師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

ありようとしての神成る道 惟神の道

2013年09月15日 | 天意の実践

では、どのように生きるのか

それは、

在り様、在り方として、日々の浄化をこころがける

暮らし方の全般である

こころは常に強く、和(やわ)す

日々の中では清浄さを知り、清浄ある身として、慎み持つ

いきすぎた身なれば、それは不浄を呼ぶ、を知る

次清のこころをする。

周囲、環境も同じこと

こころと同じように、周囲も清浄を保つ

清浄の場を保ち、清浄在るを保つ

例え、清浄を落とす選択をしたとしても、

また、清浄を取り戻す

清浄の場とす

たとえ、自分の意に添わぬことがあっても、

反論も同調もせずに置く

反論も同調も同じヲ(納め方と)知る

自らの在りようになくば、それは、それ

在るがままにおく

こころを荒らすことなく、場を荒らすことなく

おだやかに在るを知る

自分の意見を言うことが正しいと

固執すれば、それは堅き心なり

奢りのこころなり

謙虚であれ

謙虚であれば、それはすべてをつなぐ

謙虚はすべてを惹きつける

中心に呼び込む

あなたにある必要なすべてを手に入れる

尊き御霊宿す身なれば、尊き御霊故に大切を常とし、

その扱い尊い御霊として大切に扱うは、清浄の心根

安く扱うは

自らを低めるこころと知れ

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神道とは実践の道

2013年09月13日 | 天意の実践

              ~9月4日『正道』降神の続き~

正道とは、神成る道

神の御心(みわざ)にそう在り様

すべからく道は神に通ず

教えにあらず

生くる道なり

生きる様(さま)なり

 

神道は、宗教ではないのです

神道は、神の道を教えではなく、

生きるための手法であり、技術であり、躾(しつけ)であり、

嗜み(たしなみ)であり、生き方の方法

神であることを実践することなのです

故に道という

先人たちはこれを

『惟神(かむながら)の道』

と説かれました。

ひとには神が宿っている。

ひとだけでなく

草木獣この世界に在るすべてに神はやどっている。

そのどれの中にも神を見出すのです

神宿るものを見抜く力を持ち、且つ、

それが至極当たり前のことなのです

当り前だからこそ、この日の本のでは寛容なのです

神を思惟する『惟神(かむながら)』とは、

自己の神、自己の祖との神について思い生きることなのです

時に目くじら立てる者もありとても、それをも尊ぶ

その者の在り様をも尊ぶのです

そこに罪(積み)科(とが)はあらず

ひとの在るのみ

そして、いつかそれすらも終(つい)えます

誰もが終わりを体験するのです

さまざまな終わりを知るのです

自らの割をも抗うことなく、潔く受け入れるのです

これは道

あなたが歩き 去り

あなたの愛するものが歩き 去る

道なのです

 

 

ありがとうございました。

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神さまとのお話 神さまとおしゃべり

2013年09月12日 | 天意の実践

リーディングのご依頼でお話をして、カウンセリングの最中や、

おしゃべりセラピー等、会話の中で、天の神さまがお話しに

参加される場合があります。

あきらかに、天卜占の声ではない時、臣さんが説明を入れる

場合もありますが、説明を必要せずそのまま会話の内容を

重要視して、そのこと自体はお伝えしないこともあります。

省みて、どのような場合が多いかと言うと、

他者のために何かをする使命を持たれている方へは

担当の神さまや、それに近い神さまが語りかけてこられます。

また、ご先祖や守護の方々のお力添えがある方へも、ご加護

の表現として変わって担当の神さまが語りかけられます。

これもひとえにそれぞれの在りようなのです。

何度かのご依頼以外でも、ご祈願等神事後でのお話で、

直接語りかけてこられることもあります。

そのどれも、自分に必要、必然で起こること。

また、「今までのなかではそんなことは言われてないわ。」

と、訝しむ方には、まだ整えの最中なだけで、必要であれば、

語りかけがなされるでしょう。

もちろん、自分の内なる神。ご自身の魂との会話が成されて

いれば、それが目的ーリストへの近道であったりします。

おこることは、必要必然。楽しんでください。

また、直会でのおしゃべりの最中に、香りが漂い、神霊の顕れ

がおこることもまた、楽しみましょう。

ここのところ、新しいご依頼者さまも増えてきましたので、

少し捕捉と思いまして、掲載いたしました。

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読んでいただきありがとうございました。

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よばれまして  宗像大社ふたたび

2013年09月11日 | 神社紀行

久しぶりの遠出。県外へ。

隣県の宗像大社へ参拝に。

先に高宮をお詣りに向かうと、いくつかのグループが参拝を終えて

降りてきていました。

お詣りに通い始めた頃に比べ、案内の看板も立ったからか、参拝者

も増えて、中の林も整備がされるようになりましたね。

ずれていた光の柱もお祭りをしている場所へと戻り、光の柱から

流れ落ちて波紋が広がってくるのが観えます。

参拝を高宮から行ったにはわけがありまして、正門から観ると

本殿が覆われていたので、お詣りは別の場所に移されたと

思っていましたら、すぐ隣への移設でした。

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御本殿は平成の大修理にかかるそうです。こちらも随分古い建物

ですものね。

良いお天気にも恵まれ(思ったほど気温は上がらず、28℃ほど)

気持ちよく過ごせました。

追記

道中はダイサギさんやアオサギさんの群れを見つけては喜んで

いました。やはり福岡の方が目撃しますねえ。

先日の大雨で川の水量がかなりこちらではあがっていたようです

が、鷺さんのコロニーが川の土手の低い林にありました。

他にもこんなものみつけました。

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これについては、『ふつーの日常』ネタ(笑)なのでそちらで改めて

書きます。後述 書いて公開しました。

読んでいただきありがとうございました。

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ことばを選ぶ 魂入りのことばを見つける

2013年09月08日 | 天意の実践

たとえぱ、本を読んでいたり、テレビを観ていたり、

友人と会話をしている時にしっくりくることばがある。

それは自分の今をあらわしていたり、自分を鼓舞する

こころが高揚するものだったりする。

ヒントはいつでもどこにでもあるのだけれど、

準備されたときに、気がつく。

準備が十分になされている時にそれに気がつく。

求めることで、答えに気がつく。

そして、

いつだった守られている自分にも、護っていてくれる存在にも

感謝する。

感謝ができる。

それを繰り返す。整える。

いつでも、自分リストは心の奥底から、語りかけてくる。

言霊はそのままに、自分であり、自分と世界をつなぐ。

世界は雑多に思える時もあるけれど、

雑多でない自分を選べば、その瞬間に、

そこは整えられた世界となる。

ことばを選ぶ。

目にすることばも、口にすることばも。

すべてはあなたが決めている。

 

朝の瞑想から~

感謝  天卜占

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