鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

御朱印 オークション

2020年06月26日 | 鳥海山
 オークションに出品されていた商品。
 今年は山頂御本社を開けることができないので、 吹浦口之宮にて山頂御本社の御朱印を書き置きで 頒布しているのですが、それをいいことに500円の初穂料でいただいてきたものを出品しています。しかも初期設定価格が千円、千五百円。しかも入札者も結構いるし、価格も跳ね上がっています。写真の御朱印はすでに四千円超。これは出品する方も買う方も人間として駄目ですね。買ったものをどうしようと勝手だろうという人もいるでしょうけれど、御朱印を売った、買ったという感覚がどうしようもない。

 どこかの宮司さんでしょうか、次のような投稿もあります。

「本来御朱印は、記念目的やスタンプラリー感覚で集めるものでは御座いません。御朱印は、神様の分身(化身)です。
そして、頂いた方ご本人を亡くなるまでお守りする神様です。 」

 ま、脳みその薄いあんちゃんたちが小遣い稼ぎにやっているんでしょうけれど、それにこういったブームが長く続くものとは思いませんが、それにしてもひどいですね。
 大物忌神社の御朱印を出品していたのは秋田の人でしたけれど、鳥海山の近隣でそういうことをする人もいるんですね。もっともこの方はあっちこちの御朱印を出品して小遣い稼ぎをしているようです。法的に問題が無ければ何をしてもいいという世の中になってしまったんですねえ。
 マスク、消毒液に続いてオークション、フリマでの出品、売買は禁止していただきたいものです。。


鳥海山中の地名の読み方、発音について

2020年06月21日 | 鳥海山
 地名は漢字では表記可能なのですが、音を表すとなると難しい。東北のこの辺の人は清音と濁音の入り混じった音を多用するので表記はほぼ不可能なのです。
 写真の場所は、矢島口御田。これを「オタ」と読むか「オンタ」と読むか、それとも「オダ」と読むか。秋田県の某山岳会の方は「オダ」が正しいと指摘しているそうですが、祓川ヒュッテのかつての管理人佐藤康さんは「オンタ」と呼んでいたようです。はて、どっちだべと思っていたのですが、先日秋田書房刊行の「ブナ林を守る-鳥海山と白神山地からの報告-」に目を通していたら御田に「オンタ」とカナが振ってありました。佐藤康さんと鳥海山を麓から歩いていた人の記した文章ですからわざわざ「オンタ」とカナを振った信憑性は高いと思われます。「オダ」よりも「オンタ」の方が聞いて綺麗ですね。たまに御浜を「オバマ」という人もいますが地元の人は言いません。
 先の本では百宅口の大清水もわざわざ「オオシズ」とカナが振ってありました。これは我々は口を大きく開けずに「オシズ」と言っていました。荒木沢は「アラキソ」、檜の沢は「ヒノソ」でした。赤沢は「アカソ」でしょうか。これは不明です。
 まあ、我々が「オンタ」と口で言っても聞く人が聞けば「オンダ」「オダ」と聞こえるのでしょうけれど、せめて表記は御田・オンタがいいですね。

 注:小浜と書けば「コハマ」または「オバマ」と読みますが、御浜は「オンハマ」と読むのが本来なのでしょうが実際耳にする発音は「オハマ」、同様に小田であるなら「オダ」とよみますが御田ですので「オンタ」、御、すなわちオンと語頭に読めば次の言葉は濁りません。御を「ミ」または「ゴ」と読む場合は次の言葉の最初の文字は濁音で読むことがあります。御台所(ミダイドコロ)、御前(ゴゼン)はそうですね。御前は「オンマエ」「ゴゼン」、御中は「オンチュウ」。やはり語頭の「御」には規則性があるようです。御田をオダと読むのはやはり訛りから来た誤読でしょう。

山小屋に関するニュース

2020年06月13日 | 鳥海山
 今日、こんな記事を見ました。

(写真は記事とは関係ありません。)

 その記事とは、

 「新型コロナウイルスの影響で休業している富士山の山小屋の窓ガラスが割られ、現金が盗まれました。修理の費用も含めて被害は100万円以上とみられています。

 被害にあったのは富士山吉田口の5合目にある佐藤小屋です。管理人によりますと、先月23日の見回りの際に釣り銭を入れるポーチが見当たらず、改めて30日に訪れた時に食堂の窓ガラスが割られてシャッターが壊されていることに気付き、警察に届けました。盗まれたのは2万円ほどでしたが、今月13日に被害状況を確認したところ、修理に100万円以上かかるということです。」

 きっと、管理人不在の鳥海山の各山小屋も荒らされるでしょう。山に登る人に悪人はいない訳はないのですから。小屋の扉は破壊され、中は土足で荒らされいろいろと物色されるでしょう。山中にテントを張るふとどきものも出現するでしょう。見かけて注意すればそういった輩は逆切れして「お前は何の権限があって言うんだ。」というんですよね。そんなことが無ければいいのですけれど。
 時々マナーの悪い登山者を見かけましたけど、ああいうのを見ると山なんて登りたくなくなりますね。助さん、格さん懲らしめてください。山に畏れと憧れを持たない人は登らぬがよろしい。鳥海山を征服する、などと考える人も来ない方がよろしい。そう思います。






不折山人筆 鳥海山 その4

2020年06月06日 | 鳥海山
 当時参拝者は七高山まで行ってから山頂御本社に行ったのでしょう。途中、虫穴の拝所がありますのでその道を経由したと思います。
 右の岩は虫穴かもしれません。
 天気さえよければ七高山(写真は七高山より北を見る)も気持ちのいいところです。しかし、この一帯、昭和になってからの遭難の記録が結構あります。直下で疲労凍死、転落死などの記録があります。
 今も小屋の配置は変わっていないようです。右方向から参拝者が来るという事は、七高山経由でしょう。吹浦口千蛇谷経由の参拝者は左方向から来ます。
 
 上の三枚の絵葉書を見ると、どれも享和岳と書かれています。現在は皆新山と言っていますが当時は新山と言わずに享和岳とと呼んでいたのでしょう。享和岳の方がいいですよね。
 一枚だけ吹浦口からの鳥海湖がありますが、ここも拝所なので山頂からここまで来てから戻ったか、そのまま吹浦口を経由して帰ったのかもしれません。
 
 

不折山人筆 鳥海山 その3

2020年06月05日 | 鳥海山
 今日は河原宿までやってきました。
 今の河原宿小屋跡あたりでしょう。高山植物園とあります。手前左端は白山沙参でしょうか。
 江戸時代、河原宿参籠所ではご飯とみそ汁を参拝者のために提供していたと記録にあります。鳥海山の登拝道の最も利用されたのがこの道なのです。江戸時代の登山記録もこの道ばかりのようです。そんな歴史のある河原宿小屋も経済には勝てません。

 笹小屋とありますが、これは河原宿の小屋なのか横堂の小屋なのかわかりません。左に立てかけてある背負子、便利ですよね。
 ※笹小屋とは横堂にあった小屋の名前のようです。姉崎岩蔵著「鳥海山史」に蕨岡登山道について記してあり、その中に横堂笹小屋のことが書いてあります。但し、その先、白糸の滝の下にも笹小屋があったと記してあるのでそちらの可能性もあります。
 大雪路、オオユキジと読みます。その先にあるのが小雪路、コユキジです。今では大雪渓、小雪渓と呼びますが、ちょっと前の人なら大雪路、小雪路と呼びます。その方が味わいがあっていいですね。ちなみに、矢島口の雪渓は今でも大雪路と呼ぶようです。
 だいぶ融けてきた大雪路です。左側には夏道があらわれてきます。昔からガスに巻かれたときは大雪路は左を、小雪路は右を登れと言われてきました。大雪路は降りに左側を歩くと雪渓が断崖となりますので下りは必ず右側です。
 江戸時代にこの道を頂上目指して登った人が天候不順でこの辺りでいったん下山し、又翌日登ったという話があります。今の車道終点ではなく、杉沢の登山口ですから健脚恐るべし、あやかりたし。

 この絵葉書は全十二枚、もう少し続きます。