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《TV》2008.09.20 「官僚たちの夏」(最終回)

2010-01-27 06:03:23 | TV
ドラマ「官僚たちの夏」

 2009年7月5日から9月20日までTBS系列「日曜劇場」内で放送。原作は、もちろん城山三郎『官僚たちの夏』です。私は20年ほど前に読みました。官僚について語るときの一つの原点となる作品でしょう。
 TVでは、どうしても描き方が一本調子になってしまい、清も濁もあわせて重層的に描くことが難しくなってしまいます。
 以下は、原作のラストの部分、風越と新聞記者の西丸の会話です。
 そして、また冬。冷えこみのきびしい夜、新橋の小料理屋で新聞記者の西丸とのんでいるとき、庭野が倒れて病院へかつぎこまれたという報せがきた。すぐタクシーを拾い、病院へとばした。
 酔いの回った西丸が、タクシーのなかでいった。
「これで庭野もおしまいや。結局、あんたがつぶしたようなもんや」
「なんだと」
「庭野はひとりでものびる男やったのに、あんたが庭野庭野といいすぎたんや」
「しかし、おれは人材を……」
「たしかに人材や。けど、それが問題や。鮎川や、その次は庭野やと、あんたはずっと先まで読む。先の先まできめられてしもうと、人間くさるし、反撥もする。そういう反感が全部、庭野たちにぶつかって行くんや」
「ばかな。人間をつぶして、何の政策だ。おれは庭野のように全力で生きる人間を……」
「ほら、また庭野や」
 風越は、鼻を鳴らして黙った。その暗く光る角縁の眼鏡に、西丸は酒くさい息とともに浴びせかけた。
「競走馬じゃあるまいし、全力で走りさえすればええというもんやない。いや、競走馬かて、毎日毎日全力で走らされりゃ、脚でも折るのが関の山や。競馬にたとえてわるいが、あんたの持ち馬は、みんな、死ぬか、けがしてしもうた。死屍累々というところや。もちろん、牧かて、ひょっとすると、ケガしかねん馬やが、片山ならケガはせん。牧が柏戸なら、片山は大鵬のようにやわらかい男や。これからはああいう男の世の中になるとちゃうか」
「いや、そんなことは絶対に許さん」
「まだ、そんなこといいおる。あんたの許す許さんの問題やあらへんのや」
「しかし……」
「ケガしても突っ走るような世の中は、もうそろそろ終りや。通産省そのものがそんなこと許されなくなってきおる。それにな、片山たちが天下国家を考えて居らんと、あんた、どうしていいきれるんや。彼等は彼等なりに……」
「黙れ。おまえまでおかしくなったのか」
 折からタクシーは、虎ノ門から霞が関へとさしかかっていた。
「お客さん、雪になりましたねえ」
 運転手がつぶやいた。ヘッドライトの中へ、白いものが無数におどりこんでくる。その向うに、懐しい官庁街が見えた。どこもほとんど真暗な中で、その夜も通産省の建物には、まだかなりの灯がともっていた。(『城山三郎全集 4 官僚たちの夏 真昼のワンマン・オフィス』新潮社 pp.167~168)


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