鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

スキャナーの異音を治す。

2024年02月23日 | 兎糞録

 なぜかいつの間にかスキャナーが何台か、そのうちの一台がフィルムスキャンもできるEPSON GT-F740。もちろん中古、でもWindows11のドライバーも提供されているのでまだまだ現役で働けます。

 格安だった理由は使っているうちに判明、プレビュー、スキャンの最後のほうで何か引っかかるような音がするのです。今回あらためてみたらガラス=原稿台が剝がれかけている。ちょうどスキャナーの仕組みの図があったので、下の図でいえばキャリッジが行き当たるガイドレールと書いてある先の角が剥がれてカパカパ。分解してみたらキャリッジと原稿台の隙間はごくわずか。下がったガラスにキャリッジが接触してステッピングモーターが鳴くのでした。ガラスを両面テープで固定して駆動ベルトに、良いかどうかはわからないけれど、プラスティック用グリスを縫って組み立て。

 快適に動きます。これで生きているうちに新たに買わなくとも済みそうです。

 分解するときは再組立てできない覚悟を持ってやりましょう。古いスキャナーは内部にゴミが入ったときは分解して掃除していましたがこれの分解は何か所かのツメを探して外さないといけません。ipod分解したときの工具が役に立ちました。ツメを探し当てたらマイナスドライバーをさしてツメを押します。その繰り返しで開くようになります。

 水色の原稿台ガラスとその下、黒い枠内が走行するキャリッジ。原稿台とキャリッジの間が狭いことがわかります。

 赤丸のところがカパカパだったところ。もう大丈夫です。こういった電子機器って結構両面テープが使われているのですね。


地元タウン誌に載った記事

2024年02月22日 | 鳥海山

 先日県に要望書を提出した時の記事が地元タウン誌のトップ記事として掲載されました。

 これで納得する人がいたら不思議。明日同社のホームページに載るそうです。

 この記事の分類はあえて鳥海山に入れています。鳥海山の存在とは無縁でないことですから。


庄内案内記

2024年02月21日 | 鳥海山

 だいぶ前に紹介した「庄内案内記」地元の図書館に持ち出し禁止が一冊、国会図書館に一冊。古書市場には出回っていなかったのですがなんと今回現物を手に入れました。明治二十六年、鶴岡の人が著したものです。それにしても明治二十六年に和綴じではないこんな本が出版されていたとは。

 わずかの行数ですが余すことなく蕨岡からの登拝道の様子を伝えています。

 鳥海登山の項、八月九日以降次のように書いてあります。


 八月九日午前二時に起き飯を食し旅裝して該家を發し登山の同行者數十人あり行くこと壹里余字駒止めといふ所に至る蕨岡村より此所まて馬通るを得ると雖も是れより登る能す依て此名ありといふ此所より行くと更に貮里余道の中央に仁王門の如き神門あり此門を橫堂といふ老弱山上に至る能はさるものは門の右側より谷に降ること拾余丁御澤といふ所に至り禮拜するを例とす此所に大瀑布ありて甚た靈地なり余等山頂に至るを以て橫堂を直行し道漸く嶮なり其中壹里余の所松樹鬱茂して他を見る能はす路傍拜所多しと雖も社殿あるにあらす奇石洞崛を拜するなく行 くこと貮里余にして八丁坂と稱る所に至る此処より又貮里余にして河原宿と云ふ所に至る此所に憩小屋あり食物を販賣し且つ山中宿所に究する行人を宿泊せしむ此処より上ると壱里余の間雪路なり千古消ることなく皚々として恰も巖の如く故に甚た寒冷にして肌を裂くか如し滿山岩石を以て積みたる如く所々小柴あるのみにして大樹を見ず 貮里余にして(あたみ)坂と稱る所に至る此所より道路最險惡なり誤て蹉躓するあらば千尋の谷に轉落すること必せり行步甚た危嶮なり且つ空氣稀薄にして呼吸苦しく殆と氣息絶んとすることあり然れとも勇を皷して進む行くこと壹里余にして山頂仁達し此日幸天氣晴朗にして雲散し山頂より四望すれは南庄內の地方より東南仙臺の地方北秋田の地方北に至るまて眼力の及ふ限り悉く瞰下するを得又西方飛嶋の如きは殆と山脚に連るものゝ如く其髙きこと實に驚くへきなり此所より北方矢島に越ゆる道あり之れより轉して新山といふ所に至る此所は本山中最も髙くして古噴火の際新に吹出したる所なりといふ巨岩(徑十間位のもの) 累々吹出し恰も籠の如く誠に巨石を山下に投すれは混々として轉落すること幾拾丁なりや知るへからす該所より少しく下れは則大物忌神社あり方五六尺構造甚た質素なり風害を避るか爲め周囲に石を積めり禮拜して更に下ること貳里余烏海の湖水に至る此湖周回壹里余水淸くして且つ深し 常に淸波を漂はし恰も龍蛇の飛躍せんとするものゝ如く岸上に至れは神心凄然たり湖邊より一脉の峯を越れは烏海の憩小屋あり該小屋も河腹宿の小屋と同しく行人を宿泊せしむ此所より下坂なり然れとも行步却て上坂より危險を感するものゝ如し午後六時漸くにして烏海山の西麓吹浦村に達す該村より北方に三四町距りて大物忌神社の拜所あり社殿は丘陵にあり石段を登ること數拾閒社前に至れは壯嚴にし社地老樹繁り森々として甚風致あり傳へ聞く西京加茂の社と風致相似たるものありといふ其夜該村へ泊せんとす


  この時代、すでに丑三つ時ではなく、午前二時と書いてあります。早朝に出立して鳳来山のあたりで熊には出会わなかったのでしょうか。
 
 
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