入院中,瀬戸内寂聴「白道」(講談社文庫)を読んだ。
これは西行法師の物語。このところ同じ作家の「手鞠」(新潮文庫),「花に問え」(中公文庫)を読んでいる。「手鞠」は良寛の物語,「花に問え」は一遍の物語。これらに比べても「白道」は力作。作家の力量すべてが注ぎ込まれている観がある。
自分の人生と重ねあわせながら歌人の生涯をたどる,という点で水上勉「良寛」を思わすところもある。内容的にも「良寛」に比肩するだろう。
良寛や一遍の物語と比べ西行の物語が成功した理由は,ひとつには西行そのものが生きた舞台の広さにあろう。西行は源平争乱期のまっただ中を生きた。政治の中枢にいたわけではないが,それに近いところにいた。北面の武士だった頃清盛とは同僚だったし,藤原秀衡とは同族のよしみもあり平泉で2度会っている。また,頼朝とは鎌倉で会い,「銀の猫」の逸話を残している。これらを記述することは,物語に広がりと適度な複雑さを加味することにつながる。
この物語では,西行の出家の大きな原因として,待賢門院璋子(鳥羽天皇の中宮,崇徳天皇生母)への恋が挙げられている。彼女は結果的に保元・平治の乱の「原因」となった女性だ。彼女が西行にとっての永遠の女性であったというのが本書の設定だが,状況から見て,かなり蓋然性が高そうだ。ただ,本書でも,待賢門院璋子は簾の奥深く隠れていて,肉声が聞こえない。西行ほどの人物が惹かれた女性だ。単なる浮き草風の女性であったはずはない。どのような女性であったのか。夫である鳥羽上皇と彼から「叔父子」と呼ばれたとされる息子・崇徳上皇との深刻な対立をどのように見ていたのか。ないものねだりとなるが,この点興味がある。
次は,陸奥への2度目の旅のおり,69歳の西行が詠んだ歌。
東の方へ修行し侍りけるに富士の山をよめる
風になびく富士のけぶりの空に消えて
ゆくへも知らぬわが思ひかな
慈円「拾玉集」によれば,西行は「是ぞ我が第一の自讃歌」と述べたそうである。瀬戸内氏も,同じ旅の途中詠んだ
年たけてまた越ゆべしと思いきや
いのちなりけりさやの中山
とともに,西行生涯の絶唱と評している。
これは西行法師の物語。このところ同じ作家の「手鞠」(新潮文庫),「花に問え」(中公文庫)を読んでいる。「手鞠」は良寛の物語,「花に問え」は一遍の物語。これらに比べても「白道」は力作。作家の力量すべてが注ぎ込まれている観がある。
自分の人生と重ねあわせながら歌人の生涯をたどる,という点で水上勉「良寛」を思わすところもある。内容的にも「良寛」に比肩するだろう。
良寛や一遍の物語と比べ西行の物語が成功した理由は,ひとつには西行そのものが生きた舞台の広さにあろう。西行は源平争乱期のまっただ中を生きた。政治の中枢にいたわけではないが,それに近いところにいた。北面の武士だった頃清盛とは同僚だったし,藤原秀衡とは同族のよしみもあり平泉で2度会っている。また,頼朝とは鎌倉で会い,「銀の猫」の逸話を残している。これらを記述することは,物語に広がりと適度な複雑さを加味することにつながる。
この物語では,西行の出家の大きな原因として,待賢門院璋子(鳥羽天皇の中宮,崇徳天皇生母)への恋が挙げられている。彼女は結果的に保元・平治の乱の「原因」となった女性だ。彼女が西行にとっての永遠の女性であったというのが本書の設定だが,状況から見て,かなり蓋然性が高そうだ。ただ,本書でも,待賢門院璋子は簾の奥深く隠れていて,肉声が聞こえない。西行ほどの人物が惹かれた女性だ。単なる浮き草風の女性であったはずはない。どのような女性であったのか。夫である鳥羽上皇と彼から「叔父子」と呼ばれたとされる息子・崇徳上皇との深刻な対立をどのように見ていたのか。ないものねだりとなるが,この点興味がある。
次は,陸奥への2度目の旅のおり,69歳の西行が詠んだ歌。
東の方へ修行し侍りけるに富士の山をよめる
風になびく富士のけぶりの空に消えて
ゆくへも知らぬわが思ひかな
慈円「拾玉集」によれば,西行は「是ぞ我が第一の自讃歌」と述べたそうである。瀬戸内氏も,同じ旅の途中詠んだ
年たけてまた越ゆべしと思いきや
いのちなりけりさやの中山
とともに,西行生涯の絶唱と評している。