すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

受け取って、味わう。

2016-03-16 21:11:36 | ひとりごと
一人で運転している時は、私にとって絶好のマインドフルネスタイムです。

運転にはもちろん自分に集中しつつ、力を抜いてリラックス。

この意識状態でいると、追い越されるとイライラして追い越したくなる、駐車する時に後続車がいると焦ってしまう、という、運転中にありがちな心理にも対応しやすくなります。観察してマイナスエネルギーを抜きます。

流れには乗りつつも、私は私、の感覚。

でね、不思議と、対向車が右折時に快く譲ってくれたり、前の車が進路変更時に無理なく入れてくれたりなんてことが増えます。

ただこういうのが、ちょっぴり困ったことも引き起こしたり。

譲ってくれた人のその温かさや優しさが、有難くて、勿体無くて、ついつい「私も、誰かに同じようにしなくては」って力んでしまうんですね。いただいた気持ちが大きくて、尊いから、すぐに恩返ししなくちゃ、と焦るんです。私。

ところが、こうした意識が強くなると、無理やりそういう場面を探します。流れを遮ってでも、対向車に譲ったりします。でも、やってることが不自然だから、どこかの車に大きなクラクションを鳴らされたり、譲った車からは感謝もされない、なんてちぐはぐなことになります。

なんか、私、変?!と気づきます。


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贈り物をもらってすぐにお返しをしたくなる心理に似ているかもしれません。

それは、もらったものを純粋に受け取れていないんですよね。

贈る側になった時には、心を込めたものほど、お返しなんていらないって思います。まずはただ、ちゃんと受け取って喜んでもらいたいな、それが一番のお返しだよって思います。

逆に、すぐにお返しが届いたら、自分の気持ちは受け取ってもらえなかったのかもしれない、と寂しさを感じたりしてね。

もちろん、冠婚葬祭や儀礼的な贈り物は中々そんなわけにもいきませんけどね。

でも、元々は、贈るも貰うも、与えるも受け取るも、同じエネルギーなんですよね。与えることがすでに受け取ることだったりします。だから、逆もしかりでね。

親子の関係がまさにそうですね。与えている親が実は受け取ってもいる。受け取っている子が実は与えてもいる。

純粋な気持ちを込めたものほど、こういうことが起きます。

もちろん、その結果としての感謝のお返しは、素敵なお返しだと思います。義務感が漂わないほど、嬉しいですよね。


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こんな気づきがあってから、運転中に譲ってもらう場面に遭遇したら、私、しみじみ言うことにしました。

ああ、この人、なんていい人なんだろー

とか、

世の中には、こんなにいい人がたくさんいるんだなー

って。それで、あとのことは考えない。受け取ることに集中する。受け取るだけの私を許す。そうやって味わう私がすでにお返しであることを信じて。相手の温かさと優しさの純粋さを信じて。

これは、運転中や贈り物の話だけじゃなくてね。

何かを与えてもらったら、まずは、それを受け取って味わってさえいたらいいのかもしれません。今返そう、すぐに返さなくては、と力んだり焦ったりしなくても、心から受け取ったら、受け取った人の在り方は必ず変わるんですよね。受け取った分だけ、それ以上に、間違いなく与えられる人になっているんだと思います。