹿児島の風習であることを
知っていた大倉氏は困惑した。

「これはえらいことになった。
 先方は時めく総理首相、
 自分は一介の商人、どう信念を貫くべきか」
 
苦慮していると、たまたま首相がトイレに立った。

「今だ」

その機を逃さず退場し、平生の信念を貫いた。

翌日、

「ああ、大倉という男は偉い」

と黒田氏は称賛し、昨日の無礼を詫びたという。

一実業家に非礼を詫びた黒田氏も偉いが、
時めく首相にも平生の信念を
曲げなかった大倉氏は立派である。

ボルネオ島の人々の、
猩猩(オランウータン)を捕らえる奇抜な方法がある。

アリックという強烈な酒を愛飲する彼らは、
数滴その酒を落とした水ガメを猩猩の巣の下に置く。

間もなく猩猩は、それを飲み干す。
翌日から少しずつ酒の量を増やしていく。
生まれつき大酒飲みではないのだが、
知らず知らずに猩猩は、
酒の味を覚え好むようになっていくのである。

やがては、生のアリックをも
ガブ飲みするようになる。

さすがにその時は酔っ払い、
石を投げたり木を折ったり、
散々乱暴したあげくゴロリと高いびきでねてしまう。
そこをなんなく捕らえるというのだ。

禁酒も禁煙も三日坊主、
勤勉も努力も猫の精進で五日も続かぬ。

せっかく、遠大な抱負を持ちながら
ささいな誘惑に腰を折り、
ちょっとした困難に方針を翻すことの如何に多いことか。

信念の達成には敢然として、
万難を乗り越える覚悟がなければならない。





一日一訓(15日 嫁を貰うと息子は貴女に尻を向ける)

2011年10月15日 | 一日一訓
一日一訓(15日 嫁を貰うと息子は貴女に尻を向ける)

「嫁を貰うと息子は貴女に尻を向ける」

『父母恩重経』に説かれた
父母から山よりも高く海よりも深い
ご恩を受けて成長した筈の子供が、
親にどのように接しているのか。
『父母恩重経』には、次のように説かれている。

「既に婦妻を索めて他の女子を娶れば、
 父母をば転た疎遠して夫婦は特に親近し、
 私房の中に於て妻と共に語らい楽しむ」

子供が結婚すると、
両親を別棟に押しやって会いにも行かず、
若夫婦だけで部屋で語らって楽しんでいる。

老いた親から用事があって呼ばれても、
なかなか顔を見せず、やっと行っても、
怒りののしった揚げ句に、こう言い放つ。

「老い耄れて世に残るよりは
 早く死なんには如かず」

この先、生きていて何の楽しみがあろう。
早く死んだほうがよかろう〟

仏教では

「殺るよりも、劣らぬものは、思う罪」

といわれ、手にかけて殺すよりも
もっと恐ろしいのは、相手を邪魔に思う、
心で殺す罪だと教えられている。

そんなわが子の暴言を聞いた父母は、
張り裂けんばかりに嘆き悲しむ。

「ああ汝幼少の時、
 吾に非ざれば養われざりき、
 吾に非ざれば育てられざりき、
 而して今に至れば則ち却って是の如し。
 ああ吾汝を生みしは本より無きに如かざりけり」

ああ、どうしてこんな子になってしまったのか。
こんなことなら、生まねばよかった。

「こんなに苦労して育ててやったのに」

と子供に言おうものなら、

「そんなにイヤなら、
 はじめから生まねばよかったのだ」

と返されて絶句する。

身を削って育てたわが子に裏切られた親の悲嘆は、
どんなに深いことか。

二千六百年前のインドも、今日の日本も、
古今東西変わらぬ家庭悲劇が繰り返されている。
 
また、子供のほうでも、
親の愛情を感じられずに育ち、
つらい過去を持つ人もいるだろう。
 
私たちは、両親が立派だから感謝するのか。

仏さまの眼からは、
親も私も同じ一生造悪の者と見抜かれたうえで、
仏法では、

「父母の恩重きこと天の極まり無きが如し」

と説かれている。
立派な人だから感謝せよ、と教えられるのではない。
 
親のご恩を感じられない、真の理由は何か。それは、

「生まれてよかった。生きてきてよかった」

という心からの喜びがないからだ。
日々の中で、一時の快感やささやかな楽しみはあっても、
人間に生まれたことを大満足する喜びがない。

それどころか、

「どうして生まれてきたんだろう。
 生まれてこなければ、
 こんなつらい思いをしなくてもよかったのに」

と恨んでいる人さえいる。
苦しみに満ちた人生にあって、
生んでもらったことを
有り難く思えるはずはない。

「人間に生まれたからこそ、
 こんな素晴らしい、幸せな身になれたのだ」

という歓喜があれば、
生まれたことに感謝する心が起きるだろう。
その生命の歓喜を、お釈迦さまは、

「人身受け難し、今已に受く
  仏法聞き難し、今已に聞く」

と教えられている。

「生まれ難い人間に生まれて、よかった。
 この大歓喜は、仏法を聞いて知らされた。
 聞き難い仏法を聞けて、本当によかった」

というあふれる喜びの言葉。
 
仏法を知らされれば、
両親が大変な苦労をして生み育ててくださったから、
今、この法を聞かせていただくことができたのだ
とご恩を感じ、そのご恩に報いたい、
という心が、おのずとわき起こってくるのである。  




一日一訓(14日 自分の都合のよい時)

2011年10月14日 | 一日一訓
一日一訓(14日 自分の都合のよい時)

「自分の都合のよい時喜ぶは煩悩
   自分の都合の悪い時喜べるのが真実の信仰」

親鸞聖人が万人の救われる
大道を切り開かんが為に
肉食妻帯して非僧非俗の姿を
示された時、
四方八方から

「僧侶の掟を破った
 破戒坊主じゃ」
「狂人じゃ」
「堕落坊主じゃ」
「果ては仏教の怨敵じゃ」
「悪魔じゃ」

と集中攻撃を受け、
遂には死刑を受くべきところを
九条兼実公の裏面の
工作によって
法然上人と共に
遠流に処せられた。

一時は

「天皇も臣下どもも、
 まことの大法に背き、
 正義に違い、
 みだりに無法の怒を起し
 怨を結び、無実のものを
 処刑するとは何事だ」

激しい憤りを
『教行信証』のあとがきに
記されている。

しかしこの憤りはやがて

「抑々又大師聖人
 もし流刑に処せられたまわずば、
 我また配所に赴かんや、
 もしわれ配所に赴かずんば
 何によりてか辺鄙の
 群類を化せん。
 これなお師教の恩致なり」

と総てに感激なされているのは
決してひかれ者の
小唄でもなければ
アキラメでもない、
転悪成善の妙益によるのだ。

弁円が稲田の庵室に
押しかけた時も、
聖人の御心は
弁円の立場に立って
ごらんになるから更に
憎む気色もなかったのだ。

自分が弁円の立場におれば、
自分が相手を殺しにゆくのだ。
殺すも殺されるも
怨むも怨まるるも
共に仏法を弘むる
因縁となるのだと
相手を憐れむ偉大な信仰は

「御同朋御同行」

とさとされて遂に
弁円をして明法房と
生れ変わらせたのである。




一日一訓(13日 如何なる小事でも 全力を傾注してかかろう)

2011年10月13日 | 一日一訓
一日一訓(13日 如何なる小事でも 全力を傾注してかかろう)

「如何なる小事でも
 全力を傾注してかかろう」

矢場に立った一人の男、
二本の矢をたばさんで
的に向かっている。

「おまえは、まだ初心じゃ。
 一本にしなさい」
 
そばで見ていた白髪の指南は、
にべもなくこう言った。
弓を射るとき、
諸矢(二本の矢)を
持つのが通例である。

初心だから二本持つな、
一本にしろとはどういうことか。

為損ずることの多い初心者だから、
一本では無理だろう、
二本持てというならわかるが、
どうも腑におちない。

「はい、かしこまりました」

素直な男は、言われるままに
一本を投げすてた。

〝この一矢よりないのだ〟

一本の矢に全精神を集中する。
かくて彼は、みごとに
的を貫いたのだ。

初心者に、にあわぬできばえと、
満場の喝采をえたが、

〝一本にせよ〟

の老指南の意味は、
どうにもわからない。
思案のすえ彼は、
老先生を訪ねて教えをこうた。
笑みをたたえて老先生、こう答えたという。

「子細はない。
 ただ後の矢をたのみにするから、
 初めの矢に専心できないのだ。
 どうしても油断ができる。
 勝つも負けるも、
 ただこの一矢の
 覚悟がなくては、
 何十本の矢も、
 みなあだになるのじゃ」

〝これがダメなら次がある〟

の思いが専心を妨げるのである。
熱中できるはずがない。

熱中といえば
フランスの大学者ビュデ。

家事万端を妻にまかせて
一意専心、勉学に没頭した。

「隣家が火事です。
 はやく、お逃げにならねば」

と、書生が飛びこんだときも、

「すべて妻にまかせてあるから、
 家内に相談してくれ」

と、目もくれなかったという。

ばかのような話であるが、
一つのことに魂を、
そこまで打ちこみたいものである。
 
時空を超越して、一意専心、
目的達成に熱中すれば、
成就できぬ何事もないにちがいない。

一日一訓(12日 男は男らしく 女は女らしく)

2011年10月12日 | 一日一訓
一日一訓(12日 男は男らしく 女は女らしく)

「男は男らしく
 女は女らしく」

何しろ女性の論理は
男には理解しがたい。

普通の論理

「この人は私を愛している。
 だが私には夫がある。
したがって私は、
 この人を愛してはいけない」

ところが女性の論理

「私には夫がある。
 したがって私は
 この人を愛してはならない、
 だがこの人は私を愛している」

この二つの真理を
とくとご覧じろ
“だが”の位置と
各文のでてくる順序が
違うだけで後は全く同じだ。

“だが”このへんが
男と女の違いなのだろう。

「年を取っている。
 これこそいかなる女にも
 堪えられない屈辱である。」
  (セルバンテス)

それゆえ、ある文人曰く、
女は三十歳になるまでに
四十五年かかる。

確かに、女性は
自分の年齢を素直に
認めたがらないものらしい。

いつまでも若く美しく
ありたいとは
女性の永遠の願望なのだろう。

では男らしさ、女らしさとは
何だろう。

「やさしい男性が好き」

と女性は言うが、
ただニコニコしているのが
「やさしい」と
いうことではないようだ。

一般的には、

「オレについて来い」が「男性」、

「ついてゆきたい」が「女性」

と言えよう。

女性が全て

「オレについて来い」

となって、男性がみな

「ハイハイ」

と従っていくようになったら
どんな世の中になるだろう。

想像しただけで、
末恐ろしい。

イギリスのサッチャー首相は
男よりも男らしいが、
肉体的には女性でも、
本質的には男性といえよう。

そのサッチャーの夫は
そういう人にふさわしい
夫なのだろう。
本質的には女性なの
かもしれない。