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自己満足で色々かいてる独りよがりブログです。

ウルフルケイスケ MAGICAL CHAIN ひとりCARAVAN FINAL@下北沢 440 2012/05/20 レポ&ツアー総括みたいな

2012-07-04 00:10:09 | 音楽?
かつてこんな長いこと寝かせたライブレポがあっただろうか…2月またいでしまった。
特にメモもないので、脳内変換している可能性があるから、
正確さというよりは私とライブを共有するような気持ちでよろしくお願いします。
本当に私と脳内を共有するとおかしくなるけど。
寝かせすぎて、ライブレポってより、
ライブ見ながらの自問自答みたいなものになってしまったので、
読みにくい記事です。




長いような短いようなツアーだったのである。
ケーヤンの初めてのひとりぼっちのツアー。
このツアーのことを知ったのはずいぶん前で、
初めて知ったとき、
正直「大丈夫デスカ?」と言ってしまった。
いや、
ひとりでプレイしたことはあるのだけど、
それはあくまでイベントで、
ケーヤンという人はこれまで基本的にバンドでやってきたわけで。
ソロ活動っていっても、だれか相方とユニットとかバンドとかそういう形式でやってきたわけで。
本格的にひとりで活動するのは初めてなのだ。
3月末から始まったツアーの前、
音源やツアーのセットなどでイッパイイッパイにみえた。
勝手に。
私の中ではまた「大丈夫デスカ?」が募っていた。
3月ってのは私自身もイッパイイッパイだったころで、
それを投影していたのかもしれない。
ケーヤンに限らず、
私はしんどいライブを見るのがしんどい。
トラブルがあったとか、すべったとか、とんだとかそういうのはいいんだけど、
このライブがしんどいんじゃないかと思うとしんどくなってしまう。
ファンだったらそういうときこそ応援しろ!とも思うのだけど、
私はすぐ逃げちゃう。
なんかもうツアーが始まる前から私は逃げ出したくなっていた。
勝手に。
私は病みに敏感で、それが過剰になると心が苦しくなってしまう。

あともう一つ、
ずっと考えていることがあった。
それはなんでこんなにケーヤンのギターが好きなんだろうということ。
例えば、
他のギタリストだと、このカッティングにキュンとなるとか、この弾き癖がギュンギュンくるとか、
そういうのがあるのだ。
ただひたすら巧い…みたいなのにはあまり興味なかったりする。
私はケーヤンのギターが常軌を逸して好きなわけなんだけど、(←さらりと変態チックな発言)
これは一体何なのだと自分でもわからないのだ。
まだ心が柔らかかった頃よく聴いていたからだろうと思ってたんだけど、
それだけではないというか、
いや、その頃からなにかキラキラしているだけじゃない「何か」に私は囚われていて、
私はその「何か」が好きなのだ。
表面的なスマイルの底に淀む「何か」が腹に響いていた。
その不自然さが好きなのだ。
私は病みに敏感で、その病みを制圧しているものに魅了されるのだ。

「病み」と「闇」は和語でいえば同じ意味なんだと思う。
私は暗い「やみ」が好きで怖い。
「やみ」が好きすぎて仕事にしているくらいだ。
でも「ああ怖い」と恐ろしがりながら仕事している。
「やみ」の怖さを知っているから取り扱いができるのだ。
「やみ」を持ってない人なんかいないだろうけど、
この人はとびきりの「やみ」を持っていると感じていた。
それなのに、スマイルなんていう仮面を被って、綺麗なリリックを書いて、キッチリしたギターを弾いているなんて、
最高におかしなギタリストだ。
大好きだ。
ただし、この「やみ」のよさは微妙なバランスの上にあるので、
ちょっとでも病みが過剰になると闇に引きずられそうになって逃げ出したくなるし、
あまりに健康的になると興味を失う。
健康が嫌なんじゃなくて、興味がなくなるのだ。
私の仕事に向いている性分だ。
だから、前向きな健康的な音楽に興味がないのかもしれない。
ロックンロールってのは「やみ」があるのだ。
ケーヤンがロックンロールにこだわるのなら、
やっぱりなにかそういう「やみ」があるんじゃないか。
そこに惹かれてるんじゃないかと思う。

言語分析や行動分析などしている悲しい性で、
ツアー前の様子をみていたら、なんだかいたたまれない気持ちになっていて、
みたいようなみたくないような、
そんな気持ちで地元福岡と遠征して長崎、ファイナルの下北440とツアー3カ所に行くことに決めた。
ケーヤンはツアーが始まると、憑き物が落ちたみたいに落ち着いているような気がした。
それでも私は疑り深いので、
自分の目で見てみるまで安心しなかった。
福岡公演で前半ハラハラしたけど後半の恐ろしいくらい立ち上がっていくのをみて、
なんてカッコイイ人だと思った。
安定したプレイをするより立て直す方が断然大変なんだと思う。
たくさんのステージをこなしている人であったと、
自分が勝手にいたたまれない気持ちになっていたことがいかに失礼であったかと知り、恥じ入った。
それから安心してひとりツアーを続けている様子をみていた。
ロードだったと思う。
ひとり旅は楽しくも、大変だと思う。
問題にひとりで対処するだけでなく、孤独で考えすぎたりすることがある。
考えすぎが旅人を闇に引きずり込む。
私はそれをよく知っている。

そして、
このライブの次の日に日蝕があったのだ。
福岡だと見られない皆既日食が、
東京にいると見られるのだ。
私は日蝕が怖い。
テレキャスを弾いていたアノヒトが、
日蝕の日に死んだ。
それから長いこと私は心を病んだ。
あのバンドの最後のライブで、
あの大事な曲の時、
テレキャスの弦が切れた。
もうあのときアノヒトは死んでたのかもしれないと思った。
ひとりぼっちになったギタリストは壊れてしまうのではないかと、
なんだか恐ろしかった。
このひとりツアーをやり遂げた後に日蝕が来るのは必然じゃないかと、
そういう気分になっていた。
勝手に。
そう、
全部私の勝手な思いなのだ。
私の思考はなにとも繋がっておらず、
完結している。
バカバカしい話だ。
などと、自問自答しながらのライブ参加だった。

前置きが長くなったけど、
約2ヶ月、週末を中心にしたひとりぼっちツアーだったのである。
そのファイナルに万感の思いで挑んだのである。(←私が勝手に)



せっかく上京したらいろんな人に会いたい。
まずは今回一緒にライブを見てくれるnemuri女史と落ち合って、
とめどなく音楽の話。
ええ、彼女は今回ゲストのアビさん竹安も大好物ですからね。
安心して誘えました。
いったん別れて、
それから藤井華丸くんとこに行って話。
一緒に440へ。
440に着くと、ケーヤンライブでは必ずご一緒のりっちゃんと会う。
ああ、ごめんなさい。
きっと私は今日もケーヤンの手元を見ようと異常な動きをするでしょう。
りっちゃんは誰よりもお行儀よく真面目な方なので、
きっと私の動きが目障りに違いないけど、
だけどだけど今日は赦してくださいな。

りっちゃんのおかげで良番で入れた440。
nemuriさんと「このセットは竹安だ」と確認して下手にスタンバイ。
数少ないフラカンファンだろうから、
今回気を遣ってSTEWROCKTシャツを着ておりました。
多分、竹安は気づかないだろうけど。(フロアにいたグレートとQ太郎には一瞬で気づかれたけど)
で、
ああやっぱりここからでは手元はみえないなぁ…というか、
どこからも手元はみえにくいだろうなぁ。
おねがい、ケーヤン、暗譜して!

登場SE「Stay」が流れ、ケーヤンが下北と大阪限定販売の黄色いツアーTで登場。
ボトムは私の大好きなダメージ系。
1曲目はミュージック。
初めてツアーのセトリを見たとき、
この曲からなの?と思ったけど、
軽快な安定感のあるこの曲からキッチリ始まるのは、
ケーヤンらしいように思うようになった。
ボクのミュージック少しでも届くように君の胸の中♪と言われると、
今からライブが始まるよ!という感じがする。
「少しでも」ってのが謙虚ですわ。
俺の音楽でいっぱいにしてやるぜ!と言わないのがケーヤンだなぁ。
そして、
ここぞというときにケーヤンががなる。
いや、これが最近好きでですね。
もともと透明感ある声なので、
多少がなっても聴きやすいんですよ。
ピッチを合わせようと声を絞られると、私も息苦しくなるので、
こんな風にワーッと声を出して欲しい。
喉に悪そうだから多用しないほうがいいんだろうけど。
こうやって書いていると、
私がステージ上のケーヤンと呼吸を合わせてシンクロするみたいに聴いてるんだなと思う。
だから、
気持ちよくやってほしいのかもしれない。
自分のためなのかもしれない。


セトリはケーヤンの公式サイトより
SETLIST:
一部
1.ミュージック
2.マジカル・チェイン・ツアー
3.ロックンロールの真っ最中
4.ぬすっと
5.R&R
6.流行歌
7.クレイジー
8.スウィート・リトル・ロックンローラー

二部
1.赤い風船
2.Hippy Hippy Shake (with 竹安堅一)
3.泣かないで (with 竹安堅一)
4.アイ・ラブ・ユー (with 竹安堅一)
5.Bye Bye Johnny(with 安孫子義一)
6.I Wish I Knew (with 安孫子義一)
7.大きな川のそば(with 安孫子義一)
8.ずっと歩こう
9.スウィートホーム大阪
10.夢じゃない
11.君にささげよう



アンコール:
-EN1-
1.ルージュの伝言(with 安孫子義一&竹安堅一)
2.まいどハッピー(with 安孫子義一&竹安堅一&山田武郎)
3.そのままの君

-EN2-
1.危険なふたり


マジカルチェインツアー…はきっとあの譜面台の向こうで小指ピコピコなってるんだな!と忌々しくおもっておりましたわ。
譜面台め。

そして、
ロックンロールの真っ最中はがなるがなる~!
喉心配だったけど、もうファイナルだし!思う存分吐き捨てるように歌ってくれ~!と思った。

新曲R&Rは(よく見えないんだけど)あの引っ張り上げるようなUPのストロークが好き。
そして、
大事なものはんだと訴えられるところが好きだ。
なんかね、
みんなに「大事なものはなんだかよく考えてごらん」とかスカしたこと言ってるんじゃなくて、
自分自身に言い聞かせているように聞こえる。
まっすぐ前向くんだと奮い立たせているように聞こえる。
なんだかとても苦しいことから一生懸命立ち上がっているように聞こえるのだ。
ああ…このとき本当は、ネックを握り込んだ親指が見られたはずなのに、アウトロのネックブルブルが見られたはずなのに……全然見えんし。
でも、それは想像で埋めていた。
ライブ中、頭の中の映像を引っ張り出して埋めてたわけだから、
ライブなんかなんなんかわからんのだけど、
そこにケーヤンがいるから、
そのイメージができたのだ。
まあ、譜面台は憎かったけど。

こうやって書いていると、
ギターだけでなくて、ちゃんと歌が入ってきているなぁと思う。
やっぱり、ギターの音と歌と発している人が同じだとこういう一体感があるし、
それだけでなく、
このツアー自体をケーヤンがひとりでやったことで、
音がケーヤンで完結するようになったというか、
そういうまとまりのようなものを感じた。

流行歌のような聴かせる曲も、
歌だけでなくて、ギターも十分聴かせるというか、
ギタリストだから当たり前なんだけど。
歌うとき、ギターが単なるバッキングになってしまうことも多いと思うのだ。
この後書くけど、竹安は歌うと「手がお留守」になる人だったし。
ケーヤンは弾き語りながら、
ギターからとても綺麗で複雑な音がする。
ただ音を出しているのではなくて、
例えば開放弦の余韻と次のピッキングをどうするか?みたいに、
どこでどの音を出してどう重ねるのかなんてのが計算されていると思う。
ケーヤンの感性でなんとなく弾いてるんではなく、
色々色々つきつめてこういう結論に至ったんじゃなかなという、クレバーな音がする。
例えば、
クレイジーで、サビの「クレイジー」に入るときに、
ストロークと「クレイジー」が一瞬ずれるので、
ハッやられたー!と腰が砕けてしまうのだ。

スィートロックンローラ、
低音、以前はもっときつそうだったんだけどなんか伸びるなぁ。
こういう歌い癖だなと思える。
最後はフロアまできて盛り上げて、
ああギタリストだなぁという、あらゆる技術を見せつけてくれて、満足満足~で、
一部終了。

ご覧のようにほとんどギター描写がないでしょう。
ほとんど手元みえてないから、ちょっと不完全燃焼の第一部。


第二部は…Tシャツピンクだったらしい。公式サイトの写真によると。
もう忘れてしまったよ。

カポ登場で赤い風船。
はまりすぎて、なんだか恥ずかしいなぁ。
ケーヤンが赤い風船を歌うのを私がどういうスタンスで見ればいいのか、
よくわからんのですよ。
「アラ、懐かしいわ」「みよちゃーん」でいいのかな。

そしてここで、
竹安登場~~!
今日はギタリストフルコースで、
お肉料理もお魚料理もあるんですのよ、オホホ。
思い通りの目の前。
竹安、熊本フラカンから1週間ぶりじゃないか!…多分気づかないだろうが。
そしてHippy!
……コラー!竹安!弾きすぎやってーー!気合い入りすぎやってーー!
ケーヤン大好きで嬉しいのわかるけど、
野太い竹安のSGが唸るから、ケーヤンの繊細なテレキャスとボーカルが負けそうやって!
そのケイスケ、けいすけじゃないし、鉄壁のリズム隊がおらんから!
調和!調和!
とか思っていたら、よく見る鳩のような動きでケーヤンに迫っていく竹安。
ケーヤンも「あ、今日はそんな感じ(^_^;)?」と同じような動きで合わせるけど、
竹安の求愛行動にとうとう目を背けてしまった。
動物界なら犯されてますわ。逃げて!ケーヤン!
いつもは鈴木のけいすけや、ようこさんという声バカでかい、
君臨しているボーカリストとやってるから、
ケーヤン、赦してやってください。
加減がわからんかったとです。

ケーヤン「今日は竹安が歌います」。
そういう話はあったけど本当だったんか!?
悩ましいイントロ。
こ、こ、これはーー!
nemuri女史を振り返ると、
nemuri女史もウンウンとしている。
ええ、これは去年フォー爆!で4人で回した「泣かないで」やないですか!
となると、
あの小西のサングラスがチラチラしてきて集中できん。
なんで私、ケーヤンのライブを見に下北くんだりまでやってきて、
去年のフォー爆思い出して笑ってるんだ。
竹安の暗黒低音ヴォイスで「消し忘れたたば~こ~♪」
ハハハハハハハハ(T▽T)全部歌うんか~!
竹安、譜面台に載った歌詞をメガネの奥から凝視しながら、
もうギターなんか弾けなくなって、ただコード抑えるだけになってて、
ストロークぶらんぶらん。
こんなギターダメな竹安みたことないわ!
竹安にここまでさせるケーヤンが凄い。
竹安がここまでしたくなるケーヤンなんだろうと思う。
普通なら絶対しないんだと思う。
竹安がケーヤンを好きだし、ケーヤンのためなら何でもしたいという、
そいういう想いがあるのだと思うのだ。
だから、
単におもしろい、いいものみたというだけでなく、
二人の間にある特別な関係がときおり切なくなった。(←なんか表現が卑猥だな)
アイ・ラブ・ユーやって竹安引っ込む。

次はアビさん。
渋いストラトだなぁ。
で、
でたーー!バイバイ・ジョニーーー!
いやいや、あの問題のバイバイ・ジョニーですよ!
長崎でリハでやったのに本編でやらなかったので絡んだバイバイ・ジョニーですよ!
長野のアーケードでやってくれたけど、
もう生では見られないと思っていた。
ジョニー・B・グッドじゃなくてバイバイ・ジョニーなのがいい。
ケーヤンの甘いミドルな声域にぴったり合ってるもんなぁ。
ジョニー・B・グッドだともっと張るだろうし。
アビさんの渋いギター。巧いなぁ~!
バーイバーイバイ!とハモるといい。
アビさんのシャウトもいい。
竹安とは違ったギターのハーモニー。

今回はただギタリストが3人。
しかもMCが巧いとか、特別華があるとかではなく(あ、失礼。無骨タイプのギタリストという意味で)、
ステージ上ではちょっと不器用なギタリストが3人。
全員あんまりガンガン前に出る方でもなく、
ただひたすらギターの巧いギタリストが3人。
なんかもう、
今、とてもいいものを見ているなぁと思った。

一部とテンションが違うのは、
もちろんゲストが出て盛り上がってるのもあるけど、
目の前で竹安の手元が見られたり、
セッションのおかげでケーヤンが動き始めて、
手元がみえるようになったりして、
私の「ギターみたい欲」が満たされたのがあるんですわ。

I Wish I Knewはアビさんが歌う。
アビさんも歌わない人なんじゃないか?
やっぱりケーヤンのためならやってくれるのかなぁ。
ケーヤンのソロの細かいピッキングでノックアウトです。

大きな川の…を聴いていたら、
イントロから泣けてきた。
「いろんなことあったけど」ってのが、ケーヤンでもあったし、アビさんでもあったし、私でもあった。
楽しいことばかりつなぎ合わせて笑おうとしていて。
私は投げ捨てるその川を見失っていて、捨て所のない汚いものが溜まっていた。
ケーヤンが淀川に流さないといけないものはなんだったんだろう?
川が表面は綺麗な水が流れていても、
底にはそういう淀んだものがあるのだ。
ケーヤンの「スマイル」ってやつは、
川の水面のようなものだなぁ。
なんか、そういうことを考えていた。
悪いわけではないのですよ。
川って力強い。
淀みを内包しているけど、
表面は新陳代謝をしていていつも綺麗だ。
それは気高いことだと思うのだ。


それからまたケーヤンのソロ。
すっかりステージもフロアもあったまったかんじ。
ずっと歩こうは可愛い曲で、
私はちょっと切ないイントロなんかが好きだったんだけど、
やっぱりすごく声が出ていてリリックが染みこんできた。

スウィートホーム大阪はなんでこの曲をこのツアーで選んだんだろうと思う。
大阪人としてのアイディンティティをもちながら、
旅を続ける決意なのかな。
ああ、ひとりになったから、また小指ぴょこぴょこが見られないわ。

夢じゃないは、これで一つの完成形になるんじゃないだろうか。
石垣島で「さぐりさぐり」かけたところから、進化したところから、ケーヤンの曲になったところから、
見届けたなぁと思った。(そんなにライブ行ってないのにこんなこと言ったらおかしいかもしれないけど)
ギターとコーラスじゃなくて、このツアーではまるごとケーヤンの曲になった。
思い届け!会いに行くよ!が、
もうがなりというよりは叫びで、
ライブの、「生きているケーヤン」だなぁと思う。
曲というのは生き物で、音源だけではわからないものがある。
身体からYEAH!とケーヤンの生のエネルギーが出てきて、
それがいただけているようで、
とても嬉しかったのだ。

いただけたような気がした次に、
君にささげようのイントロ。
ささげられていただく曲だ。
本編終わりだ。
MCでケーヤンがツアーを振り返る。
多分万感の思いで、各地の人に、スタッフに、お客に感謝するケーヤンはちょっと涙ぐんていて、
もらい泣きしてしまった。
ケーヤンは、
このツアーだけではなく、これまで生きてきたことすべてに、
ここまで到達したことに感謝している気がした。
ケーヤンはちっとも笑ってなくて、ケーヤンの素というか、こういうケーヤンが本当のケーヤンだと思った。
ピンスポットがケーヤンを照らし出した。
光がケーヤンの奥まで届いて川底を映しだした。
それはどうしようもなくやるせない、とんでもなく切ないものだったけど、
とても綺麗な心の澱だった。
ぷんと死の香りがした。
私はこの「やみ」が好きだったのだ。
このときそれを確信した。
この人のこの揺らぎが好きだ。
その「やみ」を内包したまま、
キラキラ輝いた音を出すのが好きなのだ。

なんかそういう気持ちだったけど、
まず話さないと言けないのはnemuriさん。
「竹安」「泣かないで」「フォー爆」「小西のサングラス」と、
ほぼ同時に言い合った。
ああ、よかったnemuriさんがいてくれて。
小西のサングラスの話を共有してガハハと笑えて。
ケーヤンの川底をのぞき込んでしまった気がして、
バツが悪くて、
バカバカしい話がしたかった。

アンコール。

こんどは3人でてきてルージュの伝言。
無骨な男が3人でユーミンさまです。
また私たちはスキャットを要求される。
エレキギター抱えた3人とフロアがホノボノする。

そして、
イナ戦の武郎くんのアコギが加わって、
まいどハッピー。
ケーヤンがバンドをやめてひとりになってから、
小さなイベントでもほぼやってきたまいどハッピー。(バンドではやらないだろうな)
とても大事な曲。
私が必ず滂沱する曲。
あがらない雨はないのだ。
こんな賑やかなまいどハッピーいいね!
私はどのライブでもまいどハッピーを聴きにきていたのかもしれない。
これを聴いて、泣いて、clapしてスカッとするのがいい!
…と盛り上がっていたときには、
私はまだ気づいてなかった。
ケーヤンのテレキャスの弦が切れていた。

長いことこのレポが書けなかった理由の一つが、
この事件だった。
弦は切れることもあるだろう。
私も何度も見てきたし、弦切れ萌えするとか言ってきた。
だけど、なんてこった。
テレキャスの弦が切れるのは、
縁起が悪い。
どうして、こんな大事な曲で切れてしまうのだ。
ケーヤンは「あんま、こんなことないんやけど」「アビさんが使っていいって」と、
アビさんのストラトで、そのままの君。
そのままの君でいて♪裏のリズムが軽快だけど、
シールドはケーヤンのものに付け替えかえられたけど、
急遽ケーヤンのセットに付け替えられたアビさんのギターの音は重く、
ケーヤンの歌との違和感を覚えた。
昔はストラトを颯爽と抱えていたはずのに、
いつのまにか私の中ではケーヤンはすっかりテレキャス奏者になってしまった。
そのテレキャスの弦が切れてしまった。
大事な曲で切れてしまった。
私は叫びだしたいくらい混乱していたんだけど、
精一杯笑って手拍子した。
いつもケーヤンがしてるみたいに。

Wアンコの曲は危険なふたり。
これはオマケという感じだろうな。
渋すぎるアビさんのストラトを抱えて、
ケーヤンが「ジュリー!」とおどけた。



それから、
ライブに一緒に行った人たちと打ち上げたり、
朝まで下北をウロウロと飲み歩いたりした。
楽しかった!やりおったよあの男は!最高のツアーだった!と言いながら、
ケーヤンの中にある「やみ」とテレキャスの弦が切れたことが何度も何度も頭をよぎった。
それと同時に、自分が「やみ」に引きずられそうになった。
生きている罪悪感が襲いかかった。
なんて怖いギターを弾く人だろう。
今、黒い太陽なんかみたらアッチの世界に引っ張り込まれてしまう。
やっぱり日蝕が怖い。
予報通り曇ってしまえばいいのに。
そうすればみんな平等、日蝕なんかなかったことになる。
そう思っていたのに、
嫌らしくまばゆい朝日が差してきた。
憎たらしくて仕方がなかった。
ひとりで日蝕を見られない私が意気地なしみたいじゃないか。
日蝕の時間はひとりホテルのシーツにくるまってふて寝した。
ウトウトしている間に食は終わっていた。

それが感動なのか自分の何か悪いところに触れてしまったのかわからないのだけど、
ホテルで一人ワアワア泣いた。
プラスの感情ともマイナスの感情ともつかない大きな絶対値のエモーションだった。
それを起こさせたのはケーヤンなのだ。
いや、音楽って凄い。
音楽を奏でる人って凄い。
そういえば私は、
笑いすぎて泣いてしまうような、
感情表出の変な子どもだった。
そのときに戻ったような不思議な感覚に包まれていた。



今回のツアーの感想。
今まで見たケーヤンのライブの中で一番好きだと思った。
(今のバンド(MCCB)は見たことないけど)
リクオさんとのユニットだと、
二人でやったり、ソロでやったり、出たり引っ込んだりで、
一つのライブというよりは、
やっぱり2人のミュージシャンでやってるイベントという感じがする。
そのお得感はもちろんあるんだけど。
それと、
ピアノは完全楽器だから、ピアノとギターでやる必然性を出そうとすると、
ものすごく高度なことをしないといけなくなるなぁと思う。
もちろん仲良しの出すハーモニーは最高なのだけど。
なんかこんな風に書いていると批判してるみたいな誤解がありそうだけど、
リクオさんとのユニットが100%パーフェクトだったら、
ケーヤンひとりツアーが120%だという話ですよ、個人的に。
きっと、
今やってるMCCBみたいにリズム隊が入ると、
リズム体がでて、ギターがあって、ピアノが華を添え、リクオさんのボーカルが生きみたいな、
バンドとしてのまとまりが出てるんだろうなぁ。
私の好みなのだけど、
私はイベントより、好きなミュージシャンのワンマンが好きだ。
もうフェスはいいやと思っているくらいだ。
もちろん、今回みたいにケーヤンという軸があって、
ゲストが出るのはいいのだけど。
だから、
ケーヤンの音が満載で、ライブとして、音としてまとまりがある、
今回の企画が私には一番はまった。
またひとりでやってほしいなぁ。


すっかりツアーが終わって、
変な自分のきまりごとに取り憑かれていた。
すこぶる調子が悪くなった。
それと同時にケーヤンの音が好きな理由を実感していった。
ああ、私の大好きな「やみ」があるから、
それでも笑顔で邁進しているから、
だからあの音は強く美しいのだ。
だから私は好きなのだ。

あのテレキャスの調子が悪いとのことだった。
休み休み使った方がいいと言われたそうだ。
私と同じ年のテレキャスだからガタも来るだろう。
ひとりぼっちツアーではなく、
このテレキャスとのふたりぼっちツアーだった。
テレキャスも疲れただろうと思った。
弦が切れたのはテレキャスの悲鳴だったのかもしれない…なんて考えた。
楽器に対するアニミズムって人は持ちやすいんじゃないかなぁ。
懐かしいお日様色のストラトなどをケーヤンが持ち出すようになった。
なんだかホッとした。
いろんなギターでやっていいのだ。
ケーヤンがギターを弾く日常は続いている。
そろそろこの記事を書こうと思った。


なんかしんみりしている?
ノンノン!
私がちょいと考えすぎただけだったんだよ。
ケーヤンのひとりツアーのオーラスにふさわしい本当に楽しいライブだったのだ。
またひとりツアーやって欲しい!
ケーヤンの音であふれた世界にどっぷりハマって、
キラキラ光った「やみ」を見たい。
今回のライブの一番印象深いシーンは……そうですなぁ、
去年のフォー爆の小西の「泣かないで」ですなぁ!!

お蔵入りした記事の画像がこんなとこで有効に使えてよかった!
※ケーヤンのライブと小西はまったく関係ありません。
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