鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

七五三掛を行く

2016年08月31日 | 鳥海山

吹浦口登山道を山頂目指す場合、外輪コースと千蛇谷コースのどちらかを選ぶが、その分岐が七五三掛。

以前は文殊岳方面へは登らず、いきなり七五三掛の分岐から左に向い千蛇谷へ入った。

古い地図をお持ちの方はご確認ください。

古い地図といえば、手元にある昔の鳥海山登山地図には今はすでに廃道となった登山道がいっぱい載せてあって面白いですよ。

例えば鶴間池から鹿俣を通って山頂へ向かう道。滝の小屋から河原宿を経、小雪渓を渡ると薊坂は登らずに左に向い、仙ヶ洞を目指し文殊岳へと向かう道。

また、御浜から蟻の戸渡を経由して稲倉岳へと向かう道等々。

上の写真はすでに廃道となった七五三掛の一番危険な所。

女性グループがこれから難所を渡り七五三掛分岐へと戻るところです。

写真手前の丸太も一冬過ぎれば使い物にならなくなったようです。

初めて通ったときは丸太も無くてこの写真以上に怖い所でした。

今は何度かの改修で千蛇谷への分岐も七五三掛より大分上へ登ったところになっています。

それにしても今は大分道も良くなったようです。

ほんと、最初に康新道下ったときは足を置く場所もわずかでおっかないところでした。


鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮

2016年08月24日 | 鳥海山

ある日、鳥海山の山頂で休んでいると、そこへやってきた若い登山者の一団、大物忌神社と書いた木標を見て

「へ~、ダイブツ忘れ神社だって」

今日は遊佐町へラーメンを食べに行ったついでに鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮まで足を伸ばしてみました。

上の写真は随身門。ここから口ノ宮に行きます。

昔の修験者たちはここから山頂の本殿へと向かったんですね。

知人は一度、吹浦の口ノ宮の登山道跡から山頂奥宮へと挑戦したそうですが、途中でギブアップ。

平日、口ノ宮に訪れる人も無くひっそりとしていました。あ、でも一人観光案内を持った若い男がいましたが。

日本百名山なんて本につられてただ闇雲に山頂を踏み荒らすのではなく、こういった神様を祭った山にはそれなりの接し方があると思うのですが。

今年は例年以上に鳥海山での遭難者が多かったですが、ほとんどが年配者でした。

何であんなところで、道に迷うのか、というところで迷う人もいました。

今まで鳥海山中で会った年配の方は、下調べも十分にしないで山に入り、根拠の無い自信に溢れた人が多かったですね。

そういう自分も年配の部類に突入しましたが。

ここにきたらこの写真の荘照居成神社(そうしょういなりじんじゃ)にも行ってみましょう。

ここには天保年間、三方領知替えにまつわる矢部駿河守定謙(さだのり)が祭ってあります。

そのあたりのことは調べてみてください。

この神社なかなかの彫り物が飾ってあります。

正面、この写真には写ってていませんが鳳凰が、その左右には龍。

そして龍の後ろには獅子が肉球をちらと見せて吼えています。

もう秋ですね。稲田も色ずきはじめました。


荒神岳より

2016年08月20日 | 鳥海山

(古いポジフィルムをスキャナーで取り込んだのですが、ポジの汚れが激しく、フォトショップで修正しました。)

鳥海山に登りなれた人でも、この景色、ちょっといつもとちがうと思いませんか。

荒神岳から七五三掛(シメカケ)、御浜方面を見たところなんです。

新山のそばに瘤のように出っ張っているところですね。

ここへは案内の人と一緒で無ければ行ってはいけません。

昭和47年の噴火の噴出孔が人を吸い込みそうに待ち受けていて、覗き込もうとすると引っ張り込まれそうです。

ここには特筆するべきものが存在するのですが、そのポジが現在行方不明、自分の部屋のどこかにはあるのですが、発見しだいお見せいたします。

地元の写真展にそれを撮影したものが展示してありましたが、それを見て言い当てたものは私が二人目だったとか。

こうご期待。