前回の記事へ寄せてくれた tomato さんのコメントに触発され、今回は旅の中でのひこうき雲の話題。
オーロラ撮影のため3週間ほどキャビン暮らしをしていた時のこと。地元の人が尋ねて来てくれたり、電話を借りに行ったりして、時々人と会っていたのですが、それでも2、3日まったく人間と会わないという日もありました。キャビンの外へ出ると見渡す限り森と河。キャビン以外では人間の気配が感じられない環境です。
そんな中、必ずちょうど正午くらいに上空を通過する航空機がありました。静まり返っている森に、空から小さく響いてくる音が耳に届いてくる。久々に聞く文明的な音だなあ、と思いながら。やはり「あの飛行機はどこへ行くのだろう」と考えつつ機体が見えなくなるまで眺めてました。同時に「あの飛行機の中では機内サービスが行われ、音楽を聴いている人がいたり、映画が上映されていたり、飛行機の真下で原始的な生活をしている今の僕とは天と地ほど異なる近代的な空間が移動していく」。そう考えるとまた不思議な感覚になるものです。
元国際線パイロットの方に聞いたお話では、フォートスミスに航空機レーダーがあり、北米大陸を横断する際に経由する地点とのことでした。
“あれは日本からの飛行機だったりしないだろうか”
ひと筋のひこうき雲は、その下にいる人の想像をふくらませてくれますね。
キャビン付近にて。こんな青空を眺めながら・・・
オーロラ撮影のため3週間ほどキャビン暮らしをしていた時のこと。地元の人が尋ねて来てくれたり、電話を借りに行ったりして、時々人と会っていたのですが、それでも2、3日まったく人間と会わないという日もありました。キャビンの外へ出ると見渡す限り森と河。キャビン以外では人間の気配が感じられない環境です。
そんな中、必ずちょうど正午くらいに上空を通過する航空機がありました。静まり返っている森に、空から小さく響いてくる音が耳に届いてくる。久々に聞く文明的な音だなあ、と思いながら。やはり「あの飛行機はどこへ行くのだろう」と考えつつ機体が見えなくなるまで眺めてました。同時に「あの飛行機の中では機内サービスが行われ、音楽を聴いている人がいたり、映画が上映されていたり、飛行機の真下で原始的な生活をしている今の僕とは天と地ほど異なる近代的な空間が移動していく」。そう考えるとまた不思議な感覚になるものです。
元国際線パイロットの方に聞いたお話では、フォートスミスに航空機レーダーがあり、北米大陸を横断する際に経由する地点とのことでした。
“あれは日本からの飛行機だったりしないだろうか”
ひと筋のひこうき雲は、その下にいる人の想像をふくらませてくれますね。
キャビン付近にて。こんな青空を眺めながら・・・
青空は不思議に元気にしてくれます。
古い人間なので、「すみれ島」などと絵本も読みます。特攻隊のお話です。
小学生がわけも知らず、頭上の飛行機に手を振ります。帰ってこないことも知らず・・
私たちは幸せな時代にいます。空、海は知ってて知らんふり!だから自然が大好きです。
さて、戦争のお話ですが。
オーロラ撮影へ行った際、現地のカナディアンに見せてもらった分厚い資料が記憶に残っています。日系人の記録です。その本の一角に、道路工事現場で働かされている日系人の写真が掲載されていました。戦時中に私財を取り上げら
れ、道路工事現場で働かされていた時代があったようです。
今でこそ「自然豊かなカナダ」という明るいイメージがありますが、その当時の日系人は果たしてどんな思いだったのか?今の自分にそれを計り知ることはできません。変な見方かもしれませんが、その写真の中に写り込んでいた大地や木々は、人間の時代がどう変わろうが何ら変わることなくそこにあったのだと想像されます。
違うのは、そこに写り込んでいる人間と人間が作り出した環境・時代だけなのだと。
挿絵として掲載されていたその写真を見ながら、人間の作り出した世界はつくづく不思議であり、そして何より今のこの時代、この国に生まれてきたことを感謝していました。
そうでなければ「海外留学」や「オーロラを追い続けること」はおろか、毎日を生き抜くことさえ危うかったのだと。
本当に僕らは「贅沢」なのだと思います。
その一方で、その贅沢で幸せな環境に生まれたからには、それを十分有効に使わないと、それをできない環境に居る(居た)方々に対して失礼なのだと。普段から僕はそう思うようにしています。
長くなりましたが、戦争と平和、今の時代の平和ボケ(そんなことを言えるような有識者ではないですが、少なからずそう感じる時もあるので)、日本はこのまま勝手放題進んでも大丈夫か、という思いは消えません。
コメントが変な方向へ流れました。では。