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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

一日一訓(9日 悲しむな 夜が明ければ朝来たる)

2011年11月09日 | 一日一訓
一日一訓(9日 悲しむな 夜が明ければ朝来たる)

「悲しむな 夜が明ければ朝来たる」

昔は、両国橋のような大きな橋になると番人がおった。
通行料(二文)を取るほか、監視の役目もしておった。

ある年、毎晩のように身投げ事件が起きたものだから、
町奉行より、夜中も見張れとのお達しで、
橋番たちはしぶしぶ寝ずの番をしている。

そこへ真夜中ふらっと来たのが一人の花魁。

「ここ通らせてもらうよ。はい、通行代」

「一文?いや姐さん、これじゃ半分だ」

「いいんだよ、私は橋の真ん中までしか用事がないんだ」

と言うや、トントントントンと駆けていく。

「待った!さては毎晩、
 身投げってのはお前か?のわけねえか」
 
後ろから抱きかかえるようにして引き留めると、

「ちょいと放して!」。

「そうはいかねえ」

花魁はその場に泣き崩れ、
うつむくうなじに鬢のほつれが三つ四つ。
ほのかに漂う麝香が艶かしい。

「もうだめ、いっそ死んでしまいたい……」

「男にふられたのかい?気の毒に。
 でも、あんたみてえな器量よしなら、
 幾らでもやり直せるって。
 もう一ぺん頑張って生きてみなよ」

「いいえ私はね、生きるのがもう嫌んなったの。
 それでも頑張れ?頑張れって一体何を
 頑張れっていうのさ?」

「そりゃ、生きてりゃいいこともあるさ。
 朝の来ない夜も、春の来ない冬もねえだろ。
 そのうちきっと夜が明けるさ。
 やがて花咲く春が来るって」
 
励ますものの、花魁はじっと橋番の目を見据え、

「橋番さん、その夜明けって何さ?
 花咲く春って何よ?
 あんた今まで、何かいいことあったの?」。

「いいこと?家には病気の親に、
 うるさいカカア、それに貧乏人の子沢山。
 どうせこの先も苦しいことばかり」

「それごらんよ。
 生きたっていいことなんてありゃしないさ。
 来ない春を待ち暮らすなんてごめんだよ。
 生きろと言うなら、あんたこそ、
 生きてせいぜい苦しむがいいさ」

「ひでえこと言うぜ。
 でも、お前の言う通りかもしれねえな。
 なぜ、生きるんだろ?」

「ねえ、あんた、私と一緒に死ぬってのはどう?」

「え?」

「一人で死ぬのは寂しいと思ってたとこさ。
 それにさ、あんたよく見ると男前だし。
 来世を契った心中ってのはどう?
 それなら格好もつくし、
 明日は江戸中、大騒ぎさ」

「どう?って、お前」

花魁は、橋番の手をぎゅっと握ると目と目を合わせ、

「もう決めたの。
 『この世の名残、夜も名残、
  死にに行く身をたとうれば、
  あだしが原の道の霜』。さ、
  *浄瑠璃『曽根崎心中』道行文の一節
 気分も出てきたし、
 じゃ、飛び込むわよ。一、二の」。
 
とんでもない女がいたものだ。
ちょうどそこへ巡回中の奉行が。

「そこの二人、何しとる」

「何してるってお奉行さま、
 見ての通りでさあ」

「早まるでない。朝の来ない」

「あー『朝の来ない夜はない』ってねえ、
 それはさっき終わったんでさあ。
 お奉行さま、ここは一つ目をつぶっておくんなせえ」

「お前たち、心中してどこへ行くつもりじゃ」

「え?どこへって、死ねば楽になれるんじゃあ?」

「じゃあ?って、行く先がハッキリせんのに
 軽々に飛び込む奴があるか!
 この大馬鹿者。後生は取り返しがつかんのだぞ!」

「そ、そうでございますが、
 お奉行さま、後生って
 ハッキリするものでございますか?」

「もちろんだ。それを教えられたのがお釈迦さまよ。
 いつ死んでもお浄土参り間違いない身に必ずなれる。
 なればこの世は大安心、大満足で、
 苦悩の娑婆が喜びに大転換だ!
 その身になるための人生じゃ。
 だから仏の教え通り、進みなさい。お二人さん」

「へえそうだったんですかい」

「こんな私も、お浄土参りできるのね!」

花魁と橋番が手を取り合う。

「随分と仏教に詳しいお奉行さま。
 一体、何奉行でございましょう?」

「わしか?わしは衆善奉行じゃよ」  

大宇宙の諸仏方が共通して教えられている
「七仏通戒偈」の一句
「衆の善を行い奉れ」

一日一訓(8日 他人に親切した時)

2011年11月08日 | 一日一訓
一日一訓(8日 他人に親切した時)

「他人に親切した時、
 私が誰々に 何々を、
 この三つを忘れるようにしよう」

昔、或る高僧に、高価な仏前の灯ろうを
寄進した人があった。

ところがその後
いくらたっても寺から何の挨拶もなかった。

その人は立腹して、或る日

「私があれ程高価なものを
 貴僧に布施したのに一言の挨拶もないとは
 あんまりではござらんか」

と詰問した時

「これはまた、何を言われる
 貴方が善根功徳を積まれたことに、
 なんで私がお礼を言わなければならんのか、
 貴方は布施ということを御存知ないのだろう」

と諄々と布施の心と功徳を説いてきかせた。
その人は懺悔して改心したという。

九月は月の美しい月だが、
昔、インドの山中にウサギとキツネとサルが
仲良く暮らしていた。

それを見た帝釈天が

「あの三匹の中で一番思いやりがあるのは誰か」

と試験してみたくなり、一人の老人に扮して山を登り、
三匹の動物の処へ行った。
そして、

「お前たちは大変仲が良くて結構だ。
 ところでワシは腹がへってしまった。
 何か食べさせてもらえんか」

「よろしいですよ」

三匹は各々の方向へ散り、
やがてサルは木の実、
キツネは魚を捕ってきた。

ところがウサギは何も持ってこなかった。

「おやおやウサギよ。
 お前はワシに何も食べさせてくれんのか」

「済みません。
 何も見つかりませんでした。
 しかし、私には私の考えがあります。
 近くから薪を取ってきてください」

やがて薪がそろうと、

「おじいさん。
 木の実も魚も美味しいでしょう。
 しかし、ウサギの肉はもっと美味しいですよ」

と言うなり、
身を火中に投じて老人の食物として
供養したという。

身を捨てて他人の為に尽くしたウサギの
行為は大変尊い。

帝釈天の姿に戻った老人は

「この行為こそ、永く後世に
 伝えなければならない」

と考え、ウサギの身体を万人の見ることのできる
月の世界へと運んでいったという。

日本で月にウサギが住んで、
餅つきをしているという話は
ここより出たものだが、
以後、月を眺めた時は、
身体で他人に為に尽くすことの尊さを
教えていったウサギを思い出すべきである。







一日一訓(7日 蒔かぬタネは生えぬ)

2011年11月07日 | 一日一訓
一日一訓(7日 蒔かぬタネは生えぬ)

「蒔かぬタネは生えぬ 刈りとらねばならぬ一切のものは
   自分のまいたものばかり」

イタリアの有名な音楽家の許へ一人の青年が、
音楽の教授を求めて訪ねた。

「止した方がよかろう。音楽の道は大変だから」

音楽家はキッパリと断る。

「必ずどんな苦労でも致しますから、ぜひ教えて下さい」

青年は必死に頼んだ。
どんな苦しいことがあっても一切、
不足や小言は言わないという約束の上で教授を許した。
 
それから青年は、その家に起居して
炊事、洗濯、掃除など一切の家事の面倒をみて、
その合間に音楽の教授を受けた。

はじめの一年は音階だけで終った。
二年目も同じく音階だけ。
三年目こそは何か変わった楽譜をと期待していたが、
依然として音階だけで終った。

四年目も音階だけであったので、
たまりかねた青年は不足をならした。

「何か変わった楽譜を教えて貰えないでしょうか」

師匠は一言のもとに叱りとばした。

五年目になって、半音階と低音使用法とを教えた。
その年の暮。

「もうお前は帰ってもよろしい。
 私の教えることは総て終った。
 お前は如何なる人の前でうたっても、
 他人にひけをとることはなかろう」

と、免許皆伝したのである。
その青年はカファレリと言い、
イタリア第一の名歌手となった。

音階ぐらいと馬鹿にしてはならない。
それを五年間も魂を打ち込んで教授したのは、
基礎が完成すれば、どんな難しい楽譜でも
自由自在に操ることができるからである。

何ごとも基礎が肝要である。



一日一訓(6日 できるだけ他人の長所を発見してほめるようにしよう)

2011年11月06日 | 一日一訓
一日一訓(6日 できるだけ他人の長所を発見してほめるようにしよう)

「他人の長所を発見して
 ほめるようにしよう」

外套を着込んだ一人の旅人が、野原を歩いていた。
どちらが早く、この旅人の外套を脱がすことができるか。
風と太陽が競争することになった。風が先ず試みる。

暴風をもって旅人の外套を吹きとばそうと全力をあげた。

「おお、寒い寒い」

旅人は益々、強く外套を引きしめるばかりであった。
風は遂に力尽きて、あきらめた。

そこで太陽が代って試みた。
太陽は思う存分、旅人の上に、
暖かい陽光をさんさんとふりそそぐ。
旅人は、にっこり笑って、

「ああ、日光のおかげで暖かくなったわい」

といって外套を脱いだという。
我々には、厳しい激しいムチも時には必要ではあるが、
優しい暖かい寛容が我々を更生させることが多い。
叱るよりも誉めることの大切さを、
よく心得ておかねばならない。

ある時、さしで口のやかましやが鼻に抗議した。

「コラ鼻公。貴様はなんの働きがあってオレの上に、
 一本ならず二本まで煙突を並べてあぐらをかいているのだ。
 三度の食事は勿論のこと間食もするし話もする。
 オレほど働くものは顔の中にいないのに、
 なぜ顔の最下位に居なければならぬのか。
 位置を変わってもらわにゃならぬ」
 
獅子鼻が怒った。

「なにをグズグズ文句を並べる。
 自分の働きしか見えんのか。
 お前は夜業をしたことあるのかい」

「寝言を言ったことがある」

「バカ、寝言が夜業になるか。
 オレさまは昼は勿論、夜も一分間の休みもなく、
 連続運転の息をしているのだぞ。
 そのうえ、お前が腐りかけた物でも勿体ないと
 食べるクセがあるから、
 よい悪いを判断してやっていることが分からんのか」

「分かった、分かった。
 それならお前はよいとして、
 けしからんのは貴公の上のトビの眼だ。
 昼間はギョロギョロしているが、
 夜業は一切しないで安眠している。
 あんな横着者は下にいて当然だ」
 
するとヤブ睨みの眼が、
鼻と口とを見下ろして怒鳴る。

「なんと高慢ちきな、天狗鼻と自惚れ口め。
 オレが高い所で監視しておればこそ、
 お前らが危険な場所にも陥らず、
 ご飯の石でも選り出してやれるのだ。有り難く思え」

「なるほど、聞いてみれば、ごもっとも」

「それなら一番上の眉毛、
 あいつこそ無用の長物だ。
 下へ引きずり降ろしてやろうじゃないか」

と揃ってでかけた。

愛嬌のよい眉毛は、

「なる程、仰有ればそうかも知れませんが、
 私は一番大切な眼に汗が流れ込まないように
 堤防を築いているのです」

と言ったので、眼も鼻も口も文句なしに引き下がった。
上も下も感謝しつつ、夫々の使命を
忠実に果たさなければならない。



一日一訓(5日 自分の仕事を愛し熱中するようにしよう)

2011年11月05日 | 一日一訓
一日一訓(5日 自分の仕事を愛し熱中するようにしよう)

「自分の仕事を愛し熱中するようにしよう」

鍋島加賀守が江戸に参勤のため、
瀬戸内海を船で走り、
その日の内に大阪に着こうと予定していた。

ところが船頭が、一点の曇りも風もないのに、
急に叫んで舟子に帆を巻かせ、
舟を高砂の入江に着けようと騒いでいる。

加賀守は数度往来して、西国の海上には慣れていた。

「これは一体、どうしたことか」

船頭を呼びつけ、きびしく詰問した。

「まことに申し訳ありませんが、
 天候が急変しそうで油断ができませぬ。
 殿に万一のことがあればと思いまして、
 出航を見合わせました」

「馬鹿者、この天気を見ろ。
 うつけ者めが。こんな時に嵐が起る筈があるか。
 かまわぬから直ちに船を出せい」
 
きつい下知に黙って引き退ったが、
船頭は、いよいよ高砂の浜に船を急がせた。

「おのれ余の命令にさかろう気か。
 もし天候が変わらなかったら、
 そちの首を刎るから覚悟しておれ」

「承知致しました。もし天候の激変がなければ、
 殿には、これ程のおめでたいことはありません。
 私めは切腹いたしまする」
 
きっぱりと、船頭は答えた。
それから一刻とたたぬうちに、
一天にわかにかき曇り、
烈風忽然と吹き来り波浪奔騰したが、
船頭は舟子達を励まして、
漸く九死に一生を得てことなきを得た。

大役を終えた船頭は、十四歳になる我子を前に諭した。

「船頭が一旦舵を握れば、
 何人の指図も受けてはならぬ。
 たとえ身命を失うとも、
 己の信念通りに舟を操るのが船頭じゃ。
 今日のことを、よくよく忘れるでないぞ」
 
加賀守は、いたく感嘆し賞讃した。

如何なる権威や恫喝にも屈せず、
己が信念を貫く者こそ、
その道のプロである。

真のプロでなければ、大事を為し遂げることはできない。





一日一訓(4日 他人にゆずる気持ちを持つようにしよう)

2011年11月04日 | 一日一訓
一日一訓(4日 他人にゆずる気持ちを持つようにしよう)

「他人にゆずる気持ちを持つようにしよう」

優れた師匠を求め回った熊沢蕃山。

〝ここに師あり〟と、
近江聖人中江藤樹の門に入ったのは、
同宿の、商人の話を聞いたのが因縁だった。

以下は、商人の話。
かつて私が京都へ行った時、
草津付近で、主人の大金二百両を紛失してしまった。

途方に暮れ死も覚悟していた夜半、
旅宿の戸を叩き、ぜひ私に遇いたいという者がいた。
出てみると、今日乗った馬の親方ではないか。

「貴方を送って家に帰り、
 馬の鞍を調べて見ると、
 このような大金が忘れられていた。
 確かに貴方のものに違いない。
 どんなにこそ、お困りのことかと駆けつけました。
 これでやっと肩の荷が下りた思いです」

と、私の失った金子を目の前に差し出した。

地獄で仏の私は、
今時こんな人があったのか。
身に学問はなくとも、
その心根は聖にも劣らぬものだと感心して、
これは、ほんのお礼のしるしと差し出した十六両も、

「私は別に立派なことも、
 変ったこともした覚えはありません。
 貴方のものを貴方に返すのは当たり前。
 お礼など貰う訳はありません」

と、一向に受け取ろうともしない。
強く心を打たれた私は、
如何にも美しい心がけなので、
その理由を尋ねてみた。

「私の郷里に、中江藤樹という先生がおられます。
 先生は、いくら貧乏したとて余計に金銭をねだったり、
 不正な金を我物にしたりして、
 みだりに利に走ってはならない。
 守るべきは誠の心一つだと言われます。
 今夜来たのも、その教えの通りにしたまでで、
 別に大したことではありません」

という。馬子殿の行為は皆、
中江先生という人の感化であるそうな。
全く偉い方もあるものです。

〝この人をおいて、我が求むる師なし〟

と熊沢蕃山をして決意させたのは、
この商人の、感動的体験談であったという。






一日一訓(3日 総てのことを善意に解釈するようにしよう)

2011年11月03日 | 一日一訓
一日一訓(3日 総てのことを善意に解釈するようにしよう)

「総てのことを善意に
 解釈するようにしよう」

昔、中国に伯瑜という人がいた。
母親は生来短気で、
しばしば伯瑜を激しく鞭打った。

伯瑜はしかし、その鞭の下から親の恩を感じ、
なんとか孝養を尽そうと母につかえていた。

ある時、例によって、
たいしたことでもないのに母親は、
伯瑜を引っ捕えて打って打って打ちのめす。

ところがその日の伯瑜は、
何時もと違って鞭打たれるたびに、
大きな声で泣き悲しむのである。
何時もと様子が違うので、
さすがの母も打つのを止めて訳を尋ねた。

伯瑜はその時、泣きの涙で訴えた。

「お母さん。お母さんはこれまで
 私を良くしようの一心から、
 しばしば強く鞭打って下さいました。
 何時もお母さんの鞭には
 強い力がこもっておりました。
 大変痛うございましたが、
 今日の鞭は少しも身にこたえません。
 これはてっきり、お母さんのお身体が
 衰えられたに違いないと案じられて、
 それが淋しく悲しくてなりません」
 
過酷な鞭の下でもなおひたすらに、
母の健康を案じた伯瑜の孝心に、
母も前非を悔いたという。



一日一訓(2日 現在は過去と未来を解く鍵である)

2011年11月02日 | 一日一訓
一日一訓(2日 現在は過去と未来を解く鍵である)

「現在は過去と未来を解く鍵である」

江戸時代、白隠という禅僧がいた。
門前の酒屋の、器量で評判の娘が、
結婚もしないのに孕んだのである。

目だつにつれて悪事千里、噂は世間に広まり
父親は強く娘を責めた。

真実を告白すれば大変だと思った娘は、
白隠さんは生き仏といわれているお方、
白隠さんの御子だと言えば、
なんとか事態は収まるだろうと、
苦しまぎれに、そっと母親に打ちあけた。

「白隠さんのお種です」

それをきいて激怒した父親は、
早速、土足のままで寺へ踏み込んだ。

「和尚いるか」

と面会を強要し、口から出まかせの
悪口雑言を喚いても尚腹立ちは収まらず、
生まれてくる子供の養育費を催促した。

さすが白隠。

「ああ、そうであったか」

といいながら、若干の養育費を与えた。
まさかとそれまで信じていた人達も、
これをきいてやっぱりニセ坊主であったのかと、
噂はパッと世間に広まった。

聞くに耐えぬ世間の罵詈讒謗をききながら白隠は、

「謗る者をして謗らしめよ、
 言う者をして言わしめよ。
 言うことは他のことである。
 受ける受けざるは我のことである」

と、少しも心にとどめない。

思いもよらぬ反響に酒屋の娘は苦しんだ。
遂に真実を親に白状せずにおれなくなった。

親はことの真相を知って二度びっくり。
早速、娘を連れて寺へ行き平身低頭、
土下座して、重ね重ねの無礼を深く詫びた。

その時も白隠は、

「ああ、そうであったか」

と頷いただけ、という。
馬鹿は何時も自分をほめてくれる、
もっと馬鹿を探すものである。






一日一訓(1日 夢をもつようにしよう)

2011年11月01日 | 一日一訓
一日一訓(1日 夢をもつようにしよう)

「夢をもつようにしよう」

徳川六代将軍・家宣に仕えて、
敏腕を揮った政治家・新井白石が、
まだ無名の一学徒であった時である。

当時の碩学・木下順庵の下で
昼夜勉学にいそしんでいた頃、
友人に河村瑞賢という富豪の息子がいた。

白石が貧困と戦いながら
勉学に励んでいるのをきいた瑞賢は、
白石の学才の秀れていることを知り、
将来を強く嘱望して、
経済的援助を息子を通して申し出た。

「あなたはよく貧困と戦って勉強していられるが、
 私の父も深く同情しております。
 ついては父が、あなたに三千両を
 提供して学資の一助にしてもらいたい
 と言うていますが、如何でしょうか」

白石は心からその厚意を感謝してから、
毅然として拒絶した。

「昔話にもあるように、
 小蛇の時受けたほんの小さな疵が、
 大蛇となった時には一尺あまりの大疵に
 なっていたということがあります。
 今、私が貧しさのあまりご厚意を受けて
 三千両の金子を頂いたとしたら、
 それは今でこそ小さいことではありましょうが、
 後に思いもよらぬ学者の大疵になるかもしれません。
 そうなれば如何にも残念です。
 それを思うと如何に小さい疵でも
 今は受けたくありません。
 この旨をお父上に、よろしく
 申し上げて下さるようお願い致します」
 
目前の金子などには目もくれない、
大理想に生きていた青年学徒にしてはじめて、
あれ程の大政治家になったのである。

未来ある者はすべからく白石の如き信念をもって、
どんな小さな疵も怖れて、
広大の天地を開拓する基礎をかためてゆかねばならない。








一日一訓(31日 阿弥陀仏を信ずれば)

2011年10月31日 | 一日一訓
一日一訓(31日 阿弥陀仏を信ずれば)

「阿弥陀仏を信ずれば
 どんな願いも必ずかなえられるのだ」

一ページをぬりつぶす、印相の広告が、
しばしば大新聞に掲載される。
あれだけの広告料を計算すると、目が廻る。
それでも採算に乗るのだから、
印相が吉、凶、禍、福につながる、
と信じている人が如何に多いか、が分かる。
 
手相、家相、墓相、日の善悪などが、
やかましく言われるのも、
みんな幸、不幸と関係がある、
と信じているからであろう。

それほどに現世利益の信心は、
生活に深く根を張っている。

仏法はしかし、
これら一切を一刀両断に、
迷信とする。
そして真の幸福は、
印相などから生まれるものでなく、
日常生活の善根から生ずる、と教える。
 
善因善果、悪因悪果、自因自果、
カボチャの種からナスビの芽が出た、
ためしがない。
まいたタネしか、生えてはこないのだ。

むろん結果は、直ちに現われるものもあれば、
数十年後、更には、来世に結ぶものもある。
遅速はあっても、いつかは必ず、果報を受ける。

歴然として私がない、
この因果の大道理を深信し
日々精進する、
これが仏法者であり、
親鸞学徒である。

小さい魂に奮発心を喚起させ、
不屈の精神を培い、
遊惰安逸の妄念を除去して、
金剛石を、宝玉に磨きあげるのである。
 
光に向かって進むものは栄え、
闇に向いて走るものは滅ぶ。
有縁の方と、光に向かって、
少しでも進みたい。