あたぴぃのらくがきちょう Online

わりと徒然なるあたぴぃの日記。細かい情報ブログは目指してません、ご了承くださいませ。

(超長文) 2009 年夏至の夜に想うこと

2009-06-22 07:59:27 | テーマもの
うす明かり。キャンドルの光のもとで文章を
つづるのは 2 回目になります。

今回はケルト音楽を聴きながら書いています。
むかしからある音楽。…そして、これからも
奏で続けていってほしい音楽。

「これから」。これまでのコトがどうでもいい
とは言いませんが、「これから」のことって、
意外と忘れてしまいがちかも知れませんね。
みんな、今のこと、「これまで」のことに
どうしても目が向きがちだから、なのかな。

なので、「これから」の話をしようかなあと、
そんなコトを思いながら書き始めました。

「これから」の地球。

「これから」の地球の主役になる人々、
…ヒトが主役でなくなっているかもしれない
ですね。…まずは、ヒトの中の主役について。

「これから」の地球で暮らしているヒトは、
2009 年に生きているヒトとは少し違う。
それは、…例えば 100 年後の地球では
僕はたぶん天に召されている、そういう話。

そう、「次の世代」、ひょっとしたらもっと後の
世代のヒトたちが暮らす地球になっている。

何かのキャッチコピーにあった、『明日のエコ
では、間に合わない』。それは、言いかえれば、
「これから」の世代を生きる人たちを犠牲に
しないこと。そんな印象を持ちました。

地球を汚してしまうことで困るのは、自分では
ないかもしれない。それでも、なぜ地球を
なんとかする必要があるか。

子どもたち、そして更にその子たちを守るため。

あえてひどい言い方をしてみましょうか…。
向こう数年くらいの間に地球がものすごく
熱くなって、ヒトがほとんど暮らせなくなった。
あるいは、世界中をまき込むような大戦争が
あって、子どもたちがたくさん死んでしまった。

何百万年も続いてきたヒトの歴史。

数十年後、わずかに生き残った人たちから
「あの時なんとかしていれば…」と思われる、
不幸な歴史の 1 ページを作りたいですか?

ごめんなさい。かなり毒がすぎました…。

でもね。

今できることを目いっぱいやることは、自分の
ため、今の地球を守るためだけでなく、
未来の人たち、未来の地球のためになる。

自分の子どもたちが、きっともっと幸せになる。

そんなことを伝えたくて、ついキツい言い方を
してしまいました。ふだん日記でこんな
言い方しない…いや少しはしてるか…
でもここまで脅しをかけたことはないかも。

未来のヒトたち、未来の地球のためにできること。

たぶん、2 時間で全部思いついてしまう
ような、スケールの小さな話じゃない。
でもそれは、「思いつくのに時間がかかる」の
ではなく、「書ききれないほど沢山ある」という、
ポジティブな意味でのスケールの大きさ。

そう考えてみると、「やれるかも」って気がしない?
世界中の戦争をどうにかする…という実に大きくて
難しい話から、エアコンの効きが悪いけど
設定温度は下げずに扇風機を使うという
身近な話まで、何とかできそうな話は
ホントに書ききれない量あると思う。

今すぐなんとかするのが難しいモノも
確かにあるかも知れない。でも、もし仮に
今できないコトが何かあるとしても、
「どうせ無理だから」と全てをあきらめていい、
…という理屈にはならない、と思う。

あきらめるのは、地球がホントに終わって
しまってからでいい。

時間稼ぎにしかならない? …いや、それも
なにか違うと思う。世界中に、未来をより良く
しようとガンバっている人はたくさんいる。

それは、例えば…。

地球が終わりかけている時、という話で
少したとえてみると。

世界中の人が必死にガンバって、地球が
「あと 1 ヶ月」という状態を 1 年のばして、
「あと 1 年 1 ヶ月」という状態までなんとか
持っていったとします。

世界中の人がガンバってひねり出した 1 年の
間に、世界のどこかの人、研究者さんかな、
…が、「あと 1 年 1 ヶ月」を「あと 50 年」に
してしまう可能性。100% ではないですが、
0% でもないと思いませんか?

…ちょっと極端な例えになっちゃいました。
でも、技術の進歩というのはスゴいらしくて。
今すぐに全てをなんとかする魔法はないかも
しれませんが、新しい技術ができ上がる
までの時間を少しでも多くとることは大事。
僕はそう思います。ものすごく小さなエコでも、
それでヒトが地球にいられる時間を少しでも
長くできるなら、そのエコはとても大事なエコ。

だから、できることは目いっぱいやろうよ。

僕が思いついたのは、冷房は 28 度にする、
買い物袋は毎回持っていく、…どれも大体
そんな感じ。小さいと言えば小さい。

でも、小さなエコの結果として、子どもたちが
地球に住める時間を 1 秒でも長くできれば、
それは意味のあるエコだと思います。

それに、小さなエコもみんなで取り組めば、
大きなエコに変わっていきます。

さっき「1 秒」と適当に書きましたが、例えば
キャンドルナイトにちなんで 100 万人が
全く同じエコな生活を始めたとします。
これだけで子どもたちは 100 万秒、
だいたい 11 日くらい長く地球にいられます。

そして、日本には 1 億人以上が住んでいます…。

だから。

自分の生活を少しでもエコにする。

少しでも多くの友達をエコな生活に誘う。

そして、「今できること」は時間とともに
増えていく。さっき似たようなこと書いたかも。
ときどき、「新しくできるようになったコトある?」
と、見直す習慣をつけるのもいいと思います。

車とかだと、今日現在の日本ではガソリン
以外で動く車を使い続けるのは少々難しい。
良くてハイブリッド車というところでしょうか。

でも、その「ハイブリッド車」というエコも思えば
ここ 10 年くらいでやっと選べるように
なったもの。10 年後には、もっとエコな車、
電気自動車などに乗れるかも。

そんな感じで、日々の生活をよりエコにする、
「これから」の世代のヒトたちもこの地球で
長く生き続けられるようにする、そういう手段は
日々増えています。日々の積み重ねと、時々の
見直し、できれば見直しの機会にエコ追加、
…それくらいできるのが理想かなあと
思っています。

毎日生活を見直すのはさすがに現実的とは
言えませんが、例えば毎年のキャンドルナイト、
家電の故障、…他にも色々あると思います。
「エコを追加」するチャンス。

最後に、最初の方に書いた「地球の主役」
という話をしたいと思います。

なんとなく、今まで「地球の主役はヒト」の
ような形で書き進んでしまいましたが、
本当の主役は地球が決めるのかも、とか
哲学に走っちゃいそうな話。

地球は、全体のつり合いを見ながら、
慎重にながらも、地球上に何を住まわせるか
決められるのかも知れないなあ、などという
不思議なことを思いついてしまいました。
映画に例えれば監督は地球、役者は生物。
だから、監督である地球が「ヒト退場」と
言えば、ヒトは地球にいられなくなる…と。

地球に退場宣告を出されないように、
地球に「住ませてもらっている」という
気持ちを捨て去らないように、ヒトは
謙虚に生きるべきなのかも、という話。

…22 時になりました。書きたいことは実は
まだまだあるのですが、それは普段
いかに何も考えずに生きているか…という
コトの裏返しかもしれませんね…。

「これから」の人たちのこと。

地球に「住ませてもらっている」こと。

エコに生きる理由って、そういうコトなのかも。

長文お付き合い、ありがとうございました。

2009.6.21

Naoya

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以上が、手書きで書いた文章の全文になります。
変換改行も原文通りなので、読みにくいかもしれません。

文章をつづってみての感想はまた後日。今日は原文だけ。