鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

天気がいいのでちょいと散歩

2020年03月15日 | 兎糞録
 今日は日曜日で少しだけ飾ってありました。
 鮭上人の即身仏。拝観は無料です。(本当は「鮭おくり風干」というらしいです。)
 かつて煉瓦造りの洋館のあった跡です。
 兵どもが夢の跡。蔦に覆われるまま、外壁の途端は剥がれたまま、何が営業されていたのか記憶にありません。
 かつてはキャバレーかピンクサロンだったか、こういった跡がこの辺にはいっぱいあります。
 まるでトトロに出てくるような門構え。表札には阿部法律事務所とありますが、全く記憶にありません。鉄扉の前も、玄関前までも落ち葉に覆われ長らく誰も踏み入れた形跡はありません。建物は殆ど蔦に覆われています。
 連子窓のこの建物もかつては割烹として、公務員(実はわが親)は宴会によく使ったものでした。今はただ展示物として存在しています。残渣の町とでもいうべきでしょうか。
 近くのお寺です。珍しいですね、猫を抱いている石像なんて。
 その近くには毘沙門天でしょうか、持国天でしょうか、遠くを睨みつけて踏ん張っています。

 お寺と違い、神社には訪れる人もいません。写真にはありませんが、右側方には終戦直後のバラック小屋のような廃墟となったトタン張りの建物があります。
 紅梅も咲き始めました。
 白梅は紅梅に比べると勢いが弱いようです。
 これから桜の季節になると、公園は露天商の出店、人の喧騒、スピーカーから流れるうるさい音、ホコリまみれでとてもゆっくり楽しめる場所ではなくなるのでしばらくは行かないだろうなあ。
 船も港へ帰ってきました。
 自分の部屋からは鳥海山が見えないので、真正面に鳥海山が見える部屋だったらいいなあ。

またひとつJAZZが過去の遺物への道を進んだ

2020年03月14日 | Jazz
 今朝新聞をみたらジョージ大塚氏の訃報がニュースに出ていました。82歳だそうです。これでまた一人、日本のジャズを演奏してきた方がなくなりました。
 takt jazz series かなり流行りました。CDで再発されたものもだいぶ集めました。
 ジョージ大塚氏といえば思い出すのが、地元へ演奏に来た時、ドラムスをやる先輩が楽屋へジョージ大塚氏を訪ねていき、ドラムスのスティックの持ち方をきいたら、「誰がそんな持ち方教えたの!」と言われたそうです。
 秋吉敏子、渡辺貞夫両氏ともまだ現役ですね、まだまだ現役でいてほしいものです。


 先日はこの方も亡くなられましたね。厚生年金会館でのソロ・コンサート、かなり昔行きました。途中、マイ・フェバリット・シングスを演奏し始めると舞台背景に、コルトレーンの写真が超大写しに、あれはウケ狙いが過ぎるなあと、コンサート終了後皆が語したものでした。

十九歳の地図

2020年03月11日 | Jazz
 小説ではなく、映画の方です。
 この映画のサントラが板橋文夫。
 
 いきなり登場するモルタル塗り二階建てのアパート。70年代東京はモルタル塗り二階建てがあちこちに建っていました。今もまだあるでしょう。
 この映画を初めてみたとき、冒頭から胃の腑から指先までジョーンとなる衝撃を受けました。
 公衆電話ボックスから電話をかける場面をはじめとして、全編に流れる板橋文夫のピアノ。森山威男カルテット+向井滋春の North Wind ですね。アルバムHush-a-bye に入っています。少年が爆破予告の電話する場面では、本田竹曠のピアノソロ、サラーム・サラームが流れてきます。森山威男も本田竹曠もエンド・クレジットには名前が出てきません。

 本田竹曠野このアルバム、おすすめです。
 エンディングには板橋文夫のグッド・バイ

 このWATARASEでのグッド・バイは最高です。全編ピアノ・ソロ。自分の葬儀ではこれを流してほしいです。それでなければ、本田竹広のEu Te Amo (My Piano My Life 05 に収録)
 主人公のノートに書く文字の筆順の誤りも面白いです。蟹江敬三、鬼平犯科帳では密偵小房の粂八 を演じていましたね、彼も最高です。

 主人公の最後の独り言、
 「どういう具合に生きていったらいいのかわからないなあ。」

 何年たっても、死ぬまで自分にとっては回答が出ないまま最後を迎えそうです。

 まあ、あと何年か、お金はないけど好きなようにやるさ。

マスク

2020年03月10日 | 兎糞録
 市内のホームセンターに買い物行ったらレジの女の方たちみんなマスクをしていました。

 知り合いの店員さんに聞いたら、客から全員にマスクをさせろ、とクレームが来たそうな。へー、それじゃ会社支給?と聞いたら、各人で用意するようにだって。
 企業も従業員がこれから先この騒ぎが終息するまでマスクを準備できないのならその旨客に周知すべきで、その場しのぎの対策では従業員の負担は増すばかり。各人の手持ちのマスクがなくなったらどうするのでしょうね。

 そういえば、イオンの食品レジでも皆さんマスクをしていましたね。あれだけマスク着用を禁止していた企業が手のひらを反すように。あれも従業員自腹でしょうか?

 マスクをしていない、とクレームを入れる客、挙句の果てに、お前たちだけマスクをして、会社で隠しているんだろう、お前たちがするマスクがあるなら客に売れ、とまで言われたそうです。
 先日はトイレットペーパーを買い占めの客が毎朝何百人か並んだそうですから、この街の方々もさすが流行には敏感でいらっしゃる。

大物忌神社蕨岡口の宮社殿跡地へ

2020年03月08日 | 鳥海山
  久しぶりの青空に鳥海山が今日はくっきり。先日、雪で行けなかった大物忌神社蕨岡口の宮社殿跡地へ散歩に行ってきました。
 三の鳥居の手前山の上へと続く石段を結構な距離登ります。

 途中、峯中石碑伝(ぶちゅうひで)という峯中修行の記念碑があります。
 ここからまた一汗かきます。


 今は周囲に木が生繁って石碑の周りの空地はそれほどありません。この場所にあれだけ大きな拝殿があったとは想像もつきません。
 社殿跡の後ろも木に覆われていますが、遠くに鳥海山の山頂が見えます。かつては社殿の奥に鳥海山が雄大な姿を見せていたのでしょう。

 しかし、今の状況を見ると、ここもいつかは「大物忌神社蕨岡口の宮跡」になってしまうかもしれません。だからと言って、観光だ、インバウンドだなどと言ってもそれは救えません。それらを廃して日本の文化を保持できる方策を考えなければならないのですが、やっぱり無理かなあ。
 宿坊の一つ、宝泉坊の玄関側には薄桃色に蕾がひらき始めていました。
 杉沢へ行く途中からは、笙ヶ岳、鍋森の姿がはっきりと望めました。かつての道者はこの景色を見ながら参拝へと向かったのでしょう。
 帰り道は「ちどり」でラーメン、煮干しの出汁がたっぷり、スープも麺も美味しいけどチャーシューが小さいなあ。