一日一訓(9日 悲しむな 夜が明ければ朝来たる)
「悲しむな 夜が明ければ朝来たる」
昔は、両国橋のような大きな橋になると番人がおった。
通行料(二文)を取るほか、監視の役目もしておった。
ある年、毎晩のように身投げ事件が起きたものだから、
町奉行より、夜中も見張れとのお達しで、
橋番たちはしぶしぶ寝ずの番をしている。
そこへ真夜中ふらっと来たのが一人の花魁。
「ここ通らせてもらうよ。はい、通行代」
「一文?いや姐さん、これじゃ半分だ」
「いいんだよ、私は橋の真ん中までしか用事がないんだ」
と言うや、トントントントンと駆けていく。
「待った!さては毎晩、
身投げってのはお前か?のわけねえか」
後ろから抱きかかえるようにして引き留めると、
「ちょいと放して!」。
「そうはいかねえ」
花魁はその場に泣き崩れ、
うつむくうなじに鬢のほつれが三つ四つ。
ほのかに漂う麝香が艶かしい。
「もうだめ、いっそ死んでしまいたい……」
「男にふられたのかい?気の毒に。
でも、あんたみてえな器量よしなら、
幾らでもやり直せるって。
もう一ぺん頑張って生きてみなよ」
「いいえ私はね、生きるのがもう嫌んなったの。
それでも頑張れ?頑張れって一体何を
頑張れっていうのさ?」
「そりゃ、生きてりゃいいこともあるさ。
朝の来ない夜も、春の来ない冬もねえだろ。
そのうちきっと夜が明けるさ。
やがて花咲く春が来るって」
励ますものの、花魁はじっと橋番の目を見据え、
「橋番さん、その夜明けって何さ?
花咲く春って何よ?
あんた今まで、何かいいことあったの?」。
「いいこと?家には病気の親に、
うるさいカカア、それに貧乏人の子沢山。
どうせこの先も苦しいことばかり」
「それごらんよ。
生きたっていいことなんてありゃしないさ。
来ない春を待ち暮らすなんてごめんだよ。
生きろと言うなら、あんたこそ、
生きてせいぜい苦しむがいいさ」
「ひでえこと言うぜ。
でも、お前の言う通りかもしれねえな。
なぜ、生きるんだろ?」
「ねえ、あんた、私と一緒に死ぬってのはどう?」
「え?」
「一人で死ぬのは寂しいと思ってたとこさ。
それにさ、あんたよく見ると男前だし。
来世を契った心中ってのはどう?
それなら格好もつくし、
明日は江戸中、大騒ぎさ」
「どう?って、お前」
花魁は、橋番の手をぎゅっと握ると目と目を合わせ、
「もう決めたの。
『この世の名残、夜も名残、
死にに行く身をたとうれば、
あだしが原の道の霜』。さ、
*浄瑠璃『曽根崎心中』道行文の一節
気分も出てきたし、
じゃ、飛び込むわよ。一、二の」。
とんでもない女がいたものだ。
ちょうどそこへ巡回中の奉行が。
「そこの二人、何しとる」
「何してるってお奉行さま、
見ての通りでさあ」
「早まるでない。朝の来ない」
「あー『朝の来ない夜はない』ってねえ、
それはさっき終わったんでさあ。
お奉行さま、ここは一つ目をつぶっておくんなせえ」
「お前たち、心中してどこへ行くつもりじゃ」
「え?どこへって、死ねば楽になれるんじゃあ?」
「じゃあ?って、行く先がハッキリせんのに
軽々に飛び込む奴があるか!
この大馬鹿者。後生は取り返しがつかんのだぞ!」
「そ、そうでございますが、
お奉行さま、後生って
ハッキリするものでございますか?」
「もちろんだ。それを教えられたのがお釈迦さまよ。
いつ死んでもお浄土参り間違いない身に必ずなれる。
なればこの世は大安心、大満足で、
苦悩の娑婆が喜びに大転換だ!
その身になるための人生じゃ。
だから仏の教え通り、進みなさい。お二人さん」
「へえそうだったんですかい」
「こんな私も、お浄土参りできるのね!」
花魁と橋番が手を取り合う。
「随分と仏教に詳しいお奉行さま。
一体、何奉行でございましょう?」
「わしか?わしは衆善奉行じゃよ」
大宇宙の諸仏方が共通して教えられている
「七仏通戒偈」の一句
「衆の善を行い奉れ」
「悲しむな 夜が明ければ朝来たる」
昔は、両国橋のような大きな橋になると番人がおった。
通行料(二文)を取るほか、監視の役目もしておった。
ある年、毎晩のように身投げ事件が起きたものだから、
町奉行より、夜中も見張れとのお達しで、
橋番たちはしぶしぶ寝ずの番をしている。
そこへ真夜中ふらっと来たのが一人の花魁。
「ここ通らせてもらうよ。はい、通行代」
「一文?いや姐さん、これじゃ半分だ」
「いいんだよ、私は橋の真ん中までしか用事がないんだ」
と言うや、トントントントンと駆けていく。
「待った!さては毎晩、
身投げってのはお前か?のわけねえか」
後ろから抱きかかえるようにして引き留めると、
「ちょいと放して!」。
「そうはいかねえ」
花魁はその場に泣き崩れ、
うつむくうなじに鬢のほつれが三つ四つ。
ほのかに漂う麝香が艶かしい。
「もうだめ、いっそ死んでしまいたい……」
「男にふられたのかい?気の毒に。
でも、あんたみてえな器量よしなら、
幾らでもやり直せるって。
もう一ぺん頑張って生きてみなよ」
「いいえ私はね、生きるのがもう嫌んなったの。
それでも頑張れ?頑張れって一体何を
頑張れっていうのさ?」
「そりゃ、生きてりゃいいこともあるさ。
朝の来ない夜も、春の来ない冬もねえだろ。
そのうちきっと夜が明けるさ。
やがて花咲く春が来るって」
励ますものの、花魁はじっと橋番の目を見据え、
「橋番さん、その夜明けって何さ?
花咲く春って何よ?
あんた今まで、何かいいことあったの?」。
「いいこと?家には病気の親に、
うるさいカカア、それに貧乏人の子沢山。
どうせこの先も苦しいことばかり」
「それごらんよ。
生きたっていいことなんてありゃしないさ。
来ない春を待ち暮らすなんてごめんだよ。
生きろと言うなら、あんたこそ、
生きてせいぜい苦しむがいいさ」
「ひでえこと言うぜ。
でも、お前の言う通りかもしれねえな。
なぜ、生きるんだろ?」
「ねえ、あんた、私と一緒に死ぬってのはどう?」
「え?」
「一人で死ぬのは寂しいと思ってたとこさ。
それにさ、あんたよく見ると男前だし。
来世を契った心中ってのはどう?
それなら格好もつくし、
明日は江戸中、大騒ぎさ」
「どう?って、お前」
花魁は、橋番の手をぎゅっと握ると目と目を合わせ、
「もう決めたの。
『この世の名残、夜も名残、
死にに行く身をたとうれば、
あだしが原の道の霜』。さ、
*浄瑠璃『曽根崎心中』道行文の一節
気分も出てきたし、
じゃ、飛び込むわよ。一、二の」。
とんでもない女がいたものだ。
ちょうどそこへ巡回中の奉行が。
「そこの二人、何しとる」
「何してるってお奉行さま、
見ての通りでさあ」
「早まるでない。朝の来ない」
「あー『朝の来ない夜はない』ってねえ、
それはさっき終わったんでさあ。
お奉行さま、ここは一つ目をつぶっておくんなせえ」
「お前たち、心中してどこへ行くつもりじゃ」
「え?どこへって、死ねば楽になれるんじゃあ?」
「じゃあ?って、行く先がハッキリせんのに
軽々に飛び込む奴があるか!
この大馬鹿者。後生は取り返しがつかんのだぞ!」
「そ、そうでございますが、
お奉行さま、後生って
ハッキリするものでございますか?」
「もちろんだ。それを教えられたのがお釈迦さまよ。
いつ死んでもお浄土参り間違いない身に必ずなれる。
なればこの世は大安心、大満足で、
苦悩の娑婆が喜びに大転換だ!
その身になるための人生じゃ。
だから仏の教え通り、進みなさい。お二人さん」
「へえそうだったんですかい」
「こんな私も、お浄土参りできるのね!」
花魁と橋番が手を取り合う。
「随分と仏教に詳しいお奉行さま。
一体、何奉行でございましょう?」
「わしか?わしは衆善奉行じゃよ」
大宇宙の諸仏方が共通して教えられている
「七仏通戒偈」の一句
「衆の善を行い奉れ」