●〔67〕雨宮処凛『右翼と左翼はどうちがう?』河出書房新社(14歳の世渡り術) 2007(2007.09.08読了)
○内容紹介
雨宮処凛は、私が『噂の真相』などで知った時は、「ミニスカ右翼」でしたが、いつのまにか転向?して左翼になっていました。しかし、その思想的変遷も、彼女自身が感じている「生きづらさ」、「息苦しさ」から生き方を真剣に考えていった結果であり、好感が持てました。
「右翼」と「左翼」の説明も、彼女自身の経験に基づいて述べられており、学問的な厳密さはともかく、妥当なものだと思えます。
○木村三浩(1956生まれ)へのインタビューから
※雨宮処凛公式ホームページ
○内容紹介
ウヨクとサヨク。
命がけで闘い、求めているのはどちらも平和な社会。
なのに仲良くできないのはなぜ?両方の活動を経験した著者が、学校では教わらない右翼・左翼のテロ、革命の歴史や現状をとことんかみ砕く。
現役活動家6人への取材も収録。
第1章 右翼と左翼と私(右翼と左翼の大きな違い;価値観を変えたオウム事件;ショックを受けた、テレビの中の悲惨な戦争;『ゴーマニズム宣言』との出会いから、右翼で活動を;居心地の悪い日本の右傾化;左翼になったの?と言われる理由;両方経験したから書けること)
第2章 右翼って何?(世界はこんなに矛盾しているのに、無力な自分が耐えられない;戦争で死んだ人たちへの想い;敵はアメリカと資本主義;当時の気分でアジってみます;パンクバンドで右翼活動;「玄洋社」からはじまる右翼の歴史;アメリカが好きか、嫌いか;17歳のテロリスト;新右翼、誕生の息吹;三島由紀夫、衝撃の切腹;空虚な時代の訪れ)
第3章 左翼って何?(小説の中の左翼;リアル左翼への大きすぎた幻想;元赤軍派議長と北朝鮮へ;自由民権運動からはじまる社会運動;全国で盛り上がる安保への反対;ベトナム戦争を機に広がる運動;激しくなる全共闘運動;めざすは世界同時革命。赤軍の登場;自傷行為という名の仲間殺し;世間を驚かせた企業爆破事件;迷走する左翼;若者たちによる新しい動き;生きづらさの中で)
第4章 両方の活動家に話を聞こう
右翼・木村三浩さん(一水会代表)
右翼・針谷大輔さん(統一戦線義勇軍議長)
古澤俊一さん
太田昌国さん(編集者・民族問題研究家)
足立正生さん(映画監督)
日野直近さん(仮名))
第5章 矛盾だらけの世の中で(正しいのはどっち?;やっぱり世界は矛盾に満ちている;知らないことの怖さ;声をあげる勇気を)
雨宮処凛[アマミヤカリン]
1975年、北海道生まれ。96年、右翼団体に入会。98年、愛国パンクバンド「維新赤誠塾」結成、ボーカルをつとめる。99年、その活動がドキュメンタリー映画「新しい神様」(監督・土屋豊)となり、話題を集める。00年、『生き地獄天国』(太田出版)を出版し、デビュー。現在は生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。
雨宮処凛は、私が『噂の真相』などで知った時は、「ミニスカ右翼」でしたが、いつのまにか転向?して左翼になっていました。しかし、その思想的変遷も、彼女自身が感じている「生きづらさ」、「息苦しさ」から生き方を真剣に考えていった結果であり、好感が持てました。
「右翼」と「左翼」の説明も、彼女自身の経験に基づいて述べられており、学問的な厳密さはともかく、妥当なものだと思えます。
○木村三浩(1956生まれ)へのインタビューから
そして木村さんが入ったのが国士舘高校だ。当時この学校は「硬派、不良、右翼、ヤクザ、自衛隊養成」と言われていた。入学条件は「日本人男子に限る」。国士舘に行くということは「志願兵みたいなもの」と思われていたという。不良だった木村さんは中途半端に生きるのではなく、突き抜けたくて国士舘に入った。
入学早々から度胆を抜かれることの連続だった。入学式では軍艦マーチのBGMに乗って校長先生が登場。入ってすぐに1週間で教育勅語を覚えてこいと言われる。天皇誕生日には校庭で行進。「ささげ、銃」とかけ声をかけて皇居に向かって最敬礼。憲法記念日は、そもそも憲法を認めていないので休日ではない。先生は授業中にいきなり「昔ゼロ戦に乗っていた」などと戦時中の武勇伝を話しはじめる。「愛国心を持て」「日本は天皇を中心にした国である」などと徹底的にたたきこまれた。戦後の日本の中で、国士舘高校の中だけが多少であったが「戦時中」のような雰囲気だ。(pp.101~102)
※雨宮処凛公式ホームページ