師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

からっぽ

2008年10月23日 | 天意の実践

師匠のまわりでは、一段と甘い花の香りが漂っています。

師匠「へこんでも、ごきげんでも、花の香りするですぅ~♪♪♪」

フィルターレベルが上がることで、見える世界、感じる世界は

変わります。

上がることで、以前は大変に思えたことが、案外簡単に

解決するようになります。

それを感じ入って超えると、さらに、次の世界が広がっていきます。

それは、自分を意識しない世界。

自分と他者でできている世界は、実は

自分すらない世界。

だから、問題というものがないのです。

対立は幻だと教えられました。

問題というものも、間違いというものも存在しない世界。

高いエネルギー。密度の細かいフィルターレベルで

生きる世界とは、

無極なんです。

だからこそ、新しいものが次々と生まれあふれてくるのです。

増えることが、この宇宙の法則なのに、ひとはそれが減る

のではないかという不安と戦っている。

戦ってはいけません。自分というものと戦っても仕方ないことに

私たちが気がつけば、それだけで世界は変わり始めます。

やさしい世界が存在します。

    

追記

加筆、修正しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分離の夢から醒めて 2

2008年10月17日 | 天意の実践

師匠「セクト主義ということばがあるんだ。」

私 「せくと・・・ですか。」

師匠「うん。中学校時代に読んだ本にあったと思うのだけどね、

   詳しい出典は忘れたけど、こころに残ったことばで、そのとき

   『セクト主義は滅びる。』と感じた(聞こえた)んだ。

   『自分の考えは正しい。それ以外は(認めない)排除する。』

   みたいな考えなんだけれどね、まあ、極端な思想だよね。

   他者もあっての自分のはずなのに、自分だけが世界だと

   思い込んでしまうんだな。

   考えたら、近代科学はそれから成り立っていた。

   世界を理解しようして行った考えは、哲学と呼ばれたり、思想

   と呼ばれたり、科学、物理学、量子物理学。神学などの宗教学。

   宇宙学。

   医学とかもそうだけど、細かく分けて考えにこだわっていった

   結果、小さくなっていったはずの世界は、とりとめもなく広がり

   続けている。

   私たちはつながっている。そのことに気がつこうよ、と神さまは

   おっしゃっているんだ。」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分離の夢から醒めて

2008年10月14日 | 神さま通信

どう言えば、あなたがたは思い出すだろうか

あなたがたは、思い出すために、多くのものを

創造した

作り出した

その結果、

あなたがたは遥か遠くに、わたしたちを見上げる

近くの、わたしを忘れている

自分自身すらも、忘れている

遥か彼方を夢見ている

すべては、いつかかえることを

感じてごらん

沈黙の中のわたしを感じてごらん

今の中に、わたしを感じてごらん

すべての中に、わたしを感じてごらん

おかえり

その声をあなたがたは、聞く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二つめのトの教えー得心の教え

2008年10月12日 | 天意の実践

私たちにことばをかけてくれる八幡大神さまは別名

トの神さま、整えの教えの神さまと教えられたのですが、

もう一つ

得心の教えを。

これは、どんなにすばらしい知識を知っても、それだけで

悟りが開けたり、本当に物事がうまく運ぶとは限りません。

開運方法を知っていたり、なにかのグッズを持っても

うまくいかなかったという経験はありませんか?

フィルターレベルで、それぞれに感じ入ることは違うのですが、

なにかのことや、ことばををきっかけに、ぱあーっと視界が

開けたようなことがおこります。

これを、よく師匠は、「胸に落ちたあ~♪」と叫びます。(笑)

納得したりすると、まさにストンと体の中心に落ちてきたような

感覚があります。

これが、体感。

これが大事。

得心ということばはまさに、こういうことだと思います。

こころを得る。

これもまた、『トの心』。

    

追記  

加筆、修正しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

与えられ、もらったから

2008年10月11日 | 天意の実践

前回の続きです。

師匠 「お客さんと話すご縁をいただいてから、

    目には見えないけれど守られていることを、何度となく

    目の当たりにしてさ、自分のご先祖さま・・・といっても、

    じいちゃん、ばあちゃんまでだけど、なんか時々、

    ありがとう、って思うことが増えたよ。

    不思議だよね、母方のじいちゃんしか、顔を知らない

    のにねえ。」

私  「つまりは、つながりあった私たちも、教えられているわけ

    なんですよね。」

師匠「そういうわけだな。」

ことばというものに頼ると、それぞれのフィルターレベル

の精度からの情報でしか、体感ができないから、完全に

伝えるのは難しいですが、体感ーそう思えて、ありがたいと

感じられるひとが増えればいいな、と思うんです。

今の時代は、否定的な考えがまかり通って、自分を

大事に思えないひとが、多いようです。

でも、大事にしたいひとがいるからこそ、がんばっている

ひとも、たくさんいるんですよね。

大事に思えるひとのためにも、自分を大事に思えたら・・・。

使命とは、神さまから今のボディをいただいて、魂と魄でイノチを

結び合わせて、ほどけることのないように、この一生である

イノチを大事に使うことだと思うのです。

そして、目に見える存在だけでなく、目には見えないけれど、

大事に思ってくれるたくさんの存在がいてくれるのだから、

昨日よりも、もっと、もっと自分が好きでいられたら、

この世界はもっと、もっと輝いて見えるのですよ、

と、願わずにはいられません。

ところで、この世界で、本当に我欲なく、この世界に

祈りを捧げているのは、今の天皇皇后両陛下だけだ

そうです。神さまから以前、そう伝えられました。

そのような方々の足下にも及びもしないかもしれませんが、

師匠が初めて聞いた神さまのことば、

ひとたちが、笑顔でありますように と、

祈っています。

    

追記 

加筆、修正しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする