師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

選ばれしもの 選ばれしものを、選びしこころ

2009年10月07日 | 天意の実践

神さまからの神託をお届することをはじめて、その意義のことなどを

考える暇なく、数年を過ごしてきた。

驚きと喜び。または当惑。真実とはなにか、を考えさせられながら

その中で、意味ある目覚めから、覚醒へとつながっているひとたちを

おくりだしてきた。

以前、記事に、神託をすべて伝えているわけではないと書いた。

それは、「私も神さまのお手伝いがしたいです。」とおっしゃった方に

「準備が整いました。あなたの神名を授かりました。」

と言うと、

「いえ、それはいいです。もう、神さまのお手伝いはしません。」

と、返事が返ってきたことがあり、

そのような場合は、お伝えはしなかったのだ。

ひとは誰もが、選ばれしものだ。

なかでも、特に選ばれしことで、ここへ降り立ったものがいるのだ。

そして、この世界にふれて、選ばれしものであることを、

選ばないものもいるのだ。

ところで、『特に選ばれしもの』が、『特に選ばれしもの』である

ことを選ばなかった場合、

『特に選ばれしもの』の役割は重要だから、すぐに、次のひとが

選ばれる。

これは、実際、お客さまが体験された話だ。

ものごとに対しては、或る程度の覚悟というものがいる。

この覚悟が持てるか。持ちたいと思うか。で、こころは変わる。

決まっていたことを捨てる。

もちろん、そこにも覚悟はあるのかもしれない。

少しずつずれた軸足をもとの位置へ戻すのは大変な労力が

あるのかもしれない。

でも、選ばない生き方も実際はある。それが幸せなのかどうかは

その人が決めることだ。

ただ、覚悟とは、決めれば案外、すんなりと、いや、今まで以上に

自分のまわりは、ながれるように動き出すのだ。

自分は悟っている。そのことを覚えているのだから。

人間というものは、変化を恐れる。

けれども、新しいものも好む。

このバランスが実はとても深い。

老舗の名人や、今、改めて見直されている、農業の達人が

培ってきたことに、少し新しいことをまぜることで、

今までが、そして、これからが生きてくる、

と話していた。

これは覚悟の妙だと思う。

この感覚は、妙なるものなのだ。甘さと嬉しさ。

喜び。神の法悦そのもの。

師匠が言う『ぽ~』の状態であり、覚醒し、意識が拡大して

体験することだ。

お客さまからの、その後の感想のメールをいただくたびに、

このお役を務めることの喜びと、怖れ多さを感じながら、

新たな出会いに感謝している。

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