国家有功者の子女

2006-08-18 | news

同じ朝鮮日報8/18記事

国家有功者の子女、公務員試験の加算点引き下げへhttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/18/20060818000020.html

 国家有功者の子女が公務員採用試験を受ける場合に反映される加算点の比率が既存の科目別10%(100点満点中)から5%に引き下げられる。しかし、国家有功者本人と既に登録された遺族(殉国烈士、戦没軍警、5.18光州民主化運動犠牲者遺族)に対しては今後も10%の加算点が与えられる予定だ。

 国家報勲処は17日、このような内容を含めた「国家有功者など礼遇および支援に関する法律改正案」を18日に立法予告することにした。今回の法の改正は、憲法裁判所が今年2月、現行の加算点制度に対し憲法不合致決定を下したことに伴うもの。

 改正案はまた、「公務員としての最小限の能力と資質を備えた国家有功者選抜」の趣旨に従い、得点が100点満点中40点未満だった場合に与えられていた加算点は廃止することにした。

コメント:他国のシステムだから、あれこれ批判したくはない。が、戦前のわが国の貴族制に似ているなあ、とは思う。わが国の中央官庁にはまさかこれか、もしくはそれに似た選抜制度はないと思うが・・「公務員としての最小限の能力と資質を備えた国家有功者選抜」という微妙な表現を含んだ制度にも関心をもった。


アメリカ、韓国から撤収?

2006-08-18 | news

韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が、戦争時の作戦権を米軍がもっている現状を改め、それを韓国軍に戻す申し入れを進めている、とのこと。作戦権委譲の時期としては2012年をアメリカ側に申し入れたそうだが、アメリカは「善は急げ」で、そんなに待つ必要はない、2010年でOKだ、としているよし(アメリカも、北朝鮮のスカッドミサイルの射程内に米軍大部隊が駐留している事態を避けたいのだろう)。このことが韓国で大きな波紋をよんでいる。

朝鮮日報http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/17/20060817000047.html

【統制権】「世界最高の作戦計画が骨抜きに」
千容宅元国防長官、統制権の単独行使に懸念(中)
によれば、

◆戦争抑止力が大幅に低下する 

 戦時作戦統制権を韓米が共同で管理していれば、北朝鮮が韓国を侵略した場合には、自動的に米軍の即時全面介入が決まる。従って北朝鮮が戦争を仕掛けようとすれば、韓米両国に宣戦布告せざるを得ない。

 戦争が起きれば米軍は最新鋭の戦闘機3000機、海軍母艦5個戦団、66万の兵力を韓半島(朝鮮半島)に追加派遣することになっている。これに勝る戦争抑止力はない。

 しかしこれが韓国軍の単独行使に切り替われば、連合司令部(CFC)は解散し在韓米軍司令官の地位も激変し、抑止力の大幅な低下につながる。

◆統帥権と作戦統制権は別物 

 現在の韓米連合体制が憲法上の統帥権者を侵害するという盧大統領の話は事実とは異なる。平時には韓国が在韓米軍を間接統制できる権限を持つほど、統帥権を完全に掌握している。統帥権と戦時作戦統制権はまったく違う概念だ。作戦統制権の共同行使はひとえに戦争に勝つための体制だ。

 また戦時作戦統制権の「還收」としているが、実際には「単独行使」が正確な表現だ。これは韓米連合軍司令部が創設された際に、作戦統制権が韓米共同行使に変わったためだ。

◆世界最高の作戦計画が骨抜きに 

 韓半島で全面戦争が勃発すれば、韓米連合軍は「作戦計画5027」を遂行することが決まっているが、指揮権が韓国軍の単独行使に切り替われば、世界で最も完成された作戦計画との評価を受けている「作戦計画5027」も骨抜きとなる。

 米軍は第1次・第2次世界大戦やベトナム戦などを経て、最も強力な軍需支援体系を構築してきた。韓国軍の装備物資が一般家庭の水タンクのレベルなら、米軍のそれは昭陽川ダム並みだ。

 現在の体制では米軍の軍需支援体系に韓国軍がパイプだけさせば米国の無尽蔵な補給物量をそのまま使用することができるようになっており、その分だけ戦略選択にも柔軟性が生じる。こうした体制は韓国にとっては一種の「戦争保険」だ。しかし単独行使に切り替われば、こうした保障はなくなる。

コメント

国内に多くの反対があるようだ。(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/17/20060817000012.html)当然だろう。韓国の安全保障という観点からは、どう見ても合理的判断とはいえそうにない。日本政府も、盧武鉉大統領とは話ができないと見て、彼以後の政権に期待しているようだ。「次の政権を期待」ー日韓両政府が互いに同じことを考えているというのもファニーだ。日本の首相も「あと一ヶ月だ、何ということもあるまい」ということで、それまで避けてきた8月15日をわざわざ選び、「どうだ、中国、韓国、見たか!」と奇妙で、不誠実な大見得を切った。偏狭なナショナリズムに酔って、冷静で合理的な判断ができない指導者であるという点は似ている?

 


冥王星の地位保全

2006-08-18 | news

Three new planets? If astronomers agree, three of the bodies in the Solar System will be assigned new status as planets: Ceres, Charon (Pluto's companion) and 2003 UB313. There would be no change in the planetary status of Pluto. http://www.sciencedaily.com/releases/2006/08/060816082231.htm

教科書は?占星術は? 惑星の新定義に反響続々 (朝日新聞) - goo ニュース

 太陽系の惑星を今より3個増やそうという国際天文学連合(IAU)の惑星定義委員会の提案が、反響を呼んでいる。チェコ・プラハで開催中の総会で24日に予定される採決で、新しい定義はすんなり認められるのか。そこは天文学者たちにも見通せないという。

 米メディアは新定義を大きく取り上げた。しかし、その関心は惑星が増えることではなく、冥王星が惑星の地位にとどまった点に集まっている。冥王星は従来の9惑星のうちで唯一、米国人が発見した惑星。しかも、今回の定義の見直しが、そもそも「冥王星は惑星か」という論争に端を発していたからだ。

 「冥王星、当面は太陽系内での地位を維持」

 ニューヨーク・タイムズ紙は、16日付朝刊1面でこう伝えた。

 ワシントン・ポスト紙も同じく1面で「冥王星の新たな地位は『プルートン(冥王星型惑星)』の見通し」と報じた。

 冥王星は1930年、米天文学者クライド・トンボーが発見した。このため、米国民は冥王星への愛着が強い。かつて冥王星を他の惑星と区別して展示したプラネタリウムに、全米の児童から抗議が殺到する「事件」が起こったほどだ。

 だが、冥王星は月より小さく、しかも軌道が他の8惑星の共通軌道面から大きくはずれ、傾いている。このため「冥王星は惑星か」という議論が常につきまとってきた。

 新定義では、米観測グループが昨夏に「第10惑星」と発表した「2003UB313」と、従来は冥王星の衛星とされていた「カロン」、これまで小惑星と分類されていた「セレス(ケレス)」が惑星の仲間に加わる。

 その上で、「プルートン(冥王星型惑星)」という特別なグループを新設。冥王星、カロン、「第10惑星」の三つをこのグループに分類した。

 カロンを衛星から惑星に「昇格」させた点などについて「事態を混乱させる」といった批判も聞かれるものの、「冥王星を惑星と規定するほとんど唯一の方法」「すばらしい妥協だ」などと評価する専門家の声を、米メディアは伝えている。

 一方、東京工業大の井田茂教授は「惑星形成の専門家で、冥王星を惑星と考える人はいない」と話す。「小天体が集まって一つに合体し、その軌道上で最大となった天体を惑星と見なしている」

 日本惑星科学会会長の向井正・神戸大教授も「理論的には冥王星をはずした方がすっきりする」。しかし、「長い間惑星として教科書にも載っていて、はずすことの影響は大きい」といい、「新しい惑星がどんどん増えれば、もう一度議論し直す必要が出てくるかもしれない」と見る。

コメント

寝苦しい夏の夜にふさわしい話題。科学上の概念が政治力で決まる例?冥王星が月よりも小さいとは知らなかった。

 


ダーウィンのカメ

2006-08-17 | news

今年の6月24日、1835年ダーウィンがビーグル号に乗ってガラパゴス諸島を探検した際、ロンドンに連れ帰った3匹のカメのうちの一匹と信じられてきた「ハリエット」嬢死去、というニュースが流れた。享年176歳(175歳と書いてある記事もある)。「ツルは千年、カメは万年」というそうだが、長寿ではある。合掌。(なお、ハリエットは125年間オスだとされてきて、その間の名前が「ハリー」だったとのこと。数年イギリスで飼われていたが、気候が適さないとのことで、オーストラリアの動物園に移され、幸せに暮らしてきた。死因は心臓麻痺のもよう。)

中韓両国を「抵抗勢力」に仕立てて何の意味ある?

2006-08-15 | news
 首相、参拝理由を説明(読売新聞)

 小泉首相は15日午前、終戦記念日に靖国神社に参拝した理由について「8月15日を避けても批判、反発は変わらない。いつ行っても同じだ。ならば、今日は適切な日ではないか。戦没者の追悼式典も行われる。千鳥ヶ淵の戦没者墓苑にもお参りする」と説明した。

 首相官邸で記者団に語った。

 参拝の立場については、「総理大臣である人間・小泉純一郎が参拝している。職務として参拝しているのではない」と述べた。

 また、首相は、自らの靖国参拝への批判は、<1>中国、韓国の反発<2>靖国神社にA級戦犯が合祀されている<3>政教分離を定めた憲法に違反――の「3点に要約される」と指摘した。

コメント
「悪玉」を意図的に作り出すのが小泉氏の手法。喧嘩の定石なのだろうが。
しばらく前は郵政族だった。
今回は中韓両国。
中韓両国を悪玉,抵抗勢力に仕立てて,何の意味がある?

今回は,違憲判決を受けている行為(大阪高裁判決05年9月,福岡地裁判決04年4月)を行った上での,
「悪いのはお前だ!」
なのだから,説得力ないことおびただしい。

どうしても悪玉を自分以外に仕立てたいのなら,
「悪いのは裁判所だ!」
もしくは
「悪いのは日本の憲法だ!」
としなければいけない。

「内外からの激しい批判の中,公約を守った」という実績を誇示したいのだろうが
(つまり、「俺はオトコだ、感動した!」と言いたいのだろうが),
たかが自党の総裁選時の公約。
国益より私益優先,地位をもてあそんだと言われても仕方がない。

命が勝手に担保にとられていた!債務者をあの手この手で追い詰め殺していくゲーム!

2006-08-15 | news
<消費者金融>10社借り手に生命保険 死亡時受け取り人に(Yahoo!ニュース,毎日)

 消費者金融の大手5社を含む10社が債権回収のため借り手全員に生命保険をかけて掛け金を支払い、死亡時の受取人になっていることがわかった。貸借契約と同時に大手生保に保険加入手続きを取り、遺族への死亡確認をしなくても支払いを受けているケースが多い。多重債務者の相談・支援団体は「契約書の片隅に記載され、大半の人が知らないうちに命を担保にされている。厳しい取り立ての原因にもなっている」と批判。金融庁も保険の加入や死亡確認方法について調査に乗り出した。
 金融庁の内部資料などによると、消費者金融10社は借り手を被保険者として、外資系を含む大手生保を主幹事社に「消費者信用団体生命保険」の契約を結び、掛け金を支払っている。借り手が死亡した際、医師の死亡診断書や死体検案書を遺族から入手して生保に提出し、残った債務と同額の保険金を請求する。
 借り手の保険加入に当たっては、大半が貸借契約書と保険加入書が同じ用紙で、貸借契約書の中に小さく「保険加入に同意する」などとしか記載されていない。全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会は「十分な説明や意思確認があるとは言えない。自分が加入した保険会社名さえ長年知らされてこなかった」と指摘する。
 死亡確認(自殺を含む)については、大手5社の場合▽アコムとアイフルは契約後1年以上で債権が50万円以下▽プロミスは1年超で100万円未満▽三洋信販が1年超で10万円未満▽武富士は契約から2年以上――なら、医師の死亡診断書などがなくても、業者が入手した住民票で代用している。
 この保険について大手各社は「債務が遺族に残って負担にならないようにするための保険。加入手続きは保険会社との契約に基づいて行っているが、説明責任を強化する監督官庁の方針もあり見直しを検討している」などとしている。
 生命保険協会は「死亡を確認する書類の扱いまでは承知していない。契約時の本人の同意確認は適正に行われていると認識している」と話している。
 ◇住宅ローンとセットの「生保」とは本質的に異なる 遺族素通りで、業者に支払われる
 消費者金融の賃貸借契約は生命保険の加入とセットで成立する点で銀行などの住宅ローンと同じだが、その目的は本質的に異なる。住宅の場合、契約者の明確な意思に基づき、本人が仮に死亡した時に家族が生活の場を失わず済むという意義がある。社会的に認められているゆえんだ。
 一方、消費者金融の生保加入は、本人が契約自体をほとんど知らないことに加え、保険金が遺族を素通りして業者に支払われる。死因が十分審査されない場合もある。しかも利息制限法を超えて本来は支払わなくていい「債務」が含まれていても、業者の「言い値」で保険金が下りる。消費者金融側は「債務者の遺族に負担をかけないための保険」と主張するが、命の「対価」に本人や遺族がかかわらない仕組みは正常とは言い難い。
 この保険は契約から1年経てば自殺の場合も支払い請求できる。過酷な債権回収ノルマがあるとされる業界で、保険を「最後のとりで」として厳しい取り立てを誘発するという指摘もあるが、保険の支払い件数や金額、自殺者の割合は公表されていない。
 生保はかつて、従業員の同意を得ていない企業との間で保険契約を結び、社会問題化したことがある。消費者金融と生保は「命を勝手に担保に取るのは公序良俗に反する」という批判に、正面から答える必要がある。
 ◇追い詰められた母「命を代償に借金回収 許せぬ」
 走り書きの遺書があった。「照美 子供を大切に」。穏やかな老後が待っているはずの母は多重債務の取り立てに苦しみ、自ら命を絶った。しかも命と引き換えに借金を清算する消費者信用団体生命保険がかけられていた。消費者金融の元社員は「債務者が自殺しても何も感じなくなってしまった」と言う。娘はあきらめ切れない。「人の命をもってしてまで借金を回収することが許されるのですか」
 04年8月31日。兵庫県宝塚市の弘中照美さん(46)が駆けつけた時、母真沙子さん(当時67歳)は小さな体をふとんに寝かされ、眉をひそめた顔をしていた。四十九日の直前、大手消費者金融など4社の請求書が遺品から見つかる。弘中さんの兄が病気で倒れ、入院費を工面するため借り入れを始めたらしい。催促は死亡前後の1カ月余りで5通が集中していた。
 弘中さんは司法書士事務所に勤め、多重債務の相談に応じてきた。夫(当時)の電気工事会社が傾き、消費者金融に頼って苦しんだ経験があるからだ。母は立ち直った娘の姿に喜び、「あなたより大変な人を支えて」と励ましてくれた。「それなのに母を見殺しにした」と自分を責めた。
 05年6月、自宅に届いた消費者金融からの「ご依頼書」に、さらに打ちのめされる。残った債務は約63万円。消費者金融は、母が貸借契約を結んだ00年に加入したという消費者信用団体生命保険の支払いを生保に請求するため、死亡診断書か死体検案書の提出を遺族に求めた。「死亡原因 縊死」。震える手で探した診断書の文字を正視できなかった。垂れ下がるひもを見れば吐き、一周忌が近づくと夜眠れなくなった。
 貸借契約書を調べてみると、片隅に「生命保険の被保険者になることを承認」と印字されているが、保険加入に関する書類はない。「母は知らないうちに命を担保に取られ、追いつめられた」
 再婚した夫が借金を利息制限法(15~20%)で計算し直すと、1万6千円の「払い過ぎ」だったことも分かった。亡くなる2カ月前に返済を終えていたことになる。「お母ちゃん、全部ちゃんと返してたんやで」。今年3月、保険金請求権の不存在確認と慰謝料を消費者金融と保険会社に求め、神戸地裁に提訴した。7月26日、裁判で消費者金融側は自ら債権放棄の意向を申し出た。
  ◇    ◇
 昨年夏、弘中さんは岩手県で開かれた多重債務者支援の集会に参加した。母が借りていた消費者金融の元女性社員が体験を語った。「客が自殺すると初めはショックでした。でもだんだんと『あ、死んだ』と。(債権回収の)ノルマがすんでほっとするみたいな」
 弘中さんは、この女性に「話してくれてありがとうね」と手を差し出した。女性は泣き崩れ「ごめんなさい。ごめんなさい」と、顔をひざにすりつけるように頭を下げ続けたという。
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060815-00000005-mai-soci)

コメント:終戦記念日に恐るべきニュース。このシステムでは,消費者金融や生保にとって,多重債務者は死んでくれたほうがよい存在,できたら早く死なせたい対象になる。上で紹介されているケースは,消費者金融や生保による顧客の殺人事件として扱ったほうがよいのではないか。勝ち組である大手生保等が,負け組である債務者をあの手この手で追い詰め殺していくゲーム!近未来的映画の世界が現実にある。「英霊」(この場合皮肉的用法です)も泣いているのではないか,こんな社会をつくるため戦ったのでない!隣国の人々の心を深く傷つけるため戦ったのではない!と。



「マスコミの皆さんともいい関係を築きたい」とニヤリと笑い

2006-08-14 | soccer
 大変だけど…憎めないオシム改革[06.08.14スポニチ]

 深夜の代表招集から一夜明け、日本代表の選手は無事、新潟に集合した。オシム監督はとにかく、これまでの日本サッカー界の慣列にとらわれない。「それが代表だ」と言ってしまえば、それまでだが、日本協会や選手を送り出すクラブは対応に大わらわである。

 7月に就任して以来、どこまでもマイペースなオシム監督は周囲を振り回してばかりだが、現時点では苦笑いはしても、嫌悪感や敵対心をむき出しにするような関係者は少ないように思える。どこか憎めないのは純粋にサッカーのことだけを考えているからだろう。

 W杯日韓大会で日本代表を率いたトルシエ監督もW杯メンバーの発表会見を回避したり、キリン杯の会見をキャンセルしたこともあった。だが、トルシエ監督はその時の気分だったり、自分の権力誇示が目的だった。ドイツ大会のジーコ監督は基本的には日本協会のスケジュール通りに動いた。ある関係者は「自分もブラジルで事業をしているからビジネスを分かっている」と話していた。スポンサーをたてるイベント、メディア戦略なども自分の仕事として割り切ってこなした。

 睡眠時間を削ってでも世界中のビデオで見続けるという指揮官は心からサッカーを愛している。旧ユーゴスラビア時代には紛争から指揮を続けることはできなかった。サッカーは自分の才能を誇示する手段でもなく、お金もうけのためでもない。サッカーそのものにかかわれることに喜びを感じている。今、頭の中は日本代表が強くなるためにどうすべきかだけ。強行日程と知りつつも直近のリーグ戦を見てから選出するのも、決定済みの試合日程へ疑問を呈するかのようにわざと13人しか招集しなかったのも、そのためだ。

 オシム監督は南アフリカ大会まで指揮を執ることに意欲を見せている。情熱が続く限り、日本代表はこれからも振り回されそうだ。さぞかし大変だろうと人ごとのように考えていたら、先日の記者会見で指揮官は「マスコミの皆さんともいい関係を築きたい」とニヤリと笑い、報道陣に逆に質問を返すなど、やり取りを楽しみだした。“改革”の矛先は、こちらメディアにも向いてしまったのか。ちょっとばかり頭が痛くなった。
(http://www.sponichi.co.jp/wsplus/column_j/09990.html)

コメント:なかなか痛快だ。提灯記事ばかりで,腰も何もない日本のマスコミを大いに「教育」してほしい。私はこのところオシムを一休に見立てていたが,ヨーロッパ出身なので「ソクラテス」の方が適当かもしれない。イビチャ・「一休」・「ソクラテス」・オシム!一休・ソクラテス禅師の情け容赦のない「逆質問」にさらされそうなマスコミの方々も,禅や哲学のにわか勉強をはじめた方がいいかも。Uー21の先日の中国遠征では,選手たちは事前に中国史の講義を受けたようだ。これもオシムの指示だったのだろうか。一休・ソクラテス氏,われわれがマスコミで見あきた人たちより数段上の人物のようだ。

日本サッカー革命!サッカーが面白くなってきた!

2006-08-13 | soccer

オシム・イズムで猛アピール!三都主2発、負けじと達也弾で浦和大勝http://www.sanspo.com/soccer/top/st200608/st2006081302.html

J1第17節(12日、浦和4-0FC東京、埼玉スタジアムほか)浦和が日本代表MF三都主アレサンドロ(29)の2得点などでFC東京に4-0大勝。4月29日の第10節以来となる首位で前半を折り返した。日本代表に最多の7人を送り出し、誰もが“代表効果”を口にする連動性を発揮した。

動く、走る、ボールがつながる。浦和にかつてない連動性をもたらせたスパイスはオシム・イズム。9日の日本代表・トリニダードトバゴ戦に続く2戦連続2得点のMF三都主の動きがそれを象徴していた。

まずは1点リードの後半10分、中央に切れ込み利き足でない右足でミドル弾。16分後には折り返しを頭で沈めた。右足ゴールは「人生初。草サッカーでもない」と仰天。さらに「頭で取る選手じゃないのに」と2点目にも驚いた。ありえない形が2度も続いた。

「1点目は長谷部が見えない動きで相手を引き付けたから。2点目は達也(田中達)から折り返しがくると信じて走った。代表でいわれたことが浦和でもみんなでできれば成長につながる」

トリニダードトバゴ戦には最多7人を供出。オシム流の指導の下で「考えて走るサッカー」をたたきこまれた。最後尾から見守ったDF闘莉王は「代表効果ですね。全然違うもん、いつもと」と笑う。

「このチームでできなかったことを代表で確認できた。みんな刺激を受けるだろうし、そこは相乗効果」と左サイドの“から走り”で三都主の右足弾を演出したMF長谷部。三都主ら“古井戸組”から漏れた“枯れ井戸組”のMF小野が、前半5分に先制点を決め「ここまで楽しいサッカーは日本に帰ってきて初めて」と白い歯を見せた。“新しい井戸組”のFW田中達も後半43分に4点目を決め「この積み重ねが代表にもつながる」と『3つの井戸』の競演に胸を張る。

4月29日以来の首位浮上。浦和が変わる。クラブが変われば日本サッカーも変わる。・・・

コメント:イビチャ・「一休」・オシムの「日本サッカー革命」が,あっという間に効果をあらわしはじめている。「基礎」に帰ることが,Jリーガーたちに大きな希望・モチベーションを与えているようだ。昨夜,BSで昨日のゲームのダイジェストを見たが,楽しかった。私はとりあえずジェフ千葉を応援。浦和も魅力的そうなので,ちょっと気になる。

何も変わらないプロ野球や迎合お笑い,演出八百長ボクシング,ワンフレーズ政治にはあきあきした。先に書いたが,本物,良いものを見せてほしい。


公約は守らなくてはいけない

2006-08-12 | news

「批判されるいわれはない」 首相発言、エスカレート (朝日新聞) - goo ニュース         

首相をとりまく状況は北朝鮮の指導者の置かれた状況と似ている。金氏は,「ミサイル発射は止めて」という中国等周辺諸国の要望を無視,派手な「ミサイル連射」でこたえた。小泉氏も「靖国参拝は止めて」という中国等の要望を無視,「8・15参拝」を決行しそうだ。「日本の首相がどこに参拝しようと自由」,「誰が考えても(自民党総裁選の)公約は守らなくてはいけないでしょ」,「悪いのは中国政府」とあの手この手で「きめ台詞」,有効打を探している感じ(先日の亀田のパンチのよう)。これがワンフレーズポリテイクスかと感心。来月辞める人だから,どうぞ好きな日に参拝したら,と個人的には思っているが,参拝は,中韓両政府に対する明々白々な「挑戦」となるから,首相ライン上に生まれる後継総裁にとっては重い置き土産となりそうだ。しかし,「失敗は成功の母」,「夜明け前が一番暗い」とも言う。日本の将来にとってはよいのかもしれない。


本物を見せろ

2006-08-11 | news
若者の4割、自民党総裁選に不満…ネット調査

 おれたちをバカにするな-。安倍官房長官が独走している9月の自民党総裁選について、20-30代の若者の4割が「政策の中身よりもキャラクターやスローガンで進んでいるように見える」と不満を感じていることが11日、NPO法人「政策過程研究機構」(PPI、東京都渋谷区)のインターネット調査で分かった。小泉純一郎首相から続くパフォーマンス路線に「ノー」が突きつけられた格好で、「ポスト小泉」は修正を強いられそうだ。

 調査は4-8日の5日間にインターネットを通じて行われ、20-30代の男女1086人から回答を得た。

 それによると、総裁選に「特に関心がない」と回答したのは1割未満なのに対し、82%が「若者の声が政治に反映されていない」と回答した。

 「総裁選について感じること」という複数回答の設問には、「政策の中身よりもキャラクターやスローガンで進んでいる」が42.6%、「争点となる政策が見えない」が41.4%と、政策に関する議論不足に対する不満が相次いだ。また、「総理大臣にしたい候補者がいない」という回答も35.、5%にのぼった。

 この結果に、PPIの渡瀬裕哉理事は、「総裁選に関心はあるのに、具体的な政策論争もなく、人気や党内のパワーゲームで安倍氏に決まりそうなので、若者は疎外感を感じている。また、パフォーマンスやワンフレーズ政治に飽きたうえに、『それで押し切れる』と思われていることに腹を立てている。総裁選では、骨のある議論が求められている」と語った。(http://www.zakzak.co.jp/top/2006_08/t2006081109.html)

コメント: 自民党総裁選への上の反応は、亀田新世界チャンピョン誕生劇に対する反応(放送したTBSへの6万を超える抗議メール、電話)と同質のものと見てよさそうだ。若者も成長している。自民党総裁選についての具体的反応は来夏の参議院選挙ということになろうが、油断すると自民党もTBSと同じ立場になりそうだ。粉飾やパフォーマンス、ニセモノはもういらない、本物を見せろ、というところだろう。(サッカーでは本物登場のようすだ。祝オシムジャパン初勝利!顔ぶれも新鮮でよい。「一休オシム」登場!伝えられるところによると、コーチや協会会長まで教育してくれているようだ。楽しみだ。)民主党にもぜひ勉強してもらいたい。


麻生私案

2006-08-09 | news

朝日新聞朝刊に麻生外相が,靖国神社改革私案を寄稿した。

宗教法人としての靖国神社に自ら解散してもらい、特殊法人にして国立の追悼施設に衣替えするという。天皇・首相が参拝できる組織に靖国神社を変えるのが眼目。靖国神社が自主解散を受けるか大いに疑問だが,靖国神社を残そうという考え方(私はこれに賛成というわけではない)の中では筋の通った提案だ。朝日社説は,靖国神社は自主解散を受けないだろうから,「新たな国立追悼施設」の建設が可能なただ一つの方策だろう,と指摘している。私も,天皇の参拝できる組織の方がいいと思う。

いろいろなところで指摘されているが,WBAはあらかじめ亀田父親にチャンピョンベルトを用意,それを渡したとのこと。まあ,WBAが彼を知っていそうにないから,主催者側(協栄ジムとTBS)が働きかけたのだろう。しかし,これは100%「八百長」とばれてしまう行為だ。それを考えなかったのだろうか。そんなこと無視してかまわん,という非常に強い,特殊な「情念」を感じる。かなりゆゆしい。

「敗北は最良の教師」とはオシムのせりふ。Wカップは4年後だから,今からピークにもっていく必要はまったくない。スタートラインの確認が今夜の試合の意味だろう。今夜は負けよう。


ゆゆしい勢力との癒着?TBSは徹底的にチェックすべきだ

2006-08-06 | news

阪神の星野仙一が新チャンピョン亀田を擁護している。

「亀田」をあまりいじめるな

 亀田興毅の世界戦へのバッシングはなにか、あの若いボクサーの勝利をよってたかってくさしているようで、かわいそうな気がする。ジャッジの裏になにかあるのかどうか、そんなことはわからないことであって、ジャッジに関しては、勝ったか負けたかのジャッジは亀田になんの落度やとがめだてされることはないのだから、連日の報道にはいささか首をかしげている。ボクシングのプロのジャッジにはプロならではの見方や、それこそ判定というものがあるわけだろうし、亀田が頑張ってつかんだ世界戦というものをもっと純粋に賞賛してやったらいいじゃないかと、わたしなんかは思っている。

 あのビックマウスにしてもパフォーマンスにしてもプロの世界ならではのひとつの要素であって、はたからあまりおとなしい常識論や感覚でもってとやかくいうのはどうかとも思うし。それよりもむしろ毎日のように親殺し、子殺しのニュースが出る今のような時代に、両親がそろっていても子どもひとり満足に育てきれない状況もある今のような時代に、あの父親が男の子3人をきちっと同じ方向に向けて育て、必死になって頑張らせている姿というものは理屈なしに貴重なもののように思っている。亀田人気というか、あれだけの注目を集め、あれだけ存分に楽しませてもらったその背景や根拠にこそ、もっと報道の目線を向けたらいいと、そんなふうにも感じている。あれだけ頑張っている、あれだけスター性を持っている若いチャンピオンをいじめるような空気を助長するようなまねは、少なくともメディアは慎むべきなんじゃあないか。

 正義感にも情動的なものと、もっと広くて深いものとがあるわけだから、あの世界戦についての報道や騒ぎ方が見当違いの方向に進むことだけは気をつけてもらいたいと、わたしは思っている。(http://hoshino.ntciis.ne.jp/

コメント                                              これについては,佐藤氏の反論(http://www4.diary.ne.jp/user/429793/)に断然歩があると思う。とくに最終ラウンドについて亀田に歩がなかったのは明らかで,それを10-9亀田優勢とした韓国人ジャッジの判定(これが勝敗を分けた)は「八百長」とみられて仕方ない。(12ラウンドの映像http://youtube.com/watch?v=j5wqf2KTBx0&mode=related&search=)

星野氏は,スポーツ界の大先輩として「わかいもん」をかばってみせているのだろが,かなりの浪花節だ。私も失望した。まあ,ショービジネスの世界なのだから何でもOKという考えもあるかもしれないが,プロボクシングは一般にはプロ野球同様の「スポーツ」と見られている。もしスポーツならば,「公正さ」,「社会的責任」が要求される。それが傷つけられた,という事で多くの批判がなされている。主な問題は未成年の亀田本人ではない。粉飾試合をセットしている組織だ。

単なる粉飾試合ならば大した問題ではないかもしれない。しかし、リングサイドその他で,黒い勢力の介在が指摘されている。もしそれが本当ならばゆゆしいことだ。TBSは徹底的にチェックすべきだ。はっきりした証拠が公開されている以上,「知らない」といういいわけは通るまい。フジTVだろうか,しばらく前「プライド」との契約を解除した。必要ならば,決然たる処置をとるべきだ。


日本仏教史―思想史としてのアプローチ

2006-08-05 | 親鸞
を読む(末木文美士著、新潮文庫)。

本の背表紙に(本書を読むことは)「日本人の思想の核を探る知的興奮に満ちた旅でもある」とあるが、私も興味深く読んだ。明晰判明な論述。大乗仏教の本質といわれる「空」の思想や(天台)本覚思想の説明も非常に明快で、「ふ」に落ちた。こんなにわかりやすくてよいのだろうか、と心配になったほどである。

日本の仏教思想でやはり魅力的なのは、この思想が生きてダイナミックに生成発展していた奈良・平安時代から鎌倉・室町時代まで。この自由な伝統が唐変木・徳川幕府の宗教政策により巨大で融通のきかない枠に嵌められてしまったのは大いに残念。

哲学はあるアイデアのもと主張を立て、それを支持する論証を組み立てる,あるいは,可能な反論からそれをデイフェンスする活動。後者の論証の部分が哲学を特徴づける。仏教はアイデア、つまり思想の提示がエッセンス、論証は無視されるわけではないが、必ずしも不可欠というわけではない。七面倒な論証などさしあたり無視したいという向きには、哲学も仏教思想も同じ「思想」を扱っていることになり、前者に興味あるのなら後者にも興味をもてる、ということになる。ユダヤーキリスト教と異なり、仏教は「標準化」しなかったから、無数の自由な思想が残されている(数万巻!からなる大蔵経、一切経)。

私はずぼら、面倒くさがりだから、証明などどうでもよい、それより結論を知りたいくちである。この点、仏教は魅力的。さまざまな自由なテーゼが立てられ、展開されている。同じ世界についてのテーゼなので、当然のことながら西洋哲学のテーゼとかなり重なる。たとえば、空の思想はヘラクレイトス流の万物流転の思想とかなり重なる(同一のものではないにせよ)。仏教のテーゼには大口のものと小口のものがある。前者は、たとえば大日如来を立て、宇宙のすべてをとらえんとする密教・曼荼羅の思想であり、後者は「仏とは人の心の問題である」ととらえる釈迦以来の(?)思想である。スペースオペラ的な前者も魅力的だが、強い存在論的仮定は飲み込みにくいと考える経験主義者には後者が今日なお受け入れ可能な魅力をもっている。

釈迦からはじまる仏教の巨大な歴史は、ヨーロッパ哲学史に遜色のない偉大な伝統であると感じ入った。葬式仏教に触れていたせいか、学生時代東洋思想を「抹香くさい」などと敬遠していたのが残念。若気の至りであり、強く反省。若い頃、まじめに勉強していたなら、視野が広がっていただろうに、と後悔。しかし、古人曰く(?)、勉強はじめるのに遅いということなし。それを信じることにしよう。

今朝の朝日社説

2006-08-04 | news
わが家ではこのところ新聞購読のローテーション制を採用、7月から読売にかわって朝日。このところ朝日の紙面は生きていない、という印象をもっていたが、今朝の社説は明快だと思った。

靖国参拝 嘆かわしい首相の論法  

靖国神社参拝にこだわり続けた5年間の、小泉首相なりの最終答案ということなのか。それにしては、なんともお粗末と言うほかない。  

3日付で配信された小泉内閣メールマガジンで、首相は年に1度の参拝に改めて意欲を示した。  

そのなかで「私の靖国参拝を批判しているマスコミや有識者、一部の国」に、こう反論している。「戦没者に対して、敬意と感謝の気持ちを表すことはよいことなのか、悪いことなのか」  

悪いなどとは言っていない。私たちを含め、首相の靖国参拝に反対、あるいは慎重な考えを持つ人々を、あたかも戦没者の追悼そのものに反対するかのようにすり替えるのはやめてもらいたい。  

首相はこうも述べている。「私を批判するマスコミや識者の意見を突き詰めていくと、中国が反対しているから靖国参拝はやめた方がいい、中国の嫌がることはしない方がいいということになる」  

これもはなはだしい曲解である。  
日本がかつて侵略し、植民地支配した中国や韓国がA級戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社への首相の参拝に反発している。その思いにどう応えるかは、靖国問題を考えるうえで欠かすことのできない視点だ。  

ただ、それは私たちが参拝に反対する理由のひとつに過ぎない。首相の論法はそれを無理やり中国に限定し、「中国なにするものぞ」という人々の気分と結びつけようとする。偏狭なナショナリズムをあおるかのような言動は、一国の首相として何よりも避けるべきことだ。  

その半面、首相が語ろうとしないことがある。あの戦争を計画・実行し、多くの日本国民を死なせ、アジアの人々に多大な犠牲を強いた指導者を祀(まつ)る神社に、首相が参拝することの意味である。  

戦争の過ちと責任を認め、その過去と決別することが、戦後日本の再出発の原点だ。国を代表する首相の靖国参拝は、その原点を揺るがせてしまう。だから、私たちは反対しているのである。  

昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を抱き、それが原因で参拝をやめたという側近の記録が明らかになった。国民統合の象徴として、自らの行動の重みを考えてのことだったのだろう。もとより中国などが反発する前の決断だった。  

国政の最高責任者である首相には、さらに慎重な判断が求められる。  

憲法に関する首相の強引な解釈もいただけない。憲法20条の政教分離原則は素通りして、19条の思想・良心の自由を引き合いに、こう主張した。「どのようなかたちで哀悼の誠を捧(ささ)げるのか、これは個人の自由だと思う」  

19条の規定は、国家権力からの個人の自由を保障するためのものだ。国家権力をもつ首相が何をやろうと自由、ということを定めた規定ではない。  

こんなずさんな論法で、6度目の参拝に踏み切ろうというのだろうか。15日の終戦記念日に行くとも取りざたされるが、私たちはもちろん反対である。(http://www.asahi.com/paper/editorial.html)

コメント:「政府指導者による靖国神社参拝」反対派の論点がクリヤーに述べられていて、説得力があると思った。4月に参拝済みの安部氏は私的参拝でありどこが悪い!と主張しているようだが、「為政者やそれに準じる人々の私的行為の範囲は最も狭く解釈されてしかるべきだ」というのが私の考え。政治・外交問題化している神社の官房長官による参拝は私的行為であるはずがない。

法然の衝撃2 メタファーとしての阿弥陀仏

2006-08-04 | 親鸞
「法然の衝撃」から法然仏教の説明を箇条書きしてみる。

法然の仏教:専修念仏
法然以前にも念仏は広く流布していた。
法然が発見したのは、その念仏の背後にある阿弥陀仏の本願という救済原理なのである。
法然が教えたのは、この本願に裏付けられた念仏にほかならない。

本願念仏とは?

「無量寿経」(大経)
法蔵比丘(菩薩):世自在王(当時の仏)のもとで修行
48の誓い:それらがすべてかなわなければ、仏とならない!
結局、仏となり、阿弥陀仏と名乗る。
(ということは,48の願いがすべてかなった。)
今も、西方浄土で説法している。

第18願(本願)
「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」

中国の善導は、このうち〈至心信楽欲生我国〉と〈唯除〉以下を減じ、〈称我名号〉を加えて、
「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚」
とあらためた。すなわち,

「私が仏になるとき、私の名前を唱えるにもかかわらず私の国に生まれることが出来ない人がひとりでもいたならば、私はさとりを開かない」

これに傾倒、専修念仏の教えを開いたのが法然。(この部分,既述)

(以下,私見)
専修念仏によれば、阿弥陀仏の名前さえ唱えれば成仏できる、ことになる。
これを信じることができる?
信じることができるのは、法蔵菩薩が18願を含む48の願をかけ、望みが果たされ、仏となった、という阿弥陀仏の物語を信じることができる場合だけであろう。
この成仏物語を信じることができる?

法蔵菩薩が48個の願をかけた、ということは問題ないだろう(「法蔵菩薩」でなく他の人が願をかけた,でも問題あるまい)。
しかし、それがかなった、ということは何によって保証されるのだろう?
何の保証もないのではないか。

保証はないが、それを受け入れるというのが専修念仏の核心のようだ。キリスト教徒はイエスの復活を信じなければならない。専修念仏も(教義上)それに劣らぬ強い存在論的仮設を受け入れる必要がある。

しかし,受け入れ方にはいろいろあるかもしれない。
端的にそれを受け入れる、という道もあるし、法然上人がそれを受け入れているから、私も受け入れる、という道もある。

阿弥陀仏の物語は事実とは関係ない、それはメタファー(暗喩)なのだ、と受け取る道もある。
何のメタファー?
赤の他人であるはずの人(たとえば私)のことを顧慮してくれる人がこれまで無数いたし、現在もいるし、未来永劫いるだろう、という事実をあらわすメタファー。言い換えれば、自分のことではなく他人の救いに心を砕く心の伝統(大乗仏教!)をあらわすメタファー。そして、この世で最も尊いのはこの心の伝統なのだ、と語るメタファー。

私は、後者の読み方、つまり阿弥陀仏をメタファーとして理解している。これは標準的な読み方と大きく異なることはない、と考えているが、あるいは私の思い違いかもしれない。

*メタファーについては、次がわかりやすい。
「比喩はただの言葉の飾りか?」
(http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/metaphor.htm)