イタリア・ボローニャが俊輔獲得をセルテイックに打診したそうだ。それを耳にした元セルテイックの名選手Lubo Moravcikが、ACミランならともかく、ボローニャでは行くべきではない、と俊輔にアドバイスしている(http://kerrydalestreet.co.uk/index.php?s=982954e61c9a5d478b77e451ed9c28f8&showtopic=69410)。記事を締めくくっているのが、'Naka is a player who worries opponents.'という評価。これほどの選手だ、横浜に戻ってくるという話も聞くが、断然もったいない。事情が許す限りヨーロッパでプレーしてもらいたい。
山陰地方は大学2年の夏以来(あのときは松江から隠岐の島に渡った)。以来幾星霜。ということで土地勘がなく、ネットで最短旅程を検索。姫路で乗り換え鳥取、というのが一番近そうということなのでそれを選択(飛行機は選択外)。
姫路で新幹線を降りる。時間があれば姫路城を見たい、と思ったものの、余裕がなさそうなので今回は断念。駅内の地図絵を眺めるにとどめ(かなり派手な絵。「白鷺城」のイメージではないと思った)、鳥取行きの特急に乗る。
名前が「スーパーハクト」。「ハクト」というのはおもしろい名前だ、地方地方でいろいろな名前があるのだな、などとのんびり思いながら、その意味に気づかず。
中国山脈を越えていく特急。途中宮本武蔵の生誕地とされる町などを通り車窓の旅も快適。
しかし、あっという間ー1時間半程度で鳥取駅に到着。もっとのんびりしてもいいのにと贅沢な感想。(続く)
駅の階段を降りる途中、格安のビジネスホテルの広告板があった。それを横目で見ながら駅内の案内所に直行。ビジネスホテルをいくつか紹介してもらう。
紹介されたホテルに行ってみようと北口(とそのときは思っていた)に出る。すぐ前に広場があり、何かを背負った若者の像。足下に彼を見上げるウサギの像。あ あそうか、因幡の白兎か。ハクトは「白兎」か、とようやく気づく。うむ、われながら鈍感、と嘆く。
それを過ぎてめあてのビジネスホテルの前に立ったのだが、ちょっと「近代的」すぎるかなと敬遠を決定。ガイドブックを取り出し、駅前のホテルをチェック。私も知っている名前のホテルがあったので、そこへ電話してみたところ、宿泊可との返事。場所を聞いたら、南口からすぐですよ、看板が見えます、という話。
そこで、再び駅に戻り、南口に出る。ざーと見渡したところ、看板見えず。ちょっと歩いてみることに。近くを一回りしたものの、目当てのホテルが見あたらず、南口広場に戻ってみる。信号のところで、ちょうど母娘連れがいたので、念のため、ここは南口ですね、と尋ねたところ、ちょっと考えて、そうですよ、と中学生くらいの娘さんが答えてくれた。そうかやはりここでいいのか、それではいま一度回ってみよう、と考え、歩いたところ、やはり姿形見えず。
途方に暮れて、再び南口広場に戻る。そこから駅をこえて北口方面を眺めたところ、視野の左にめざすビジネスホテルの看板!
何んだこれは、と思いつつ、再び駅の構内をくぐり、北口に出ると、さっき電話した場所のすぐ近く、斜め横にめざすビジネスホテルが立っていた。
怒っても仕方ないので、ホテルに向かい、受付に。チェックインの後、ここは南口なんですね、でも駅の北ではないですか?と話したところ、受付の若い女性、にこやかに笑ってとくにコメントなし。
混乱しつつも、なんとか宿を確保の巻。(続く)
チェックイン後、腕時計を見たら5時過ぎ。今にも雨が降ってきそうな天気だったが、夕暮れまでまだ時間はある、と踏んで出かけることに。
目標は鳥取城。秀吉の兵糧攻めで名高い。再び駅の構内を横切り、北口方面に。メインストリートを一路「北」へ。途中で自民党石破代議士の事務所があり、彼がこちらが選挙区であることに気づく。
15分程度でつきあたりの鳥取県庁にぶつかり、左折するとすぐ鳥取城跡。お堀の横に毛利の名将吉川経家の立像。鳥取城の家老たちから城将を請われた毛利が送ったのが彼。自らの首桶をかついで入城。秀吉の徹底した日干し作戦に、自分の切腹と引き換えに城兵たちの命を守った。秀吉は家老たちの首はもとめたが、援将である経家の首は要求しなかった。しかし、経家はあえて切腹をのぞみ、秀吉も信長の許可をもとめた上で、それを受け入れた。
秀吉軍の包囲網を後詰めの吉川元春が破れなかったとのこと。しかし、猛将元春が結果的に経家を見殺しにしたのは解せない。見殺しにするくらいなら、不利を承知で秀吉軍に挑むほうが元春らしい。この点でこれまで納得できる説明を読んだことがない。
鳥取城落城後、元春に秀吉軍と決戦するチャンスがあった。このときには、元春はすべての橋を落とし背水の陣をひいた。味方が全滅しても、それ以上の人的損害を秀吉軍に与えればよい、というのがそのときの元春。それを読んだ秀吉は戦うことなく兵をひいたといわれる。(兵を損じた場合、信長の怒りがこわい。)
経家が死に臨み、4人の子に遺した手紙
「とつとりのこと よるひる二ひやく日 こらえ候 ひようろうつきはて候まま 我ら一人御ようにたち おのおのをたすけ申し 一門の名をあげ候 そのしあわせものがたり おきゝあるべく候 かしこ
天正9年10月25日 つね家
あちやこ かめしゆ かめ五 とく五
まいる 申し給へ」
(http://www.burari2161.fc2.com/kixtukawatuneie.htm)
アフガニスタンで英軍女性兵士戦死。女性兵士の死ははじめてとか。
Cpl Sarah Bryant remembered
http://thesun.co.uk/sol/homepage/news/campaigns/our_boys/article1316887.ece
Taking Care Of Female Soldiers
は、戦場で負傷したアメリカ軍女性退役兵士の映像。
男ならよい、というわけではないが・・・何とも言えないニュース、映像。
日本ハム多田野超遅球は…え~48キロ!?
多田野のスローボール
広島に7回2失点。相手ピッチャーがよかったので負けがついたが、好投。「ただのボール」はAロドリゲス相手に投げたシーンは見たが、今回はそれを大きく上まわるレベル。たしかに遅い。少し前人気のあった力士の塩まき風。これを見に行くファンもでてくるのでは。(http://www.narinari.com/Nd/2008069668.htmlにアメリカ時代の動画)
安倍氏「山崎氏は百害あって利権あり」 北制裁解除めぐり 個人的にはよど号の犯人など引き渡してもらわなくてよい。拉致した全員をかえすかかえさないか、だ。 |
マリナーズ、現在24勝45敗。かなり悲惨な数字。
サード、ベルトレーやファースト、セクソン等かなり問題のある選手を集めていた。現在のチームはデクノボウ集団。
スピードのある若手を育てないと魅力なし。
ティム・ルサート氏死去=米NBC看板キャスター(時事通信) - goo ニュース
このところ愛聴している、Brian WilliamsのNBC Nightly News。今夜は58歳という若さで亡くなったキャスターTim Russertの哀悼番組。同僚から彼が頼りにされ、愛されていたことがよくわかった。元気でいてくれたら彼の“Meet the Press”も拝見できたのに、と残念。 彼の自慢の息子Lucはボストンカレッジを卒業したばかり。むかし、フットボールを見に、秋の一日ボストンカレッジのキャンパスを訪ねたことを思い出した。
"Our issues this Sunday." Tim Russert started every edition of Meet the Press with those four words -- and it was those words that he was preparing to record when he collapsed and died on June 13, 2008. Now his moderator's chair is empty, his voice has been silenced. We remember our colleague and friend with a look back at his life and legacy.
例の8回表の攻防についての面白い記事。1塁コーチのボーンヘッドという話になっている。野村の挑発に乗って、恥の上塗りとなったようだ。大巨人なのだから正攻法、実力で攻めたほうがよい。奇策使いは相手の思うつぼ。ヤンキース風でいいのではないか。記事の最後にある、巨人の正捕手阿倍の評価については納得。