親鸞聖人時代を生きた人々(79)(西仏房覚明、親鸞聖人のお弟子となる)
義仲の下を離れた覚明は
その諸国を転々とし、
鎌倉幕府に身元がばれると
比叡山の慈鎮和尚の元に身を寄せた。
吉田兼好が
「慈鎮(慈円)和尚、一芸ある者をば、
下部までも召しおきて、
不便せさせ給ひければ、
この信濃入道を扶持し給ひけり」
と書いたように、比叡山延暦寺の
慈円大僧正の元に参った。
そこで一人、真面目に修行に取り組まれる
親鸞聖人を慕い、弟子になった。
親鸞聖人が女人との出会いから
女性のことが忘れられず、
弟子になった覚明に
自分の腐った性根を
叩いてくれと頼まれたことがある。
頭を抱えて、庭の木に駆け寄り、
頭をガンガンとぶつけておられる
親鸞聖人。
そこに覚明が帰ってくる。
聖人の様子に驚き、駆け寄り、
覚明 「親鸞殿、どうなされた?」
親鸞聖人 「(見上げて)ああ、覚明殿か」
覚明 「どこか、体でも、お悪いのでは?」
親鸞聖人 「覚明殿。この親鸞ほど、
浅ましい者はない」
覚明 「何を言われる。親鸞殿ほど、
仏道ひとすじの方は、
他にあるでしょうか」
親鸞聖人 「覚明殿。それは、形だけのことだ。
心は、醜いことばかり、
思い続けている、
それが、親鸞の実態なのだ」
親鸞聖人 「そなたに、頼みがある」
覚明 「私のできることなら、何なりと」
親鸞聖人 「この杖で、親鸞の腐った性根を、
思い切り叩き直してくれないか」
覚明 「な、何を言われる、親鸞殿」
親鸞聖人 「煩悩に汚れきった、この親鸞を、
打って打って、打ちのめしてくれ。
頼む、覚明殿。もう親鸞は、
一歩も進めないのだ」
覚明 「それは、できません」
親鸞聖人 「頼む、覚明殿、打ってくれ」
覚明 「ひたすら自己に厳しく、
修行なさる親鸞殿を慕って、
おそばで修行がしたいと、参った私。
どうして、親鸞殿を
打つことができましょうか。
それだけは、お許し下さい」
親鸞聖人 「覚明殿・・・だめか・・・」
親鸞聖人は後に法然上人の
お弟子となられるが、
覚明も法然上人のお弟子となり、
西仏房と名乗ったのである。
建永2年(1207年・承元元年)に
法然上人や親鸞聖人が流罪となった時、
親鸞聖人が配流された越後に同行して、
主に東国各地で布教活動を行うのであった。
後に出身地の信濃に戻り、
同地で97歳で死去した。
義仲の下を離れた覚明は
その諸国を転々とし、
鎌倉幕府に身元がばれると
比叡山の慈鎮和尚の元に身を寄せた。
吉田兼好が
「慈鎮(慈円)和尚、一芸ある者をば、
下部までも召しおきて、
不便せさせ給ひければ、
この信濃入道を扶持し給ひけり」
と書いたように、比叡山延暦寺の
慈円大僧正の元に参った。
そこで一人、真面目に修行に取り組まれる
親鸞聖人を慕い、弟子になった。
親鸞聖人が女人との出会いから
女性のことが忘れられず、
弟子になった覚明に
自分の腐った性根を
叩いてくれと頼まれたことがある。
頭を抱えて、庭の木に駆け寄り、
頭をガンガンとぶつけておられる
親鸞聖人。
そこに覚明が帰ってくる。
聖人の様子に驚き、駆け寄り、
覚明 「親鸞殿、どうなされた?」
親鸞聖人 「(見上げて)ああ、覚明殿か」
覚明 「どこか、体でも、お悪いのでは?」
親鸞聖人 「覚明殿。この親鸞ほど、
浅ましい者はない」
覚明 「何を言われる。親鸞殿ほど、
仏道ひとすじの方は、
他にあるでしょうか」
親鸞聖人 「覚明殿。それは、形だけのことだ。
心は、醜いことばかり、
思い続けている、
それが、親鸞の実態なのだ」
親鸞聖人 「そなたに、頼みがある」
覚明 「私のできることなら、何なりと」
親鸞聖人 「この杖で、親鸞の腐った性根を、
思い切り叩き直してくれないか」
覚明 「な、何を言われる、親鸞殿」
親鸞聖人 「煩悩に汚れきった、この親鸞を、
打って打って、打ちのめしてくれ。
頼む、覚明殿。もう親鸞は、
一歩も進めないのだ」
覚明 「それは、できません」
親鸞聖人 「頼む、覚明殿、打ってくれ」
覚明 「ひたすら自己に厳しく、
修行なさる親鸞殿を慕って、
おそばで修行がしたいと、参った私。
どうして、親鸞殿を
打つことができましょうか。
それだけは、お許し下さい」
親鸞聖人 「覚明殿・・・だめか・・・」
親鸞聖人は後に法然上人の
お弟子となられるが、
覚明も法然上人のお弟子となり、
西仏房と名乗ったのである。
建永2年(1207年・承元元年)に
法然上人や親鸞聖人が流罪となった時、
親鸞聖人が配流された越後に同行して、
主に東国各地で布教活動を行うのであった。
後に出身地の信濃に戻り、
同地で97歳で死去した。