すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

我慢をしない。自分を責めない。

2008-09-05 11:04:58 | My メソッド

我慢してロクなことはない。
我慢はたまれば爆発する。

自分を責めてロクなことはない。
自分を責めることに耐えられなくなると、
自分を責めさせた(と自分が思っている)誰かに攻撃が向かう。

そうしたエネルギーがはけ口を失うと、
うつになるしかない。
そうしたエネルギーの解消の仕方を知らないと、
自分の心を病気にして、
自分の心から逃げるしかない。

自分が我慢している、とは意識しない人が多い。
「あの人に比べたら自分なんて・・・・
「これくらいは当たり前だってみんな言ってるし・・・」
そして、ますます我慢する。
やがて、心は破裂する。あるいは病気になる。

自分が自分を責めている、
自分の中に罪悪感があることも、
意識しない人が多い。
「このままじゃいけないけど、踏み出せない自分は情けない・・・」
「みんな大変な思いをしているのに、私は楽ばかりしている・・・」
「私は働くべきなのに、働いていない・・・」
そして、ますます自分を責める。
誰も責めていなくてもどんどん自分の架空の罪を大きくしていく。
やがて、罪悪感はそれに見合った攻撃に反転する。あるいは病気になる。

「あの人は我慢しているのに・・・苦労しているのに・・・自分はできない」
というつぶやきの向こうには、
一見他者がいるが、
結局その正体は、自分の中にある苦しい価値観だ。
我慢も罪悪感も、
自分の価値観から生まれる。
誰かに植えつけられるものであって、
それが自分を苦しめるものならば、
それを受け入れる必要なんてみじんもないい。
案外他人は適当に言っているし、
こちらの人生の責任を取ってくれるわけでもない。
生まれ育った過程の中でそういうものを自然と受け入れる癖がついているなら、
そこに気づいていないといけない。
そして気づいたなら、
今度は努力して、意識して、
自分に芽生える我慢と罪悪感を、
捨てていく作業が必要。

大概、我慢しする人、自分を責める人は、
我慢していない人、苦労していない人、には焦点を当てない。
別世界の人と思っているか、
「ああはなりたくない」と、
少し悪く思っているかもしれない。
でも、
我慢して、自分を責めて、
そんな風にいい子であることで、
悪いエネルギーを自分の中にパンパンに閉じ込めてしまうくらいなら、
ちょっと悪い子にでもなってみて、
我慢もせず、自分も責めず、
自分の心を風通しをよくしておいたほうがいい。
そのほうが、周囲もどれだけ助かることか・・・。
結果的には、
我慢しない人、自分を責めない人の方が、
他人に優しい人になる。