今日も暑かった!

2023年06月17日 22時05分00秒 | 旅行

 今日も朝は爽やかでしたが、日中は家の中に居ても暑さを感じじわっと汗ばみそうでした。

昨日よりも更に暑かったようで、真夏ほどではないにしても熱い風が通っていきました。

それもそのはずで今日は32.4℃あったようです。

 朝のお散歩

ママ友ガーデンのユリも終わりのようです。

 

立派な山葡萄がこんなにたくさん生っているのは、勝手にお師匠さんと仰ぐ畑のあるお宅。

 

お野菜もすごい

葉も緑が濃くて、勢いがあります。

きっと土や日当たりよくが、お手入れが行き届いているのだと思います。

昨年、散々「何のお花かしら」と悩んだこのお花はムラサキシキブ。

教会のお花

 

紫陽花のシーズンも徐々に終わりに近づきつつあるようです。

 

 

 

 

 

 

ホスピス仲間と先日来話題になっているドクダミの花。

確かに真っ白でかわいいですね。

 

つゆ草をすごーく久し振りに見た気がします。

 

我が家のジャスミン

 

 

ずっとこのトンボは我が家の庭にいます。

なすに幼虫がいました。

多分、なすの実が生る部分を食べてしまったような気がします。

🍋レモンもひやひやです。

🍋レモンはなめくじですが・・・今日の写真はピンボケでした

夕方の水遣りの時に見たら、立派なきゅうりが別の場所に生っていました。

明日の朝、収穫出来るかな

 

後は豆らしいものも生っていました。

 今朝の果物

メロンが無くなりましたので緑色が無くなり彩りが悪くなりました。

 

なすときゅうりを3本ずつ買っていたのを忘れていました。

早速、味噌煮と三杯酢を作りました。

なすが大好き

母は今朝もレーズンバターロールを2個と果物を少し食べただけで、9時前にはベッドへ。

それから看護師さんが来られるまでほほ寝たまま。

 今朝の旅サラダは懐かしいバリ島をしていました。

バリ島ではいろいろ楽しませてもらいました。

随分、変わったようです。

 

まずはエステ(マッサージ)がとても安かったので何回も行きました。

最後の日にほぼ1日コースを体験。

ランチやスイーツも楽しめ、民族衣装で写真を撮ってくれて、使われたお気に入りのアロマオイルを素敵な素焼きのボトルに入れてプレゼントしてくれました。

 

人生初のスキューバダイビングをしたのもバリ島でした。

流れが速くて海の中の岩を持っていないと流されそうでした。

熱帯魚がとても綺麗でしたが、楽しむ余裕はありませんでした。

(海の中を楽しめたのはハワイ島です。

そこで、一緒にイルカと泳いだり、マンタにも遭いました)

それでもう疲れ果ててしまい、もう1回潜れましたが、海の上を飛ぶアクティビティーに替えました。

確か13m潜ったと言われた気がしましたが記憶違いのような

ここはお寺

ここ行ったかなぁ・・・

どこか有名なお寺には行きましたが、海岸沿いにありました。

 

それから、人生初の海外でのゴルフをしたのもバリ島でした。

この時はゴルフウエアは持って行っていましたが、その他はレンタル。

自分のゴルフセットを持って行ったのはこれまたハワイのオアフ島です。

もうすごい山岳コースで、まるでジャングル。

いくつボールを失くしたやら

この時は確か2回目のハワイで、母もいましたので、母もカートに乗って周りました。

そして、パターに挑戦。

母が一番上手でした

ついでのことに海外での初の車の運転はハワイ島でした。

皆、すごいスピードを出すので怖かったです。

その前に運転する気満々で国際ライセンスまで持って行ったのはタイ。

でも、残念ながら運転する機会はありませんでした。

その代わり  象さんに乗せてもらいました

 昨日もそうでしたが、今日も夕方から母は元気になり、食欲が戻りました。

お昼はメイバランスや果物や飲み物などですが、夕方にはしっかり食べました。

下痢は治りましたが夕方少し緩め。

でも、昨日、今日と夕食はお台所ではなくベッドで食べたいと言いましたので、移動式の机を持って行き、食べている母の前に私は座わりました。

最初は食べさせていましたが(朝も)、段々と自分で食べられるようになりました。

最近の母は一人では自分で椅子から立ち上がることも一人で歩くことも出来ません。

9時頃までベッド脇に座ってゴソゴソしていましたので、ちょっと活力が湧いてきたようです。

今は最後の9時のお薬を飲んで寝ました。

今日も無事に終わりそうです💖

★致知一日一言 【今日の言葉】2023.0617

真に人に優しくできる人

厳しい環境で自らを鍛え、
錬り磨き、
人間的な成長を遂げることで
真に人に優しくできる
━━━━━━━━━━━━━━
上寺康司
(福岡工業大学教養力育成センター教授)
○月刊『致知』2023年7月号
「学を為す、故に書を読む」(最新号)より
━━━━━━━━━━━━━━

★致知出版社の「ご縁メール」

≪「歌手になりたい」小林幸子9歳の決断≫

来年芸能生活60年の節目を迎える
歌手・小林幸子さん。

10歳で華々しくデビューするも、
その後の15年間は苦難の連続だったと
ご本人は振り返られています。

波瀾万丈の下積みを経て、
見事な花を咲かせた小林幸子さん。

本日は、その発端となる、
歌手デビューのきっかけとなった
出来事をご紹介します。

─────────────────


10歳での歌手デビューから
気づけば来年60周年を迎えます。

山あり谷ありの歩みを振り返ると、
感慨深いものが込み上げてきます。


私はこれまで礼儀作法はもちろん、
教養や男女の機微に至る
あらゆる物事を芸能界で学んできました。

その一つひとつがいまの私を形づくっていると実感します。


新潟市で精肉店を営む両親の元、
三姉妹の末っ子として生まれ育ちました。

幼い頃から母の接客姿に惹ひかれ、
大人になったら母のようになりたいと思ったものです。


そんなある日、突然父に
「幸子、来週東京見物に行こう」と言われ、
連れて行かれたのが、テレビ局の予選会場でした。

歌好きの父が内緒で応募した
素人のモノマネ番組に当選していたのです。

突然歌いなさいと言われ戸惑いながらも、
歌うことが好きだった私は精いっぱい歌いました。

するとどんどん勝ち進みグランドチャンピオンになり、
審査員を務めていた昭和を代表する
作曲家の古賀政男先生から直々にスカウトされたのです。


父は歓喜したものの、
家庭的な母は生き馬の目を抜くような
芸能界への挑戦を猛反対し、
夫婦喧嘩が絶えなくなりました。

親族会議を開いても埒が明かず、
ついには私に決定権が委ねられました。


「幸子、お前は歌手になりたいか」


いままで見たことのない両親の真剣な面立ちから、
この返答が人生を大きく左右するのだと直感しました。

けれども、僅わずか9歳の子供であることに変わりありません。

「チョコレート食べたいか」と聞かれたのと同じ感覚で、
「歌手になりたい」と答えました。

このひと言が私の人生を決定づけたのです。


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