親鸞聖人時代を生きた人々(29)(源信僧都 後生の一大事の解決)
「死ねば必ず地獄行きの迷った人に
褒められるよりも
なぜ、真実の仏方から褒められる
真の仏弟子になろうとしないのです」
という母の厳しい叱声に、
迷夢が一度に覚めた思いの源信は、
以後、名利を求める心を固く戒めて、
後生の一大事解決のための修行を
はじめてたのであった。
しかし、天台の修行を重ねるに従って
知らされてきたのは、
煮ても焼いても食えないような
浅ましい自己の本性であった。
天台の教学は、良源門下三千人の中で
他の追随を許さぬ深さを学び、読破した。
大切な聖教のほとんど暗記するほどであったが、
それでもなお自己の本心は、
後生の一大事を苦にするのでもなく、
真剣にその解決を求めようと焦っている
のでもなかった。
あして、捨てたはずの名利の心は、
厳しい修行をすれば
その厳しさを自惚れ、顕密の教法を極めれば
その学問の深さを密かに誇っているという有り様で、
なお止むことがなかった。
それでいて外見は名利を捨てて、
煩悩を超越しているような素振りで
巧妙に他人の目を欺いている、
まさしく偽善の塊であった。
源信僧都は求めれば求めるほど、
この自己の本心に驚かずにおれなかった。
無常迅速のわが身、
悪業煩悩の自己、
理においては充分すぎるほど分かっていながら、
後生の一大事に驚く心は少しも見当たらない。
愚かというか、阿呆というか、
迫りくる一大事に対して、
仏法を聞こうという心を金輪際持ち合わせず、
その悪をまた懴悔する心すらない。
こうなればただの悪人ではない、
極重の悪人というべきか。
顕密の教法は道心堅固な聖者には進み得ても、
自分のような頑魯の者にはとても達せられない。
頑魯の者とは頑固で愚かな者、源信は
自己の姿に驚かれたのだ。
ならば、どうすればよいのか。
ついに源信は、叡山北方の森厳たる谷間の地
横川の草庵に籠もって、
この極重悪人のなお救われる道を求めるに至ったのである。
横川の草庵でも、源信の煩悶は続いた。
来る日も来る日も、ほとんど寝食を忘れて
経典やお聖教に取り組み、
後生の一大事、生死の大問題の解決を求めた。
やがて歳月は容赦なく流れ、四十歳を過ぎたころ、
中国の善導大師の著書に感銘を受け、
阿弥陀仏の本願を説かれた浄土門の仏教こそが、
万人の救われる真実の道で
あることを知らされた。
そしてついに、善導大師のご指南により、
阿弥陀仏に救い摂られたのである。
後生の一大事が解決できた歓喜により、
「今度こそ母上に心から喜んでいただこう」
と早速、僧都は故郷の大和国を
目指して旅立たれたのである。
「死ねば必ず地獄行きの迷った人に
褒められるよりも
なぜ、真実の仏方から褒められる
真の仏弟子になろうとしないのです」
という母の厳しい叱声に、
迷夢が一度に覚めた思いの源信は、
以後、名利を求める心を固く戒めて、
後生の一大事解決のための修行を
はじめてたのであった。
しかし、天台の修行を重ねるに従って
知らされてきたのは、
煮ても焼いても食えないような
浅ましい自己の本性であった。
天台の教学は、良源門下三千人の中で
他の追随を許さぬ深さを学び、読破した。
大切な聖教のほとんど暗記するほどであったが、
それでもなお自己の本心は、
後生の一大事を苦にするのでもなく、
真剣にその解決を求めようと焦っている
のでもなかった。
あして、捨てたはずの名利の心は、
厳しい修行をすれば
その厳しさを自惚れ、顕密の教法を極めれば
その学問の深さを密かに誇っているという有り様で、
なお止むことがなかった。
それでいて外見は名利を捨てて、
煩悩を超越しているような素振りで
巧妙に他人の目を欺いている、
まさしく偽善の塊であった。
源信僧都は求めれば求めるほど、
この自己の本心に驚かずにおれなかった。
無常迅速のわが身、
悪業煩悩の自己、
理においては充分すぎるほど分かっていながら、
後生の一大事に驚く心は少しも見当たらない。
愚かというか、阿呆というか、
迫りくる一大事に対して、
仏法を聞こうという心を金輪際持ち合わせず、
その悪をまた懴悔する心すらない。
こうなればただの悪人ではない、
極重の悪人というべきか。
顕密の教法は道心堅固な聖者には進み得ても、
自分のような頑魯の者にはとても達せられない。
頑魯の者とは頑固で愚かな者、源信は
自己の姿に驚かれたのだ。
ならば、どうすればよいのか。
ついに源信は、叡山北方の森厳たる谷間の地
横川の草庵に籠もって、
この極重悪人のなお救われる道を求めるに至ったのである。
横川の草庵でも、源信の煩悶は続いた。
来る日も来る日も、ほとんど寝食を忘れて
経典やお聖教に取り組み、
後生の一大事、生死の大問題の解決を求めた。
やがて歳月は容赦なく流れ、四十歳を過ぎたころ、
中国の善導大師の著書に感銘を受け、
阿弥陀仏の本願を説かれた浄土門の仏教こそが、
万人の救われる真実の道で
あることを知らされた。
そしてついに、善導大師のご指南により、
阿弥陀仏に救い摂られたのである。
後生の一大事が解決できた歓喜により、
「今度こそ母上に心から喜んでいただこう」
と早速、僧都は故郷の大和国を
目指して旅立たれたのである。