ようやく卒論がひと段落したので、今さら年賀状に明け暮れる。
たとえどんなにインターネットが発達しようと、年賀状や手紙を書く人が少なくなろうと、
年賀状や手紙というものは、決してなくなりはしないだろう。
本当に心を込めたいなら、メールよりも、電話よりも、手紙だと思ってしまう。
わたしは喋ることが苦手なので、余計にそう思うのだ。
お世話になった人には、やっぱり年賀状を送りたい。
わたしがせっせと書いた年賀状を、書いたそばから読む母。
「何?」と聞いたら、
「交友関係のチェックや!!」
大晦日といえば紅白、K-1、PRIDEなのだろうが、
わたしにとっての大晦日は、ドラえもんとTVタックル超常現象SPなのである。
紅白も昔は見ていたのだが、
最近は売れているミュージシャンに魅力を感じれる人が少ないので見ていない。
K-1とかPRIDEも、ボビーとか曙のときだけ見るくらい。
カンフーは好きだが、格闘技すべてが好きなわけではないのだ。
大晦日にドラえもんを見ていると、限りなく落ち着く。
しかし今年は新装ドラえもんだったので、そうとも言い切れなかった。
絵をここまで変えてしまう必要はあったのだろうか?
おそらく今のほうが原作の絵には近いのだろうが、やはり違和感を隠しきれない。
声も前よりきゃんきゃんしていて、あまり落ち着けない。
絵の色合いが淡いのも気に入らない。
TVタックルは普段から好きで見ているが、年末の超常現象SPは別格だ。
わたしはあやふやなものが大好きだ。よくわからないからこそ、楽しいのだ。
そういうものを真剣に研究している人たちと、断固として信じない人たち。
その人たちが、本当にいるかどうか、起こるかどうかわからないことを熱心に議論している。
大竹まことも言っていた。「なんて平和な番組でしょう」 その通り。
大槻教授の必死さは、ときにそのへんの芸人よりも笑えてしまう。
松尾貴史氏の切り口の鋭さには、いつも感服してしまう。素敵…!
ノストラダムスの大予言、マヤ文明の予言、異常気象、宇宙人の地球侵略。
嘘かもしれない。ただのこじつけかもしれない。でも本当かもしれない。
あやふやなものだから、完全否定など結局できない。
もともと答えのない問題というのは、思った以上にあるものだ。
その後CDTVにORANGE RANGEが出ると知り、待つ。
やはりNAOTOは全然映らない。母をも巻き込んでカメラに文句をつける。
「もっと右! 右! あ~そこでなぜアングルを変えるんだ!!」
いざ映ると思わず顔がにやけている。やっぱりかっこいい。わたしにとっては。
母が「オレンジレンジって何なの?」と聞くので、
「若さとビジュアルの良さと曲の良さで売れているバンド。
3人もボーカルがいるのに不協和音で、しかも下手でもったいなさすぎる。
ギターの人が曲づくりをほぼやってるから、ギターがいなかったら成り立たない。
だからわたしはギターの人にしか興味ないの!!
」と説明する。
(あくまで個人的な意見です。不快に思う方がいらっしゃったらごめんなさい
)
そもそもわたしの辛口は、母からの遺伝である。
わたしの説明を聞いた母は、「ほんとだ、下手だね~!」と笑っていた
NAOTOを無事見れたので、犬を連れ、母、伯母とともに近所の神社へ。
久しぶりに伯母に会ったので、愛犬はだいぶ興奮していた
わたしは小さい神社やお寺が好きだ。
だだっ広いよりも小さいほうが、わたしは神域を実感できる。
そもそも人混みは嫌いだし。
たくさんの人が来るところよりも、神様に顔を覚えてもらえるのではないかとも思ってしまう。
お稲荷さんが好きなのも、より身近な感じがするからなのかもしれない。
神様と共存したい。
バリに行ってから、すごくそう思うようになった。
向こうの人はほとんどの人が、共存できている。
彼らの心の豊かさを目の当たりにして、自分の行いを反省した。
日本人も昔はそうだったのに、多くの人がそれを忘れてしまっている。
悲しいというよりも、もったいないことだなぁと思う。
思った以上に、彼らはたくさんのことを与えてくれる。
それは願いを叶えるとか、そういうことだけではない。
神様や目に見えないものは、確実に人の心を豊かにしてくれる。
そしてそれが、わたしの卒論のテーマだったりするのだ
話に脈絡がないな…すみません
絵:夜逃げ屋仮店舗。
たとえどんなにインターネットが発達しようと、年賀状や手紙を書く人が少なくなろうと、
年賀状や手紙というものは、決してなくなりはしないだろう。
本当に心を込めたいなら、メールよりも、電話よりも、手紙だと思ってしまう。
わたしは喋ることが苦手なので、余計にそう思うのだ。
お世話になった人には、やっぱり年賀状を送りたい。
わたしがせっせと書いた年賀状を、書いたそばから読む母。
「何?」と聞いたら、
「交友関係のチェックや!!」
大晦日といえば紅白、K-1、PRIDEなのだろうが、
わたしにとっての大晦日は、ドラえもんとTVタックル超常現象SPなのである。
紅白も昔は見ていたのだが、
最近は売れているミュージシャンに魅力を感じれる人が少ないので見ていない。
K-1とかPRIDEも、ボビーとか曙のときだけ見るくらい。
カンフーは好きだが、格闘技すべてが好きなわけではないのだ。
大晦日にドラえもんを見ていると、限りなく落ち着く。
しかし今年は新装ドラえもんだったので、そうとも言い切れなかった。
絵をここまで変えてしまう必要はあったのだろうか?
おそらく今のほうが原作の絵には近いのだろうが、やはり違和感を隠しきれない。
声も前よりきゃんきゃんしていて、あまり落ち着けない。
絵の色合いが淡いのも気に入らない。
TVタックルは普段から好きで見ているが、年末の超常現象SPは別格だ。
わたしはあやふやなものが大好きだ。よくわからないからこそ、楽しいのだ。
そういうものを真剣に研究している人たちと、断固として信じない人たち。
その人たちが、本当にいるかどうか、起こるかどうかわからないことを熱心に議論している。
大竹まことも言っていた。「なんて平和な番組でしょう」 その通り。
大槻教授の必死さは、ときにそのへんの芸人よりも笑えてしまう。
松尾貴史氏の切り口の鋭さには、いつも感服してしまう。素敵…!
ノストラダムスの大予言、マヤ文明の予言、異常気象、宇宙人の地球侵略。
嘘かもしれない。ただのこじつけかもしれない。でも本当かもしれない。
あやふやなものだから、完全否定など結局できない。
もともと答えのない問題というのは、思った以上にあるものだ。
その後CDTVにORANGE RANGEが出ると知り、待つ。
やはりNAOTOは全然映らない。母をも巻き込んでカメラに文句をつける。
「もっと右! 右! あ~そこでなぜアングルを変えるんだ!!」
いざ映ると思わず顔がにやけている。やっぱりかっこいい。わたしにとっては。
母が「オレンジレンジって何なの?」と聞くので、
「若さとビジュアルの良さと曲の良さで売れているバンド。
3人もボーカルがいるのに不協和音で、しかも下手でもったいなさすぎる。
ギターの人が曲づくりをほぼやってるから、ギターがいなかったら成り立たない。
だからわたしはギターの人にしか興味ないの!!

(あくまで個人的な意見です。不快に思う方がいらっしゃったらごめんなさい

そもそもわたしの辛口は、母からの遺伝である。
わたしの説明を聞いた母は、「ほんとだ、下手だね~!」と笑っていた

NAOTOを無事見れたので、犬を連れ、母、伯母とともに近所の神社へ。
久しぶりに伯母に会ったので、愛犬はだいぶ興奮していた

わたしは小さい神社やお寺が好きだ。
だだっ広いよりも小さいほうが、わたしは神域を実感できる。
そもそも人混みは嫌いだし。
たくさんの人が来るところよりも、神様に顔を覚えてもらえるのではないかとも思ってしまう。
お稲荷さんが好きなのも、より身近な感じがするからなのかもしれない。
神様と共存したい。
バリに行ってから、すごくそう思うようになった。
向こうの人はほとんどの人が、共存できている。
彼らの心の豊かさを目の当たりにして、自分の行いを反省した。
日本人も昔はそうだったのに、多くの人がそれを忘れてしまっている。
悲しいというよりも、もったいないことだなぁと思う。
思った以上に、彼らはたくさんのことを与えてくれる。
それは願いを叶えるとか、そういうことだけではない。
神様や目に見えないものは、確実に人の心を豊かにしてくれる。
そしてそれが、わたしの卒論のテーマだったりするのだ

話に脈絡がないな…すみません

絵:夜逃げ屋仮店舗。