鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

山小屋の食事は美味いか不味いかしょっぱいか

2019年09月30日 | 鳥海山
山小屋も有人ではもう閉鎖ですね。
(食事提供後の一服。)
鳥海山の小屋の食事はネット上でも全国一、二位を争う不評。
鳥海山の山小屋で食事の提供されるのは山頂と御浜の二か所。
北アルプスの山小屋並みの食事を期待してくる方もいるけれど、基本、ほんとに山登りが好きな人は小屋の食事をあてにしてはいけません。

山頂も御浜も水は天水が頼り。その天水桶に手え突っ込んで便所帰りの手を洗う輩もいる。
そこで調理はしません、できません。できるのはご飯を炊くことと、味噌汁をつくるくらい。あとは出来合いのレトルト食品なりの封を切るだけ。ネット上の最近の食事を見てもかつてのレトルトハンバーグが鯖の味噌煮に変わったくらい。(一時期レトルトハンバーグを袋ごと封を切らずに出していたこともあったっけ。)
大半の人が夕飯を完食しない、できません。
それでいいと思いますよ。

山に登る人は客ではありません。あくまで山にお邪魔しに来ているだけ。客の立場になってみろ、だとか俺は客だぞ、なんて威張っても山には聞こえません。

吉玉 サキ さんの「山小屋ガールの癒されない日々」に山でマウンティングするおじさんの話も出てきますが、鳥海山にも結構現れましたね。

百名山自慢やら、どこそこ山を登っていないのは素人だとか、周囲に聞こえるようにしゃべっている方々。
黙って自分の今いる山の良さを味わっていればいいのに。

鳥海山・飛島ジオパークなんてこともやっているようですが、観光客は別に来なくてもいいですよ。日本で観光立地できるのはごく僅か。大切な自然は保護はしても観光で荒らされたくはないですね。
鳥海山の麓近い酒田市では相変わらず、「おしん」「おくりびと」。
作り話で観光客が来るのは一時、あんなものでリピートはしません。知り合いの会社社長さん、いまだに大根飯を売り出そうとしている。不味いものは名物になりません。
秋田県は大言壮語しないけれど全体が整備されています。

これ、突拍子もないと思うでしょうけど、幕末から明治にかけての新政府側に立った地域と幕府側に立った地域との結末が現代まで続いているんですよ。歴代の総理、何県が多いと思いますか。太平洋戦争或いは昭和の動乱期に生を全うできなかった指導者はどこの出身者が多かったか、興味のある方は調べてみるといいかと思います。
関係ないと思うでしょうけど、もし皆さん東北へお住まいでしたら県という名前で行政単位としてまとめられていても文化、いや風俗・慣習としては異なる地域が無理やり一緒にされていると感じませんか。
(今は無き河原宿小屋での団欒風景)

まあ、まとまりのないことばっかり書いたけど、好きなものを興味本位で覗かれたくないっていうところかな。この記事削除しようと思ったけれど、自分のために記録しているだけだから。

中判カメラはやはりいいなあ、

2019年09月23日 | 鳥海山

ブローニー判も取り込めるEPSONの透過原稿ユニットで遊んでいる。
なんたってオークションで未使用品500円だったから。
このユニット35mm判は一度に取り込める枚数が少なくてダメ。ただ単に、昔撮ったブローニー判をデジタル化したかっただけ。スキャナーだって古いEPSON製品。(ホコリや汚れ、退色はPhotoShopの古いやつ使ってごまかす。)
CANONのもう一台のスキャナーはUSB電源で動作するけれど、透過原稿に対応していないので仕方ない。といったってフィルムスキャン終われば用済み。

冒頭の写真、35mm判とは明らかに違う。腕前はそっちは置いといて。
写りこむ範囲が広いので迫力が違う。
(ちなみに前回の記事の写真、一枚を除いてブロニー版をスキャンしたもの。)

この当時、ゼンザブロニカ645を使っていた。
今はないけれど。
重いのだ、これが。三脚もがっしりしたものでないとダメ。

最近は一眼レフはほったらかし、CANONのミラーレスの古いやつを一台ぶら下げてどっか行く。NIKONのミラーレスもあるけれど、こっちの方が好き。
玩物喪志 になってしまっているか。

もう一度中判カメラを手にしたいけど、デジタルは高くて手が出ない。
そもそも、そんなに写真撮りに歩かないだろうって?スマホのカメラで十分と言われそう。
そうだよなあ、きょうは家から一歩も外へ出なかった。

百宅口、静かでいい登山道です。ただし、熊注意。

2019年09月23日 | 鳥海山
先日、猿倉口登山道で熊が出て登山者が襲われましたね。
七ツ釜避難小屋のところで矢島口と合流する猿倉口はあまり登る人もいないようです。
百宅口登山道入り口、大清水園地。
こちらも知り合いが熊と鉢合わせしたというし、どなたかのブログで唐獅子平で熊に遭遇したとの記事もありました。
これからの季節、人もあまり登らないコース、ますます登山者は少なくなりますが登るには心地良いです、このコース。ただ、我が家からこの登山口までが一番遠いのでちょっと大変。秋田県側からは道路も整備されているのですが、山形県側からだと最悪。奥山林道は事前に道路情報を確認するのも難しく、正確な情報は直前に走った人から聴くほかない。
升田の集落を過ぎ、雨で抉られたデコボコの奥山林道をしばらく行ったところに最高の水場がありました。(自分の知る限り、鳥海山の水ではここが最高。玄武岩がいい濾過機となっているのか。)
この林道その先、小屋ほどの落石が道をふさいでいることもあるし、秋口は強烈な獣臭も漂います。
途中の赤沢。ここだけ赤茶けた水が流れているように見えます。
(この写真はほかの写真と別の時)
これを過ぎると最初の写真の大清水園地入り口。

大清水で準備を整え、小さな沢を渡り登山開始。
(昔から鳥海山に登っている知人は、大清水をオシズと呼び、荒木沢はアラキソ、檜ノ沢はヒノソと呼んでいます。)
大倉の滝を見ながら歩けばタッツラ坂、そこを過ぎて屏風岩。
屏風岩からその先、取りつき口がわかりにくかった。
この時は同行者も疲れ、屏風岩でビールタイム。ビールを冷やすにちょうどいい水場。
名前の由来の岩を写すの忘れた。
唐獅子平まで来たらほんと疲れた、

(改築前の唐獅子平避難小屋)
九月の鳥海山はどこから登ってもいいですね。花の盛りが過ぎて、紅葉にはまだ早い、こんな時期が好きです。
百宅のを経由して帰ると鳥海山がまるでゴジラの背中のようです。
鳥海山一周すると100km以上走ります。ガソリンは要満タン。

山に登る人に悪人はいない、訳がない。

2019年09月18日 | 鳥海山
夏の暑い日、やっと山頂に辿り着き、社務所前の天水桶に缶ビールを二本入れた。
小一時間してから取りに行ったら無い!盗まれた。盗んでまで飲みたいか。山で事故ってしまえ、呪ってやる、と思いましたね。

(昔の山頂小屋の食事の後)
これも山頂での話。
食事を終えた登山客、食堂から宿泊所へ帰ろうとしたら登山靴が無い。誰か間違えて履いて行ったのかもしれないと周りを見ても余分な登山靴は無い。完全に盗難。
よくもまあ、人の登山靴を盗むものだ、小屋の管理人や他の登山客も呆れかえるやら怒るやら。
でも出てこないことにはどうしようもない。結局その人には山頂小屋にあった長靴を貸してあげた。その人にとっては鳥海山は最低の山だったであろう。
盗んだやつにとっては最高の山?
下界はもちろん、山でも人を見たら泥棒と思え、が通用するのですねえ。

そう、そう、山頂小屋では食事も提供されますが、頼んでもいないのに知らんふりして食べていく輩もいます。人数分準備しても足りなくなるのです。数え間違いではありません。たびたびなのです。今では確認方法もちゃんとしているかもしれませんが。山では信頼が基準なのですけどねえ。


児童書にみる鳥海山

2019年09月16日 | 鳥海山

鳥海山の空の上から。
一時間もあれば読了できます。
児童書ってのは、子供向けに書いてあるつもりなのでしょう。著者は自分では思っていないのでしょうが、大人を読者として書いていますね。
地方を題材とした子供向けの本は何故か、都会の子供が夏休みに田舎へ行く設定になっていることが多いようです。
自分のような田舎者は、都会に住んだ経験から、地方へいったん帰った後、都会、東京へ戻るとき、赤羽を過ぎ、田端、日暮里と続く沿線を見ると、ああ、またこんなとこへ帰ってきたのか、っていつも思っていましたけどね。
今は時々東京へ活力をもらいに散策に行っていますが。
著者の視点がワンパターンなんですね、こういった話は。
鳥海山は話のタネであって、これは何山であってもいいという話。
矢島へ疎開、じゃなくって事情あっていった小学生が、最後に鳥海案山に登るんだけど、何故か矢島口を登らずに象潟口を鉾立から鳥海湖まで登る。矢島から鳥海山を見て、登りたいと思った子供がなぜ、鉾立から登る。それは著者が鉾立コースしか知らなかったから、ということなのでしょう。鳥海山は矢島の人々が信仰の対象として登っていたと書くのなら、それこそ矢島口から登って当然なのですが。

もう一冊は、
蘇乱鬼と12の戦士。
古本としてたまに市場に出ることがあるようです。
これは鳥海山にまつわる伝説をミックスして構成したもの。
だいぶ前、東京の義兄が見つけて送ってきてくれました。

鳥海山の麓に住む身として、鳥海山と書かれた本はみんな面白いのですが、学術書は除外して、地元の鳥海山が生活になっている人たちの書いた本より面白いものはありません。