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自己満足で色々かいてる独りよがりブログです。

ボランティアの報酬は脳内ホルモン  ~はぐれ者賛歌・自己満足からはじめよう~

2011-09-27 01:56:02 | 自然災害
もう2回目の大槌に行って1ヶ月経つんだな。

連休だったこともあって、
知り合いが何人か被災地支援に行った。
一人の方が「復興地支援」っていう言葉を使っていていいなと思った。
なんか切ないけど。
もう複数回行かれてる方もいらっしゃるし、
今回初めて行かれた方もいらっしゃる。
こんどまたサフィレットさんも2回目入られる。
大槌で一緒に活動した方は今度は石巻に入られるそうだ。
私も2回行った。
今回初めて行かれた方々もまた必ず行きたいと仰っている。
何度も行きたくなるのはなぜなんだろう。
一つは少しでもよくなったところを見ないとという思いだろう。
私も同じ大槌町を希望した。
でも、
本当はそれだけじゃないんだと思う。
私たち社会福祉士はある程度希望地を出せるけど、
ほとんどの災害ボラは当日まで派遣先も作業内容もわからないことがある。
それでも行くのだから。
私も本当は他のところでだって手伝いたいと思うし、どうなってるのか興味がないわけじゃない。
ただ、同じところに行った方が地域や包括の人を知っているし、色々要領がわかっているので、
より役に立つから同じところを希望しているのだ。
共通してみんなこうやって被災地支援に取り憑かれている。
これはもう本能というか、
日本という人間集団の全体意識として「失われた機能を補いたい」という脳内スイッチが入ったみたいな気がする。
怪我したら、痛いという感覚がすぐに脳に危険を知らせて、血小板がすぐに怪我の部位を埋めて、バーッと白血球が増えて悪い菌を殺して、
体中がその身体の一部の異常事態からの復興を支援する。
ばい菌をやっつけるためにかけつける白血球みたいに、なんかカッカして被災地行かなきゃと思う。
こういうスイッチが入った人のことを「被災地バカ」と言うのだと、
ボラ専門(ボランティア専門というのではなく、ボランティアオーガナイズの専門家。私らの仲間にはそういう専門の人がいるのだよ)の社会福祉士が言っていた。
ああ、私たち被災地バカですわ。

たった7日間の活動、2回行った程度でどれだけひきずり語るのかと思われるだろうけど、
それくらいの濃厚な時間だったのだよ。
私の活動が基本的に守秘なのでお伝えできないのがもどかしいが、
そんなにいい話ばかりではないですよ。
なんか半年を境に、少しいい話じゃない報道も増えたような気がする。
それが現実だからいいことだと思う。
復興が進んでいて、みんな希望持って生きてるなんて誤解されたら罪だ。

私の活動内容は、
各仮設住宅を回って、高齢者台帳を作ることと、心身の健康チェックを行うことだったんですよ。
仮設住宅は町が管理してるんだから、
そこに誰が住んでるかとか調べなくていいだろうと思われるなかれですよ。
もうほとんど「いる人」「いない人」はわかってるんだろうけど、
それでも、ちゃんとしたデータは住基ネットのみで、
ほとんどの情報はなくなってしまったのですよ。
高齢者になにかあったときの緊急連絡先、既往歴、かかりつけ医など、
高齢者を支援する基本的な情報がなくなってしまったし、
今は状況が変わってる可能性が高いし、
仮設住宅入居の情報を元に全部調べていたわけです。
仮設に住民票を移している方、そのままの方色々いらっしゃるし、
実際は仮設に入られてないとか、別のところに住んでるとか。
それと、これは全国的にしているのだけど、介護予防チェックリストの作成。
淡々と聞けばいいのかもしれないけど、
それでもここから色々な話になるのですよ。
だって訪問しているのは「仮設住宅」なのだから。
確実に家に住めなくなり、色々なものを失った人たちが住んでいるのだから。
例え話だけど、
書類上亡くなったことになってる方が生きてらっしゃったり、
「希望をもって」仮設に申し込まれていたのだけど、
今はもういらっしゃらないことがはっきりしていたりする。
緊急連絡先を伺えば「長男がいたのだけど…」という話になったり、
かかりつけの先生が亡くなったのだという話になったりする。
狭い仮設住宅の一室を大きく占める真新しい仏壇や、
今まで固定電話しか使ったことなかった方々の慣れない携帯電話の操作から、
本当にこの方々の生活はすっかり変わってしまったのだと感じるのですよ。
以前も書いたけど、
それはよかったのかどうか、
8月中に全員仮設に入るというスローガンで、
バタバタと仮設が建てられたため、
産廃処理場の横にたくさんの仮設が建ち並んでいて、
私は発作が止まらず、かならず吸入してから訪問しないといけなかった。


被災地支援の中で、
私たち社会福祉士の活動はかなり特殊だと言えるだろう。
守秘義務を持っているために役場の行政職員に代わって、
かなり積極的に被災者の方々の生活に介入していく。
今回この活動を通して実感したのは、
声を出さない人たちがたくさんいるということだ。
報道やちょっと行っただけではわからないことがたくさんある。
私が普段行っている来談相談というのはクライアントさんが能動的に話したいことを話す。
それはある程度はっきりした訴えがあって、整理されている。
でも、全戸訪問をすると、
話したくない人や話すつもりのない人など、
どんな人にもお話を伺うことになる。
この方たちは、イベントに出かけたり、インタビューに応じたりしない人たちだ。
この方々の話は混沌としている。
歩いていると話しかけてくれる方がたくさんいらっしゃる、
ローソンのサロンでは地元の方とたくさん喋る。
そういう方たちの話はショックだけど、
話しかけたり語ったりするエネルギーがある。
だけど、
高齢者の全戸訪問というのは、
この方々とは全く違う。
「ゆっくり復興していこう」と言ったって、
その復興を見届けられないだろうという絶望、
なんで自分なんかが生きていて、
若い人が死んだのかという嘆き、
そういうのを毎日毎日たくさん伺った。

バーチャルだけどちょっとショックな話。
私は帰ってきてから悪夢を見るようになったのですよ。
岩手でうまく活動ができないとか、天気が悪いとか、
そういうのも見たのだけど、
ある日、私は毒針を持って仮設住宅を回っている夢を見たんですよ。
戸別訪問をして問診し、
死にたいのだと判断した人にはその毒針を淡々と渡す活動をしている夢。
この後もっとショックなことを私はするんだけど、
読んだ方が悪夢を見そうなのでこれ以上はやめときます。
目覚めるとひどい汗をかいてました。
たまたまその日は臨床心理士ANくんとの活動日で、
ANくんはこの夢の話をされてしまいかわいそうでした。
未だ被災地は死臭漂っている。
こんなことを思ってはいけないのだけど、
私は潜在的に「殺してさしあげたい」と思っていた。
本当に悲しい。
私は言葉を紡いで人を支援するのが仕事なのに、
言葉を失って自殺幇助したくなっていた。

復興に時間がかかるのも、前向きに進まないといけないのもわかる。
でも、
その前に高齢者は弱ってしまう。
仮設住宅に車いすや介護ベッドが入れられず、寝たきりになった方は廃用症候群で身体が動かなくなるかもしれない。
ほとんどの人が鬱だった。
ああ、
あのときブータンとインドの国境で見た、
どうしようもなく人が弱っていく光景をまた見ると思わなかった。
もちろん、被災地の方々はそれでも生きていかれるだろうし、
私も自殺幇助なんかしない。
でも、やるせない気持ちでいっぱいになった。

私は報道にはきれい事が多いと感じる。
カメラやレポーターに対して人々は笑い、前向きな発言をしてしまってないだろうか。
現実はもっと深い絶望の中にあった。
吉里吉里の岸壁でプレハブローソンで買ったお弁当を食べていたとき、
視察に来ていたアメリカとフランスの支援隊員の人とお話した。
私のつたない英語で、
この現状や、津波だけでなく、仕事や医療がないこの町を見捨てて人口流出が起きていることを伝えると、
フランスとアメリカの方々は絶句されていた。
世界共通絶句する状況が今あそこにある。






そんな感じで過ごしていた。
帰ってきた直後は、
心や身体のバラバラ感があり、突然涙が出たりした。
だんだんそれがおさまってきた。
でも、回復した感はなかった。
先週、ケーヤンのライブでいっぱい泣いた。
少し心身ののバラバラ感が減ってきた。




どうしてこんなに辛いのだろうと思う。
本当に辛いのは私ではないのに。
どうしてまた行きたいのだろうと思う。
ただ立ち尽くすだけで何にもできなかったのに。
本当に私は無力で、情けなくて、恐かった。
被災地で泥のかき出しや、瓦礫撤去をしている方は確実に役に立っているのに、
私はうさん臭がられて仮設住宅を訪問しただけだった。
被災地で音楽を奏でられる人は、人の心を癒やすのに、
私は話を聞いているだけだった。
虚しい。
こう思うと、
私のどこかに「直接役に立ちたい」という気持ちがあるのだなと思った。
普段は悩み事を聞いて、傾聴したり、エンパワメントしたり、環境調節したりして、
直接クライアントさんと関わっている。
よくなる人や、落ち着く人や、それでも大変な人がいて、
それにずっと関われる。
だけど、
今回私のやってる活動は、
大事なことだとわかっているのだけど、
効果がとてもわかりにくいのだ。
ただひたすら胡散臭がられながら訪問をして、
辛い話を聞き出すのにケアもできないということを繰り返し、
私はすり減ってしまった。
それを言葉にするのに1ヶ月かかった。
私は言葉にしないと表現できず、
それは高度に整理されていないといけない。

何度も考えたことがある。
私に音楽が作れたら、
こんな気持ちをどんな音楽にするのだろう。
現地に漂うのはエレジーではなかった。
もっと強い「怒り」だった。
大事なものを奪った何かに対する怒り、今の生活に対する怒り、「こぼれおちる未来」に対する怒り。
クロちゃんがいつもいうのだが、
「怒り」っていう情動(emotion)とはそもそも存在しないという説があるらしい。
「怒り」は「哀しみ」の延長線上にあって、
哀しみの最上級が「怒り」であるということだ。
そう考えると、パンクは強いエレジーなのかもしれない。

ボランティアの報酬は自己満足じゃないとだめだ。
まだまだ私は未熟者で、なにか直接したいと思っていた。
私がやってる小さな小さなことがきっと役に立ってるに違いない。
それで満足だ。
「失われた機能を補いたいという」脳内スイッチが入ったのだもの。
被災地に行くとドバッと脳内に快感物質が出る。
被災地のために何かしてやりたいんじゃない、
私は満足するために行くのだ。
あ、やっぱり被災地バカになっていた。
多分私に被災地バカの土壌を作ったのは台風で死んだ父だし、
被災地バカの種を植えたのはヒマラヤの自然だ。
予定調和だったのだ。
そう思う。

まだ被災地に行かれたことがない方は行かれるといい。
旅行ができる人、ライブ遠征ができる人なら行ける。
自己満足だと自覚すれば、それはもう快感だ。
別にボラに行かないで旅行してる人を責めてるんじゃないですよ。
すごい体験になるというお誘いです。
ただ離脱症状が出るので、
習慣性は強いですよ。
あ、このテの快感物質って、
主に辛すぎるときに出るんですよ。

こぼれ落ちる未来
フラワーカンパニーズ『はぐれ者讃歌』の歌詞

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