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フォスターを聴きたくて

2006-04-19 | music
ネットを探したら、
「童謡・唱歌の世界」
(http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/douyou-syouka/)
に出会った。
素晴らしいサイト、の一言。
いろいろな童謡・唱歌をMIDIで聴ける。
テネシーワルツ、琵琶湖就航の歌、波浮の港、人を恋うる歌、・・等のなつかしの曲を楽しめる。多謝。
 

「たそがれ清兵衛」を観る

2006-04-16 | news

遅まきながら,DVD版。映像の美しさ(山形だろうか),朋江(宮沢りえ)と清兵衛(真田真之)の恋,清兵衛の殺陣がよく,途中から見入った。原作「たそがれ清兵衛」の映画化と思っていたら,他の作で読んだ話がでてきて意外に思ったが,「たそがれ」を含む3作品をミックスしたようだ。そのほかにも何箇所か違和感をもった。藤沢周平作品なのだ,個人的には,原作を尊重してもらいたいと思った。とくに最後にでてくる後日談は私の趣味ではない。ナレーターの岸恵子を登場させる外的必要があったのだろうが,余計だ。

2006-04-15 | 親鸞
「親鸞和讃ー信心をうたう」を読み納得がいった,と書いた。
さて,どこに納得したのだろうか。

次は親鸞が曇鸞から学んだ思想の解説。
「彼(曇鸞)は若いとき龍樹の「般若」つまり「空」の考え方を学んだ。真実なるものは,あるとかないとか,是とか非とか,敵とか味方とか,そういう人間的な分別を離れたものが真実の,ありのままの現実のあり方である。人はそのいづれかに固定して考えようとするけれども,本来ありのままの現実は,人の思いを超えたものであり,とらわれのないものである。そういう考え方に根ざしている般若の考え方をもって,曇鸞は経典に向かいました。非常にとらわれのない考えを用いられたわけです。親鸞が曇鸞から学んだのは,浄土とか仏とかを,固定的な実体あるものとは考えないという自由な考え方でした」(p.225)

たとえば次の和讃にも見られるのも,そのような自由な考え方であると著者は読んでいると思う。

十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる
(阿弥陀経1)

著者によれば,摂取不捨がさきにあり,阿弥陀が後にくる点がポイント。
「苦しみ悩んでいた人が,教えを聞いて道理にうなづき,苦しみ悩みがおさまる,救われる。その宗教体験の尽きぬ味わいのゆえに「阿弥陀」と名づけるという。これが阿弥陀さまの言葉の定義なのです」
「人が根本的に救われるのは,道理にうなずいたときです。人が人を救うのではなく,道理が,法が,人を救うのです」(p.143)

この道理,法の名前が阿弥陀仏ということになる。
ここで空の思想にふれた,ような気がしたのかもしれない。

ザルツブルグ

2006-04-11 | travel

ホーエンザルツブルグ城,手前に流れるのがザルツァッハ川。川に沿って走る小道には多くの屋台が並んでいて,にぎやか。川に灯ろうを流せば,そのままヘッセの「詩人」に描かれた中国の情景になりそうな風情。

ザルツブルグ

2006-04-10 | travel

駅近くのホテルに到着,無謀にもその夜の音楽祭のチケット入手を試みた(その夜はモーツアルト「コシファンツッテ」)。ホテルの人に電話で探してもらったところ,5万円のチケットならあるとのこと。うむ,日本なみ。即座に断り,祝祭劇場に出かける。礼装の善男善女が劇場前に集まっていて,それをとり囲むように,チケットを求める多くの人々。これはあきらめざるをえないと観念,ホーエンザルツブルグ城に向かうことにした。

ザルツブルグ

2006-04-09 | travel

(ヨーロッパ旅行の続き)ブタペストからウィーンに列車で戻った。車内は夏休み旅行中の若い人々で一杯,しかもその夏は記録的な暑さだった。しかし,車窓は見事だった。ブラームスのハンガリー舞曲の世界。どこまでもつづくなだらかな草原。私にはドナウ川よりこちらの方が印象的だった。次に行く機会があれば,列車の旅を選択しそうだ。

ウィーンに戻り,ウィーン近郊の町で仕事をすませた後,ザルツブルグに向かった。モーツアルトの生まれた町,夏にはザルツブルグ音楽祭。写真は,祝祭大劇場。