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《読書》吉川潮『戦後落語史』新潮新書(その1)

2010-05-17 06:10:43 | 読書
●〔7〕吉川潮『戦後落語史』新潮新書 2009(2010.01.11読了)〈2009132〉

○内容紹介
その時、円生が怒り、談志と志ん朝は動き、円楽は耐えた…。落語界最大の抗争、落語協会分裂騒動とは何だったのか。志ん生、円生の復帰、ラジオ、テレビによる人気の沸騰、立川談志一門の協会脱退、寄席の衰退と復活。落語史に残る大事件から、時代を象徴する噺家の栄枯盛衰まで。四十年以上、「東京」の落語を見続けてきた演芸評論の第一人者による戦後落語史。現在の落語界が見えてくる格好の入門書。本書は、落語版『仁義なき戦い』である。

 立川流史観全開かと思いましたが、意外に事実を淡々と述べている感じでした。一見、無味乾燥に思えるかも知れませんが、コンパクトにまとめるためには必要なことかと思います。
 しかし、以下のように時折毒舌も混じっています。

○「大名跡襲名のモラルハザード」
 平成四年は、桂小益の九代目文楽襲名、浮世亭写楽の九代目三笑亭可楽襲名と、大名跡の襲名が続いた。
 九代目文楽は七月二十六日、襲名披露パーティを開き、同時に落語協会理事に就任する(木久蔵も同時に理事昇進)。私は〈オール讀物〉の連載エッセイ『怒髪天衝』に、「文楽襲名に反対する」と題し、「弟子に継がせるなら文楽落語を継承する柳家小満ん、一門の枠を超えて若手真打から選ぶなら小朝が継ぐのがベスト」と書いた。
 襲名披露興行は九月下席鈴本で始まった。その初日、私はNHKニュースのインタビューを受け、「小益は文楽を継ぐ器でない」とコメントした。それを見た志ん朝がたいへん怒ったという話が耳に入った。志ん朝と小益は前座の同期でゴルフ仲間でもある。志ん朝が怒るのは友情からだろうが、私は演芸評論家として落語フアンの気持ちを代弁したつもりなので謝るべき筋合いではない。もともと志ん朝とは個人的な付き合いがなかったが、この一件以来疎遠になった。
 可楽に関しては批判する気にもならなかった。可楽という名跡に文楽ほどの思い入れがなかったこともある。勝手に継げば、という感じだった。私はこの二人の襲名から「大名跡襲名のモラルハザード」が始まったと断じる。その後、三升家小勝、柳亭左楽、三遊亭円馬、雷門助六、春風亭柳橋、古今亭今輔といった大名跡の襲名披露が、落語フアンに祝福されることもなく、マスコミの注目も浴びないでひっそりと行われる傾向が強まった。(pp.144~145)

※画像は九代目桂文楽

〈To be continued.〉