鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鉾立山荘 その2

2015年12月24日 | 鳥海山
 鉾立山荘の管理人、山田さんの後任は佐藤さんでした。
この二人ともお酒大好きで、会うときはいつも素面のことがなかったような気がします。
 
 土曜の夜に、鳥海へ登ろうとする前夜、仕事が終わると、ひところ東雲荘(トウウンソウ、間違ってもシノノメソウとは読まない)に世話になることも多かったですが鉾立山荘へお世話になるのもいつものことでした。
 
 東雲荘での出来事は書ききれないほどありますが。
 
 で、この鉾立山荘に泊まるときは落語の居残り佐平次のごとくいつも布団部屋。。
 
 その、鉾立山荘で佐藤さんから聞いた話で忘れられないのは、
 
 ある秋の夜、佐藤さんが酒を飲み入り口ロビーで明かりの下、一人ゆっくりしていると、入り口ガラス戸をあけると、正面にベンチ状の座るところがあります、
 佐藤さんはそこに座って入り口にむかってお酒を飲んでいたのです。
 いい気持ちになってひょいと顔を上げるとガラス戸越に女の人が。
 なんとその女の人、ガラス戸をスーッと潜り抜け佐藤さんの目の前に立った。
 
 佐藤さん、硬直し、女の人に声にならない声で、「だ、誰っ」と問いかけた。
 
 
 その続きがあったのだけれど、この場面が強烈で後は忘れてしまいました。
 
 鳥海山では結構こういった幽霊が出るんだそうです。
 経験はないけれど、7合目御浜小屋でも。
 
 晴天の8月山頂から下山したまま行方不明になったお爺さんが7合目御浜小屋出るという話も聞きました。
 
 怖い怖い山なんですよ、鳥海は。

鉾立山荘の思い出 その1

2015年12月21日 | 鳥海山
今から30年以上も昔のことになるけれど、鳥海山5合目、鉾立登山口、鉾立山荘。
今たっている建物も十分に古いけれど、その前の建物も今の古さ以上に古さを感じさせてくれるものだった。

惜しむらくは、その当時の写真が残っていない。しかしながら、その風貌はいまだに脳裏にはっきりと焼きついている。

その当時の管理人は山田さんという、小柄な、会えばいつも素面でいることのないおじさんであった。
その当時の山小屋の様子を表す私信があったので紹介しよう。

「ほっと安堵の胸をなでおろした時、濃い霧に見え隠れする淡く黄色い灯の中から、
何やら不可解な歌声とも奇声ともつかない賑やかな気配が漏れてきました。

おそるおそる小屋の戸を開けると、奥の方では大宴会の真最中。
山田さんのとぎれとぎれの歌と当夜居合わせたお客達の迷惑そうな(?)拍手喝采でありました。

どしゃぶりの秋田を発って、濃霧のブルーラインに突っ込んだのは二十時過ぎ。
恐ろしく視界の悪い状況に何度も車を止め、

「はてー、困ったなー、たいへんな事になってしまった。ここで一晩待ったほうがええべがな?」
と思案しながらも、めくら運転でトロトロ登る内に、ギブアップ寸前。

思いがけずに灯らしきものを霧と強風の流れの間に見つけました。

「あれっ、なんでこんな所に工事現場の飯場があったりするの?」

と不審に思い、よく眼を凝らして見ると、それが目指す鉾立山荘の玄関口でありました。

翌八月三十日は、前日の荒天とはうって変わり、
何が何でも頂上に立たなくてはならないという気を奮い起させる
登山者大歓迎日和になり、登山口に向かう人々も喜色満面、
密かな意気込さえ漂っています。

しかし、私の山登りはその日の朝を境に頂を目指す人々の列から少しずつ離れ
また少しずつ姿を変えつつあります。

気に入った場所にどっかり所帯道具をなげおろし、
今までは瞬時に通り過ごしていた一風景に、自分は唯一個の点景となり、
立ち去った跡には水溜りができる位、気の済むまで長い時間を飄然と過ごす
黙々と足元ばかりを見つめて登り
歩いていた頃には得られなかった
貴重な味わいが、かかえ切れない程あることに
近頃気付いたのです。
すでに他の皆は了解している事かも知れません。

そして、微量のエキスをザックのそこに詰め込んで、
暮らし易いけれども棲み難い街の生活に
また舞い戻るのであります。

山に行けない日々には、募る気持ちを
平面である筈の一枚の写真の中にさまよわせるという
歴とした山歩きの楽しみ方もありますね。

しかし、それはあくまでも
未知の土地、未知の風景、未知の山。
その場に立ち自分の五感を働かせて
全てを受けとめなければ、どこまで歩いても
他人のレンズを通して写し出された遠くに見える憧憬の一枚の絵でありましょう。
光の移り変わる速さも、風の強さも、
一本の樹の肌触りや臭いさえも体感し難いとおもわれます。


また発作が起きてきた。
では、鳥海で。

'87.9.18.fri ****」