トカゲgallery

自己満足で色々かいてる独りよがりブログです。

自然的な魂は常にメランコリーに包まれて、悩まされるようになっている(ヘーゲル)

2014-07-26 05:52:23 | イラストブログ
  |・)

  |ω・`)ノ やぁ

  |ω・)ω・)ω・)ω・)ノどうもどうも



ストレスフルな生活でダウンし、
ちょっと休憩していたら、
ご心配おかけしておるようで申し訳ないです。
たった数日書かないだけでこんなに心配されるなんて、
なんてみなさんいい方!であると共に、
どれだけ私が強迫的に書いてるかわかって恥ずかしい。
膨大な量の言葉が溢れ出るタイプで、
時として人を追い詰めるから反省したりしております。
私は急激な夏の到来に体調絶好調とはいえないですが、
大丈夫です。
いろいろあったというよりは、
些細なことが重なって、
徐々に疲れていたと思います。
楽しいことも含めて。
ストレスというのは単純に厭なことだけで起きるのではないといわれております。

古い研究なのだけど、
ホームズとレイって人たちの、
社会再適応評価尺度という研究があって、
なかなか興味深いなと昔から思っております。
本当は孫引きといって、
論文など書くときは御法度であるが、
ちゃんと引用している某サイトから引用。


【順位】 ライフイベント・・・・・ 生活変化単位値(life change unit:LCU)

【1】 配偶者の死・・・・・ 100
【2】 離婚・・・・・・ 73
【3】 夫婦別居生活・・・・・ 65
【4】 拘留、または刑務所入り・・・・・ 63
【5】 肉親の死・・・・・ 63
【6】 自分の病気や傷害・・・・・ 53
【7】 結婚・・・・・ 50
【8】 解雇・・・・・・ 47
【9】 夫婦の和解調停・・・・・・ 45
【10】 退職・・・・・・ 45

【11】 家族の病気・・・・・ 44
【12】 妊娠・・・・・ 40
【13】 性的障害・・・・・ 39
【14】 新たな家族成員の増加・・・・・ 39
【15】 職業上の再適応・・・・・ 39
【16】 経済状態の変化・・・・・ 38
【17】 親友の死・・・・・ 37
【18】 転職・・・・・ 36
【19】 配偶者との口論の回数の変化・・・・・ 35
【20】 約1万ドル以上の借金・・・・・ 31

【21】 担保、貸付金の損失・・・・・ 30
【22】 仕事上の責任の変化・・・・・ 29
【23】 息子や娘が家を離れる・・・・・ 29
【24】 姻戚とのトラブル・・・・・ 29
【25】 個人的な輝かしい成功・・・・・ 28
【26】 妻の就職や離職・・・・・ 26
【27】 就学・卒業・退学・・・・・ 26
【28】 生活条件の変化・・・・・ 25
【29】 個人的な習慣の変更・・・・・ 24
【30】 上司とのトラブル・・・・・ 23

【31】 仕事時間や仕事条件の変化・・・・・ 20
【32】 住居の変更・・・・・ 20
【33】 学校をかわる・・・・・ 20
【34】 レクリェーションの変化・・・・・ 19
【35】 教会活動の変化・・・・・ 19
【36】 社会活動の変化・・・・・ 18
【37】 約1万ドル以下の借金・・・・・ 17
【38】 睡眠習慣の変化・・・・・ 16
【39】 親戚づき合いの回数の変化・・・・・ 15
【40】 食習慣の変化・・・・・ 15

【41】 休暇・・・・・ 13
【42】 クリスマス・・・・・ 12
【43】 ささいな違法行為・・・・・ 11

Thomas Holmes and Richard Rahe(1967)

確かにストレスフルなライフイベントだよねー!ということも多いけど、
中には、結婚、妊娠、輝かしい成功、夫婦の和解、休暇など、
普通はアレ?いいことじゃないの!?みたいなことも、
ストレスになるんですなぁ。
ああ、
ひとはストレスから逃げられない。
ストレスが地球をダメにする♪
ちなみにライフイベントだから、
結婚は、結婚生活ではなくて、結婚することになりますよ。
もちろん、結婚生活がストレスな人もいらっしゃるとは思いますが。

右側についてる「単位」で精神疾患になる確率が分かるというのがこの研究で、
こちらのサイトでチェックできるようです。
「情報を得る」「現実をみる」もストレスになる可能性があるから、
チェックしない方がいいかもしれませんよ…フフフ。
古い研究でそんな単純じゃないだろうし、
アメリカの研究だから文化も人格も違うだろうから、
あんまり真に受けなくてもいいですけどね。
とかく人は変化に弱いものですわ。
それが楽しくても、いいことでも。


さて、今回のストレスの原因の一つに、
「承認欲求」があるように思います。
文字通り「承認されたい」という欲求ですわ。
なかなかこの承認欲求というのは厄介だなぁと思っております。
誰しも、
「人から認められたい」という欲求はあるのだろうと思うけど、
それも行き過ぎると、本人も周囲も辛いものですよ。
毎日こうやって記事を更新している私なんか、
承認欲求の塊なのかもしれない。
特に私は自分が自分を承認する要求が強いようで、
自分がスッキリしたくて、自分の思うようにしたくて、
それを追求してしまう。
我が強く、極端なマイペースになってしまうので、
サラリーマンが務まらないわけです。
しかも、
根が小心者なので、他者から承認されることが苦手だったりする。

多くの承認要求が強い人は、
「他者から認められたい」という気持ちがあるのだろうけど、
私の場合は、そこはあまり強くないみたいである。
臆病なのかも。
何度もここで書いてきたけど、
人が褒めてくれたり、尊敬されたりすると、
ありがたくはあるのだけど、
なんか怖いというか、いたたまれない気持ちになって、
身構えてしまう。
本当はこんなにダメなので、お引き取りくださいと、
嫌ってくれるまで頑張ったりする。
とても傷つけてしまって申し訳ないのだけど。

他者からの承認要求が強い人は、
褒められることが苦手な人がいるとは思わないだろうから、
とても褒めてくれたりする。
それは私もその人を承認しないといけない構造になってたりする。
ここがとても苦手である。
この誤解が解きたくて、
いやいや、私は承認(同意)してほしいわけではなくと説明するのだけど、
他者からの承認要求の強い人は、
それが信じられないから、褒め続けたり、
「承認してほしくない」と私が思っていることに傷ついてしまったりし、
私は「分からなくていい」「違っていていい」ことをわかってほしがり(これも一種の他者承認欲求なのだろうけど)、
お互いに空回りする。
承認要求が高い人は、相互承認ができないので、
私から承認されることに価値がないというオトシドコロをみつける。
ここが私のオトシドコロでもあるのだけど。



意見が違うやりとりということは、
ディベートじみてくる。
つまり、異なった(対立した)意見を言い合うみたいになるが、
最後まで異なって意見であってもいいというものである。
だけど、
結論がどちらかにならなければならないみたいになってしまうこともある。
そうなると、自分の意見が結論にならないと「負け」みたいになるし、
意見が違う人は「敵」みたいになってしまう。
だから感情的に自分の意見を主張し、相手を否定するみたいになることもある。(朝生なうなのであるが)
自分の人格と意見が癒着してることも多いので、
意見を言う人の人格否定みたいなことにまでなる。
私もそういうことしてしまってるだろう。
ヘーゲルも「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」と言っているし、
感情的になった時点でもうファンタジスタですわ。

それでも私は立場上、
理不尽だなぁと思っても、それを合理化して事業を運営しないといけないことを続けてきたし、
研究していたときは(今もしなければならないのだが)、その論が崩れないようにするために、
研究発表で徹底的に否定されたり、論文を否定的に読んでもらったりして、それを論理的に言い返すということがあったので、
否定され、それを跳ね返すトレーニングを受けてきたようなものだ。(もちろんストレスはあるのだけど)
別にそれは「敵に勝つ」ということではなく、自己を承認するために。
そして、立場が逆になって、ちゃんと否定的に研究会に出たり、ちゃんと否定的に論文を査読することもある。
私は「後天的」に、人を追い詰める割には、自分は傷つかないある程度のスキルを身につけてしまったのかもしれない。
もともと傷つきやすく、感情的なのに。
ヘーゲルが「私たち一人ひとりの意志は自分の正しさを他者との関係性のうちで確かめようとするが、
それは結局のところ失敗してしまい、普遍的な正しさに到達することはできない」と言っているが、
私も「どっちが正しい」ということを諦めているんだろう。
私は社会科学をやってきたので、「これが正しい」という結論はでにくいから余計だ。

こういう生い立ち(?)なので、平易なやりとりのつもりでも、
ちゃんとその人と向き合おうとすればするほど、
相手の方が私の言葉の端々にばかり目が向いていて全体のテーマを捉えられていないとか、
論点がずれてしまってきているとか、
以前言ったこととのの辻褄が合ってないように感じるとかそういうときに、
「いや、そうではなくて○○という意味で」「私はこういうつもりで○○と主張してるので誤解です」「あなたが○○と言ったのでそのまま受け取りましたが違いましたか?」と、
私は捕捉したり、確認したりしてしまう。
すると、なんだかどんどん相手を追い詰めてしまっているということがある。
相手の方は、
「私はそういうことは知らない」「あなたの考えは理解できない」「私が大事なのは○○で、あなたにつきあっている暇はない」という言い方でしか自己防衛ができなくなってしまい、
感情的になられて、逃げられてしまうということがこれまで何度あっただろう。
ごめんなさい。
悪意はなかったのだけど、私なりの人との向き合い方だし、
私もemotionが起きるので、そうなると感情を抑えようと、
より理論的、理性的になろうと必死になったりします。
必死な時点でもう理性的ではないのでありますが。
私を自己肯定するための承認欲求なのでしょう。
ああ…でも私はこういう者なので、
ガチンコで論議する気持ちか、テケトーなスルー技術で付き合ってくだされ。
そうでなければ遠巻きで見ていた方がいい厄介な人です。

それでも、
本当に仲がいい人は、どんなに根本的な考えが違っていても、
ちゃんと自分の意見が言い合えるし、
お互いに「なるほどな」というところもあるし、
相手の意見に受け入れられないようなことがあっても好きだし、
議論を愉しめるもんだなぁと思います。
「一緒一緒!」で近づいて「違う違う!」で深まるのが友情やなぁとか思ったものですわ。
「違う違う!」を愉しめる人がいいなぁ。
そういえば、
色んな国の色んな文化の人と色んな話をすることがあるのだけど、(英語が不自由なので細かい話までできないのだけど)
笑いながら「Different!」で終わることが多いですわ。





なんかこんなことを考えたりしておりました。
ご心配おかけしました。
徐々に通常営業いたします。

モモが突然「みてみてー!」と画像の段ボールポテトを持ってきた。
「みてみてー!」は他者承認欲求。
「すごいすごい!!」と子どもの欲求を満たすことが、
大人の大事な役割だと思います。


そうだ、これを買おう。
使えるヘーゲル 社会のかたち、福祉の思想 (平凡社新書)
福吉 勝男
平凡社

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