鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

狩猟中のクマが男性に襲われて死亡

2022年01月31日 | 鳥海山

 ???よく見たら逆でした。実際は越冬中のクマを起こしてしまって怒ったクマが起こした人を襲ってもう一人の男性に射殺されたというニュース。猪狩りに行った方が熊の冬眠穴を発見して覗いたところ熊が起きてきて人を襲ったという事です。

 冬眠中と書いてありましたが、クマの場合は冬眠ではなくて越冬なのだそうです。他の冬眠する哺乳類と違って完全に寝ているわけではなく頻繁に目を覚ましたり、出産もするそうです。目が覚めても寝ぼけているから人を襲うことはないと物知り顔でいう方もいますが、これで実際は襲うことがあるということがわかりました。
 
 これからいえることは
 1. スノーモービルなんてまるで熊を起こしに行っているようなものじゃないか、ということ。
 2. 実際に人の命に係わる事故がなければだれも予測して対策を立てようとしないこと。
 3. 実例が少なければ、あっという間に忘れて次の被害が出るまで同じことを繰り返すということ。
 
 誰かが犠牲にならないと何も変わらないということですね。

紙上で古書散策

2022年01月31日 | 兎糞録

 コロナも落ち着いたかと思ったのもつかの間、さらなる猛威を振るっております。誕生日に焼き鳥屋さんで一杯、という予定だったのですが外飲みは暫く延期。神保町をぶらり歩きたいなと思っていたのですがこれも延期。そこで以前撮った風景を眺めて近いうちに行こうと楽しみをためております。

 本がびっしり並んでいるのを見るととても楽しくなってきます。

 コロナの流行る前の一風景。この書架雨降ったらどうなるんでしょう。

 見て歩くだけで楽しいです。均一棚は面白い本がいっぱい。

 文庫川村も古いです。昔岩波の絶版本を探しに行ったものでした。

 森鷗外も端本となればこんな値段。見た目はきれいですね。

 すずらん通りも歩いてみましょう。

 明大通りのエチオピアも創業はもっと古いと思ったら昭和63年でした。どおりで記憶にない。

 いつも神保町、築地場外と散歩していました。

 一身二生とは言うもののもう一つの生はなかなか充実させることが出来ません。

 


恥さらし

2022年01月30日 | 鳥海山

 鳥海山のデータは外付けHDDに保存し、それをもう一台のHDDに自動でバックアップするようにしているのですが、「鳥海山」と名付けたHDDが突然読み込み不良になり、何度かケーブルを抜き差しするとかろうじて読み込める状態。そこでCrystalDiskInfoというアプリで調べてみると、「注意」と黄色い表示。読み込みの出来るうちにとその辺にごろごろと置いてあるHDDから状態の良いものを持ってきて入れ替えです。

 バックアップはI-ODATAのSync withというフォルダ間を定期的に同期するアプリが便利です。大事なデータはバックアップ、それと緊急時の復元ソフトも常備してあります。こちらは有償ですが、EaseUS 復元 by Data Recovery Wizardが何種類か試した結果一番良かったです。

 

 で、本題は、ついでにフォルダ内を見ていたら蕨岡の大物忌神社、拝殿跡へ上る途中の無残に彫られた傷の写真が出てきました。ご丁寧に学校の名前も彫り入れて。

 下の現在の拝殿を左に回ってみるとそこの壁面にも無残な傷跡があります。それもそのうち写真に撮っておきましょう。どちらもいつの時期に傷つけられたのかはわかりませんが、そういうのを格好いいと思う阿呆が世の中にはいるのです。自然を傷つけたり文化財を傷つけたり、ほんとろくでない。


自然環境に配慮して登る

2022年01月25日 | 鳥海山

 今は登山シーズンではありませんが、まずは下の写真をご覧ください。

 石畳が敷かれる前の八丁坂です。昭和六十年代です。ほとんどの登山者は荒れた道の中央は登らずに右端の草の在る方を登っていました。長年そうやって歩いた結果裸地はどんどんと拡がっていきました。長坂道出会いから御浜へ至る道もかつてはほとんど登る人がいなかったのですが多くの人が登るようになって道は荒れてきています。笙ヶ岳もまた人が歩き回ったために余計な道が出来てしまっているようです。

 もう一枚、昭和四十年代中頃の同じ場所です。上の写真と比較してみてください。

 すでに荒れてはいますが上の写真を見ると道の拡がる速度の速いのがわかります。

 こちらの写真は写真家佐藤要さんの「鳥海山を登る 夏から秋の登山道ガイド」(2014年=平成26年発行)の最後に載せられた写真です。写真の説明にある通り、鞍部の先、手前共に石畳が敷かれましたが一度荒れてしまった道はそう簡単に回復はしません。(「鳥海山を登る」は最近写真集でも出ましたがこれは先に同じタイトルで出た登山道ガイドの方です。)

 この写真のページに書いてある文章のタイトルが表題の「自然環境に配慮して登る」、佐藤要さんの承諾を得てありますので一人でも多くの方に読んでいただきたく、全文掲載させていただきます。どうか最後までお読みください。


 石畳で整備された道、木道が敷かれた道。左右にロープが張られた道、そんな登山道が鳥海山に増えている。登山者の増加により負荷が掛り崩壊が進んだ事への対策と言われている。河原宿小屋を過ぎて心字雪渓から流れる清流に沿って進むと、赤褐色の大きな岩が転がる台地に出る。千畳ヶ原に続く道の分岐点だ。現在の荒れ果てた状態からは想像が出来ないが、かつては多くの花々が咲く緑の草原だった。山上の楽園と言われたキャンプ場で、夏山の最盛期には五〇張りものテントが並んだ。雨水を流すための側溝がテントの周りに掘られ、その結果表土が流され岩だけが残る無残な姿になった。

 鳥海湖北斜面の中段の台地も同じ原因で表土が流され岩が露出した姿をさらしている。ここも河原宿と共に景観に恵まれた憧れのキャンプ地であった。キャンプ禁止や、立ち入り禁止の措置により少しずつ植生が回復しているが、一度壊された自然は二度と戻らないという実例だ。

 扇子森から御田ヶ原分岐に下り八丁坂を登る。下り始めから続く幅広い石畳の道がある。ガレ場の道の歩き易い所を選んで歩いた結果、鞍部から先は道幅が二〇m以上に広がってしまった所である。

 石畳で道幅が制限されたが今でも周りの植生が回復していない。以前のまま土の道が残っている長坂道や康新道も、道幅の拡大や洗掘が始まっている。舎利坂や心字雪 渓の周辺は踏み跡が錯綜して崩壊が激しい。

 鳥海山をひと夏に訪れた人が一〇万人(観光客を含む)を超えたと言われる。多くの人が山の自然に興味を持つことは良いことである。一方で登山道やその周りの高 山植物への影響が懸念される。登山道から外れて草原や湿原に踏み込んだり、急いで登ったり無理をして登るなど、環境に負荷が掛かるよぅな登り方はやめて余裕を持って山を楽しむようにしたい。

 石畳の道は膝の負担が大きく、木道の踏み外しはケガにつながり、ロープが張られた道を歩くのは気分の良いものではない。しかしこのまま破壊が進むと登山道の総てが石畳や木道に変えられて、近い 将来鳥海山も入山料徴収や入山者数が制限される可能性があるかも 知れない。動植物生態系への負荷、登山道の破壊、排泄物の処理問題 など、登山者自身が真剣に考えな ければならないことは多い。


 同ページの河原宿と御浜の画像も併せてご覧ください。

 どうか今年の登山シーズンはこの文章を思い起こしながら鳥海山に登ってください。


享保六年の鳥海山遭難

2022年01月24日 | 鳥海山

 享保六年閏七月の一日(グレゴリオ暦1720年8月23日)、本草学者の植村政勝が諸国採薬の旅で鳥海山に登った話が「諸州採薬記抄録」にあります。大物忌神社発行の「鳥海山 -自然・歴史・文化-」にその一部が現代語訳で紹介されています。

 ※暦については国立国会図書館の「日本の暦」でわかりやすく説明されていますので参照してください。

「鳥海山は日本第四の高山なり、麓の村より山上迄道法六里余あり、四里半登る。古来より四季ともに雪消えずといえり、実に雪にて築立たる山の如く見ゆる、享保六年丑年御用に依て余彼の国に 至たり、閏七月朔日にこの山に登る、午の刻山の六七分に至る頃頻りに大風雨起こり、山鳴り、谷 響き、砂石を飛ばし、風雨面を打つ、起居動静心に任せず、雨岩を洗いて千尋の谷に落ちる水は瀧 の如し、この山中に方一里程の湖水あり、山の左右に異国までも続くといえり限りなき荒海なり」

 この部分、住谷雄幸「江戸人が登った百名山」という本では(百名山という名のついた本は大の嫌いなのですが)、「雨岩を洗いて千尋の谷に落ちる水は瀧 の如し」のところ、以下のように書き続けられています。

「雨巖を洗いて、千尋の谷に落ちる水は滝の如し。……予谷へ吹き落とさるる。この時に及んで傍に従者 人もなし。その外荷物、人歩等行方を知らず。余りに強き風雨詮方なくして腰帯を解き、これを岩の鼻に引かけ、これを力にひしと取り付きて、貯へもちたる朝鮮人参を少しロに含み、漸くに気力を補い、彼の風を凌ぎ、この節懐中の品その外用具等を打ち捨て、心中に日本大小神祇、又平日信ずる所の仏名を念じて」 『諸州採薬記抄録』 一晚を過ごした。翌日は風止み、からくも危地を脱した。

 

 短い文章ですが、山の嵐のすさまじさが十分に伝わってきます。どのあたりでの話でしょうか。山の嵐の風の強さはすごいですからね。経験ありませんか、まっすぐ歩こうと思っても風で押し戻されるのです。体を進行方向に直角に曲げるといくらかは進むことが出来るのですけれど。

 この住谷雄幸という人にはもう一冊「江戸百名山図譜」という本もありますが、「江戸人が登った百名山」はこれの文庫版です。

 こちらの方が紙質も良く紙焼けした文庫本よりも手軽に安く入手できるようです。カラー図版もあるので読んでみたい方は単行本の方がお勧めです。