師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

神は常に ともに在る

2008年10月01日 | 天意の実践

前に、 『オモタルの教え』という記事を掲載しましたが、

その中の『ハタレ』のことを『魔族』と訳している研究家の方も

いらっしゃいましたが、師匠は

「『ハタレ』とは、神から離れたもの、だ。」

と言います。

『たたり』が『神との関係を絶ったもの』ということと、同じ考えです。

神さまから離れたがために、罪、科を受けるようなことをするのだ

そうです。

ひとには神さまの一部である魂が、カラダを包み守ってくれている

のですが、それはとても簡単に破れたりします。

わからないがために、神のご加護を見失ったりするからです。

自分のことを卑下したり、他人をけなしたりしても、魂は傷つきます。

このカラダを守ることも、魂の役割だったりするからです。

以前、神さまから、感情から私たちひとは病気を引き起こすことを

教えられました。だから、そこをひも解けば、病気ではなくなります。

師匠のヒーリングは、そのまちがいを整えているのだと、私は間近で

見ていて感じます。

私たちは神さまから守られているなんて、普通は意識していません

からね。

でも、実際は、そうやって、守られている。無限の愛という、神の力は

現実に存在する。

だからこそ、そうそう悪いことなんてないのだなあ、と思える私がいる

と感じられる。

先日、思うことあって師匠に同行してもらって宇佐八幡へ詣でました。

すると、このときは師匠は珍しく、真っ白のいでたち。

師匠「いやあ~、朝、今日は白で行かなくちゃあ~って、感じたから、

   慌ててこれに着替えたよ。」

いつものように境内では、いつもの(?)青鷺に遭遇したりして(笑)、

お参りをしたのですが、帰り道、境内を出たところで、

師匠が振り返り、本殿の在る山の方へ深々と頭を下げていました。

私 「どうしたんですか?」

師匠「今日は、八幡大神さまが人形(ひとがた)でいらっしゃるので、

   ごあいさつをしているんだ。キミもしなさい。」

私 「あっ。はい。(おじぎ)」

師匠「八幡大神さまが

   『ご苦労であった。』とおことばをくださったよ。」

私 「はあ・・・・・・。ありがたいです。(きんちょー・汗)」

いつも神さまからは離れられない。けれども、ひとは離れたがる。

目には見えないけれども、神さまはともにいてくださる。

このことに気がつけることが、実はとてもありがたいことで、これが、

幸せでいることへの第一歩なんですねえ。  

臣でした。

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