師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

再生するもの されぬもの

2011年01月16日 | 神さま通信

荒い波動の魂は、厳密には魂と言うカタチにすらなっていない

ゆえに、その肉体が消滅すると、宿る存在が無くなるために、

霧散する

そして、再生されることがないので、

生まれ変われない

という表現がされる

荒い波動が少しずつ、細かな波動になることで、魂といわれる

存在ができる

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完全なるものたちへー

2011年01月14日 | 天意の実践

今、目の見えている世界の混迷は、

大衆の意味も意義も見出せない無方向性の魂たちの

こころ揺れるままに進んだ結果にほかならない

自身の意識の在り様に添うものたちは、けっして、

自身を見失うことはない

自身そのものが、世界を構築していることを知っているからだ

混迷から抜け出せるものは、自身の世界を知るもの

あきらめず

まよわず

なげかず

自分で在り続けたものたち

そこには、混迷は存在しない

目に見えているような混迷もまた、作りだされたものだと

知っているのだ

ありのままに受け入れ

あるがままに生きる

自分の魂の存在に気づき、存在を知り、存在の声に

応えるものたちを、

わたしは知っている

そして、共に在る

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完全なるものへー

2011年01月11日 | 天意の実践

道半ばにあるものは、対象に因りて、自らにきづく

道をみいだすことが無くなった時、自らを見出す

そこには、対立はなく、

わたし

の世界のみがある

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それぞれの在りよう それぞれの選択

2011年01月07日 | 天意の実践

以前、ネットを使ってお仕事をしているセラピスト氏と話をする

機会を得た時に、自分のホームページの記事を盗作をする

同業者がいて、困っているのだが、お宅はそんなことはないのか

と、聞かれた。

たぶん、そうするひとはいるだろうが、記事にあることの意味合いや

深い思考は、あくまでも、個人レベルのものなので、それでどうこうは

思えないので、そのように師匠は話していた。

本当の意味でさえ、そのひとの世界でのレベルにすぎない。

大きく開かれている宇宙の法則ですから、理解できるレベルの

存在が地球にいるかーといえば、およそ、数えるほどもいないだろう。

それ以上に、自分と同じレベルの存在が多く存在していると

信じ、定義をするのであれば、同じようなことを書くかもしれない。

自分と言う、オリジナルな存在でいさえすれば、何もおそれることなど

ないのだ。

体感とは、眼には見えないエネルギーそのもの。

それを視覚化できないのだから、文字にあるエネルギーの

受け取り方もレベルによりさまざま。

自身の定義も、レベルによりさまざま。

それがこの世界であり、神よりあたえられた自由度の定義を

自身のレベルと鑑みて、あやまって見さえしなければ、

自分をおびやかすような存在など、ないのだ。

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あなたは守られている 私は守られている

2011年01月04日 | 天意の実践

年が明けて、いろいろなことを神さまからお伝えされているが、

ここでは、その一部を記す。

 

自分を守る決意は、自分を守っていると自覚することである。

自身がそれを強く決めていなければ、決めていないが故の

思念が次々と送られてきて、混迷する。

昨年よりも、もっと明確に

混迷あるところにはさらなる混迷が押し寄せる。

自分を守るものには守るためのものがやってくる。

自分が守られているに立脚した思考こそが大事なのだ。

人の幸せをよしとしない人は現実に存在する。

そのような存在には、

さらに、そのような神経を増幅するものがあたえられる。

引き寄せられる。

だからこそ、

自分が守られていると思うものには、

自分は守られているという体感も起こるし、

実際に、身近までそのようなハタレの輩ともすれ違う。

ハタレの行いに巻き込まれない選択し、よりよき方向へ進む。

この体験もまた、大事なのだ。

体験することにより、あなたの思考性は強化される。

最初は儚い、うっすらとした、

「これがそうなのかな。」

と感じていたことが、

「これがそうなのだ。」という確信へと至るのだ。

だから少しの失敗があったとしても、なんの心配もいらない。

その失敗もまた、自分を守るための一歩なのだ。

そして、あなたもまた、確実に、

「私は守られている。」

と宣言できるように、変化していくのだ。

 

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