●〔40〕竹信悦夫『ワンコイン悦楽堂-ミネルヴァの梟は百円本の森に降り立つ-』情報センター出版局 2005 (2006.06.04読了)
この本の帯には次のようにあります。
灘中・灘高で高橋源一郎を文学へ誘い、東大で内田樹をレヴィナス研究へと導いた“怪人”竹信悦夫。
そんな“都市伝説的知性”の持ち主は、新古書店を巡り買い集めた百円本をいかに読み解いたか。
早すぎる死までの、二年間の記録。
高橋源一郎と内田樹による対談「竹信悦夫の天才性の解析」を収録。
竹信悦夫の経歴は次の通りです。
竹信悦夫[タケノブエツオ]
1950年8月19日、兵庫県尼崎市生まれ。63年に灘中に入学し、万巻の書物を読破。「現代詩手帖」新人賞に応募し、寺山修司の絶賛を受け最年少で入選。70年、東京大学入学とほぼ同時に内田樹と懇意に。東京大学文学部西洋史学科卒業後、76年朝日新聞社入社。東京本社社会部、外報部、エジプト留学ののち中東アフリカ総局員、シンガポール支局長、英字紙デスク、英文季刊誌「Japan Quarterly」編集長、翻訳センター編集長などを経て、編集局速報センター次長。2004年9月1日、休暇で家族とともに滞在していたマレーシア・ランカウィ島で遊泳中に亡くなる。
巻末には高橋源一郎と内田樹による対談が収録されており、そこでは竹信悦夫の“都市伝説的知性”について、縷々語られております。
高橋―(灘中は)中3で、高3までの内容がほとんど終わってる。英数国だけなら、この段階で200人のうち50人ぐらいは東大に入れるっていうぐらい。
内田―いやな学校(笑)。(p.388)
高橋―そこからなんとなく話をするようになって、取り巻きの一人になってたんだよね。中2の終りになって、尊師の家に遊びに行ったんですよ。いまでも覚えているのは、竹信の本棚に谷川雁の『影の越境をめぐって』(1959年・中央公論社)、『原点が存在する』(1958年・弘文堂)、『工作者宣言』(1959年・現代思潮社)があったこと。中学生ってこういうの読まなきゃいけないんだと。いま考えてみれば間違ってるよね(笑)。(p.392)
内田―後知恵なんだけどさ、彼の中ではそれがかなり誇りになっていたんだと思う。でもね、割と痛々しげな声で、「でも、内田、早熟の天才であるというのはそれほどむずかしいことじゃないんだ。ある程度本を読んでおけば中学生くらいなら突出した存在にはなれる。でも早熟には早熟のピットフォールがあって、俺はそこにはまったんだ」というようなことを聞いたことがある。(p.393)
たしかにすごい人物だったみたいですが、その割には東大から朝日新聞記者と、割と平凡なルートをたどってしまったのではないかという感じがします。「早熟のピットフォール」に陥ってしまったのでしょうか。
※画像は高橋源一郎
〈To be continued.〉