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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

親鸞聖人時代を生きた人々(39)(源信僧都 往生要集-阿鼻地獄) 

2010年07月23日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(39)(源信僧都 往生要集-阿鼻地獄) 

⑧阿鼻地獄(あびじごく)
・殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見、犯持戒人、
・五逆罪(親殺し、阿羅漢殺し)、謗法罪

阿鼻地獄は無間地獄ともいう。
地獄の最下層に位置する。
大きさは前7つより大きく、
縦横高さそれぞれ二万由旬。

最下層ゆえ、地獄に落ちるまで、
まっ逆さまに(自由落下速度で)落ち続けて
到着するまで2000年かかる。

前の7大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として、
大阿鼻地獄の苦、1000倍もあるという。
剣樹、刀山、湯などの苦しみを
絶え間(寸分・刹那)なく受ける。
これまでの地獄さえ、この無間地獄に
比べれば夢のような幸福だという。

親鸞聖人は御和讃の中で

「念仏誹謗の有情は
 阿鼻地獄に堕在して
 八万劫中、大苦悩
 ひまなく受くぞと説きたまう」
 (正像末和讃)

と全ての人が一息切れたら
大変な阿鼻地獄に堕在しなければ
ならない一大事を教えておられる。

この無間地獄の寿命は八万劫という。
1劫は4億3200万年の八万倍というが、
それは信じられない位、永い時間を指す。
時間の長さで地獄の苦しみを現わしているのだ。

もし、すべて阿鼻地獄の苦悩を耳にする人は、
ことごとく、みな恐ろしさに堪えられないで、
聞けばたちまち死んでしまうだろう。

このような阿鼻地獄については、
まだ、千分の一も説明されていない。
なぜなら、いくら説いても説きつくせないし、
また聴くことも、
喩えることもできないからである。

もし誰かが説き、誰かが聴くとしても、  
そのような人はは血をはいて死んでしまうだろう。

五つの逆罪を犯し、因果の道理を否定し、
大乗を誹謗し、四重戒を犯し、
不当に信者の施しを受けながら、
のうのうと暮らしいていた者などが、
この中に堕ちる。


親鸞聖人時代を生きた人々(38)(源信僧都 往生要集-大焦熱地獄)

2010年07月22日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(38)(源信僧都 往生要集-大焦熱地獄)

⑦大焦熱地獄(だいしょうねつじごく)
・殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見
・犯持戒人(尼僧・童女などへの強姦)。

焦熱地獄の下に位置し、
前の6つの地獄の一切の諸苦に10倍して重く受ける。
また更なる極熱で焼かれて焦げる。
その炎は最大で高さ500由旬、横幅200由旬あるという。
罪人の苦しみの声は地獄から
3000由旬離れた場所でも聞こえる。

その寿命は半中劫という。

ここでの寿命は一中劫の半分で、
生きものを殺したり、
邪まな淫にふけったり、
酒をのんだり、嘘をついたり、
よこしまな考えを抱いたり、
また、仏の定めた戒めを
正しくまもっている尼を
犯したりしたものがこのなかに墜ちる。

このような悪いをことをしたひとは、
まず、死んでから
地獄に堕ちるまでの間(中有)に、
大地獄の有様を見せられる。
そこには閻魔王の手下の鬼たちがいて、
顔にはおそろしい形相をあらわし、
手足はきわめて熱く、
からだをねじり肱を怒らせている。
その手には鋭い刀をとり、
ひどく大きな腹は黒雲のような色をし、
眼の炎は燈火のようにもえ、
鉤のようにまがった牙は鋒のように鋭く、
臂も手もみんな長くて、
身体を揺り動かして威容を示すと、
身体中の部分がはげしく隆り起がる。
このような恐ろしい形相をして、
罪人の咽をしっかり掴まえ、
漸次下に向かって、
十億由旬をくだっていく。

そこにつくと、閻魔王が
さまざまに罪人を責め叱りつける。
責めしかられると、
罪人は悪業の綱に縛られて、
そこを出て地獄に向かう。
はるか遠く、大焦熱地獄の一面に
燃えあがっている炎をみ、
また地獄の罪人の泣き叫ぶ声を聞き、
悲しみと恐ろしさのあまり、
量り知れない苦しみを受ける。
閻魔王の手下の鬼が
罪人を責め、叱りつけていう。

地獄より  聞こえし声に
かくのごと すでにおそるる
地獄にて  焼かるるときは
乾きたる  薪草を焼くごと
焼ける火は まことの火かは
悪業の   火の焼けるなり
火の焼くは 消ゆべきものを
業の火は  消すことかたし

このように心をこめて責めしかってから、
罪人をひきつれて地獄にむかうと、
大きな火炎のむらがり燃えている所がある。
この火炎のはげしさは、
罪人のつくった悪業のはげしさである。
ここにくると、地獄の鬼は、
突然、罪人の身体を放り出して、
この火焔の塊の中に堕とす。
ちようど、大きな山の崖からつき放して、
さらに嶮しい崖のうえにつきおとすように。




親鸞聖人時代を生きた人々(37)(源信僧都 往生要集-焦熱地獄)

2010年07月21日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(37)(源信僧都 往生要集-焦熱地獄)

⑥焦熱地獄(しょうねつじごく)
・殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語
・邪見(仏教の教えとは相容れない
    考えを説き、また実践する)。

大叫喚地獄の下に位置し、その10倍の苦を受ける。
常に極熱で焼かれ焦げる。
焦熱地獄の炎に比べると、それまでの地獄の炎も
雪のように冷たく感じられるという。

この地獄の寿命は1600歳という。
人間界の時間で5京3084兆1600年を
経たないと転生できない。

焦熱地獄は、
地獄の鬼は罪人を捕らえて、
熱い鉄の地面に横たえ、
仰向かせたり俯かせたりして、
頭から足まで大きな熱した鉄の棒で
打ったり突いたりし、
肉団子のようにしてしまう。

あるいは、ものすごく熱い
大きな鉄鍋の上において、
猛火で罪人をあぶり、左右に転がし、
腹や背を焼いて薄くする。

あるいは、大きな鉄串で肛門から突き刺して
頭に貫きとおし、くりかえし火にあぶって、
罪人のさまざまな器官や毛孔、
口のなかまでも、
すっかり火をはくほどにする。
あるいは、熱い鉄の釜に入れ、
あるいは熱い鉄の高楼に置くと、
鉄の猛火がはげしく燃えて
骨や髄にまでしみとおる。

また、付属の特別の地獄があり、
闇火風(あんかふう)と名づける。
ここは、この地獄の罪人が
悪風によって空中に吹きあげられ、
つかまるところなく、
車輪のようにくるくる急回転させられ、
からだも見えなくなるところである。
このように回転したあと、
別の太刀風がおこり、
罪人のからだを砂のように細かに砕いて、
十方にまき散らす。
散ってしまうと、また活きかえり、
活きかえると、またまき散らす。
これを繰りかえして、
いつ果てるとも分らない。

もし、誰かが、
「変わるものはこの身体で、
 変わらないものは四つの要素
 (四大)である」と、
このような誤った考えをおこすならば、
その邪まな考えの人は、
このような苦しみを受ける。





親鸞聖人時代を生きた人々(36)(源信僧都 往生要集-大叫喚地獄)

2010年07月20日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(36)(源信僧都 往生要集-大叫喚地獄)

⑤大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)
・殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語(うそ)

叫喚地獄の下に位置し、その10倍の苦を受ける。
叫喚地獄で使われる鍋や釜より大きな物が使われ、
更に大きな苦を受け叫び喚(な)く。

この世界に堕ちるものは殺生・盗み
邪まな男女関係・飲酒による罪の外に
ウソをついた罪による報いを受ける
世界である。

よく子供時代に親から
「ウソついたら針千本飲ます」
「ウソをついた者は地獄で閻魔さまに
 閂(カンヌキ)で舌を抜かれるぞ」
と言われたことがあるだろう。

この地獄の寿命は人間界の時間で
6821兆1200億年に当たる。

ここにもまた、特別の地獄がある。
一つは受ぶ苦(じゅぶく)と名づける。
ここの罪人は、熱い鉄のするどい針で
唇と舌を刺し通され、
泣き叫ぶこともできない。

また、受無辺苦(じゅむへんく)と呼ぶ。
地獄の鬼が熱い鉄の金鋏(かなばさみ)で、
罪人の舌を抜くが、
抜いてしまうとまた生え、
生えるとまたすぐ抜く。
眼をくり抜くときもまた、
これと同じである。

また、刀で罪人の身体を切るが、
刀はとても薄く鋭利で、
剃刀のようである。
こうした、色々と違った種類の
苦しみを受けるのは、
すべて嘘をついた報いなのである。

親鸞聖人時代を生きた人々(35)(源信僧都 往生要集-叫喚地獄)

2010年07月19日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(35)(源信僧都 往生要集-叫喚地獄)

④叫喚地獄(きょうかんじごく)
・殺生、盗み、邪淫、飲酒

ただ酒を飲んだり売買するのみならず、
酒に毒を入れて人殺しをしたり、
他人に酒を飲ませて悪事を
働くように仕向けたりなどと
いうことも条件になる。

衆合地獄の下に位置し、
その10倍の苦を受ける。
人間界の時間で852兆6400年である。

金のように黄色い頭の地獄の鬼が、
眼の中から火をだし、
赤い着物をきている。
手足は長く大きく、
風のように疾走し、
口に恐ろしい声を発して、
罪人に矢を射かける。
罪人はおそれおののき、
頭を地にすりつけて、
「どうぞ、あわれと思って、
 しばらくお見逃しください」
と哀れみをこうが、こう聞いても、
ますますいかりをつのらせる。

あるいは、金鋏(かなばさみ)で
口をこじあけて、
にえたぎる銅をながしこむ。
内蔵を焼けただらせると、
肛門からただちに流れ出てくる。




親鸞聖人時代を生きた人々(34)(源信僧都 往生要集-集合地獄)

2010年07月18日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(34)(源信僧都 往生要集-集合地獄)

③衆合地獄(しゅうごうじごく)
・殺生、盗み、邪淫

ここには生きものを殺したり、
盗みをはたらいたり、
邪まな淫にふけったものが墜ちる。

集合地獄は黒縄地獄の下に位置し、
その10倍の苦を受ける。
その寿命は人間界の時間に
換算すると106兆5800億年という。

衆合地獄は、
沢山の鉄の山があって、
互いに向かいあっている。
牛や馬の頭など、
さまざまの形をした地獄の鬼たちが、
責具(せめぐ)や杖(むち)を手にして、
罪人をこの山に追い込む。
すると、この時、
山が両方から迫ってきて押し合い、
罪人は間にはさまれて、身体は砕け、
血は流れて地上にあふれる。

あるいは、鉄の山が空から落ちてきて
罪人を打ち砕き、
砂の塊のようにしてしまう。

あるいは、罪人を石の上に置いて
岩石で圧しつぶしたり、
あるいは、鉄の臼にいれて鉄の杵でつく。
また、そこには大きな河があり、
なかに鉄の鉤があって、
どれにもみな火が燃えている。
地獄の鬼は、罪人をとらえると、
その河のなかに投げこみ、
鉤の上に落とす。
また、その河のなかには、
熱い赤銅がどろどろにとけていて、
かの罪人を漂わせる。
あるものは日の出のように
わずかにからだが浮かび、
あるものは重い石のように沈んでいる。
手を上げ、天に向かって
大声に泣き叫ぶものもあり、
たがいに近づいて泣き叫ぶものもある。
もう長い間、
はげしい苦しみを受けているのに、
頼るものもなく、救うものもない。

  

親鸞聖人時代を生きた人々(33)(源信僧都 往生要集-黒縄地獄) 

2010年07月17日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(33)(源信僧都 往生要集-黒縄地獄) 

②黒縄地獄(こくじょうじごく)
・殺生、偸盗

等活地獄の下に位置し、
縦横の広さは等活地獄と同じである。

殺生のうえに偸盗(ちゅうとう)といって
盗みを重ねた者がこの地獄に堕ちると説かれている。
寿命は人間界の時間に換算すると、約13兆年。

ここでは、地獄の鬼は、罪人を掴まえて、
熱した鉄の地面に臥せさせ、
熱い鉄の墨縄(すみなわ)で
縦横にからだに墨をうち、
熱い鉄の斧で墨縄のとおりにたち切る。

あるいは鋸でからだを切りはなすか、
あるいは刀で切りさくかして、
幾百幾千の断片にして、
あちこちにまき散らす。

また、左と右に大きな鉄の山があるが、
山の上にはそれぞれ鉄の幢(はた)を立て、
その幢の先に鉄の縄をはりわたし、
その縄の下には、
たくさんのにえたぎった釜が置かれてある。

地獄の鬼が、山と積み重ねた鉄のたばを
罪人に背負わせて、縄の上をわたらせ、
はるか下の鉄の釜のなかに落として砕き、
はてしなく煮る。
ここでは、等活地獄の苦しみに十倍する
重い苦しみを受ける。
地獄の鬼が罪人を責めて、しかりつける。

心が一番怨(あだ)をなすのだ。
この怨が一番の悪をはたらき、
この怨が人をとらえて、
ついに閻魔王の所に送らせるのだ。
お前ひとりが地獄で焼かれ、
悪事をはたらいたために食われるが、
妻子、兄弟など、親族や身内のものも
救うことはできないのだ。



親鸞聖人時代を生きた人々(32)(源信僧都 往生要集-等活地獄)

2010年07月16日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(32)(源信僧都 往生要集-等活地獄)

①等活地獄(とうかつじごく)
・殺生

最初の等活地獄は、
この私達の住む世界の地下一千由旬の
ところにあって、縦横の広さが一万由旬である。

この地獄に堕ちる業因は、
生き物の命を断つものがこの地獄に堕ち、
ケラ・アリ・蚊(カ)・?(アブ)の
小虫を殺した者も、懺悔しなければ
必ずこの地獄に堕ちると説かれている。
また、生前争いが好きだったものや、
反乱で死んだものもここに落ちるといわれている。

ここの罪人は、
互いにいつも敵愾心を懐いて、
もしたまたま出会うと、
猟師が鹿を見つけたときのように、
それぞれ、鉄のような爪で
たがいにひっかき、傷つけあい、
ついには血も肉もすっかりなくなって、
ただ骨だけになる。

あるいは、地獄の鬼(獄卒)が
鉄の杖や棒を手にして、
罪人を頭から足の先までくまなく打ち突き、
からだを土塊のように砕いてしまう。

あるいは、とくに鋭利な刀で、
料理人が魚や肉をさくように、
ばらばらに肉を切りさく。

ところが、涼しい風が吹いてくると、
また獄卒の「活きよ、活きよ」の声で
元の身体に等しく生き返るという
責め苦が繰り返されるゆえに、
等活という。
この地獄の四つの門のそとには、
また、これに付属した、
十六の特別なところがある。

第一は屎泥処(しでいしょ)といって、
極熱の屎(くそ)がどぶどろになっている。

第二は刀輪処(とうりんしょ)といって、
両刃の刀が雨のようにふってくる。

第三はおう熱処(おうねつしょ)といって、   
罪人を掴まえて鉄のかめの中にいれ、
豆のようにじっくり煎る。

第四は多苦処(たくしょ)といって、
量り知れない種類の苦しみがあるところで、
詳しく説明することができない。

第五は闇冥処(あんみょうしょ)といって、
まっ暗な処にいて、
いつも闇火(やみび)にやかれる。

第六は不喜処(ふきしょ)といって、
嘴から熱い炎をはく鳥や、
犬・狐のなく声が不気味で恐ろしく、
いつも襲ってきて、罪人にくいつき、
骨や肉をくいちらす。

第七は極苦処(ごくくしょ)といって、
ここは罪人が険しい崖の下にいて、
いつも鉄の火で焼かれるところである。

親鸞聖人時代を生きた人々(31)(源信僧都 往生要集)

2010年07月15日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(31)(源信僧都 往生要集)

源信僧都は、主著『往生要集』をわずか六カ月で書き上げた。
『往生要集』は僧都44才の時の著作であった。

わが国有数の宗教文学作品で、引用文献の多さでは、
七祖の書物の中で第一の書物である。

『往生要集』は源信僧都の
「予がごとき頑魯(がんろ)の者」という
真実の自己を知らされたお言葉から始まり
道俗・貴賎・賢愚の区別なく、
等しく救われる道は念仏の一門のみだという
基本的な立場に立って書かれている。

その中でも往生要集に描かれた地獄の有様は有名だ。
今日、地獄を語る場合、往生要集に基づいて
話しされているのが殆どである。

源信僧都はこれを通して、後生の一大事の解決こそが
人生の目的であるかを明らかにして下されたのである。

そして、源信僧都はその地獄を絵図にして、
視覚にも訴えた。

宮中にも飾られたが、その部屋は夜になると
地獄の亡者、獄卒達のうめき声が聞こえてきて、
誰も近づかなかったとさえ噂された。

また、妙好人庄松同行にもこんな話しが残されている。
ある寺に往生要集の地獄絵図と極楽絵図が掛けられた。
多くの同行が集まって見ていたのは地獄絵図の前。
その絵の凄まじい地獄の様子に、皆は口々に
「地獄とは大変なところだの」
と驚いていた。
そこへ庄松が来て
「お前ら、死んだら嫌でもこんな様子は見れるのじゃから、
 今の内にこちらの極楽を見させてもらったらいいぞ」
と言ったそうな。

流石は庄松、皮肉な言い方だが、的を得ている。


親鸞聖人時代を生きた人々(30)(源信僧都 母への臨終説法)

2010年07月14日 | 親鸞聖人時代を生きた人々
親鸞聖人時代を生きた人々(30)(源信僧都 母への臨終説法)

後生の一大事が解決できた歓喜を
母親にお伝えしようと僧都は
故郷の大和国を目指して
旅立たれたのである。

ところがそのころ、源信僧都の母は年老い、
病床の身となって、明日をも知れぬ容態であった。
うわごとのように
「源信に会いたい。源信を呼んでおくれ」
と繰り返すのみであった。
そこでその旨を携えた使いが源信僧都の元へ出され、
途中で郷里へ向かう僧都に出会った。

使いの者より、母の病状を知った源信僧都は、
夜を日についで家路を急がれた。
家では母が、
「源信はまだか。まだこないのか」
とひたすら帰りを待ちわびていた。
そこへ源信僧都が、三十余年ぶりに我が家は辿り着かれた。
「母上、源信です。今帰りました」
と耳元へ口をあてて告げるられると、
「おお源信か、よく帰ってきてくれたのう。
 今生ではもう会えないかと思っていたのに、
 夢のようじゃ」
源信の姿を見て、母の顔に生気が蘇った。
三十余年、一日として我が子を忘れたことのない母であった。
呼び戻したい心を必死にこらえ、ひたすら
「後の世を渡す橋となれかし」と
念じ続けた母であった。

源信僧都はついに、母の念願通りの
「後の世を渡す橋」となって郷里に戻られ、
感慨無量であった。

しかし、感激にひたっているばかりの余裕はない。
今まさに臨終を迎えている母の後生の一大事を
解決しなければならぬ。

源信僧都は母に、精魂を傾け臨終説法を試みられた。
「母上、どうかお聞きください。
 一切の人々の救われる道は、
 本師本仏の阿弥陀仏に、一心に帰命するしかないのです。
 阿弥陀仏はどんな極重の悪人をも、
 信ずる一つで救い摂ってくださるのです。
 一心一向に阿弥陀仏に帰命するより、
 後生の一大事の解決できる道はありません。
 心の闇を破って下さる仏は、阿弥陀仏しかおられないのです」
必死な説法が続いた。

そして母君も阿弥陀仏に救われ、
浄土往生の本懐を遂げたといわれている。
母君七十二歳の時であった。

源信僧都は、母の往生に千万無量の思いで、
「我れ来たらずんば、恐らくは此のごとくならざらん。
 嗟呼、我をして行を砥(みが)かしむ者は母なり。
 母をして解脱を得しめし者は我なり。
 是の母と是の子と、互いに善友となる。
 是れ宿契なり」
と述懐されている。

母の野辺送りが済んだ僧都は
横川の草庵に帰ると、
母の往生を記念して一冊の書物を著された。
その本が今日でも有名な『往生要集』六巻である。
以後、源信僧都は『往生要集』とともに
浄土門の大先達として、後世にも多大な影響を与え、
七十六才で生涯を閉じられたのである。

「よもすがら 仏の道にいりぬれば、
   我が心にぞ たずね入りぬる」