●〔30〕有遊会 (編)『浅草芸人爆笑帳-六区の人気モノ総ざらい-』三一新書 1990 (2005.05.03読了)
エピソード集ですが、いかんせん、出てくる芸人が知らない人ばかりなので、面白さも半減してしまいます。
この手の本の嚆矢は戸板康二『ちょっといい話』(文春文庫)でしょうか。
戦後日本では長い間「軍事」が差別されてきました。いや、いまなお差別されていると言ってよいでしょう。自衛官が軍事を語るだけで白い目で見られてきたのです。決して自虐的な感想でも過剰な表現でもありません。(中略)ですが、事は大学だけではありません。この国の教育機関では中学でも高校でも「軍事」に触れる機会は一度もありません。中学や高校でF15イーグルの性能について教わったという方は一人もいないでしょう。自国の軍隊が保有する主力装備品の性能を九九パーセントの国民が知らない。それが戦後日本の姿なのです。これは普通の国では、いや日本以外の国では考えられないことです。日本だって、戦前はほとんどの小学生が陸海軍の編成・装備を熟知していました。別に学校の軍事教練で叩き込まれたのではありません。みな自然に覚えたのです。(pp.6-7)
自衛隊に「戦力」がないと本気で思っている人がいるとすれば、内閣法制局の官僚ぐらいのものです。要するに、世間常識に欠ける偏差値エリートのことです。霞が関と永田町でしか通用しない政府見解は脇に置き、ここでは世界に通用する軍事学の観点から、自衛隊の戦力を検証してみましょう。(p.78)
軍隊は何を守るのかと言い換えるなら、その答えは国民の生命・財産ではありません。それらを守るのは警察や消防の仕事であって、軍隊の「本来任務」ではないのです。ならば、軍隊が守るものとは何なのか。(中略)『我々だけの自衛隊』(松原正、展転社)は「國家にとつての至上の價値」と提起した上で、それは「國體である。國體という眉を顰める向きもあらうから文化であると言ひ直してもよい」と解き明かしています。(p.188)
一昔前とは違い、最近では、自衛隊を取り巻く環境もいい方向に変化してきてきたように感じます。実は、すべての地方自治体は自衛官募集業務に協力する法律上の義務があるのですが(中略)その業務を誠実に履行することを怠ってきた自治体が少なくありません。それが、最近では「自衛官募集」のポスターやパンフレットを、役所の受付付近など、目に付きやすい場所に掲示する自治体も増えてきました。もし、皆さんがお住まいの市区町村がまだそうなっていなかったら、市議会議員などを通じて正式に抗議してください。法的根拠のある当然の抗議なのですから。(p.222)