親鸞聖人時代を生きた人々(19)(平清盛 頼朝の挙兵)
1180年2月、高倉天皇は
3才の言仁親王に譲位した。
安徳天皇 (在1180~85) の即位となる。
やがて
「以仁王が平氏打倒を企てている」
という情報が清盛の耳に入った。
以仁王の蜂起自体は
短期間のうちに鎮圧された。
しかしその挙兵に、権門寺社を含めた
広範な連携が見られたことは
清盛にとって重大な脅威となった。
「権門寺社が広く分布し、
また囲まれている平安京は
極めて危険である」
清盛は福原への遷都を考えはじめ、
6月2日、遂に福原遷都が
実行されることになった。
しかし福原遷都には、反対の声が
依然強く残ることとなった。
そのような情勢の中、
8月に入ると伊豆に配流されていた
源頼朝が挙兵した。
関東に入ろうとした頼朝は、
石橋山の戦いで完敗し、
海路安房へと逃れた。
勢力を回復した頼朝は、
房総半島から南関東へと勢力を広げ
10月には鎌倉に入って
ここを拠点とした。
反乱の動きは各地に広がり
甲斐源氏、そして信濃では木曽義仲が
挙兵することになるのである。
1180年2月、高倉天皇は
3才の言仁親王に譲位した。
安徳天皇 (在1180~85) の即位となる。
やがて
「以仁王が平氏打倒を企てている」
という情報が清盛の耳に入った。
以仁王の蜂起自体は
短期間のうちに鎮圧された。
しかしその挙兵に、権門寺社を含めた
広範な連携が見られたことは
清盛にとって重大な脅威となった。
「権門寺社が広く分布し、
また囲まれている平安京は
極めて危険である」
清盛は福原への遷都を考えはじめ、
6月2日、遂に福原遷都が
実行されることになった。
しかし福原遷都には、反対の声が
依然強く残ることとなった。
そのような情勢の中、
8月に入ると伊豆に配流されていた
源頼朝が挙兵した。
関東に入ろうとした頼朝は、
石橋山の戦いで完敗し、
海路安房へと逃れた。
勢力を回復した頼朝は、
房総半島から南関東へと勢力を広げ
10月には鎌倉に入って
ここを拠点とした。
反乱の動きは各地に広がり
甲斐源氏、そして信濃では木曽義仲が
挙兵することになるのである。